9話 紅

 なんとか猩々を倒した俺達は、頭の潰れたイノシシと、頭のない猩々を持ち帰るため、槍に足をくくりつけていた。

 セリアは魔法の使用で体内のマナが枯渇寸前になって地面にへたり込んでいる。

 体内のマナの減少で大地の加護は弱まるらしく、その分、筋力が下がってしまうらしい。


「若い個体で助かったね」

「本当ですねぇ。魔法の使いすぎでもう体が重くて動けません」

「結構大きかったですけどあれで若いんですか……」


 散々苦労させられた相手だったが、これでもまだ若い個体だったらしい。

 こいつより強い奴がいるのかとげんなりする。もしもっと強い個体が襲ってきた場合、俺は今頃ミンチになっていたかもしれない。


「成長した猩々は体毛が赤くなる。体毛が赤ければ赤いほど刃が通り辛く、強くなる」

「セツは赤い奴と戦ったことあるのか?」

「ない、でも死体を見たことはある。体毛が薄い赤だったけど狩猟衆が三人殺された」

「三人……」


 訓練を受けた狩猟衆が三人も殺されたらしい。

 もしこいつが強い個体だったら俺達は皆殺しに合っていたということだ。俺はいても居なくても変わらないし。

 もしもの話ではあるが、死が身近にあるこの世界では、全く他人事ではない。


「それにしてもセリアさんの魔法凄かったですね。訓練で何度か見たことがあったけど、あんな広範囲に魔法を出しているのは初めて見ました」

「わたしは槍も弓も上手じゃないですからぁ。せめて魔法だけはと思ってるんです」


 えへへと照れ臭そうに笑う姿は周りを安心させる力がある。ポワポワとした雰囲気は、俺より強い人と分かっていてもなんだか守ってあげたくなる。

 間延びした語尾は普通の人が言うとぶりっ子ぽくて腹立つだけだが、この人が言うと嫌味がなくて許せてしまう。


「それよりミナトさんは背中大丈夫ですかぁ?」

 セリアがそう言うと立ち上がって俺の背中に手を当てて擦ってくれる。

「少し痛みますけど水で威力が弱くなってたんで大丈夫です」

「そうですかぁ。ごめんなさい、私のマナが残ってたら治してあげれたんだけど……」


(この人は女神か? 守ってあげたくなったばかりなのに甘えたくなってきた。膝枕されたい……)


 基本的に魔法は一人一種類しか使うことが出来ない。だがセリアは他人の回復力を促進させる回復魔法を使うことが出来る。

 どういう理屈なのか、普通の魔法もわからない俺にはわからないが、たまにそういう人がいるらしい。


「セリアばかり褒めて僕たちにはないのかい? そんなにセリアの事が気に入った?」

「イヤイヤ! シオさんの槍さばきもセツの剣の腕前も凄まじかったです!

 セリアさんの事はそんなんじゃなくて! あ、セリアさんは凄くお綺麗だと思うんですけど……」


「うーん、ごめんねぇわたしは強い人が好きかな〜」

「……はい」


 このパターンは前にも経験した。何故告白してもいないのに振られなければならないのだろうか。俺はそんなに悪い事をしたのだろうか。


「じゃあそろそろしゅっ……!」


 セツが出発の号令を言いかけたその時、焦ったように目を見開いて森の方を見た。

 俺もつられて森の方を見ようとすると、倒した猩々の目の前に何かが鈍い音を立てて落ちて来た。


 むせ返るような血の匂い。


 全身にぶわっと鳥肌が立った。


 こいつは駄目だ。

 関わって良いものじゃない。


 本能が警告してくる。

 赤い……あまりにも深く暗い赤だ。全身が赤い毛に覆われている。

 紅だ。


 二足の足で立ち、足も手も指も長い。

 間違いない、猩々だ。それも途轍もなく赤い。

 倒した猩々より二回りは大きい。本当に同じ種族なのか?


