枯れた花の英雄譚
橋本洋一
第1話苦しみと涙の理由
人々から愛されたクロックビルが紅蓮の炎によって溶かされ崩れていく。
ゆっくりと倒れていくのを無力な僕は見るしかない。
その場に膝をつく。
この事件を引き起こしたのは僕だ。僕が原因なんだ。
「う、ああ、ああああ……」
呻くことしかできない。頭を抱えながら、自責の念が僕を襲うのを耐えるしかなかった。
「おい! こいつヒーローだ! みんなやっちまえ!」
暴徒と化した市民が僕をぐるりと囲む。
守るべき市民の手にはバットやナイフが握られている。
全員の目が狂気に陥っている。
「う、ううう、うううううう……」
悲惨な現実だ。目を覆いたくなるような。
だけどこのまま裁きを受けるべきなんだ。僕になんて生きる資格なんてない。
「喰らえ糞野郎!」
思い切り頭をバットで殴られる。でも頑丈に作りすぎたスーツのせいで全然痛くなかった。
ああ、死ねなかった。
ゆらりと立ち上がる。どよめく市民。
全員、狂っている。
もう、助からない。
「やっちまえ!」
誰かが叫んだ。
「……助けて」
僕は呟いた――
半年前の夕暮れ――
「
孤児院の玄関周りを竹箒で掃いていると、柳田院長先生に後ろから話しかけられた。
振り返って「なんですか改まって」と返す。
恰幅の良くて柔和な表情の柳田先生は「君にも仕事があるだろう」と指摘する。
「確か花屋に就職が決まったそうじゃないか。それなのに空いた時間でボランティアなんて」
「七年間世話になった家の面倒を見るのは当然でしょう?」
「君は本当に優しい。あんな目に遭ったのに……」
僕は笑って「もう過去のことですから」と落ち葉をちりとりで取る。
「もう気にしていませんよ」
「……病院には行っているのか」
「ええ。きちんと薬も貰っています」
安心させるように笑顔で答える。引きつっていないか心配だったけど、柳田先生は「ならいいがな」と肩を竦める。
「しかしどうして花屋に就職を? 君は工学科を卒業したのだろう? そちらの道に進んでも良かったのに」
「花が好きなんですよ。綺麗ですし。匂いもいい。それに買ってくれるお客さまの笑顔が好きなんですよ」
落ち葉をゴミ袋に入れて柳葉先生と向かい合う。
僕を真っ直ぐ見てくれるのは孤児院の中でもこの人だけだった。
「これで掃除は終わりです。もうすぐ子どもたちが学校から帰ってくるんじゃないですか?」
「ああ。そうだな……それにしても最近物騒になっている。君も暗くなる前に帰りなさい」
物騒になっているか……この街は暴力が支配している。
どうしてこうなったんだろう?
何も無い自宅に戻ると、鍵を閉めて、薬を飲んでからすぐさまベッドに潜り込む。
掛け布団に包まって。
そして薬の効果で眠くなる。
延々と続く地獄がいつものように訪れる。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
無理して高い家賃のマンションに住んでいるのは、自分の悲鳴を聞かされたくないからだ。防音でなければ、いけなかった。
前のアパートはそれが原因で追い出された。
「おとうさん、おかあさん、たすけて、いたいよ、きたないよ、いやらしいよ……」
眠るのは嫌だった。おぞましい一年間を思い出してしまうから。
夕食はとらない。吐いてしまうから。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
翌日。隈を化粧で誤魔化して、花屋に出勤する。
「大丈夫? 双葉くん最近痩せてない?」
店長の水野さんに心配される。中年の女性でいつも気遣ってくれる優しい人だ。
「ありがとうございます。実は昨日、ご飯抜いちゃって」
「あらそうなの? 良かったら一緒にお昼食べない? おごるわよ」
「えっ? 良いんですか?」
「いいのよ。双葉くん仕事が真面目で丁寧だしね」
この花屋に就職して本当に良かったと思う……
「すみませーん」
お客さまの呼ぶ声。僕は店長に一礼して向かった。
玄関に向かうと、そこには僕より少し年上な女性が居た。
スーツに身を包んでいる。OLさんかなと思った。黒髪を後ろでまとめている。優しそうに花を見つめている。とても美人な人だった。
「何をお探しですか?」
その人は微笑みながら「彼氏のお見舞いに花を探しているんです」と言う。
「お見舞い……入院しているんですか?」
「ええ。怪我を負ってしまって。最近のことです」
「そうですか……ではこちらのフラワーアレンジメントはどうでしょうか?」
僕が薦めたのはオレンジと黄色のフラワーアレンジメントだった。基本的に鉢植えは根付くが寝付くとかかるので送らない。花束も花びんがあるのか分からないので用いない。
「素敵ですね。これにします」
とびっきりの笑顔で答える女性。僕は「包みますのでしばらくお待ちください」と言って作業に移る。
手先は元々器用なので、三分もかからなかった。
「やっぱりプロは違いますね。勤めてどのくらいですか?」
「まだ三ヶ月ぐらいですよ。そんなに上手じゃないんです」
「えっ? 三ヶ月でここまで早くできるんですか? 凄いですね!」
顔が赤くなるのを感じた。お客さまに褒められるのは初めてだったから。
「また来ます! ありがとうございました!」
元気よく手を振って、女性は駅前のほうへ向かう。
見送りながら少しだけ疑問に思う。
領収書がほしいと言っていたので作ったけど、彼氏の見舞いに必要なのかな? それにスーツ姿で行くだろうか? 平日の昼だから途中で抜けたのかな?
僕は控えの領収書の名前を読んだ。
それがあの人の名前だった。
最近物騒になってきた。街全体の治安が悪くなっている。
殺人、強盗、強姦。
警察も頑張っているけど、手が回らない。
一方、自警団なるものも結成されつつあるらしい。
闇があれば、光も出てくるんだなあ。
そう思いながら新聞を読んでいた。
すると携帯に電話がかかってきた。
「もしもし? ああ、柳田先生ですか?」
なんでも孤児院でパーティーをするらしい。是非参加してほしいとのこと。
だけど生憎その日は仕事があり、遅くなることを告げると顔を見せるだけでもいい。子どもたちが君に会いたがっていると嬉しいことを言われた。
僕は了承した。
館山さんはあれから二週間に一度やってきた。どうやら彼氏さんのほうも花が気に入ったらしい。
三回目に訪れた日、つまり孤児院のパーティーに参加する当日のときにはある程度仲良くなっていた。世間話もするようになっていたのだ。
「最近危ないですね。一人で歩けないほど、治安が悪くなっています」
新聞で知った情報を話すと館山さんの顔が曇った。
「そうですね。覆面を被った悪い人たちが次々と人を襲っています」
なんでも『ノワール』という犯罪集団が中心となっているらしい。
犯罪なんて何が楽しいのだろうか?
「でも、自警団が作られるそうですよ。確かヒーローズって名前らしいです」
わざと明るく言って場を和ませようとする。だけど館山さんは曇ったまま何も言わない。
そして――静かに涙を零す。
「……館山さん?」
「あ、ごめんなさい。嫌だわ。最近泣いてばかりで……」
このとき、勇気があれば館山さんの涙の理由を聞けただろう。
でも意気地なしで臆病な僕は、目の前の女性にハンカチを渡せないほど動揺していたのだ。
「ま、また来ます。それじゃ……」
足早に去っていく館山さん。僕はそれを見送るしかなかった……
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