9話 女は強し
「お兄ちゃん!ミナトさん来たよ!」
「こんばんは」
「ぜぇ…ミナ…ぜぇ…トか……」
カオリが息も絶え絶えな様子のタロウにタオルを持って走り寄る。
俺もその後ろについていきタロウに挨拶する。
暗くてよく見えなかったが、近づくとタロウの様子がうっすらと見えるようになった。
タロウは雪が積もる冬だというのに、汗をぐっしょりとかいていて、靴は泥まみれ、上着を脱ぎ棄ててシャツ一枚という軽装だ。
彼から発せられる熱気は地面まで伝わっているようで、あたり一面はタロウによって踏まれた雪は水になり、土がむき出しになって泥になっている。
こうなるまで一体どれほどの間そうしていたのだろうか。
タロウの疲労具合は、明らかに無酸素運動の領域まで自分を追い込んでいる。
「タロウさん、凄い追い込み今日はどんな訓練をしたんですか?」
タロウは俺の問いに、しばらく荒い息を整うまで深呼吸してから答える。
「少し素振りをしていただけだ」
タロウはカオリからタオルを受け取って汗を拭いている。
その顔は本当に取るに足らない当たり前の事をしているという顔だ。
だけど今はその詳細が知りたい。
まだ出会って二日だが、なんとなくこの男の事が分かってきた。
真面目、一途、素直。
目標に向かってひたすら努力を惜しまず、自分の決めた道を真っすぐに走り抜ける。
日本のクラスメイトにもこういう人種はいた。
野球やサッカーなど部活動で本気で全国へ行くつもりで努力している人達。
そもそも試合に出られるかすらわからないのに、それでも夢に向かって愚直に努力し続けるその人達とタロウは同じなのだ。
もしタロウが日本で生まれていたとしたら、きっと今と変わらず、なにかに向かって努力していただろう。
だからこそ俺は疑っていた。
現代のスポーツ界では常識になっているオーバートレーニング症候群ではないのかと。
「タロウさんは訓練を休む日とかあるんですか?」
「ない、オレはそんな怠け者ではない」
「それは……凄いですね……」
「男として当然の事だ、そんな大したことではない」
俺の賞賛の言葉に、口ではなんでもないようなことを言っているが、顔が少し緩んでいて嬉しそうだ。
だが俺の中でタロウがオーバートレーニング症候群の疑いが強くなってしまった。
「太郎さんの訓練内容詳しく教えてもらえませんか?僕がしてる訓練内容も教えるので」
「いいだろう。サンの村との訓練方法の違いを知れるのはオレもありがたい」
そうして語られるタロウの訓練内容は過酷の一言だった。
朝早くから昼まで師匠のもとで槍や剣を持っての組手、師匠とはそこで別れてから自主訓練に入る。
訓練場を倒れるまで全力走でのシャトルラン。
木刀ではなく、本物の剣を使っての素振り。
ダンベルなどを使っての筋力トレーニング。
一つ一つは非常に有用なトレーニングを行っている。
その全てを自分に負けることなく全力で行い、暗くなるまで追い込み続ける。
毎日。
休まずに。
鍛えれば鍛える程、宿る大地の加護が強くなるこの世界の住人が、オーバートレーニング症候群になるかはわからない。
オーバートレーニング症候群とは筋肉を適度な休息をとることなく、過度に鍛え続けることで肉体が傷つき、慢性的に疲労状態に陥る症状の事だ。
だが、大地の加護、つまりマナは肉体に宿るといわれている。
狩猟衆達の事を見ていると、筋肉質であったりグラマーな人ほど、力は強く、魔法の使用回数が多くなる傾向があるため、マナは確かに存在する物質で、筋肉や脂肪に蓄積するものなんではないかと俺は考えている。
人体の構造は俺自身にも大地の加護が宿っていることから、地球人とほとんど変わりがないと思われるので、この世界の住人にも『鍛えすぎて弱くなる』事があるのではないだろうか。
訓練を手伝うといった以上、この知識を伝える義務が俺にはある。
「タロウさん、しっかりと休む日は設けるべきだと思います。」
「…?訓練をか?」
「はい、人の体っていうのは「できるわけがないだろう」」
「えっと……」
静かで、でも激しく俺の言葉を遮ったタロウに俺は驚く。
タロウは先ほどの機嫌のいい様子とは違い、眉にしわが寄り、歯を食いしばっている。目は真っすぐと俺の目を射抜き、何かに耐えるように震えている。
「オレは……オレには休んでいる時間なんかない!」
握られた手から地面に血が落ちる。
タロウは今何を感じているのか。
怒り?悔しさ?情けなさ?
