第22話

 春と仲良くなってから数日後、奇妙なことが起きた。


 要は合鍵を持っており、宏斗ならボタンを押す前にドアノブを回す失礼な作法が身についているものだから、最近では僕の家のインターフォンは滅多にならないはずだった。特に目立ったイベントなんてものは記憶にないはずだが、不意にそれは鳴り響いた。


 ベットの上でのんびりと過ごしていた矢先の出来事だ。机の上の置時計が夜中の十一時を指しているのをみて咄嗟に飛び起きた。


 要がまだ帰って来ていない。


 もちろん一緒に暮らしているわけではないが、最近ではもう要はあの家に戻らず、直接僕の家で寝泊まりしているのだ。 


 そしてこんな時間まで要が返ってこなかった日は今まで一度もない。

 佑は慌てて玄関まで突っ走り、誰とは確認もせずに扉を開けた。


「こんばんは!」


 目の前には春さん、と……


「よ!」


 宏斗が立っていた。


 状況が飲み込めずにいると、春の影に潜むように要がくっついていた。この面子はどういうことだろう。


 どうしてこんな夜遅くに?


「あー、俺ら送っただけだから。詳しいことはその子に聞け」


 そう言って要が突き出された。なにか、あからさまに後ろめたいことがあるとでもいうように、要は俯いている。ますます訳がわからなかったが、とりあえず二人にはお礼を言って、彼女を中に入れた。最初は入るのを躊躇っていたが、やがて諦めたかのように息をついて、部屋に入った。


「補導、されました」


 経緯を聞き出そうと開きかけた口が、塞がらなかった。

 補導と言うのは、あの補導か?


 たばことか、あるいは酒に手を出すような不良行為はしない子だということは、今まで一緒に暮らしてきたからわかっている。だとすると、寄り道などで夜遅くまで外をふらついていたから補導されたというのが一番自然だろう。


 だがそれでも謎は残る。普段の要は学校が終わるとどこにも行かず、真っ先にここに帰ってくるのだ。最近は前ほど早くは帰って来ないが、それでもせいぜい九時が限界だ。それ以上を超えたことはない。

 学校を終えてから今まで約六時間、一体何をしていたのだろう。


 高校生の身になって考えると、パッと思い当たるものが一つだけ見つかった。要がソファに腰掛けたので、僕もその隣に座る。


「もしかして、バイトしてる?」

「えっ」


 今まで聞いた中で、一番高いんじゃないかというくらいの高音だった。こちらを見て目をぱちぱちとさせる。動揺が露わになっている。まさか一発で当てるとは思いもしなかった。


 今回の件もバイトしていたからなのかと聞くと、要は少しの沈黙の後、「はい」と認めた。


 彼女は一週間前から飲食業のバイトを始めたこと、今日は十時にバイトを終えてその後買い物をしていたので遅くなったことをつっかえながらも教えてくれた。


「なんで急に始めたの?」言いながら僕は要の母の容態について記憶を巡らせていた。

「えっと、お母さんの入院費とか……?」


 要はかぶりを振った。


「あ、いえ、入院費はなんとかなってるみたいです。そうじゃなくて、水無瀬さんに」

「え、僕?」それは予想していなかった。


 並んで座った狭いソファで、要は僕に向き合った。


「私が一人になりたくないっていう我儘のせいで泊めさせてもらってるのに、食費も、水道費も電気代も、なにもかも水無瀬さんに頼ってて。水無瀬さんだってバイトしてるのに私はなにもしないでただくつろいでるだけだなんて、本当に失礼なことだったなって思って。ここが居心地いいからって、甘えてました」


 これからは今までの分も含めてしっかり返します。と宣言した。

 要にこんなに近くに顔を寄せられては、次の言葉が出てこない。


 こんな時だが内心、僕は少しほっとしていた。

 ずっと彼女は佑と一緒に生活していて苦痛ではないだろうかと思っていたからだ。寝る部屋だけでなく風呂場もトイレも一緒で、しかも男となんて、と思われていたらどうしようと、改めて思い返すと自信がなかった。


 でも居心地がいいと思ってもらえていたなら、こんなに嬉しいことはない。


「要ちゃん、僕実は、結構お金持ってるんだよね」


 要はきょとんと目を丸くする。僕は話を続ける。


「正直言うと、大学に通ってる間は働かなくても食べていけるくらいある。僕がバイトしてるのは単に、僕のばあちゃんに働いてる姿だけでも見せておかないとダメだって思ったから。ばあちゃんはまだ見に来てくれたことはないけど」


 自分なりに面白い話をしたつもりだったので笑いかけると、後から戸惑いながらも要は笑いかけてくれた。そんなに面白くはなかったかな……。


「だからバイト代もあるし、要ちゃん一人くらい全然余裕なんだよね。それに要ちゃんは洗いものとか効率よくしてくれてるみたいだし、シャワーだってほとんど使ってないでしょ。だから僕一人のときとさほど変わらなくて。要ちゃんが働く必要はないんだけど……」


 要は少しむっとした表情を見せた。僕は笑った。


「要ちゃんがどうしても払いたいっていうなら……食費をお願いしようかな。もちろん一人分だけでいいからね。どう、かな?」


 まだ払い足りないなんて言われたらどうしようとそっと要の顔を覗くと、満更でもなさそうだった。よかった、と胸の内で息を吐く。


「水無瀬さんがそれでいいなら……。頑張ります!」

「でも、無理はしないでね。今日みたいに補導なんてされて欲しくないし」


 その点はしっかりと釘を刺しておく。

 要は心に深く刻みつけたようで、拳をしっかりと握りしめた。

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