HSPという名の親友

逢雲千生

HSPという名の親友


 私には、生まれつき特殊なチカラがあります。


 それは超能力だとか、不思議な能力が使えるというものではなく、私のしつ、あるいはしょう、もしくは心とでも言うのかもしれません。


 本音を話しても「甘え」だとか、「頑張れば出来る」などと言われてきたコレは、私にとって苦痛しか与えない敵でした。


 他の人であれば、誰かと一緒にいても平気ですし、パーティーで楽しく騒ぐことも出来るでしょう。


 たくさんの人と知り合えて、広い世界を知り、多くのことを学ぶことだって、苦ではないと思います。


 しかし、私にはそれが出来ないのです。


 人と話すことも、外に出てたくさんの刺激を受けることも、騒がしいところにいることですら、私には苦痛だったのですから。




 私はともと言います。


 今年でアラサーですが、実家のお世話になりながら、少しずつ在宅の仕事をしているフリーランスです。


 こうなる前はフリーターで、一時期は引きこもりになりかけたこともありますが、自分を知ってから、世間との付き合い方がわかってきたので、ようやく人並みに生活できるようになってきました。


 突然ですが、HSPという言葉を聞いたことがありますか?


 これは「エイチ・エス・ピー」と読み、とても感受性が高く、繊細で敏感な人のことを表す単語です。


 HSPは、うつ病と間違えられやすいのですが、何らかの出来事がきっかけでなるうつ病と違い、HSPは先天性――生まれつきのものです。


 幼い頃から発揮されるため、内気な子だと勘違いされやすくもありますが、気が弱いわけでも人が苦手なわけでもありません。


 私もHSPの一人なのですが、私の場合は特に強く、昔から気が弱いだとか駄目な子だとまで言われていて、家族ですら呆れるほどのものでした。


 私の場合、音や匂いに敏感で、人の気配や感情に振り回されやすく、誰かと同じ空間にいることが苦痛なタイプです。


 しかし、人が嫌いなわけではなく、人に振り回されるのが大嫌いなだけでした。


 洗剤の香りも、大音量の音楽も苦手で、少しでもいだり聞こえたりすると、すぐに眠れなくなったりするほどです。


 まだ自分で家事をする前は、香りがあるものを好む母親によって選ばれた洗濯用洗剤が、家中に漂っていたことがあります。


 それが嫌で、止めてほしいと訴えたことがありますが、その時は「お母さんが平気なんだから、あなたも大丈夫よ」という、何の根拠もない返答だったのです。


 父は特に気にする人ではなかったため、母親がどれだけ強い香りのものを選ぼうと、いつも黙って身につけていたので、まったく当てになりませんでした。


 兄弟達も思春期だったので、小さい頃はうるさく言っていましたが、もっと良い香りにしてくれと訴えていたほどです。


