霊能力者紅倉美姫22 呪う絵

岳石祭人

第1話 大家の批評


 森山宗景。

 もりやましゅうけい、または、むねかげ、とも本人がそれぞれの場で名乗っているが、

 六十三歳、

「平成琳派りんぱ」と呼ばれる日本画の大家である。

 琳派というと俵屋宗達、尾形光琳を祖とする背景に金箔を用いた画法で知られる江戸期の絵の一派だが、宗達の国宝「風神雷神図」の屏風絵を例に挙げれば、あああれかと日本人なら誰もが頷くだろう。

 平成琳派と称される画家は他にもいるが、森山宗景の場合はそのものズバリである。

 宗景も背景に大胆に金箔を施している。

 その画風の似通りぶりは天真爛漫と言ってもいいくらいだ。

 本人も親分肌の豪放な人物で、後輩画家の面倒見もよく、日本画壇の重鎮であり各界セレブリティーにも顔が利き、自然と一大コネクションを築いていた。


 その宗景が三年ぶりとなる大作を描き上げ、都内大手の画廊に扱われることになった。

 画廊は高層ビルのワンフロアを店舗とし、大家の大作はここに展示されることになったが、既に某大手証券会社の美術館に買い上げられることがほぼ決まっており、新作を心待ちにしていた特に熱心な美術愛好家たちへの特別プレゼンテーションの意味が強かった。このような一流高級画廊へ一般人の足は敷居が高かった。

 宗景は自分の大作が飾られるギャラリーへ下見に訪れた。

 オーナーと店長が出迎え、絵を掛ける場所へ案内していったが、途中宗景はツと立ち止まり、目を細めて一枚の絵を眺めた。

 オーナーが喜んで紹介した。

「お目が止まりましたか? ご存じでしょうか?砂川夕陽という若い画家です」

「知らないなあ」

「そうですか。ごく最近注目を集めだした若手ですから。問い合わせも多く、特に若いお客さんがこの絵を見に訪れることが多いですよ」

「ふうん、そうかね」

 宗景はしばらく眺めて、フンと鼻息を吐き、

「胸くそ悪い絵だ」

 と言い捨てた。オーナーと店長の顔色が変わった。宗景はよほどこの絵が気に入らないのか、執拗に言葉を尽くして批判した。

「暗い。絵の具がよどんで汚らしい。どうせ心の内面の苦悩を表現したとか言うのだろう? 繊細でピュアなスピリチュアルな世界とか言って得意になっておるのだろう? 実にくだらん。安っぽいガキの独りよがりのアングラ劇だ。一人で訳の分からん言葉をわめき散らして、同じ低レベルの若造どもが訳も分からずああ分かるこれぞ僕らの求めていたアートなんだと褒め称え合って、社会からシャットアウトした自分たちの仲良し倶楽部を作って自分の繊細で鋭いピュアな感性に酔いしれておるのだろう? 虫ずが走る。暗い部屋に籠もった自慰の臭いがプンプンするわ。こんな絵は、」

 宗景はオーナーをギロリと睨んで言った。

「見る者の心も腐らせる。陳腐な、薄っぺらい、腐った絵だ」

 オーナーは青い顔でゴクリとつばを飲み込んで言った。

「なるほど。手厳しいご意見ですね」

 宗景はもうすっかり興味を失ったように視線を先に向けると、

「外せ。俺の絵が汚れる」

 と言った。オーナーは黙り込み、店長は

「いえ、しかし」

 と食い下がろうとしたが、オーナーは慌てて目で止せ!と止め、口を『チッ』と言わせてさっさと絵を外すように顎をしゃくった。

 店長は仕方なく店員を呼び、絵を外すよう小声で指示した。

 宗景は背中を見せたまま先へ歩き出し、オーナーと店長は「こちらへ」と慌てて案内した。

 左右がとなりの部屋への通路になっている見通しのいい壁一面が大家の大作を飾るために空けられていた。

 宗景は腕を組んで眺め、

「よかろう」

 と満足そうに言った。と、その時、

 ドン、バッターン、

 と背後から床に激しく物が落ちて倒れる音がして、皆ビクッと驚いて振り返った。

 向こうの方で若い店員が一人で床に落としてしまった額装の絵を慌てて起こしていた。

「おい、君! 大切に!気をつけて扱いたまえ!」

 と思わず店長は声を厳しくして叱ったが、すみませんと慌てて謝る店員に、宗景は、

「かまわんよ、そんな物は」

 と言ってやった。



 数日後。

 森山宗景の新作がギャラリーに展示され、招待客に公開された。

 美術雑誌の記者もカメラマンと訪れ、絵の前に立つ大家を撮影し、インタビューした。

 背景にした絵は巨大である。縦一・八メートル、横五・四メートルの黄金比の画角をしている。全体に色を違えた金箔を張り巡らせた上に描かれ、単純に材料費だけでもかなり高額の豪華な絵だ。

