第3話 初めての依頼

「何ここ……」

 誰かが住んでいる部屋というより、物置だ。半透明なはずの蜘蛛の巣も真っ黒になり、垂れ下がっている。

 本棚に入りきらない本は乱雑に置かれている。ひっそりと置かれた金庫は開けっ放しで中は空だった。十畳ほどの広さだが、圧迫感がある。

 水瀬は手袋をし、本を一つ一つ確認し始めた。

「リンは俺の手元を照らす係と、外の声に注意してほしい」

「分かった」

 表紙を見ては横に置き、何度も繰り返すうちに水瀬の回りは本の山が作られていく。俺も手袋は持参したが、必要ないようだ。

 十分、二十分と過ぎていき、一時間に満たないくらいで、水瀬の手が止まった。

「これだ」

 中身を開き、本に挟まっている栞を取り出す。本に守られたおかげか、汚れはほとんどない状態だった。

「四つ葉のクローバー? もしかして本じゃなく栞を探してたの?」

「どちらもだよ。さて、アルセーヌ。あなたのおかげで大切なものを探し出せました。このお礼は後ほど」

「俺は手元照らしてただけじゃん」

「充分。見つかる前に出よう」

 戻り道は同じ床板を踏んでいるはずなのに、木板が苦しそうな鈍い音を出す。来たときはこんな音は出さなかった。

 割れた壁の向こうで、何か影が動いた。

「きっとネズミだろうね。怖いなら手を繋ぐ?」

「怖いわけない。俺はアルセーヌだから」

「そうだったね。さすが義賊」

 外に出るとようやくまともに息ができた。初めての経験で、生きた心地がしなかった。水瀬もほっとしたのか、空気が和らいだ。

「リンの家はどこ? 送っていく」

「水瀬も遅くなるし、いいよ」

 断っても笑うだけで、何も言ってこない。俺の進む方向に勝手についてくるので、お言葉に甘えるしかない。

「休みの間は本を綺麗にしておく。来週学校に持っていくから、クラブで話すよ」

「その本じゃなきゃ駄目だったの? 盗みって初めてだよ……いいのかなあ」

「盗み? リン、日本語が間違っているよ。これはね、奪われたものを取り返したにすぎないんだ」

 いつもの優しい声ではなく、静かな怒りがこもっていた。初めて聞く声だ。別人みたいだが、俺は彼を知らないだけだ。

「リン、俺はね、奪われたものはすべて取り返すし、欲しいと思ったものは手に入れる。絶対に」

 舞台の上でスポットライトを浴びているみたいで、街灯がいい仕事をしていた。

 誰もいない公園前で、俺は水瀬に抱きしめられた。

「な、なんで……」

「なんで? おかしな質問だ。奪われる前に大事なものは奪う。俺の教訓」

 教訓と俺を抱きしめる強い腕の因果関係を聞きたい。聞きたいのに、汚れのない雪が降ったみたいに、頭が静まり返っている。

 手は冷たかったのに水瀬の身体は熱く、息苦しさを覚える。

「俺のこと……どうか忘れないで」

 離れていく熱に、俺は追うように手を伸ばすが、裾にかすりもしなかった。

 居心地の悪い言葉を残した水瀬は、後ろを一度も振り返らなかった。




「おはよう、リン」

 いつも通りの月曜日を迎え、水瀬は教室に入ってくるなりいの一番に俺に挨拶をした。

「おはよう……水瀬」

 先日に味わった高揚感は、嘘のように平然としている。

 斜め後ろに腰を下ろすと、水瀬は本を出して読み始めた。何の本か気になったが、隣の女子がめざとく声をかけているので、出遅れ組の俺はおとなしく一限目の準備をする。

「知ってる? 幽霊屋敷で本物出たって噂」

「カーテンが揺れたり、明かりがついてたりしたんでしょ? 悪戯じゃないの?」

 持っていたシャープペンシルが軋む。変な力が入ってしまった。

「悪戯か、誰も知らないだけで実は人が住んでいたりして」

「家主は亡くなったって聞いたけど、病気?」

「事故じゃなかったっけ?」

「殺されたって聞いた」

「一応、警察が中を調べるらしいよ」

 変な汗が背中を流れる。目の前のガラス越しの水瀬と目が合った。悪戯っ子の笑みで首を傾げ、一秒にも満たない間に人差し指を突き立て、本に視線を落とした。なぜそんなに余裕なのだ。かっこいいじゃないか。くやしい。