 こいつを見た俺は、何故こいつの体毛が赤いのか理解した。

 血だ。こいつの体毛には何百という生き物の命が染み付いている。

 離れていても吐き気を催すほどの濃い血の匂い、野生動物としては致命的なまでの匂いの強さだ。だが、こいつはそんなの問題にしないだろう。


 襲われれば殺せばいいだけの話なのだ。そうやってまた血を浴び毛が赤くなる。

 こいつはそれだけの事ができる強者だ。


「離れて!」


 俺が赤い猩々に気圧されて動けないでいると、セツが剣を抜いて走り出した。

 セツは地面に足がめり込むほどの踏み込みを乗せて、赤い猩々に向けて剣を薙ぎ払う。


 猩々の首を易々と切り落としたセツの豪剣を、赤い猩々は避ける様子もない。

 セツの剣は赤い猩々は、体の横に垂れた長い腕に命中した。

 そう、命中したのだ。ぶらんと垂らした腕に剣は横から命中したが、それだけ。それ以上進むことはない。


「はあああ!」


 叫び声をあげながらシオが槍を突き出す。

 それを赤い猩々が腕を突き出すと手で掴んで止めてしまう。

 赤い猩々はそのまま槍を引っ張り、シオの手から奪い取る。


 槍を無理やり奪われたシオは、体勢を崩して万歳した無防備な姿を晒してしまう。

 赤い猩々は、無防備なシオを奪い取った槍を使ってぶっ叩いた。


 シオはボキボキと嫌な音を鳴らしながら吹っ飛び、木にぶつかると動かなくなった。


 俺はその光景を見てハッと我に返り、剣を抜いて目の前にいる赤い猩々に斬りかかる。

 俺に動きに合わせ、セリアが炸裂魔法の粒子を赤い猩々の顔に飛ばして爆発させ視界を爆炎で塞ぐと、セツも再度斬りかかった。


 赤い猩々は顔面に爆発を受けて何も見えないはずだが、人の手のような形をした足をセツの方へ振り上げた。セツの剣はその赤い猩々の器用な足に左手ごとつかみ取られ、俺の剣は無視される。


