第29話
「おかえりなさい!水無瀬さん!」
同時にパァンッと破裂音が鳴り響く。何が起きたのか、ドアを開けたまま硬直する。肩に飛び込んだ色とりどりの細い色紙のようなものを見て、クラッカーが発射されたのだと気付いた。
上り框に仁王立ちし、「大成功!」といたずらに微笑む要を見て、自然と顔が綻ぶ。今日は一日中このための準備をしていたのかもしれない。
どうやらサプライズはこれだけではないようで、靴を脱ぐとすぐさま要に手を引かれて部屋まで誘導された。アトリエを抜けてドアを開けた先の、見慣れない光景に思わず目を丸める。
紺や青などの家具がならんだ無地だらけの質素な部屋に、色紙をふんだんに使った輪っか飾りが壁いっぱいに飾られていた。ベッドの脇の壁にはこれまた折り紙を器用に切り、“メリークリスマス!”の文字を作っている。
ソファと机の空いたスペースに目線を移すと、どこから持ってきたのか、僕の背の半分ほどのツリーがちょこんと鎮座していた。ツリーにはまだ何も飾り付けはされていなかった。
「すみません、勝手に部屋を変えちゃって。でも、誰かとクリスマス、こんな風に楽しんでみたくて、水無瀬さんのこと巻き込んじゃいました」
えへへ、と頬を掻いた要の横で呟く。
「いや、これはすごいよ。今日一日でこんなに……。大変だったでしょ?」
「いえ、水無瀬さんが帰って来た時のこと想像したら、楽しくて楽しくてしょうがなかったです」
はしゃぐ要の姿は、並木道の真ん中で思い浮かべた表情そのまんまで、僕も次第に嬉しくなった。未だにやにやする要を見て、僕は意を汲んで机の前に座る。
「要ちゃんのことだから、これだけじゃないんでしょ?」
試すように伺うと、要はよくぞ聞いてくれたとばかりに胸を張り、冷蔵庫に駆けつけ中にあるものを取り出した。
慎重に机まで運び、僕の前に置かれる。大きなお皿に被せられた蓋を開けると、真っ白な巨大手作りケーキが現れた。ケーキの淵にはイチゴが敷き詰められており、中央には四つのイチゴで花を形作られていた。
生クリームのムラも見当たらないし、絞られたいくつもの生クリームは一つも崩れることなくおいしそうに乗っかっていた。はたから見ればプロのシェフが作ったものにしか見えない。
要が真正面に回り込んで見つめる中、スポンジの弾力を感じながらひと口掬い取って口に入れた。ふわりと口の中で甘さが広がる。イチゴの甘酸っぱさは溶けた生クリームと相性がいい。
予想以上の美味しさにフォークを持つ手が止まらない。
要はその様子を見ると、机に身を乗り出した。
「美味しいですか?」
「うん、こんなに美味しいケーキ初めて食べたかも」また口に運ぶ。
「ひと口、ください」
えっ、思わず顔を上げる。近づいた要は僕の頭に浮かんだ思いを悟っているようで、クスリと笑いかけた。食べ歩きをしていたあの時とは違う、知ったうえでわざと言っている。
それが表情で読み取れたから、ますます混乱する。早く応えなければと焦り、微弱に震える手で何度も口付けたフォークにケーキの一部を乗せ、少しづつ彼女の口元に近づけていく。
こんなに近くに彼女の熱を感じるのに、伸ばした手はなかなか口までたどり着かない。
もどかしい気持ちが僕の体温をさらに上げる。
ようやく到達したところで、彼女の小さな口にケーキが入る。女の子にしてみれば少し大きかっただろうかと自分の気配りのなさを恥じた。
大きなケーキを頬張ると、佑の握るフォークを唇で滑るように抜き取った。
心臓が波打つ。
伸ばした手をすぐに引っ込めた。
「うん、美味しい」
確かめるように頷き、目を瞑って味を楽しんでいた。そんな要を硬い表情で見つめることしかできなくて、大学生にもなって呆れるほど恋愛に疎いことを自覚させられた。
好きな人が美味しそうに食べている姿を見るだけで、幸福感が伝わってくる。笑顔を見たらどんなに苦しんでいた過去も忘れられる。絵を好きになってもらおうと必死な姿をみたら抱きしめたくなる。一つ一つの感情が新鮮で、毎日が楽しい。
こうやって好きな人の前で息苦しくなるのも、全部。
「あ!」
突然、要が窓に向かって叫ぶ。何事かと後ろを振り向くと、外は何やらちらちらと見え隠れするものがあった。
一緒になって立ち上がった。少し軋んだ窓を開け、要は外に顔を突き出した。
「雪だ!」
隙間から僕も覗き込む。真っ黒の闇の中で見えづらかったが、確かにそれは真っ白な雪だった。久しぶりに降ったなぁ。ここ何年かは雪を見ていなかったから興奮した。しばらく二人で落ちていく雪を目で追いかけていた。