 私はそれがどうしても駄目で、寝る時以外は我慢していましたが、寝る時だけは洗濯物を干さないように頼み、どうにか乗り越えていました。


 また、兄弟達は年頃になると、友人や恋人を連れてくることがあったので、彼らが騒ぐ声を聞くのも苦痛でした。


 壁が薄いわけではありませんでしたが、誰も気にしない音にすら敏感になり、家族以外の人が来る日は外に出て、人の少ないところに行って勉強などをしていたほどです。


 ここまではまだ対処法があり、どうにか乗り切っていました。


 しかしどうしても無理だったのが、人付き合いです。


 友人知人が増えるのは嬉しかったのですが、必要以上の接触や行動が好きではなく、社交的な人と知り合った時などは、本当に大変でした。


 学校でもプライベートでも一緒に行動するため、息つく暇が無かったからです。


 断れば不機嫌になられたり、最悪いじめられたりするので、高校生になった時はもう、とにかく気をつかって生活していたほどです。


 友人相手にそこまでするか、と言われたこともありますが、そうしなければ、もうこれ以上は苦痛になるとわかっていたからです。


 された方は嫌かもしれませんが、私だって気を遣う毎日が嫌でした。


 一人でいることが許されず、大人しいというだけでいじめられたこともあり、自分を殺してでも周りに合わせなければと、それだけを考えていたからです。


 高校生活が終わっても、それはずっと続いていました。


 就職難で失敗し、家で家事手伝いをしながら、あちこちでアルバイトやパートなどをして、どうにかお金を稼いでいましたが、人付き合いに疲れて長続きしませんでした。


 家族は「甘えているからだ」とか「いつまでも学生気分でいるな」と言ってきましたが、家族に助けてもらっている手前、言い返すことは出来ません。


 兄弟達が無事に就職できてからも、私はなかなか就職先が決まらず、何度も仕事を変えていたある日、とうとう父親に呼び出されたのです。


「智花。お前、本当にいい加減にしろ」


 そんな言葉から始まったのは、家族全員に睨まれながらの説教でした。


 下の子達でさえ決まった就職なのに、まだフリーターのような生活を続ける私に対して、家族は本気で怒っていました。


 私は甘えん坊で、やる気が無くて、人生や仕事を舐めきっているとまで言われ、ただただうなだれるしかありませんでした。


「だいたい、人付き合いが苦手なのは、お前の気持ち次第だろう。お前がちゃんと向き合おうとすれば、自然と仲良くなれるもんだ。それなのにお前ときたら、家でも職場でも一人で行動してばかりじゃないか。そんなんじゃ、これからの人生やっていけないぞ」


 父がこう言うと、


「そうよ。お父さんの言うとおり。あなただって、いつまでも若くないんだから、定職に就いて恋人を作って、将来のことを考えていかないと。いつまでも人付き合いが苦手です、なんて恥ずかしいわよ」


