ヤギさんの手紙

志央生

ヤギさんの手紙

 1

蝉の声が響く中で俺は体育館裏にいた。日当たりが悪く、昨日の夜に降った雨の痕跡が泥砂と水たまりという形で残っている。足場の悪さもそうだが、俺の置かれている今の気まずさも相当なものだ。

「今日の放課後、体育館裏に来て」

 昼休みの廊下を歩いていたときだった。前方から歩いてきた女子とすれ違う間際に聞こえてきたのだ。

実際、指示通り来てみたはいいものの、居たのは矢作小春だった。名前は知っているが直接的に関わったことなど数える程度で、知り合いと言ったほうが近い官界だろう。微かに残る湿り気が肌にまとわりついてくる。対面している彼女は黙ったまま俯いている。雰囲気やシチュエーションだけで考えれば察することができる。

「あ、あのさ、何か用があるんだよな」

 声をかけなければ動かないような気がして、微動だにしない彼女に呼びかける。すると意識が戻ったのか不意に顔を上げ、俺を見てきた。

「ごめんなさい、こういうの慣れてなくて」

「べつに謝らなくても、慣れてないのは同じというか」

 あまり面識のない相手に謝られるのは申し訳ない気がして好きじゃない。だというのに彼女は「あっ、ごめんなさい」と口にした。また言ったな、と思いながら本題を聞き出すことにする。

「何か用があるんだよね」

 二度目となる質問を投げかけると、再び俯いて煮え切らない様子を見せる。振出しに戻ってしまったか、と思ったところで彼女は覚悟を決めたように顔を上げて両手を差し出してきた。

「これ、受け取ってください」

 彼女が差し出してきたのは白い便箋だった。それが何を意味するかはおおよその見当がついていた。

「俺に」

 すっとぼけたような声を出し、顔だけは状況をつかめていない表情を浮かべる。すべてわかった上でわざと気づいていないふりをした。ただ、こういうのはもっと淡白に行われるものだと想像していた。SMSとかなんかで送られてくるものだと。それをわざわざ手渡しするというのは、少しだけ特別な気がした。

「ありがとう」

 顔を真っ赤にして彼女は走り去っていき、体育館裏に取り残された俺は今まで抑えていた嬉しさに身を震わせた。浮かれた気分が足元の悪さを忘れさせ、へんてこな小躍りをする。靴につく泥など気にすることなくステップを踏み、足を滑らせた。運が尽きたのはここからだ。

 転びかけたところで両手を地面につけ、倒れるのだけは阻止をした。服は汚れることを回避したがもっと大切なものが水たまりの中に落ちていった。慌てて態勢を戻し、水の中ら水の中に沈んだものを拾う。だが、すでに遅く多くの水分を吸い元の形を失いかけていた。

後悔も虚しく俺は彼女からもらったそれ読むことなく失った。


誰もいない教室は静かで考え事をするには最適な環境だった。今となっては中身の確認のしようがない紙を机の上に乗せ、未練がましく見つめる。

状況だけで考えれば何もないわけがない。だから自信を持っていいはずなのだ。あの中身はラブレターであったはずだと。

絶対とは言わないが呼び出されて手渡ししてきて好意を寄せていないわけがない。彼女だって頬を赤らめていたし、めちゃくちゃ緊張もしていたのだ。これほど証拠が揃っているんだから自分を信じてもいいんじゃないか。

「どうしたの」

 あれこれ考えていると不意に声を掛けられ、机の上に置いていた紙を掴み隠す。俺に話しかけてきたのは同じクラスメイトの女子だった。部活だったのか髪を束ね、片手には荷物を携えていた。

「んっ、あぁ白柳か。なんもないけど」

 見られたかもしれないと不安が頭の中を埋め尽くし、答えに詰まるように返事をしてしまう。白柳とは仲が良いから事情を話せば相談に乗ってもらえると思ったが、言葉を飲み込む。彼女に話したら根掘り葉掘り聞かれ、からかわれる気がしたのだ。ラブレターひとつで翻弄されている自分の様子を見られたくはなかった。普段であれば気にしないのに、なぜか今は彼女を遠ざけたい気持ちが大きくなる。

「そう、なんだ。なにもないならいいけど」

「ありがとな、心配してくれて」

 彼女は手を振り教室を出ていこうとしたところで足を止めてこちらを見てきた。あいまいな表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐに笑顔になりもう一度手を振ってきた。それに応えるように俺も手を振り返す。

 彼女がいなくなった後で、掴んだままの紙を見るとくしゃくしゃに丸まり本当にどうしようもなくなってしまっていた。あれほどまでに緊張して彼女が渡してくれたのに、こんな風にしてしまうなんて。心が痛むのを感じながらどうするべきかを考える。

