鳥籠の紅茶屋

夢裏徨

鳥籠の紅茶屋

第1話 天使の紅茶屋

1-1. 天使の紅茶屋

「ん……? 新しく出来た店か」

 呟いたミソギ・クレキは、その切れ長の目を細め、頭上の看板を見上げた。

 黒いシルエットの天使が、花の入った鳥籠を掲げるその看板は、風に吹かれ、ゆらゆらと揺れる。

 間口の小さな店舗で、幅は扉二枚分くらいしかない。右側に店の入り口である扉が、左側はショーウィンドウになっており、店のマスコットらしい白い天使が、ティーカップを頭上に掲げていたり、茶葉を大事そうに抱えていたり、転んでもクッキーだけは死守していたりと、大層可愛らしい。

 店の中には背の低い棚が並び、上段には茶葉が、下段にはお茶請けに良さそうなクッキーやらチョコレートやらが置いてある。中央に置かれた丸テーブルに並ぶのは、手作りらしいマカロンやシフォンケーキ、マドレーヌなどが、やはりマスコットの天使と共に飾り付けてある。

 よく見れば右側は紅茶とクッキー類、左側の棚はヤツハ茶や烏龍茶に金平糖や煎餅と、さりげなく分類されているようだ。

 店の奥は一段上がっており、店主から店番を任されたのか、そこに二人の女の子が座って戯れていた。一人は上から下まで真っ白な幼女で髪も白ければ着ているふわふわもこもこのワンピースまで白く、恐らく彼女が天使のモデルになったのだろうと思われた。もう一人は大人しそうな黒髪の少女で赤く細いリボンが胸元についた白いブラウスに紺のスカートを履き、青い瞳が印象的だ。

 そしてその更に奥には畳敷きの部屋が続き、店主らしき無精髭の男が七輪で煎餅なぞを焼いている。

『ばあちゃんの駄菓子屋かよ!』

 入るつもりはなかったというのに、思わずばばんと扉を開け放して突っ込んでしまった。しかも、最近になって滅多に口から出ることのなくなった故郷のヤツハ語で。

 きょとんとした女の子二人の視線を浴びて、彼が謝ろうとしたその時。

『食べる?』

 この国、フィンでは滅多に聞くことのないヤツハ語で返された。


 そしてミソギは今、奥の座敷に正座し、二人の女の子に並んで一緒に煎餅を食べている。

 それもこれも、無精髭の男の問いに対し、白い幼女が『食べる!』と元気よく、実際にぴょんと飛び跳ねるて返した挙句、『一緒に食べるでしょ?』とミソギに聞いたからだった。

 輸入食品店に入荷する煎餅はいつも買い占めているが、好きな故郷の味はいくらあっても足りない。

 欲望と葛藤し、元気よく誘ってくる白い幼女と、おずおずと『一緒に……』などと言ってくる少女の二人に、中央区に住む双子ちゃんを重ねている間に気づけば座敷に上がり込んでいた次第だ。

 店頭からは分からなかったが、座敷の左奥には螺旋階段がつけられており、どうやら地下に倉庫でもあるらしかった。

 そして彼は背後の棚に置いてあった、煎餅を山と積んだ皿をいくつかミソギの前に並べ、ついでに下に置いてあった急須と湯呑みを取り出し、ヤツハ茶を淹れ始めた。

 感動するくらいに本物志向だった。

『あんた、味の好みってある? 醤油とかザラメとか塩とか適当に焼いてんだけど』

『ええっと、これは趣味でかい?』

『趣味だなぁ。欲しい人がいるなら売らないこともないけどさぁ、ほら、煎餅って知名度低いからさぁ?』

 確かに、とミソギは一つ頷いた。

 もう少し知名度が上がれば、より多くの煎餅が入荷されるようになるかもしれないが、ライバルが増えるのはよろしくない。

 店から見て一番奥に座った白い幼女が『ザラメだぁ』と呟くのが聞こえ、ミソギは自分の目の前にあった皿を彼女の近くにと動かしてやった。

 ぱぁっと顔を輝かせた彼女が満面の笑みで煎餅に手を伸ばすと、黒い少女が『ありがとうございます』と軽く頭を下げる。

『どういたしまして。じゃあ俺も』

 律儀に返答し、ミソギは胡麻の練り込まれた醤油味の煎餅を手に取り、口に運ぶ。

 ばりっと小気味の良い音を立てて噛み砕くと、醤油と胡麻の香ばしさが口いっぱいに広がった。

 至福の時だ。

『どうぞ』

『かたじけない』

 美しい緑色のヤツハ茶を口に含み、そして再び煎餅に戻る。

 醤油もいいし、塩もいい。

『コメが旨いな』

 思わず零れ出た賞賛に、きらりとその目を光らせたのは、無精髭の男だ。

『分かる? 僕さぁ、コメにだけは拘りがあってさぁ? 火加減に水加減、とことん研究したからさぁ、分かる?』

『そんなこと言うと今度メシ食いにくるぞ』

『来る? 来る? 来る? 僕張り切っちゃうよ?』

『皆一緒にご飯食べるのおいしいよー!』

 口元にザラメをつけたままの幼女が参戦し、横に座る少女がこくこくと頷いて同意を示した。


 心ゆくまで煎餅を堪能したミソギは、さて、と神妙な顔に戻る。

『美味しかった、ありがとう。そこで相談なんだけど』

 白い幼女の手と口をナプキンで拭っていた少女が、何か真剣な響きを感じ取ったのか、顔を上げる。

 男は「ん?」と立ち上がるミソギを、座ったまま見上げていた。

『君が焼いてるその煎餅、売ってもらえないかい?』

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