8話 猩々

「猩々か。どうする? リスクはあるけど僕達だけでやるかい?」


 白い猿は猩々と言うらしい。

 日本にいた時にテレビか何かで聞いたことがある。たしか架空の赤い猿だったはずだ。

 あの白い猿は何故そう呼ばれているのだろうか。

 日本語が通じたり、地球の空想上の生き物がいたり、この世界の謎は深まるばかりだ。


「今は鎧も着ていない。戦士を呼ぼう」

「了解」


 シオの問いかけに、セツが直ぐに判断を下した。

 シオはセツの答えを聞くと首にかけている笛を力一杯吹いた。

 耳が少し痛くなるほどの大きな笛の音に、頭上の鳥が一斉に飛び立った。

 これで暫くしたら戦士が来るはずだ。

 セツはこの中で最も若いが、最も腕が立ち、信頼されている。そのため、このグループで重要な判断を迫られた時は、最終的な答えはセツに委ねられることが多かった。


「頭を潰されたくなければ絶対に背中を向けるな」

「わかった」


 セツの警告に俺は剣を抜いて戦闘態勢に入った。

 聞こえるのは川の音のみ。

 セツも猩々もまだ何も言っていない。

 でも空気が変わったのを感じた。

 イノシシを狩る時とはやはり違う。

 これから始まるのは狩りではなく、戦いなんだ。


「無視してくれたら良いんですけどねぇ」

「残念。それは無理そうだ」


 セリアが願望を口にするも期待はあっさりと裏切られた。

 猩々は手に持った石を木の上で振りかぶる。

 不安定な足場だが、手のように発達した足の指でガッチリ木を掴んでバランスを崩す様子はない。


 猩々はギリギリと弓を引き絞るように背中大きく反らせると、白い毛皮の中に詰まるはち切れんばかりの筋肉が、更にミチミチと膨張する。

 その長い腕を目一杯しならせる。

 猩々の持つ足から腕まで全身の全ての力が込められた石が放たれた。


「セリアさん!」


 石は真っ直ぐセリアの方に向かうが、セリアはその場から動く様子はない。俺はセリアを庇うために足を踏み出すが、位置が離れていて間に合わない。

 だがセリアの顔に焦りの様子はなかった。


 セリアの体から赤い粒子が吹き出して前面に滞留する。

 イノシシの頭を砕く程の力を秘めた石は、粒子の塊に突っ込んだ瞬間、爆音と共に弾け飛んだ。

 これは彼女の魔法、炸裂魔法だ。


 彼女の全身から吐き出された赤い粒子は、触れると爆発する性質を持っており、全身のどこからでも出すことが出来る。

 どうやら俺は先輩に対していらない心配をしてしまったようだ。


 俺がセリアの心配をしている間に、セツとシオが矢を射掛けていた。

 猩々に真っすぐ飛んで行った2本の矢を、猩々は投擲後の腕を前に振りぬいた体勢のまま、更に腰を深く捻って体を半身にして回避。


 それどころか背中側を通り過ぎる矢の一本を逆の腕でつかみ取りながら、木の上を鉄棒のようにグルッと回転して威力を吸収してまた元の位置に戻った。


 俺も遅れて矢を射かけるが、猩々のもう片方の腕を前に突き出して掴み取られた。

 猩々は矢をぐっと握りしめいとも簡単にへし折ってこちらに見せつけるように地面に落とす。猩々はニタリと笑って枝を支点に後ろにぐるりと回転して勢いをつけ、そのまま別の枝へと飛び移った。