 母がこう言うと、


「自分の姉妹がそんなだと、俺達まで肩身が狭くなるんだよ。いい加減甘えてないで、そろそろ本気出して大人になれよな」


 兄弟達がそう言い切ったのです。


 情けないやら恥ずかしいやらで、私は涙が溢れてきました。


 家族は「泣いてる暇があるなら、今すぐ仕事を探してこい」と言い、私の鞄とスマホを部屋からとってきて、それと一緒に家から出したのです。


 玄関先でとしもなく泣いていましたが、家族は本気でした。


 本気で仕事が見つかるまで家には入れない気だったので、私は仕方なく、仕事探しに出たのです。


 幸いにも貯金は下ろせたので、それで食事や洗濯などはどうにか出来ましたが、住む場所には苦労しました。


 数少ない友人達に頼み、泊めてもらっていましたが、一週間もすると怪しまれたため、慌てて部屋を出ると、安いホテルや民泊などにお世話になりました。


 一ヶ月しても家族から連絡は無く、私からも連絡はしませんでした。


 それからしばらく経ったある日、私は面接した会社の一つから内定をもらえたのです。


 そこは小さな会社でしたが、体制が新しいところで、出社しなくても大丈夫な人を募集していたことが、大きな魅力でした。


 給料は少なかったのですが、アパートが借りられたので生活も安定し、さてこれからだという時に、兄から連絡が入ったのです。


『智花か。お前、就職できたか?』


「う、うん。小さな会社だけれど、すごくいい人が社長だったから、未経験でも正社員としてとってくれたんだ」


『そうか、それなら良かったよ。それで、どんな会社なんだ』


 そう聞かれ、私は正直に答えました。


 仕事内容はパソコンで行うものばかりで、ほとんどが在宅であること。


 たまに出社するけれど、それ以外は自分の自由に仕事が出来るため、多少の不自由さに目をつむれば、私にとって最適な環境であること。


 難しい仕事もあり、勉強しながらでも技術が学べるため、転職しやすいことなどを説明すると、兄は冷めた声で「なんだそりゃ」と言いました。


『お前、まだ人付き合いが駄目なのかよ。いくら雇ってもらったって、家での仕事は限りがあるだろう。貯金や生活も苦しくなるだろうし、これから結婚とかしたらどうすんだ』


「それは、その時にまた考える。今はとにかく、私に出来ることがあるだけでも嬉しいし、仕事も楽しくなってきたところだから、このまま続けていきたいの」


『ふざけんな。もういい、わかったよ。お前を信じた俺らが馬鹿だったんだな』


「……どういうこと?」


 兄の言葉に嫌な予感がした。


『お前の仕事はこっちで何とかする。そんな楽な仕事しかしないんじゃ、社会人として終わってるからな。今すぐだと、営業あたりで空きがあると思うから、俺の上司に相談してみるよ。だから、お前はすぐ退職届を書いて家に戻ってこい。いいな』


「はあ? ちょっと、何勝手に決めてんの? 嫌だよ」


『いいや、もうお前の意見なんて聞かない。いいな、すぐにだぞ』


 そこで電話が切れた。


 兄はやると言ったらやる人だから、すぐに行動しなければ間に合わないだろう。


 震える手でスマホを持ち直すと、私は社長へ電話を掛けた。


 電話はすぐにつながり、いつもの明るい声がした。


『智花ちゃんか、久しぶりだね。元気だったかい?』


「は、はい。お久しぶりです。あの……突然なんですが、仕事を今すぐに辞めたいんです」


 私がそう言うと、社長が息を呑むのがわかった。


「じ、実は、実家で大変なことがありまして、今すぐ戻らなければならないんです。それで、仕事も続けられないと思うので、迷惑をかける前に、辞めさせてください」


 震えそうになる声を我慢しながらそう言ったが、社長は返事してくれない。


 何分もの間を空けて、彼は静かに「そうか」とだけ言った。


 私の辞職はすぐに受け入れられ、私は兄の言うがままに転職をした。


 兄が勤める会社の営業で、仕事はとにかく忙しかった。


 どこに行っても人と会い、次から次へと環境が変わっていく。


 それでも、家族に怒られたくなくて頑張ると、兄達はやっと、笑って認めてくれるようになった。


 それに安心して、どうにか慣れようと頑張っていたある日、私は職場で倒れた。


 救急車が呼ばれる騒ぎになり、倒れた場所が階段上だったことで、階段下まで盛大に落ちてしまったからだった。


 目覚めると病院で、私は看護師さんから状況を説明された。


 極度の疲労と睡眠不足、そして栄養失調まであったそうで、私は緊急入院となったのだ。


 はじめは仕事のストレスからだろうと言われたけれど、私は仕事と聞くだけで震えが止まらなくなった。


 早く復帰しなくちゃいけないのに、大勢の人に迷惑を掛けているかもしれないのに、どうしても体が言うことを聞かないのだ。


 それに看護師さんが気づいたらしく、私は入院の途中で精神科を受診させられた。


 うつ病かもしれないと言われ、服薬やカウンセリングを受けたけれど、状況は好転しない。


 何度も何度も診察を受けた後で、担当の先生が別の病院を紹介すると言ったのだ。


 私はいったん退院し、それからすぐ、紹介された病院に転院した。


 怪我がまだ治っていなかったので、表向きは怪我による転院だったが、実際は精神科を受診できるようにとのことだったらしい。


 違う病院で診察を受ける場合、入院していなければ手続きは楽なのだそうだけど、私の場合は入院していて、まだ退院できなかったため、先生が緊急措置として、異例の転院をしてくれたのだと後で聞いた。