 俺の剣が猩々の背中に命中する。

 俺は何度も何度も剣を叩きつけるが刃が全く通らない。

 体毛の一本一本が鋼鉄のように硬く、攻撃したこちらの手が痺れてくる。


 爆煙が晴れ、黒煙から姿を現した赤い猩々は当然のように無傷で、手に持ったシオの槍を持ち直すと、セリアに向かって投擲した。


 セリアは避けようとするも、無理に魔法を使ったせいか足がもつれてしまい、背の高い赤い猩々から投げられた槍が腹部を突き破り、地面に縫いつけられた。

 体を地面に縫い付ける槍を抜こうとセリアはもがくが、やがて限界が来たのか頭ががくりと下がって動かなくなった。


 赤い猩々の足の指に握られたセツの手からミシミシと軋む音が立つ。

 セツは腕を抜こうと必死に引っ張るが、ザリザリと足が地面を滑るだけでビクともしない。


「うう! ああ!」


 痛みに顔をゆがませるセツを助けようと、俺は赤い猩々の足や頭を攻撃するが、やはり俺の攻撃は通用しない。

 俺がモタモタしているうちにセツの手から遂にゴキリと音がした。


「ああああああ!」


 セツは痛みに叫び声あげ、膝を地面につける。俺は必死に何度も、

 何度も何度も何度も、

 剣を赤い猩々の足に叩きつけるが全く怯む様子はない。


「くそ! お前! 離せよ!」


 セツの皮製の腕当てに爪が食い込んでいき、皮膚も突き破って流血する。

 赤い猩々が俺の方を見ると笑った。無力な俺を、滑稽な俺を嘲笑ったのだろう。


 なんなんだこの猩々とかいう生き物は。さっきの奴もこいつも、なぜこんなにも暴力を楽しめるんだ。


 理不尽すぎる生物に俺は泣きそうになりながら剣を振り下ろし続ける。

 そんな俺に、赤い猩々はセツの腕を握った足を振るって、セツを鈍器にして俺を殴り飛ばした。


「がはっ!」


 俺はセツごと川の反対側の森の中まで吹っ飛ばされた。

 俺とセツはもみくちゃになり、今がどうなっているのか訳が分からなくなりながら地面に倒れる。

 なんとか意識は飛ばずに済んだ。だがどうにもならない無力感が俺を襲う。

 こんな理不尽があっていいのだろうか。


 俺だってこの世界に来てから努力した。毎日毎日、手を血まみれにしながら辛い訓練をこなし、少しは強くなれた。


 それがどうだ、俺が最も練習した剣はまったく奴には通じなかった。


 あれだけ鋭かったシオの槍が軽く止められた。

 あれだけ頼りになったセリアの魔法が役に立たなかった。

 あれだけ強かったセツの剣ですら歯が立たなかった。


 日本では勉強は努力すればいい点が取れるようになっていたし、バイトを頑張ればお金がもらえる。努力すれば全て報われるわけではなかったが、こんな全てを理不尽に潰されるようなことはなかった。

 恐怖で歯がガチガチと音を立て、足が震えて止まらない。


「……お前だけでも逃げて……」

「え?」


 セツがなんとか腕をかばいながら立ち上がる。セツの白いはずの腕は深く抉られ、真っ赤に染まっている。

 剥き出しになった肉が痛々しい。

 赤い猩々は川向こうの木をよじ登っている。恐らく倒した猩々と同じようにして飛び移ってくるつもりなのだろう。


「男をここで無駄死にさせるわけにはいかない。ここは私が……」


 セツは何を言っているんだ。自分がボロボロなのに俺に逃げろと言う。

 役立たずの俺を逃がすために自分が犠牲になろうとしているらしい。

 俺が男だからというだけの理由で。


 セツはふらつきながら一緒に投げ飛ばされていた剣を残った手で持ちあげる。

 なんて強い女なんだろう。俺と歳はほとんど変わらないのに強く、高潔だ。

 これほど美しい女性が他にいるだろうか?

 俺は彼女の痛々しくも美しい姿に心を奪われた。


 俺の震えはいつの間収まっていた。

 またセツのおかげで覚悟が決まった。

 こんな美しい女を失うわけにはいかない。

 俺は後ろからセツの剣を取り上げ、前に立つ。



「それは俺のセリフだ。男は女に守られるためにいるんじゃない」

「な?! そんな事言ってる場合じゃない! あんたはまだ未熟だ! 今失うわけにはいかない!」


 奴が川を飛び越えこちら側に着地する。


「うるさい。いいから逃げろ。」

「待っ……」


 俺はセツの静止の言葉を最後まで聞かずに走り出した。

 多少は大地の加護を得る事ができた俺の体は、地球の人間では考えられないほど頑丈になっている。そのためここまで吹き飛ばされても動く事ができる。訓練の成果が出ているようだ。

 もう少し、奴に怪我させられるくらいになってたら良かったのに。


「おい猿! お前の相手は俺だ! 今度は無視すんなよ!」


 俺は赤い猩々の耳に向けて斬りかかる。毛が堅いのなら狙うは毛のない顔、指先、足先、耳。

 指はさっき散々叩いて効果が無かった。顔はさっきセリアが魔法で攻撃していたが全くの無傷だった。


 残されたのは耳だ。

 まずは耳を切り落とす。

 耳も爆発の範囲で無傷だったが、とにかく今は試すしかない。

 俺の剣は体をずらして避けられた。赤い猩々が俺の顔に向けて拳を振るってくる。


(逃げるな! 前へ!)


 俺は迫る拳の方へ向って体を倒しこむ。拳が頭に当たる寸前で首を曲げ、ぎりぎりで避けることに成功する。

 俺は拳に向かって飛び込み回避に成功した事により懐に潜り込む事が出来た。

 そのまま赤い猩々の脇を抜け、横から耳に剣を斬りつける。


 結果、剣が通ったとは言えないが、浅く傷をつけることが出来た。

 多少の痛みは感じたのか、苛立ったように赤い猩々は腕を振り回してくるが、俺は斬りつけた後走り抜けていたため、既に間合いの外だ。


(ふぅーいけるか?)