彼女に事情を説明したとしても信じてもらえないだろう。考えれば考えるほど深みにはまっていくばかりだった。


「どうにかしなければ」

焦りを覚えたのは彼女と廊下ですれ違った時だった。何も行動できないまま数日を過ごしていたのだが、彼女と予期せぬ遭遇してしまったのだ。

 話しかけられることはなかったがすれ違った直後に背中に感じた寒気は彼女から放たれた何らかのサインだと感じた。それは俺に逃げ場がないことを理解させ、同時に何らかの行動をしなければいけないと思わせた。

 実際に会って事実を言うのは躊躇われ、彼女のように紙に書いて渡す方法をとることにして自宅の机に向かう。普段では考えられないほど文面に気を使い、書き直しを何度も繰り返した。

 

  2


上下開閉式の下駄箱を開けると白い便箋が上履きの上に添えられていた。確認すると表に丁寧な字で「八木」と記されており、彼からだと分かり少しだけ驚いてしまう。

今まで何の反応もなかったためダメだと思っていたのに、数日を経て彼からこうして受け取ることになるとは思っていなかった。あれを読んだ彼が思い悩み、やっとのことで届けてくれた。それを誰にも気づかれないようにカバンにしまう。上履きと外履きを入れ替え、教室へと向かっていった。

教室内にまばらに散るクラスメイトとあいさつを交わして自分の席に座り、肩にかけていたカバンを机横のフックにかけた。教科書や筆箱を取り出して机の中にしまっていると、私の前の席に誰かが座る気配がした。

「おはよう、今日も早いね」

 顔を上げて背もたれに顔を乗せてこちらを眺める彼女に声をかける。少しだけ汗ばんでいる肌を見て朝練終わりなのだと察した。

「おはよう、小春」

髪を結んでいたゴムを外しながら彼女は浮かない表情をする。このところ思い悩んでいることが多くなっているのに気づいていたけど、改善されていないのは見ればわかる。

「どうかしたの」

 ヘアゴムをいじる彼女に私はいつもと同じように尋ねると、今まで溜めていたものを吐き出すように一気に話し出した。聞きながら相槌だけを返すだけでも喉は乾くため、途中でカバンから水筒を取り出し、フタを開けようとキャップを回す。少しだけ固く締められていて開けるのに苦戦してしまった。次に開けることを考えて緩くフタを閉めてカバンの中に戻し、彼女の会話を聞いこうと構えるとタイミングを合わせたようにチャイムが鳴る。

 クラスの違う彼女は席を立って小さく手を振ってくる。私もそれに合わせて小さく手を挙げて振りかえした。


 

 異変に気付いたのは再びお茶を飲もうと思った時だった。カバンの中に手を入れたとき、湿った感触が伝わり慌てて確認した。だけどすでに手遅れで、中は水浸しになっていた。

 水筒に入っていた量の七割が漏れ出ていて、カバンは水のカルキの臭いが充満している。教科書や筆箱は机の中に入れていたから助かったけど、彼から貰った紙はふやけていた。変に触ったら破れてしまいそうなほど水分を含んでいて、どうしようもない状態になっている。

 クラスの友人からは「やっちゃたね」と同情的な言葉をかけられたけど、カバンがお茶で濡れてしまったことは気にしていなかった。それよりも読むことができない形にしてしまったことと、内容が何だったのかがわからないという事実が頭の中を埋め尽くしていたのだ。

 彼に渡したあれに関することへの返答であると考えることはできる。ただ、本当にそうかと問われると分からない。書いてあった名前の丁寧さを思えば、それなりの気持ちを持って臨んでいることは明らか。そんな彼に対して憶測で事を進めていいのだろうか。

「朝は大変だったね」

 放課後の教室で一人残っていた私に声をかけてきたのは今朝の友人だった。彼女は私の前に席に腰かる。心配そうな顔で私を見てくる眼差しをまっすぐ見ることができず、少しだけ視線をそらす。

「そんなことないよ、私がきちんとフタを閉めておけばよかっただけだしね」

 笑顔を作って答えるけど彼女の表情は変わらない。何を言えば安心させられるのかと考えていると、彼女は小さな声でつぶやいた言葉が聞こえた。

「無理しないでね」

 それと同時に彼女は笑顔を浮かべて、手首にはめていたヘアゴムを取りながら立ち上がる。

「ほら、わたしいつもあなたに相談を聞いてもらってばかりいるし、代わりにやってもらったりとか。いろいろしてもらってるから、わたしにもできることがあったら協力させてね」

 言い逃げするように教室を出て行く彼女の背を見て、思い悩んでいたことが急に馬鹿らしく思えた。彼から貰ったものに何が書かれていようがやるべきことは元から決まっている。私はちゃんと伝えればいいのだ。それが彼に対して私がすべきことなのだと思い、もう一度体育館裏に彼を呼び出した。