 そこで出会った先生によって、私は初めて、HSPというものを知ることになったのだ。


 診察は何度も行われ、そのたびに何度も質問された。


 病院や先生によって診察方法が違う場合があるそうだけど、私の場合は問診が主で、先生は落ち着いた紳士みたいな先生だった。


「では、少しでも音がうるさいと眠れないのですね」


「はい」


「匂いにも敏感で、他人の感情が気になったりもする……と」


「はい」


 日常で感じたことを何度も話し、先生も黙って聞いてくれる。


 時々、そんなことまで聞くのかという内容もあったけれど、それにすら当てはまったので、やはり私は、どこかおかしいのだろうかと思っていた。


 しかし先生は、私に優しく診断結果を教えてくれたのです。


「あなたはHSPというもので、人より感受性が強く、敏感で繊細な人だという結果が出ました」


「えいち……なんですか、それは?」


「HSP、Highlyハイリー Sensitiveセンシティブ Personパーソンの頭文字をとった略称で、最近になって有名になってきたものです。これは、うつ病などと違って生まれつきのものなので、病気には分類されません。ですが、だからこそ重要なものでもあるのです」


 HSP。


 初めて知ったそれは、病気でもなければ異常でもないものでした。


 幼い頃から、あるいは物心ついた頃から、この世は生きづらいと感じている人は大勢いるそうです。


 これもそう思わせてしまう一つで、人の感情や機微だけでなく、ちょっとした変化や五感までが、とても敏感になる人をさすのだそうです。


 だから、普通の人なら気にならないことが気になってしまったり、人には心地よいと感じるものが苦痛になったりしてしまうため、誤解されやすいものでもあると言われました。


「これは病気ではありませんし、精神的な異常でもありません。ですから表現が難しいのですが、だからこそ理解が必要なものなのです。人によって感じ方は違いますが、あなたの場合は特に強いため、ここまで曲がらず、良い人に育ったのは素晴らしいことなんですよ」


「そうなんですか?」


「ええ。人によっては周囲との摩擦に耐えきれなくなったり、わかってもらない苦痛に命を絶ってしまう人もいますが、たいていは誤魔化しながら生活しているとされていて、なかなか自分がHSPだと気づかない人もいるそうです」


 HSPだと診断される人は、ほとんどが刺激に弱い。


 周囲の変化に敏感で、必要以上に気を遣ってしまったり、全て自分が悪いと思ってしまいやすいとも言われました。


 また、考え込みやすいらしく、人が一だけ考えることを十や百まで考えてしまうため、突発的なことに弱いとも言われました。


「君は複数のことを、一度に処理するのが苦手だと言ったね。それもHSPの一つなんだ。全てのことを一度に考えてしまうため、思考がまとまらず、結果、何も出来なくなってしまうとされている。そのため、仕事が出来ないと判断されたりしやすく、それがきっかけで、仕事に順応できなくなる場合もあるそうです」


 私がまさにそれでした。


 一つ一つのことであれば、丁寧すぎるほどできるのですが、同時進行でやってくれと言われると、それが簡単なことであっても、急にできなくなっていたからです。


 周りからはできないことを責められ、「こんな簡単なこともできないのか」と怒られたりもしました。


 それが原因で仕事を辞めたことがあったため、次第に単調な仕事を選ぶようになったのです。


 それによって家族からも責められ、せっかく楽しいと思えた仕事も辞めなければならなくなってしまいましたが……。


「また、人の目を気にしやすいため、少しでも嫌な思いをすると、いつまでも忘れられず、何度も思い出してしまうといいます。ふとした時に思い出したり、同じような体験でフラッシュバックしたりするのではなく、常にそのことを気にして、いつまでも忘れられなくなるそうなのです」


 これも当てはまりました。


 私は特に人の目を気にしやすく、子供の頃から悪口を言われるのが大嫌いでした。


 また、自分が悪口を言うのも嫌で、それができずに友達を無くしたこともあるくらいです。


 友達からは「良い子ぶってんなよ」と言われたことがショックで、今でも忘れられていません。


 だからこそ、中学も高校も、相手に合わせて生きてきたのですから。


「また、何でも気になった物事は深く考えようとするため、驚くほど調べ物をすることもあるそうです。浅い人間関係や考え方が大の苦手で、深い付き合いが得意とも言われています」