「寒くなりましたね、今年も」
窓から吹きこむ冷風に要の鼻は赤くなっていた。
僕も思わず身を縮こませる。
「そうだね。でも、去年よりはいくらかましな気がする」
未だ先ほどの熱を冷まし切れていないのもある。
彼女は僕の言葉に吹き出す。
「水無瀬さん、今年のクリスマスは去年に比べて六度も低いらしいですよ?」
「えっ、そうなの?」
「うん。水無瀬さん感覚がおかしいんですよ、きっと」
「えええ、そうなのか……」
「でも、大丈夫ですよ!」
要は雪の降る空を仰ぎ見る。
「なぜか今は、私も顔が熱いですから」
冷たい風が、頬を突くようにすり抜けた。
赤い鼻は健在なのに、変なことを言う。自分のいいようにしか変換できない。
これじゃまるで、要ちゃんは僕のことが――
そう思案すると、本当に好きでいてくれてるんじゃないかと胸の中で妄想が膨らみ始める。何度も隣の彼女をちらりちらりと見やるが、相変わらず降雪を追いかけるだけでなんの感情も読み取れなかった。
いつまでもこんな関係が続くとは思っていない。一緒に暮らそうと言ったものの、いつかは思いを伝えなければならない訳で、だけどこの思いが届かなければこの同居という形が確実に失われてしまうこともわかっていた。
告白は、今じゃない。
彼女がせめて高校を卒業するまでは、打ち明けてはいけない。
今告白して振られてしまったら、要は行き場を失くしてしまう。もちろん実家に帰って一人暮らしをするだろうが、寂しい思いをさせるのは相違ない。この関係を卒業まで続けることが、彼女のためだと思っていた。
たとえ彼女が僕のことを好きで、告白を待っているのだとしても。
さて、窓を閉めて要はパンッと手を叩いた。
「飾り付け、しましょう!」
「え?」
突然思考がピタリと止まり、現実に引き戻された。要がずらした目線の先に慌てて目をやると、あの寂しいモミの木が立っていた。駆け寄って、ツリーの下に設置された籠の中から要の身長よりも長いモールやら小さい飾りボールやらを取り出す。
「ツリーだけまだ手を付けていなかったんです。水無瀬さんと一緒にやりたいなって思ってて」
はい、と手渡された小さなサンタの人形を眺める。ふわふわした布の隙間から、同色の糸で玉結びされた跡が見えた。
これって、手作りなの?
「あ、それ私が作ったやつですよ」
「えええ!?」
「ツリーでお金使っちゃったので、モール以外の飾りは全部手作りにしたんです」
料理だけでなく裁縫までプロレベルだったとは。どれにおいても欠点がない。
慎重に優しい手つきで手作りされた飾りを一つ一つ木にぶら下げながら、クリスマスの飾りつけを誰かと一緒にやったのは何年振りだろうと思い立つ。中学の時は家族でそんな行事に参加するなんてダサいと威張り散らしていたから、おそらく小学生の頃が最後だろう。
母さんが嬉しそうにツリーを買ってきたと自慢して、二人でクリスマスの晩に今みたいに飾りつけて仕事帰りの親父を喜ばせたあの時。親父に肩車をしてもらって、てっぺんの星をつけて、完成した!と皆でハイタッチしたなぁ。
懐かしい景色だ。
隣で飾りつけをする要は、最近はやりの歌手が歌っているクリスマスソングを口ずさみながらくるくるとモールを木に巻きつけている。楽しげに準備している姿に母さんとは違う愛しさを抱いていた。
一緒になって唄うと、彼女は途中から合いの手を入れ始め、なんだかオリジナルの曲ができてしまった。変なメロディーに、顔を見合わせてお互い吹き出す。
最後はやっぱり大きな星でフィニッシュとなった。一緒に星の端を持ち、せーのでてっぺんに乗せ、ツリーは鮮やかにコーディネートされた。
「わああっ」
離れた場所からそれを眺め、嘆声をもらす要の横で彼は不思議な感覚を味わっていた。外で見た並木道の綺麗なツリーを思い出す。あちらは本格的に作られており、ライトアップも見事な物だった。それが密集していることで美しさは増していた。だがこのツリーは、照明も他の木もないのに何よりも立派なものに感じられた。
単純に、誰かと一緒に見る景色だからなのだろうか。
それとも、要だからなのだろうか。
わからないけれど、今が幸せだからそれでいいや。彼女も、同じ思いでいてくれていたらこんなに最高な一日はない。
お互いに顔を見合わせる。要のあどけない笑みに僕もつられて笑った。
真っ白な雪が舞い降りる深夜のクリスマスに、アトリエからは楽しげな光が宿っていた。
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