 3

 

 翌日、彼女から呼び出しを受けた。すでに心の準備はできている。俺の謝罪を読んだ上で彼女は俺ともう一度顔を合わせてくれる。つまり、そういう事なのだろう。ただ、関係性が発展する前に彼女にはきちんと謝るべきだろう。そう、すべてを清算してから新しい一歩を踏み出すべきなのだ。

 緊張からか掌に汗がにじむ。今回は彼女よりも先に体育館裏に着いて待つ。時間が経つにつれて心拍数が早くなっていくような気がする。あの時の彼女も同じだったのかと考えると、少しだけ緊張がゆるむ気がした。

 砂を踏む音が聞こえて、顔を向けると彼女の姿が目に入ると同時に顔を下に向けてしまう。顔を見ただけで恥ずかしくなってしまった。数日前とは立場が逆転してしまっている。

「ごめんなさい、急に呼び出して」

 以前に聞いた声とは違い落ち着いた静かなしゃべり方だと思った。俺も言葉を返そうとして頭の中でいくつも考えるが、いい返事が浮かばず微妙な間を空けてしまう。

「あっ、いや、大丈夫だ。問題ないから」

 ひねり出したセリフをずいぶん酷い思いながら、冷静さを取り戻そうと奮闘する。先に言葉を発して謝らねばと思い立ち、喋ろうとして壮大に舌を噛んでしまう。彼女もさすがに驚いたようで心配そうな顔をしてきた。だが、舌を噛んだ痛みで冷静さを取り戻すことが出来た。

 一度大きく息を吸ってから呼吸を整え、彼女に向かって頭を下げる。

「ラブレターをボロボロにしてしまったことをもう一度謝らせてほしい。本当にごめんなさい」

 俺のとった行動に驚きを隠せなかったのか彼女は小さな声で「えっ」と漏らす。今度は頭を上げて、彼女の顔を見る。少し顔の色が白くなった気がしたが構わず進める。

「だけど、矢作さんの気持ちはわかってる。まだはっきりとは言えないけど、お互いを知っていければきっと問題ないと思う」

 勝つとわかっている勝負ほど心地よいものはない。俺は目をつむり、片手を彼女に向けて差し出す。

「友達としてから付き合っていってください」

この後に聞こえてくる言葉はわかっている。今度は確証を持って言える。

 彼女は「はい」と答えて俺の手を掴む、そうに違いないと。


 4


 予想外だったことが二つ起きてしまった。まず一つ目は渡したはずのラブレターが読まれていなかったこと。もう一つは、彼から告白されてしまったこと。

 きっと、読んでいなかったから彼は私に告白をしたのだと思う。すべての間違いはあれが原因であることはすぐに理解できた。

 差し出されたままの彼の手は少しだけ震えている。それでも言わなければいけないことがある。浅く息を吸って、私は彼の言葉に対して返す。

「ごめんなさい」

 間が随分と空いてから彼は素っ頓狂な声を上げた。彼の顔は何を言っているのか、なぜこうなったのかを理解できないという表情をしている。しばらくしてから、状況を正しく判断した彼から「どうして」という当然過ぎる問いをされ、私は話し出す。


 あなたのことが好きだったのは私ではなく友人だった。彼女は想いを伝えようと何度もチャレンジしたが口頭での告白はできず、別の方法を試みることにした。

それがラブレターを書いて渡すことだった。ほかにもSMSを使ってとか提案をしてみたけど、伝えるならちゃんと形がいいって言って聞かなくて必死な姿を見ていて止められなかった。

書き終えてからも直接渡すと言って譲らなかった。下駄箱に入れれば済むのに、それをしたら意味がないって。そんな彼女を見ていて少しでも力になれればと思って、発破をかけるつもりで「私が代わりに渡してあげようか」って提案した。彼女は私の言葉を信じて、代わりに渡してほしいとお願いしてきた。

 

 

 話を聞いた彼は情報を整理しようと眉間に皺を寄せかと思うと、何かに気づいたように声を上げた。

「待ってくれ、そうなると俺を好きなのは一体誰なんだ」

 その言葉を聞いて、友人があれほど思い悩む理由の一端を見た気がした。うすうす気づいていたけれど目の当たりにすると彼女に同情したくなる。少しでも力になりたいと思っていたけれどこんな風になるとは思っていなかった。

 いつか降った雨の跡はどこかに消えて、しっかりとした土に戻っている。遠くに聞こえる蝉の声が、彼女の名前を告げる声をかき消してくれないかと思いながら私は彼に向けて口にした。


                                     了

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