 途轍もない反応速度と身軽さだ。それにこちらを馬鹿にするようなあの笑い、確かにセツの言うとおり面倒な相手のようだ。

 当たらないのならばとにかく撃ちまくれ、と次の矢を放とうとするが、木から木へと次々に飛び移っていき中々狙いがつけられない。

 猩々はこちらが狙いをつけられないでいる間に、木々の奥へと飛び去ると、あっというまに見失ってしまった。


「やっぱり面倒」

「あの様子だと逃げたという訳ではなさそうだね」

「あいつは何で俺達を襲ってきたんですかね」 

「わかりませんねぇ。でも聞くところによると猩々は意味もなく生き物を殺して喜んでいる所を見た人がいるらしいです」


 虐待趣味の猿とはまたとんでもない生物だ。だが野生動物が他の生物を遊びでなぶり殺すのは、地球でもシャチなど特に知能が高い生物に見られる行動だ。

 やはり猿の見た目通り頭がいいのだろう。

 猩々が見えなくなり、4人で別々の方向を向いて警戒に当たる。

 時折木の上からガサリと音が立つのでまだ近くにいるのは間違いない。


「くっ!」


 また石が俺に向かって飛んできた。

 投げるには重く大きすぎる石だ。俺の膂力では受け止めたら最後、衝撃で盾代わりの剣を持った腕が駄目に成るに違いない。

 なので俺が取れる選択肢は回避の一択だ。

 俺は地面にしゃがみ込んで回避する。石は俺の頭上を突き進み、髪をかすらせて地面にドスンと言う鈍い音を立てて突き刺さった。


 一歩間違えば俺は死んでいただろう。

 俺は今更ながらこれが命のやりとりだと思い出す。

 理解しているつもりではいた。だが、実際に殺し合いをしてみてどうだ。

 死と限り無く近い位置にいる恐怖が俺の体を侵食し始める。


「後ろ!」


 一際強くガサッと音がなった瞬間、セツが叫ぶ。

 俺は振り向くことなく、勘で体を投げ出した。

 誰に向かって言っているかは分からないが、もしまた俺が狙われていた場合、振り向いて確認している暇などない。

 案の定、俺が元いた位置に石がめり込んだ。

 この中では俺が一番弱いという事を見抜かれたのだろうか?


「またっ! っかよ!」


 また俺の方へと石が飛んできた。

 次もだ。その次も。

 俺はその度に体を投げ出し、何とか回避する。

 やはり俺が狙われている。その事実に背筋が凍って喉が乾く。心臓が強く脈打ってうるさくて仕方がない。


 俺はこの数十秒の間に何度死にかけたんだ?

 ひたすら俺に対して猩々は石を投げ込み、俺はそれを避ける。

 もう数えるのはやめるほどこのやり取りが続いているが、奴は全く俺狙いをやめる様子はなく、俺は避ける事しかできない。


「大丈夫ぅ? まだやれそうですかぁ?」

「はぁ……はぁ……まだ……大丈夫です……」


 正直言うとかなり辛い。だが、なけなしの男としてのプライドが弱音を吐く事は許さなかった。

 恐怖と何度も行われる死のロシアンルーレットに、体力が何時もの何倍もの速度で削られていく。


「このままいくと、僕達はともかくミナトが持たないね」

「仕方がない。私が木に登って追い立てる。その間にミナトを逃がす」


 悔しいが俺が足手まといなのは事実だ。

 弱いが故に狙われ、どんどん追い詰められていく。

 もしこれが狙われているのは他の三人だとしたら、危なげなく石を回避して戦士の到着を待つことができただろう。

 だが俺がガチガチになりギリギリの所で回避してどんどん体力が奪われていく。

 このままではいつ避け切れなくなってもおかしくはない。


 セツが槍や矢筒等装備を手放す。

 残ったのは解体用のナイフのみ、彼女はこれから奴のフィールドに自ら飛び込もうとしている。

 セツはとても身軽だ。

 以前に彼女がサーカスの空中ブランコや忍者のように、木から木へと飛び移っているのを見たことがある。


 セツはその時のように木に登り、猩々を追いかけようとしているのだろう。

 だがいくらセツの身体能力が高いとは言っても、所詮それは真似事で、木の上で生活するために進化してきた生物に勝てるとは思えない。

 それはセツもわかっているんじゃないのか。

 ではなぜそんなことをしようとしている?


「待てよ……」


 俺のせいで。

 いらぬ危険を犯そうとしている。


 いいのか?


 俺は経験が浅いからと、初心者なんです、と言って甘やかされていいのだろうか。

 現代日本ならばそれで良かっただろう。優しい世界でみんな手を取り合い、助け合って育てていく。

 素晴らしい。死にはしないし、助けた人をいつか成長した自分が助けることが出来る。


 この世界では?


 俺は生き残るかもしれないが、助けた人は死ぬ。


 勿論、優れた狩人であるセツは死なないかもしれない。だが俺のせいで確実に死の確率は何倍にも膨れ上がる。

 それでいいのだろうか?