 これも当てはまりました。


 私は昔から友達を作るのが苦手で、どうしても友人が増えませんでした。


 家族はみんな社交的なので、友達の少ない私をあれこれ言ってきたため、それが苦痛で仕方ありませんでした。


 また、人の表情から気持ちを汲むのが得意だとも言われ、そういえばと思ったりもしました。


「HSPの場合、他人の感情に対して、驚くほど敏感になったりもします。表情の変化を感じ取りやすく、場の空気を読みやすいため、争いごとが嫌いでもあるHSPの人が活躍することもあるそうです。ただ、これは、あくまでも他人からしてみれば活躍してくれると言えますが、本人にとっては気を遣いすぎてしまったりするため、かなりきついことなのです。HSPの人以外でも、空気を読みやすい人はいますが、そういった人とは違い、場の空気が悪くなったり、相手が怒ったりしていると判断すると、すぐに自分が悪いのではないかと思ってしまうのが特徴なのです」


 これも当てはまりました。


 誰かの怒る姿が苦手で、いつも人の顔色をうかがっていたり、少しでも空気が悪くなると、無理に明るく振る舞って良くしようとしたりしていたからです。


 それで助かった時もありますが、一日中それが続くと疲れてしまい、ますます人付き合いが嫌になったこともありました。


 特に派閥がある職場は最悪で、一人でいると、すぐにいじめられたこともあります。


 それが嫌で、就職するとすぐに誰かと行動を共にしたり、どこかのグループに入ったりしましたが、長続きはしませんでした。


 むしろ、疲れ果てて辞めてしまったほどです。


 それでも無理に、人間関係を広めていましたが、今ではほとんどの人と疎遠になっています。


 連絡先すら知りません。


 周囲はそれが当たり前だと言いましたが、私はそれがショックで、泣いてしまったこともありました。


「……これは、治らないんですか?」


「そうです。HSPというのは、病気ではありませんから、そもそも、どうこうできるというものでもないのです。これはあなたのしつであり、個性とも言えるものなのですから」


「でも、それじゃあ私、また怒られてしまうんです。みんなと同じじゃないと、みんなと一緒じゃないと、家族にまで見捨てられてしまいます!」


 思わず出た本音に、先生だけでなく、看護師さんも目を見開きました。


「個性とか、そんなんじゃ駄目なんです。治さないと、私は駄目なんです。家族に変人扱いされるし、仕事だって上手くいかないし、これじゃあ、いつまで経っても普通になれません!」


 止まらなくなった言葉に、過去が溢れてきた。


 小さい頃から泣いてばかりだった私。


 周りの人達と一緒に出来なくて、いつもひとりぼっちだった私。


 家族に責められて、呆れられていた幼い私。


 何も出来なくて、何もやれなくて、何もなかった私が、走馬灯のように溢れては、通り過ぎていった。


 先生も看護師さんも、私の言葉に何も言わず、黙って聞いてくれていた。


 自分でも何を言っているのかわからなかったけれど、このままでは自分が自分じゃ無くなるという恐怖に苛まれ、私はひたすら何かを言い続けた。


 ひとしきり言うと、ようやく話すのを止めた私に、先生は穏やかな笑みを浮かべて、こう言いました。


「あなたは普通ですよ。人より繊細で、敏感で、とても優しい人だというだけです。誰よりも相手を思いやれますし、誰よりも物事を考えられるので知識も豊富になりますし、何より、人には感じられない大切なことを感じ取れる人というだけです」


「普通って、そんなわけないじゃないですか。何も出来なくて、何もやれない私なんて、駄目なだけですよ」


「いいえ、あなたは出来ていますよ。相手に気を遣って不快な思いをさせなかったり、諦めずに就職活動を続けていたじゃないですか。本当に駄目な人であれば、とっくの昔に全てを投げ出していますよ」


 先生は笑った。


 看護師さんも優しく笑うと、私にこう言ってくれました。


「実は、私もHSPなんです。昔から何でも考え込みやすくて、何か話すだけでも時間がかかっていたくらいなんですよ。だから友達もできませんでしたし、ずっと変わった子って思われていたんです」


