鬼火(その4)
「お光は身投げしたんだよう。あんたが無理くり助けっちまって・・・ありがた迷惑とはこのことさね。でも死んだ気になれば、吉原の女郎だって平気の平左さ」
大家とふたりで乗り込んだが、お好は浮多郎に毒づくだけで、聞く耳を持たない。
「弦蔵がこの家の大黒柱だったら、お光ちゃんを吉原へ出すのは分からなくもない。だが、あいつは、お前が手内職で稼いだなけなしの金を賭場ですって帰って来ると、腹いせにお前とお光を殴る蹴るの乱暴狼藉。あいつが殺されたからって、お前たち母子の暮らしが苦しくなる訳じゃねえ。むしろ厄病神がいなくなって、楽になったんじゃあねえのかい」
諄々と説く大家だが、お好は目を剥くと、
「大家だからって、いっていいことと悪いことがある。・・・あのひとは、あのひとなりに夢があった。『大金が手に入る当てがある。それでお好とお光に夢のような暮らしをさせてやる』と、いつも口癖のようにいってたね」
まるで弦蔵が生きていて、今にも夢を叶えてくれそうな口ぶりだった。
「あたい、吉原で働きたい」
それまで隅で小さくなっていたお光が、小さな声でぽつりといった。
お好は、不意を突かれたのか、ぽかんと口を開け、首をめぐらしてお光を見つめた。
「働き詰めだったおっかさんに、少しでも楽させてあげたい」
お光が仮面のような表情を変えずにいうのを聞いたお好は、何かいおうとしたが、そのまま黙り込んだ。
湿っぽい空気が流れる部屋を見渡した浮多郎は、ここで目明しの仕事をすることにした。
「弦蔵さんが殺された日に、誰かひとと会うようなことを、いってやしませんでした?」
「いや、そんな話は聞かなかったねえ。だいいち、いっしょに暮した三年の間、誰ひとりたずねて来たこともなかったし、行ったこともない」
お好は、妙にもの分かりがよくなった。
「宗旨はどうでした?」
「宗旨って、お寺さんのことかい?」
「ええ、そうです。たとえば、隠れキリシタンだったとか?」
「いや、聞いたことはないねえ」
「三年前、三ノ輪の居酒屋で知り合った、と大家さんから聞きましたが・・・その時の様子を教えてもらえませんか」
お好は、遠くを見るような目になった。
「わたしのことを、わざわざたずねて来たんだよう。『お好ってえのは、どの女だ』って。それで、そばに座って酌をしたのさ」
「なるほど。で、どんな話を?」
「佐渡の金山で働いていたが、金もとれなくなったので、江戸で一旗あげようとやってきた、と。毎日通って来るようになってから、巾着袋の中の金の粒を見せてくれたことがあった。それでこのひと軍資金は持っている、と信用したのさ」
・・・ほんとうの金かどうか知れたものではない。たぶん、女をだます見せ金だろう。
「前の亭主も金銀の鉱脈を探す山師だったと話すと、興味津々でさ。どこかで会ったかもしれないってね」
「じっさい、会ったことがあったんで?」
「いや、それはなかった。喧嘩でヤクザ者に殺されたというと、同業のひとがそんな死に方をするのは悲しいって、涙まで流して・・・」
・・・弦蔵という男は、金鉱堀りより役者の方が似合っていたのかも知れない。すべては、女の歓心を買うための臭い芝居なのだ。
「やはりこれは大家さんから聞いたのですが、前のご亭主の忠吉さんの両耳の後ろに穴が開いていたとか。ご存知でした?」
「ああ、知ってたよ。錐で開けたような細い穴だったけど」
「知り合ったころからそうだったんで?」
「いや、山師を隠退する半年前に帰って来た時に、総髪にしていたので、どうしたのとたずねたら、旅先で頭を痛めて、血を抜いてもらった、といったね。それを気にして総髪にしたとか」
「弦蔵さんは、どうして山谷堀の紙漉き職人になったんで?」
「ああ、忠吉が引退してからいっとき暇つぶしに働きに出たと教えたら、面白そうだ、じぶんもやってみようと。三年も続いたが、遊び半分だったね」
「ところで、忠吉さんは、隠れキリシタンではなかったですよね?」
お好は、首を振った。
両耳の後ろに穴を開けられて逆さに吊られ、出血多量で死んだのが弦蔵の死因だとは、お好は知らない。
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