 赤と黒が印象的だ。

 森山宗景の絵は


「金箔をふんだんに用い絢爛豪華でありながら、華麗な筆致と現代的センスで爽やかと言ってよい印象で人の目を瞬時に捉え、その内容の骨太な造形と雄大で深い精神性に引き込まれる。古来変わらぬ自然の美と伝統に培われた民族的美意識をモダンなセンスで現代に新しく出現させて見せる、今の時代を代表する一流日本画家」


 と美術界で絶賛されている。

 その大画家の今回の新作は、

「この絵が何を描いた物か分かるか? これはな、木星を描いているんだ」

 と、大家は美術雑誌記者に説明した。

「宇宙に広がる小惑星帯の向こうに浮かぶ木星の巨大な大気の『目』を描いておるのだよ」

 たしかに、手前には黒く石が並び、金箔の空に赤焼けした雲に縁取られて大きな赤い斑点が浮かんでいるが。

「わはははは。冗談だよ。見ての通りこれは水の張った田圃の向こうの山並みに夕陽が照っている情景で、手前を流れる小川の水底に丸い石が沈んでいるわけだよ」

 はあなるほどと、記者は上機嫌の大家にからかわれて愛想笑いした。

「だが冗談ばかりでもないのだぞ。俺は確かにこの絵を描きながら壮大な宇宙を思っていたのだ。ダヴィンチのスケッチにもあるだろう、大気の雲も、水の流れも、生い茂る木々も、皆同じような渦を巻く。人間も含めて、自然の物というのは、いや、世界万物は、大きな視点を持って眺めればみな同じような形をなしているのだ。田舎のなんてことのない風景に巨大な惑星の姿を重ねてもそれは一つの真実なのだ。我々の暮らすこの世界は間違いなく無限の宇宙の一部であり、我々一人一人もまたこの肉体に精神に大宇宙を内包しているのだ。どうだ? そう思って絵を眺めてみれば心が宇宙規模に大きく広くなるだろう?」

「なるほど。先生の絵画的探求心はついに地球を飛び出して飛躍し、木星にまで飛んでいってしまったと」

「日本人が宇宙ステーションで働いている時代だぞ? 現代に生きる芸術家がそれくらいのスケールで物を見ずにどうするね? 己の心の内を見つめるのも大切だが、そこにちまちまととどまっていてはいかん。芸術とは見る者の心を明るく良い方向へ向かせなくてはいかん」

 と、ここで大家は何を思い出したのか苦虫を噛み潰したような顔をし、フウと肩をすくめると、気持ちを切り換えるように言った。

「絵は明るい方がよい。世の中暗くて嫌なことだらけだろう? そんな物はニュースだけで十分だ。俺は人の心を明るく照らす絵が好きだ。ゴッホはひまわりが良い。オランダ時代の絵は汚くて駄目だ。あそこにとどまっていたらゴッホも偉大な芸術家にはなれなかっただろう? 外に出て、明るい日差しの下で描いたからこそああして人の心を感動させる良い絵が描けたのだ。芸術家はすべからくそうあるべきだ」

「なるほど。先生の絵は明るくて気持ちが晴れ晴れしますものねえ。

 ところで先生、水をたたえた田圃というのは春の景色ですよねえ? この、夏の景色、秋の景色、冬の景色、という四季シリーズにするお考えはないんですか?」

「ふむ。取材はしてある。それも良いかと思っているのだが……、見たいかね?」

「それはもう、是非! これだけの大作を連作で描いて、一つの大部屋で四方の壁に掛けてぐるりと見渡したら、それはもう壮観でしょうねえ。いや、想像するだけでわくわくします」

「ふむ。モネの睡蓮の部屋ならぬ田舎の田圃の部屋か。はははは。それも日本らしくて良かろうな。よし、では描くとするか」

「おお、素晴らしい! これは美術界のビッグニュースになりますよ!」


 森山宗景の新作「黄金の黄昏」は画壇で大絶賛され、美術界のトピックとして新聞やテレビでも取り上げられた。この絵の購入にニューヨークの現代美術館も興味を示しているとも伝えられた。



 一方で。


 そうした華々しい舞台とはまるで縁のない小さな借家の一室で、この家に住む青年が死んでいるのが、訪ねてきた家族に発見された。

 青年は石川雄飛という二十五歳の男性で、画家と言うことだった。

 石川雄飛青年はアトリエとして使っていた狭い部屋で、左の手首に深々とパレットナイフを突き刺し、椅子から転げ落ちたかっこうで死んでいた。

 遺書はなかったが、死体発見の状況から警察はこれを自殺と断定した。

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