 ぎりぎりの攻防に心臓がうるさいが、浅くなっていた呼吸を、息を深く吸って気持ちと共に整える。もう一度だ。


(致命傷は無理でも嫌がらせくらいになら……)


 今度は赤い猩々が雄たけびを上げながら両腕を振り上げてくる。どうやら怒らせたようだ。

 赤い猩々は拳を握った両腕を、俺の両肩目掛けて叩きつけてくるが、俺は体を横にしながらまた踏み込む。

 赤い猩々の拳と拳の間に空いた頭一つ分ほどの隙間、そこに潜り込んだ俺の鼻先と背中に奴の拳が僅かにかすめる。


 鼻血が吹き出しながら俺は腰のナイフを抜き、奴の不細工な顔についた左目に突き立てる。

 だが直前で瞼が閉じられ傷はつかなかった。


 俺は閉じられた左目の方向に走り抜け、また間合いの外に出る。

 赤い猩々がさらに怒った様子で右腕を振りかぶった。


(怒れ!そんな大雑把な攻撃、何度だって避けてやる!)


 俺は心の中で啖呵を切るが、油断したのだろう。

 また懐に飛び込むと見せかけて急制動し、バックステップで間合いの外に出る。

 これで空振りだと考えていると赤い猩々の顔がまた不気味に笑った。

 振るわれる赤い猩々の手にはいつの間にか太い木が握られていた。

 完全に身誤った。こいつは怒ったふりをしていただけだ。

 太い木が俺の顔に向かってくる。


(あーやらかした。セツは逃げれるかな。)


 視界がゆっくりになり、迫りくる木を見ながらセツの事を考える。

 不愛想なセツ。口が悪い。ストイック。剣の鬼。そのくせ毎日髪に櫛を通し、編み上げるのを忘れない。

 そんなセツが……女の子が逃げる時間を稼ぐ事が出来たなら、俺の人生にも意味があったんだろう。


 そんなくさい事を考えていると、顔に白と赤の物体が現れ、俺を地面へ引っ張る。

 セツだ。セツが俺の顔に傷ついた腕をまわして引っ張り、何とか攻撃を避ける事が出来た。

 セツは無事だった右手を赤い猩々に向けると、手から青い粒子が噴き出した。

 青い粒子は赤い猩々の顔に触れた瞬間、顔が白く凍りつく。

 セツの凍結魔法を受けた赤い猩々は怒り狂いながら顔の氷をはがそうとする。


「勝手な行動をするな!」


 なぜセツは逃げてくれなかったんだろうか?

 そんな疑問が湧いてくるが、それ以上に気になる事があった。

 白い腕からあふれ出す血。

 なぜか血に目を奪われ、気になって仕方がない。

 俺は何故かそうするべきだと感じたので行動した。

 普段なら絶対しない行動だ。


 ありえない。


 俺は首に回された血濡れた左腕を手に取って傷口に口をつける。


「な?!」


 セツの戸惑う声が聞こえるが俺は無視してセツの血を飲み続ける。

 なんだろう。血が乾いていた体に染みわたる感覚がする。

 血なんて鉄くさいし飲めたものではないはずだ。だが今は体がこれを必要だと言っている。


「お前! なんで!」


 セツが腕を俺から振り払った。当然の事だろう。

 赤い猩々が氷を剥がし終えたようで俺に向かってきた。

 俺は歯を食いしばり、剣を奴の伸ばされた指に振るう。

 さっきまでは全く歯が立たなかった赤い猩々の指に刃が沈み込む。

 剣を通して伝わってくる。肉を斬り、骨を砕き、反対側の肉を切った感触。

 赤い猩々の人差し指と中指が宙を舞う。



 俺は奴の指を断ち切った。

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