 否。それは良くない。人としても男としても命の責任は他人に賭けさせるべきではない。


「はぁ……俺が……はぁ……川の向こうに……行く」


 問題なのは俺が狙われているという事。

 猩々は速い。普通に森の中を走るだけでは逃げ切ることはできない。

 ならば川を渡って猩々の攻撃が届かないところまで行けばいい。

 川を渡る際は機動力が大幅に下がって無防備になる。だが、木を伝って移動する奴は追いかけて来れなくなるだろう。


 かなり危険だ。だが俺の命のための賭けにベットするのは他人ではなく、俺自身の命ではなくてはならない。

 俺は覚悟を決める。


「無理だね」

「無理でしょうねぇ」

「意味が無い」

「…へ?」


 俺の命を賭けた提案が満場一致で否決される。

 俺はポカンとしたところを、また石が投げ込まれギリギリで回避する。


「これくらいの川の幅じゃ、あいつはやすやすと飛び移るだろうね」

「一人きりになったらいよいよ直接襲われるでしょうねぇ」

「……はい」


 どうやら俺の考えたことくらい彼女達も考えていたらしい。俺が少し気落ちしているとセツが口を開く。


「でも悪くないかもしれない。川を渡る際は姿を表す。セリアなら落とせる?」

「んー飛び出す位置をある程度絞れれば行けるかもしれませんねぇ」

「なら後は賭けに出る。もしセリアの魔法範囲外であいつが川を渡ったら、弓でカバーする。当てられるかは分からないけど」

「了解」


 トントン拍子で話が進んでいく。

 幼い頃からは一緒に育ってきた彼女達の信頼関係があっての事なんだろう。


「そういう訳でミナトは川を渡って。後は私達がやる」

「ふぅ……任せてくれ」


 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 セツが命を賭けようとしたんだ。俺が怖がってる場合じゃない。頼もしい三人を見ていると不思議と恐怖が和らいだ。

 先程まで俺の体に絡みついていた恐怖は消えたわけではない。

 ただ俺の体を支配する感情が責任と信頼で置き換わったのだ。


「行きます!」


 俺は川に飛び込む。水深は深くなく腰くらいまでだ。

 だが俺の機動力を奪うのには十分な量でもある。


「潜って!」


 セツの声で咄嗟に川に潜り込んだ瞬間、背中に衝撃が走った。

 空気が肺の中から吐き出され、水を飲み込んでしまう。

 慌てて俺は水面に顔を出す。どうやら石をぶつけられたようだ。潜ったことで水が威力を減衰してくれたようでダメージはそれほど無い。


 俺はまた前へ進む。

 それほど広くは無い川だ。俺は二投目を受けることなく川の対岸に到着した。


(渡れた!)


 後は猩々が釣れるかどうか。


 ガサッ

 揺れたのは、左側。

 左から右へと音は移っていく。


 来い。


 ガサッ

 揺れたのは、右側。

 右から奥へと音は移っていく。


 来い。


 ガサッ

 揺れたのは右の奥の方。

 次の音は正面の方からだ。


 来い。


 ガサッ

 揺れたのは、正面。

 

 来た。


 猩々が俺達の正面の木から飛び出してきた。

 このまま行くと、放物線を描きながら悠々と川を超え、俺の頭上を越えるだろう。


 だがそうは行かない。


 セリアの体から大量の赤い粒子が吹き出す。

 大量の粒子は頭上で滞留し、空中に機雷源の壁を作り出す。


 かなり広い壁だ。範囲は十mくらいだろうか。

 猩々の憎たらしい笑顔が崩れたのを俺は見た。

 この粒子に触れればどうなるか? 先程の石がどうなったのか覚えているのだろう。


 猩々が手足をバタつかせるがもう手遅れだ。空中で極端な移動などできるはずもない。

 なすすべも無く赤い粒子に突っ込んだ猩々は爆発した。


 川を飛び越えようとした猩々の体は、炸裂魔法による爆発で勢いを完全に殺され、セツ達の前まで跳ね返るように落ちた。

 白い体毛をブスブスと焦がして倒れ伏す猩々に、シオとセツが飛び出す。


 シオは槍を、セツは剣を手に持っている。


 猩々は上体を起こし、苦し紛れに腕を振るうが、シオが猩々の間合いの外から槍を振り下ろして、猩々の頭を撃ちすえる。

 やや遅れて、セツが空振りして突き出された猩々の腕に、剣を上段から歯を食いしばって振り下した。


 猩々は脳を揺らされてフラ付きながら、身を護るように手を差し出しすが、その腕はセツにより断ち切られた。

 猩々が苦痛の声を上げる。

 それでも狩人達の攻撃の手は緩まらない。

 シオが今度は横から槍をフルスイングして猩々の後頭部を打つ。

 猩々が衝撃で体をくの字曲げ、地面に手を突く。


 四つん這いとなった猩々。首を垂れる猩々の横には剣を構えたセツが待ち構えていた。

 猩々は処刑人に対して首を差し出す形になる。

 セツが振り上げた剣の正面、それはまさに断頭台。


 猩々の腕を切断したセツの斬撃は、猩々の体毛や骨で止まることはなく首を切断した。

 猩々の頭は血圧により吹き飛び、離れた位置に落ちる。

 猩々の体は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

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