「そうなんですか? なら、どうしてここに?」


「中学生の時に、精神科に通っていた時期があるんです。その時に出会った先生が良い人で、そこで相談に乗ってもらえたんです。私も自分は変な人だ、駄目な人だって思い込んでいたので、その頃の経験を生かした仕事に就きたいと思い、看護師になりました」


 看護師さんもHSPなのだそうで、先月になって診察を受けたところ、初めて発覚したのだそうです。


「これは病気と勘違いされやすいのですが、病気ではなく気質です。三つ子の魂百まで、ということわざにある通り、一生変わらない、変えられないものなんです。診断を受けた方の中には、治したいと言う方もいますが、治すのではなく、向き合っていくしかありません。その上で、あなたが生きやすいと思える人生になるように、一緒にやっていきましょうね」


 その時に見た先生の笑顔を、私は一生忘れないでしょう。



 

 それからすぐに、先生は私の家族を呼び出しました。


 そこでHSPについて説明してくれましたが、家族は半信半疑のままで、やはり「治らないのか」だとか「娘がかわいそうだ」などと言っていましたが、先生がいっかつしてくれました。


「ふざけないでください!」


 診察室の外にまで聞こえる声でそう言った先生は、穏やかな顔を険しくさせて、私の家族を見回しました。


 突然の怒鳴り声に驚いた家族は、目を開けて黙っていたので、それからの説明はすぐに出来たようです。


「何度も言いますが、HSPは病気ではありません。生まれ持った気質です。生まれつきなので治療法はありませんし、そもそも必要もありません。本人が理解し、周囲が受け入れられるのであれば、問題なく日常を過ごせるものなのですよ」


「ですが、普通とは違いますよね?」


「普通という基準自体が曖昧ではないですか。智花さんは、人が嫌いなわけではありませんし、仕事が出来ないわけでもありません。ただ、他の人より相手の気持ちを理解しやすく、誰よりも思いやりがあるというだけなのです。仕事だって、彼女に合ったペースで行えれば充分できますし、そもそも、HSPの人は競争が苦手です。営業や接客業などもってのほかですし、人が多い場所など、ストレスしか与えてくれません」


「しかし、それだって慣れれば大丈夫でしょう」


「いいえ、慣れる慣れないの話ではありませんよ。ただでさえ、人の感情や機微に敏感だというのに、それが一斉に感じ取れる環境にいれば、疲れるだけではすみません。体に深刻なダメージを与えるほどのストレスにさらされ続けるので、早死にすることだってあるんですよ」


 先生の話に両親は黙りました。


 お互いに顔を見合わせると、静かにうつむきましたが、兄は納得できないのか、先生に質問します。


「でも、家に帰れば一人になれるんですよ? 会社でくらい、我慢できると思いますけど」


「HSPの場合、失敗したことや嫌なことを忘れられません。すぐに切り替えられる人とは違い、それがいつまでも頭に残り、寝て起きても悩むほど忘れられないのです。家で一人の時間があるといっても、毎日毎日ストレスにさらされ、忘れられないことが積み重なれば、誰だって疲れ果ててしまうでしょう。彼女はまさに、それによって会社で倒れたのですからね」


「……なら、仕事なんて出来ないじゃないですか。妹に、一生ニートでいろって言うんですか?」


「大げさですよ。出来る仕事は必ずあります。ただ、それを見つけるまで時間がかかるというだけです。智花さんはまだ若いですし、やる気はきちんとありますから、焦らずとも大丈夫です」


「でも、それじゃあ、生活はどうしろって言うんだよ。妹がニートか、フリーターなんて、恥ずかしいじゃないか……」


 兄がそう言うと、先生は怒った顔で体を乗り出しました。


「お兄さん。それを助けるのが家族じゃないんですか? 妹さんが病気であったのならば助ける、そうじゃなかったら助けない、ではないでしょう。彼女が誰よりも気にしているのは、あなた達家族なんです。あなた達が彼女を理解しようと思わなければ、彼女は本当に病気になってしまいます。それからでは遅いんですよ」


