「百合ちゃん、帰ろう」

気がつくと通学鞄を提げた彼女が私の目の前に立っていた。いつの間に一日が終わっていたのだろう。

「あ、うん!」

そう言って、私は慌てて未だ机の上に散らかしたままの教科書たちを自分の鞄に突っ込んだ。

「そういえば、彼氏はいいの?」

「大丈夫、百合ちゃんと帰るって言ったから」

「そっか」

少し胸が痛んだ。

友達になってからずっと、彼女の隣にいたのは私だった。私が一番だと思っていたのに──そう思ってしまう自分も嫌だ。

「お待たせ、帰ろ」

靴箱付近にできている人だかりも少し遅い時間だからかいつもより少なくて、外から射し込む夕陽はあの日よりも暖かかく、輝いているような気がした。


「由梨、今日この後って用事ある?」

「特にないけど……どうしたの?」

「ちょっと遊ぼうよ」

 少し寄り道をして、最近できた新しいカフェに行こうと私は彼女を誘った。

「うん、でも……」

彼女にしては珍しく言葉の最後を濁して答える。

もしかしたら私の体調が気になっているのかもしれない、と思った私は、

「あー……体調は大分マシになったから、大丈夫だよ」

 変に気を使って嘘をつくのも嫌だったから、そう答えた。

「でも大丈夫! 月曜日にはすっかり元気になってる予定だから!」

「本当?」

「うん、それよりも今は気分転換がしたい気分なの! 付き合って!」

 彼女はいつもの笑顔で、「もちろん!」とそう言った。


カフェは、新しくできたばかりというのもあって少し混んでいた。カップがとても可愛いと評判で女子高生が溢れている。

店内でくつろぐのは諦めて、比較的回転率のいいテイクアウトで何か飲み物を頼むことにした。

 美味しそうでキラキラしている、いかにも女の子が好きそうなメニューとにらめっこして、笑顔が眩しい店員さんに声をかける。

悩み抜いた末、でかでかと書かれている一番人気なタピオカミルクティーを飲むことにした。


近くの公園で「美味しいね」、なんて言い合ってインスタ映えとかいうような写真を撮る。それから他愛のない話をしていた。

「そういえば、月曜日って百合ちゃんの誕生日だったよね」

そう言われ、スマホでカレンダーを確認すると確かに私の誕生日だった。

「あ、ほんとだ」

「当日楽しみにしててね」

「うん!」

 首が取れるんじゃないかというくらいの勢いで頷き返事をした私の顔は、とても輝いていたと思う。誕生日がこんなに待ち遠しくなったのはいつぶりだろう。

「じゃあ、またね」

「またね」


いつもなら薄暗くて一人で歩くのを躊躇するようなこの道も、今は色鮮やかに見えてしょうがない。ポケットに入っていたお気に入りの飴玉を舐めてスキップするくらいの気持ちで歩く。甘い飴が、甘さを増したような気がした。それぐらい誕生日を迎えるのが楽しみだった。

 そういう時に限って、忘れていたあの吐き気が蘇る。私は思わずその場にしゃがみ込んだ。

 これはまずい。早く家に帰らないと。

飴玉を噛み砕き、慌てて走り出そうとする。けれどこの場から家まではちょっと距離があり、この状態で間に合うとは思えなかった。コンビニに駆け込もうかと思ったが、そんなの近くにあったかなんて覚えていない。

どうしよう。どうしたらいい。


「あ、」

 風が吹き、顔を上げると一つの看板が目に入った。

「奇病のための……精神病院……?」

 私の頭が理解するよりも先に体が動いて、昔の学校のようで少し古いお屋敷のような、不思議な雰囲気の建物に足を踏み入れていた。

受け付けらしいところは見当たらないし、吐き気は収まらないしでせり上がってくる何かを押さえつけるようにその場にうずくまる。どうしたらいいかわからなくてパニック状態になっているところに、ふわりとココアの甘い香りが香る。

 ふと顔を上げると、とても優しい顔をした白衣の男の人が、マグカップを手に持って立っていた。


「大丈夫かい、」

穏やかな声でそう尋ねられ、私は思わず溢れる涙を止めることができなかった。

大丈夫なんかじゃない、どうしたらいいかわからない。そう伝えたいけれど涙がそれを阻むようにとめどなく流れる。

「た、すけて……」

声にできたのはそれだけだった。


甘い匂いで目が覚める。

 体に触れる柔らかな感触は、いつの間にか病室に運ばれていたことを示していた。

「目覚めたか」

声が聞こえて体を起こすと、さっきの先生らしき白衣の男の人が傍に座っていた。

 聞きたいことはたくさんある。慌てて口を開こうとしたけれど、胸の異物感でむせてしまう。

「慌てなくていい。ゆっくりで大丈夫」

優しい手つきで私の背中を撫でながら、こう言った。

「ココアは好きかい?」

 そっと頷くと、彼は席を立ち可愛いマグカップを手にして戻ってきた。

手渡された温かいそれをそっと包み込み、口付ける。

「美味しい……」

「それは良かった」

彼はそう言って笑ったかと思うと、自身の名を『神城響也』と名乗ってそれから私にこう尋ねた。

「君のこと、聴かせてくれるか?」

 ココアを飲んで、少し楽になった私はゆっくりと、ゆっくりと話し始めた。


                 †


「それは、君が思っている通り『花吐病』だとみていいだろう」

体内から花が出る現象なんて、普通では有り得ない。有り得るとするならば、未だ解明されていない奇病の『花吐病』くらいだと先生はそう言う。

 それから先生は机の中から資料を取り出し、私へ手渡した。

「これは、今の段階で解明できている花吐病のデータだ」

「……これが、」

そこには噂で聞いたことのあるような、発症から完治までのあれこれが記されている。

『発症の前兆として、身体の中(細かい場所は不明。感情とリンクするため頭や、吐き出すために腹の中など様々な説がある)に種が現れると言われている』

読めば読むほど嘘のような話だけれど、先生がわざわざ嘘の情報を見せるとも思えなかった。信じがたい、でも本当に花吐病があると信じるしかない。実際に自分も花を吐いているのだから。

そうして俯いていた顔を上げ、先生の話を待った。

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