僕の落とした左手を

宇野 伊澄

第1話

奇跡の右手


 小さい頃からただ絵だけをひたすら描いてきた少年が、世界の大きな絵画のコンクールで優勝したというニュースは瞬く間に広がり、僕は一夜で超有名中学生になった。

 当時、僕にそんなに友達はいなかったはずだが、この日を境に昔から仲がよかったような口ぶりで僕に話しかけてくる奴が何人もいた。急に話しかけてきやがって、と何度も思ったが、案外悪い気はしていなかった。


 この時期は世界中の誰よりも人気者だったのではないかと今でも思う。


 僕はこの右手を一生大事にしていこうと決めた。

この歳でこれだけの絵が描けるなら、将来大物画家になって絵を描くだけで生きて行けるだろうと確信していた。先生も、友達も、父も、母も、世間も、それを期待していたことだろう。


 そう決意してから一年後、僕の右腕は、きれいさっぱりなくなった。


 原因は交通事故だ。犯人は世間から大バッシングを受けたようだが、そんなことはどうでもよかった。父が命を落とし、母が命を落とし、そして僕はもう、絵が描けなくなってしまった。現実に失ったものが大きすぎて、しばらくは放心状態の日々が続いていた。


 久しぶりに学校に通いだした時の、周りの視線は痛かった。同情なのか、かける言葉が見つからないのか、どれにしたって僕は世界からもこのクラスですらも見放されてしまった。


 そんな冷え切った状況下でも、僕に話しかけてくれる奴が一人だけいた。そいつは、残った左手で絵を描いてみたらどうだ、と言った。手のひらをあっさりと返した周りの連中を見返してやれよ、と。


 そうだ、まだ僕には左手がある。右手程の画力は無くても、同じ人間が描く絵なのだ。きっとあいつらを見返す程度にはいいものが描けるだろう。僕は必死で描いた。思うように動かない左手に何度も苛立ちを覚えたが、ここで絶対に逃げ出すもんかとひたすら筆を滑らせ続けた。


 そうして出来上がった絵は、ひどかった。

 なんだこれは、左手ではこんなのしか描けないのか。意に満たないどころか絶望さえ感じる欠陥作品だった。それでもただ一人の友人は、手を叩いて褒めてくれた。僕はそいつみたいな感性の持ち主が絵画コンクールの審査員にもいることを信じて、町で一番小さなコンクールにそれを出した。


 結果が返ってきた。僕はそれをじっくり眺めた。友人は僕の横で心配そうな顔をしている。

 結果は、どうだった?

 僕は、彼に笑顔を向けた。誰が見ても、引きつった笑顔だった。


その日から、僕は絵を描くことをやめた。

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