「あの屋敷に住んでた人って、親なしの子とか引き取って面倒見てたんでしょ? 引き取った人が死んじゃって、子供が行方不明って聞いた」

「何それ。じゃあ子供が住んでるんじゃないの?」

 果てしなく広がり続ける噂話は、担任が入ってきて打ち切りとなった。どれもこれも噂の域を出ない話だ。それよりも警察が関わる話は本当なのだろうか。誰もいなかったとはいえ、土足で勝手に踏み入れた事実は無くせない。

 鬱々としたまま昼休み、放課後と過ぎていき、探偵クラブの教室に向かった。

 開けた瞬間、腕を引っ張られて器用にドアまで閉められる。叫び声も呑み込んで、暖かな身体に包まれてしまった。

「……いきなりでびっくりするだろ」

「リンと話ができなくて寂しかった」

「朝喋ったじゃん。おはようって」

「それは喋ったって言わない。挨拶」

 顔を上げると目が合ってしまい、胸板を押して離れた。

「どうしよう、噂話聞いてた? 警察が捜査するかもしれないって」

「現場に向かっては駄目だよ」

「犯人は現場に戻るって言うしね。行かないよ。そういえば、例の本は?」

 水瀬は鞄から本を出した。あのときは暗くて見えなかったけれど、明るさなんて関係ない。埃にまみれていなくても真っ黒の表紙だった。

「水瀬の本なの?」

「どうだろうねえ。本より、こっちが欲しかった」

 真ん中より過ぎた辺りに挟まっていたのは、ラミネート加工された四つ葉のクローバーの栞だ。端が変色しているが、使う分には支障はない。

「本は君に渡す」

「なんで? 大事な本なんじゃないの? あんなにあった中でこれだけ持ってきたんだし」

「まあね。大事だけど、リンに持っていてもらいたい。どんな本なのか気になっていたんでしょう?」

「まあ……うん」

 読書好きとしては当然興味がある。実はわくわくして、あの日なかなか寝つけなかったのだ。

「ふたりだけの秘密。あの夜のことも、どうか忘れないで」

「わ、忘れないよ……あんなスリル味わったの初めてだし」

「どうかな……リンは忘れっぽいし」

「会って一週間くらいで俺の何が分かるのさ」

「ふふ」

 本を開こうとする俺の手に、水瀬は重ねた。俺の手が熱いのか水瀬の手が冷たいのか、温度差がある。

「俺に触れられるのは嫌?」

「こういうの、されたことがないから分かんないよ……」

「キスは? したことある?」

「なんでキスなのっ。水瀬どうしたんだよ。ちょっとおかしいよ」

「おかしい? それはリンにとってはだろ? 出会って一週間でキスの体験を聞くことがおかしいのか、男同士だからおかしいのか?」

 どちら、とは答え難かった。でも、あまりに真剣な顔をするものだから、俺も素直な答えを出したい。

「分からない。俺にとってはどっちも未知の世界だから。キ……ス、の話もしたことないし、男同士でも抱き合ったことない」

「あ、あの……」

 隙間から誰かが覗いていた。一瞬の間に心臓が跳ね上がり、幽霊屋敷に続いて自分の身体に負担をかけすぎだ。

 見たことのない女子生徒がおどおどした様子でドアを開けた。リボンの色は、俺のネクタイの模様と同じ色。俺たちは学年で色分けされている。

「もしかして、ポスター見てくれたの?」

「ポスター?」

「作ったじゃない」

「忘れてた……。あれ作っていてくれたんだ」

「作り終わって、廊下に貼ってあるよ。可愛いお嬢さん、こちらへどうぞ」

 女子生徒は顔が真っ赤だ。首まで赤い。

 窓側に俺と水瀬、廊下側に女子生徒が座る。

「それじゃあまずは、依頼内容を聞こうかな」

「これを……杉野君に渡してほしいんです」

 ハートを散りばめた封筒に、女子らしい小さな字で『杉野君へ』と書かれている。どう見ても男子ならば一度は憧れる手紙で、俺宛ではないのにどきっとしてしまった。