 兄は黙り込みました。


 静かになった室内では、弟の一人が両親と兄を見て、おそるおそる先生に質問しました。


「あのー。姉ちゃんって、うつ病ではないんですか?」


「そうです。うつ病ではありませんが、こんな状況が続けば、なってもおかしくはありません。HSPはとにかく心が疲れてしまいやすいので、うつ病になりやすいとも言われていますので、気をつけなければいけませんけれどね」


「ちなみになんですけど、そのエイチなんとかってやつと、うつ病の違いって何なんですか?」


「どちらも似た症状がありますが、チェックリストで判断することができます。これは、あくまでも目安なので確定は出来ませんが、一つでも当てはまるのならば、その可能性があるとされています。気がつかない人が多いため、まだ一般的ではありませんが、調べてみて気がつくこともあるんですよ」


 そこで弟は少し考え込みました。


 そして、「俺もやってみたい」と言ったそうです。


 弟がやってみたところ、当てはまるものが複数あったらしく、そこで弟はこう言ったそうなのです。


「姉ちゃんにはああ言ったけど、実は俺も、姉ちゃんが言ってること少しはわかったんだ。だけど、言ったら怒られるだろうし、会社でも白い目で見られるだろうからって、ずっと我慢してきたんだ。そっか、そうだったんだな……」


 後日、弟も先生の診察を受け、私と同じHSPだと言われたそうです。


 先生の話が少しでも理解できたのか、それとも、有無を言わせない説得が効いたのかはわかりませんが、それから家族は少しだけ優しくなりました。


 まだ心は落ち着かなかったため、私は退職し、以前お世話になった会社の社長に連絡を入れると、社長は喜んで仕事を手配してくれたのです。


『いやあ、ずっと辛そうな顔してる子だなって思ってたけど、まさかそんなことがあったなんてなあ。最近、テレビでHSPってやつを見たけど、それだったなら生きづらかっただろうな。人と違うって辛いし、認めてもらえないってキツいし。でも、戻ってきてもらえて良かったよ。君に仕事してもらって人達から、すごく丁寧な仕事だって褒められてたし、これからも専属でやってもらいたいって言われてたからさ。さっそくだけど、いくつか仕事頼むね』


「あ……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


 在宅ワークではあるけれど、私の仕事が認めてもらえていたらしく、社長が言ってくれたように、すぐ仕事が舞い込んできました。


 今では、それだけで営業していた頃の倍近く稼ぐこともあるため、まだ何か言いたげだった兄も、だんだんと認めてくれるようになりました。


 まだストレスによる悩みは続いていますし、営業時代に受けたしっせきや失敗が忘れられませんが、少しずつ良くなってきているとは思います。


 それでも時々、なんで自分は出来ないのかなと思う時があり、落ち込みすぎて現実に戻れなくなることだってあります。


 その時はいつも、自分にこう言うのです。


「いつもありがとう。一緒にやろうね。私がついているよ」



 

 今の私に、同僚はいません。


 悩みを聞いてくれる友人も、私のことを本当に理解してくれる人もいません。


 毎日パソコンに向き合い、一日のほとんどを一人で過ごしていますが、苦になってはいません。


 ようやく自分と向き合えたと思うのは、まだまだ先になると思いますが、今はこんな生活を楽しいと思えます。


 いつか心が落ち着いたら、その時は何をしようか、と考えるのも楽しみです。


 そしていつか、自分自身と向き合えたのならば、私はこう伝えたいです。


「私が私でいてくれてありがとう」


 そして、これまで責めてきた自分を許してあげたいです。


 そして、「諦めないでくれてありがとう」とも言ってあげたいです。


 だから私は、今日も自分に言います。


「おはよう、今日もよろしくね」


 と、笑顔で。












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