第89話

 アルマは食堂にて、いつもよりやや遅い朝食を取っていた。

 昨日は深夜に起こされたため、少々寝不足であったのだ。


 村の小麦を用いて作った、アルマ自家製パンへと食らいつく。

 パンには山羊乳のチーズや鶏の卵、鶏肉が挟まれていた。


 錬金術師は皆、料理も熟せるものなのだ。

 マジクラ的な理由としては、コンテンツを増やして少しでもプレイヤーを飽きにくくするためであったが。


 どれだけのランクのパンを作れるかは、錬金術師の質に直結するともいわれていた。

 麦畑にパン工房、そして錬金術師としての実力、対応力、創意工夫が試される。

 錬金炉と同額の予算をパン設備に投じるプレイヤーは多い。

 マジクラ運営もそうしたプレイヤ―達の動向を抑え、パン絡みのイベントを用意することもあった。

 百戦錬磨の錬金術師達が自家製パンの品質で実力を誇示し合う光景は微笑ましいと評判であった。

 

「うむ、我ながら美味い。新鮮な食材は全然違うものだと、この村に来てから思い知らされたな」


 山羊乳で口の中のパンを喉奥へと流し込む。

 アルマはそれからふと、顎に手を当てて思考を巡らす。


「ちょっと臭みが強いな。ウチ専用の乳山羊でも用意するか。それくらい贅沢しても罰は当たらんよな」


「ホルスー、ボクのおかわり持ってきて」


 衣服をパン屑で汚したメイリーが、ホルスへと手を振った。


『ハッ! メイリー様、直ちに!』


 ホルスがトレイの上に山盛りのパンを乗せて、トテトテと机へ向かって歩いてくる。


「雑用ばっかり押し付けて悪いな、ホルス。クリスの奴はデカすぎて作業に向いていないし、別に使用人を作るべきかもしれないな」


『なんのなんの! このホルス、アルマ様のお役に立てて光栄でございますぞ!』


 ホルスは机の上にトレイを押し上げた後に、ビシッと胸を張った。


 アルマが大きく背伸びをしたとき、顔を真っ蒼にしたハロルドが、お供の兵士と共に食堂内へ飛び込んて来た。


「ア、アア、アルマ殿! ちょ、ちょっと、昨晩何があったの!?」


 ハロルド達に続いて、アヌビスが歩いて中へと入ってきた。

 アルビスにハロルドへの報告を任せていたのだ。


「おう、ハロルド。焼きたてのパンがあるぞ。たまに村人に配ってるんだが、これが結構人気があるんだ」


「あ、確かに、いい香り……そ、そうじゃなくて! 都市ズリングの使者が、アルマ殿に危害を加えようと行動を起こしたって聞いて来たんだよ! ひ、非常事態……だよね? あれ、違った? アルマ殿を見ていると、混乱してくるのだけれど……なんでそんなに、落ち着いているんだい?」


「騒ぎがあったのは昨晩の深夜だからな。その件ならもうとっくに片付いているぞ」


「さ、昨晩!? なぜそのときに知らせてくれなかったんだい!? ぼ、僕はアルマ殿を心配して、大急ぎで来たって言うのに」


 アルマはパンへとかぶりついて自身の口を塞ぎ、その間に言い訳を考える。

 知らせたのがついさっきになったのは、夜の間が眠かったからである。

 生真面目なハロルドならこういう反応をすることは予想がついていた。

 何ならゆっくり朝食を食べたかったためアヌビスの出発を遅らせたくらいであった。


 元々ハロルドは、都市ズリングの動向にずっとびくびくしていたのである。

 マジクラは、一般現地人に対して厳しい世界である。

 魔物災害が活発で、全体的に治安もあまりいいとはいえない。

 小さな村を存続させ続けるためには、多少臆病なくらいが丁度いいのだ。

 自分だけではなく、他の者の命も背負っている立場であるのだから。


「落ち着け、ハロルド。連中をこっちに泊めたら、よからぬことをしそうだっていうのは事前にわかっていたことだろう。ハロルドも一度、止めていたじゃないか」


「ま、まあ、そうだけど……。えっと、ちょっと待って、まだアヌビス殿からは簡単にしか聞いていなくて、状況を把握しかねているんだ。ただアルマ殿の話と現状を整理すると、夜中に連中が事を起こして、鎮圧した後に眠かったらこの時間までゆっくり寝て、朝食の片手間に、ようやく僕に伝令を飛ばしたということでいいのかな? その、なんていうか、結構くつろいでいるように見えるんだけど……」


 ハロルドは察しが良すぎる。

 アルマはもう一度パンへと口を付けた。


「アルマ殿、誤魔化そうとするためにものを食べるのはやめてもらえないか……?」


 アルマはパンを呑み込んでから、自身の鼻の頭を掻いた。


「……悪い。ぶっちゃけ思いの外簡単に片付いたから、そこまで急いて動かなくてもいいかなと」


「アルマ殿……今はさ、下手を打ったら都市間の抗争に発展しかねない状況なんだ。確かにアルマ殿ならゲルルフに対抗できるかもしれないけれど、向こうにもこっちにも民がいる。今の状況なら焦らなくていいかもしれない、という考え方は勿論僕も理解できるよ。でも、都市ズリングが次にどんな動きを見せてくるのかだってわからないし、なんでも早いに越したことはないんだ」


「わ、悪かった」


 アルマはおしぼりで手を吹いて席を立った。


「盤上遊戯じゃないんだから、色んな不幸が重なって予期しない何かが起こることなんて当たり前なんだ。万が一の何かがあったときに後悔しないためにも、僕達は目前の危機に対してできる限りの努力をすべきだと、そうは思わないかい? ……いや、これは僕の使命や矜持を、アルマ殿に押し付けすぎているね。善意で動いてくれているアルマ殿に対して、一方的な言い方になってしまっていたかもしれない。ただ、誤解しないでほしいのは、その、僕が言いたいのは……」


「わ、わかってるって、な? 俺もちょっと思い上がってた。ホルスに連中を地下牢に放り込んでもらってたから、どうにか奴らから情報を引き出してくるよ」


 アルマはハロルドの肩を叩いて宥める。


「……尋問もまだだったんだね」


 ハロルドは頭に手を置き、息を吐いた。

 アルマは咳払いをして誤魔化した。

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