 杉野といえば、クラスでも騒がしくガキ大将的な存在で、当然俺は一度も話した経験はない。ゲームやアダルト本の話ばかりしている彼と俺では共通の話題もない。

「…………なに?」

「別に。何でもない」

 なぜ水瀬の機嫌が悪くなっているのだ。意味が分からない。

「これ、ラブレターだよね? ついでにお名前を教えてくれる?」

「あの……北野です」

「なんで杉野がいいの?」

「……ダメなんですか?」

北野さんの機嫌も右肩下がり。俺は女子と話すのが下手すぎる。

「ムードメーカーでクラスの中心にいるような人が好きなの?」

「いつも元気いっぱいで……私も笑顔になれるんです。でも一緒のクラスになったことがないし……きっと私のことなんか分からないし……いつも遠くから見ているだけで」

「北野さんの気持ちが届くといいね。応援してる。でもこれは、自分自身の手で渡すべきだ」

 水瀬は手紙を彼女の前に置いた。

「そのための手助けはする。彼は帰宅部だっけ?」

「はい。私はいつも商店街を通って帰るんですけど、彼はそこのゲームセンターや本屋に入り浸っています。たまに見かけるんです」

「なら今日もいるかな。行ってみる?」

「え、ええ……でも渡すかどうかは……」

「分かるよ。時と場合、それにタイミングもあるしね。例え今日渡せなかったとしても、北野さんの気持ちが落ち着いたときでいい。依頼内容は、ラブレターを渡したい、そして彼女がいるのか確認してほしい、でいいかな?」

 時と場合、タイミングが重なれば相手の気持ちを考えずに抱きしめてもいいらしい。水瀬の機嫌が良くなっても、今度は俺の機嫌が斜めに落ちる。太股に置く手はどういうことだ。おもいっきりはたき落としてやった。

 三人で商店街の道を歩く頃には、すっかり打ち解けていた。ただし、俺を除いて。

 学生時代からいつもこうだった。割り切れない数で歩いていると、二人は仲良くなり決まって俺は省かれる。慣れっこのはずなのに、胸の奥がざわついて仕方ない。

 時折相づちを求めて水瀬は俺を見下ろすが、生半可な返事で適当にあしらってしまった。それでも水瀬は止めてくれなかった。何度も俺を見て話題を振り、俺が頷くまで辛抱強く待つ。俺と話したって楽しくないだろうに。

 北野さんと水瀬の距離が近い。北野さんは杉野が好きだったんじゃないのか? 女子の考えていることはよく分からない。水瀬の袖を引っ張ると、きょとんとして顔を傾けた。

「ちょっと距離、近いんじゃないの?」

「そうかそうか。ごめんね?」

「俺に謝っても仕方ないだろ。北野さんは好きな男子がいるんだから」

 なぜか頭を撫でられた。人の目もあるし、こういうのは困る。振り解けない俺自身に一番困惑だ。さっきは簡単に叩いたのに。

「杉野君……」

 目の前のゲームセンターではなく、杉野はビルの中に入っていく。クリニックや洋服屋、本屋、アクセサリーショップなどが入るごった返したビルだ。高級感があるわけでもなく、高校生の俺たちでも入りやすい。

「あのビルってゲームセンターは入っているの?」

「ないよ。何の用だろう……歯医者かな」

「その割に彼は昼食のとき、板チョコにかじりついてたけど」

「だからなんで人のご飯事情に詳しいんだよ……」

「リンのお弁当のエビフライ美味しそうだったね」

 確かに美味しかった。今朝揚げ物を作っていた跡があり、中を水に楽しみにしていたのだ。水瀬はいつも何を食べているのだろう。彼は昼食の時間帯はいつも教室から消えてしまう。

「中に入ろう」

 自動ドアが開いたのを合図に、心の底が窮屈そうに震えが起こった。

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