葉桜の舞台
葉桜を揺らす風が青空へ吹き抜けていく。木陰から望むその青さとゆったりと流れる雲を俺は一人眺めていた。コーヒーを呷り視線を落とすと木造の休憩スペースが目に留まる。
「誰もいない、な」
あれから三年が経った。
春川桜子は無事に卒業して志望校へ進学した。
二人で雨に濡れた日の週明け。春川は髪をバッサリと切った姿で現れた。女子生徒を中心にその変貌にクラスは一時沸き立った。とはいえ、非行に走ることもなく春川は高校生活を平穏無事に過ごしたのだった。
鈴木からのリークで一年生と二年生のときにカレシがいたことも知っている。
父親とも関係は良好そうに見えた。それは二年三年と担任だった鈴木も頷く。春川は問題のない生徒どころか優等生だった。一教師の評価としては。
それを喜ばしいと思う反面、胸の内がそわそわと落ち着かない。とりとめのない気持ちの行き場を求めた手が空へと伸びるが、桜の葉にさえ届くことはなかった。
「おーい、秋田。いつまで遠い目をしてんのさ。青春か?」
待ち合わせの時刻まで待てなかったのか、鈴木が現れ隣に並んだ。流石に今日は白衣を着てはいない。
「俺達の場合、青春じゃなくて朱夏だろ?」
「まさに葉桜の季節だね」
「そうだな」
過ぎ去った花の季節の面影を求めても、それらは空の青さと木々の影の深みに溶けてしまった。
「桜子ちゃん」
「は?」
「なにぃ? ドキッとしてんのかー?」
「お前……」
「あの子は大丈夫だよ」
鈴木は深く頷き鷹揚に笑った。その笑みは春川の担任として積み重ねた年数の厚みなのだろう。
「ああ。鈴木が言うなら間違いない」
「……浮かないね?」
「ちょっとな。あの日の俺はあれで良かったのか、そう思ったら、成長のない不良教師な自分が嫌になった」
素面でも素直に弱音を吐けるようになったのは成長か、それとも開き直りか。
「大人は結果で評価される。彼女は無事卒業。よって、秋田は
「それでいいのか?」
「少しのきっかけで人生は良くもなるし悪くもなる。離れていった子供たちの人生をずっと見ていられるほど教師は万能じゃないよ」
「まあ、たしかに」
鈴木も青空を見上げて『あっという間さ』と笑った。
「花盛りの彼ら彼女らは桜の咲いて散ってのように学び舎に現れ去っていく。教師たちの想うところなんて結局は生徒次第だ。踏み越えて進んでいくもよし。伝わりきらずとも糧になれば御の字。何か響けば望外の喜びってヤツさ」
そう言って笑ってみせる鈴木の優しさもなかなか伝わりにくいと思ったが、これで結構人気者だったな。悪趣味な美術教師め。
「ニヤニヤしちゃって、どした?」
「ああ、いや、俺達もこいつと同じかなって思ってさ」
そう言って頭上の葉桜を指さした。
桜は青い葉をつけて夏の光を一身に浴びる。そしてその生命力を秋から冬へと繋ぎ、春の花に託す。その有様は生徒を想う教師と似ているかもしれない。
「……って、思ったんだけど」
「くさっ! くさいよ、おじさん! 心意気は買うけど、くっさっ‼」
「……いまから桜の枝をゆっくり揺らす。決して折ったりしないようにゆっくりと、だ。それでも、なんとかしてお前に毛虫を落としてやる!」
「子供かっ⁉」
不良教師二人でぎゃあぎゃあと騒ぎだす。
そしてそれから、春を想う葉桜の下で子供の様な笑い声をあげるのだった。
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