鬼火(その7)
昇り来る朝の光に向かって、浮多郎は懸命に駆けた。
角を曲がったところで、・・・折からの風に揺れる、玉姫稲荷の大鳥居に逆さ吊りにされた女が見えた。
きのう会った時に着ていた銘仙の裾も髪も、真下に向かって垂れていた。
・・・垂れた髪の下の石畳に、どす黒い血が飛び散っていた。
神社で借りた脚立に登った久太郎が、鳥居の横木に縛りつけた縄をほどき、ふたりでお好を抱えおろした。
果せるかな、・・・後ろ手に縛られたお好の両方の耳の後ろに、匕首の先でほじったような穴があった。
久太郎に現場の見張りをさせ、吉原の面番所の同心に奉行所へ繋ぎを頼んだ浮多郎は、聖天稲荷裏のお好の長屋へ向かった。
店の前を竹箒で掃き掃除している大家に、「お好の部屋を改めさせてくれ」と、頼むと、
「朝から何ごとで?」
大家は浮多郎の剣幕に驚いた。
「お好が、玉姫稲荷の大鳥居に逆さに吊り下げられて、死んだ」
浮多郎が教えると、「だ、誰がそんなことを」と、大家は腰を抜かした。
押入れの襖を開けた大家は、布団の奥の柳行李を引き出した。
柳行李の古着を重ねた底に、風呂敷に包んだ吉原の売買証文と小判があった。
・・・長屋の大家というものは、店子の金の隠し場所まで知っているようだ。
「小判は一枚も減っていないようですね」
『お光を吉原に売った金が手つかずということは、下手人はこの金を盗むために押し入ってお好を拉致したのではない』
腕組みした浮多郎は考えた。
『・・・しかも、弦蔵と同じやりかたで拷問にかけた。何を聞き出すために?』
土間の台所と六畳一間と押入れを調べるのは造作のないことだった。
大家にたずねても、特に変わった様子はない、といった。
畳の上の酒徳利は、昨日と同じ場所にあったが、湯呑が三つ離れて転がっているのに気が付いた。
『客がふたりいて、いっしょに酒を呑んだあと、お好は客に拉致されたのだ!』
浮多郎が、お好のところに客はなかったか、たずねたが、大家は暮れ六ツに店を閉め、今戸町の本宅へ帰ったので、その後のことは知らないと答えた。
長屋は十軒ほどあった。
とりあえず、隣の部屋の住人に聞き込みしようとすると、大家は隣の住人は伊勢参りに出かけてしばらく留守にしているという。
お好の部屋は長屋のいちばん奥で、その先は井戸と厠になっていたので、そこだけ孤立していたことになる。
―玉姫稲荷にもどると、奉行所の若い同心の村田勘四郎が、お好の死体の上に屈み込んでいた。
「浮多郎、この女は大鳥居に逆さに吊りにされたそうだな。外傷がないので、頭が鬱血して死んだということか?」
やって来たのが岡埜ではなかったので、浮多郎は少し落胆した。
が、両耳の後ろの穴と石畳の血痕を示して、出血多量で死んだようで、と見立てをいったが、亭主も同じようにこの先の大杉に逆さ吊りにされた、とはいわなかった。
―この夜、酔って遅くに帰ってきた長屋の住人が、お好の部屋で鬼火が燃えているのを見つけて、腰を抜かした。
・・・その次の夜も、浅草寺の裏の銘酒屋で酌婦をする大年増が、やはりお好の部屋で鬼火が揺れるのを見て、布団を頭から被って寝込んでしまった。
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