あるいは全てか?
「ミナトまでオレが戦士になれないっていうのか!協力するといったあの言葉は!なんだ!嘘か!」
「違います!俺はただ強くなるアドバイスをしようと思ったんです!」
「じゃあなぜ訓練をやめろと言うんだ!」
タロウの言葉に熱を帯びる。何度もタロウに説明しようとするが、俺の言葉はタロウに全く伝わる様子がなく、俺も徐々にヒートアップしてしまう。
暫く不毛な言い争いが続く。
「やめて!」
雪が積もる晴れた夜、言い合いう俺たちの間に幼い声が割って入る。
男の大声の中でもよく通る声だ。
「お兄ちゃんもミナトさんも喧嘩しないで!」
「カオリは先に帰ってろ!」
言い争いに割って入ったのはカオリだった。
カオリは怒鳴るタロウに涙を蓄えながらも気丈に立ち向かう。
止められて更にヒートアップするタロウだが、カオリも一歩も引かない。
「お母さんに言いつけるよ!」
「う……」
戦士へなるために日々努力を続ける彼は、努力しても結果が出ていない現状を誰よりもわかっているはずだ。
周りから向いていないと言われている事が、先ほどの発言からわかる。
それでも諦めることができない夢が戦士になるということなんだろう。
つまり戦士になる事はタロウにとって夢であり、トラウマ。
俺の発言はそんなタロウのトラウマに刺激してしまったらしい。
そのタロウがお母さんの一言であっという間にひるんだ。
「いや…カオリ…これは譲れないことなんだぞ……」
「知らないもん!喧嘩は駄目なんだから!」
やはりこの世界の女性は強い。
怒ったタロウをひるませる母親もそうだが、10歳の少女が泣きながらも引くことなく喧嘩をとめようとしているのだ。
カオリはまだ幼いが紛れもなくこの世界の女だ。
「タロウさん、一度落ち着いて話を聞いてもらえませんか?」
「お兄ちゃん!」
「……わかった」
カオリの説得もあってタロウはやっと俺の話を聞く冷静さを取り戻してくれたようだ。
カオリが作ってくれたこのチャンス、無駄にするわけにはいかない。
「俺はあなたに協力する事について嘘を言ったつもりはありません。
タロウさんは恐らくオーバートレーニング症候群だと思われ「ミナトさん!もうごはんの時間なの!難しい話はまた明日にしてください!」」
「はい……」
10歳の女の子に怒られてしまい、俺も意気消沈する。
「タ、タロウさん、明日の朝は時間はあります?」
「あ、ああ、明日の朝もここで師匠と訓練する予定だからここに来てくれたら話せる」
「じゃあ明日の朝また話しましょう」
そうして微妙な空気のまま、俺は二人と別れた。
明日は仕事に遅れることを伝える必要ができたため、再び火事場に足を向ける。
とりあえず昼までにタロウとの用事を済ませるようにしよう。
翌日、俺は約束り訓練場に来ていた。
今日はなぜかセリアもついてきている。
昨日の夜、寝る前の雑談で俺がタロウと喧嘩したことを話すと、面白がってついてくると言い出したのだ。
ちなみにセツは最低限の会話はしてくれるがよそよそしい態度で、シアと一緒に狩りをしに冬の森へむかった。
ジークはというと、部屋から出てきていないため何をしているのかわからない。
セリア曰く、昼間は訓練をしに外に出ているらしい。…昼間は。
訓練場には武器を持った女性達と3人ほどの男が集まっていた。
勿論、男のうちの一人はタロウだ。
「おはようございます。タロウさん。」
「ああ、おはようミナト、昨日はすまなかった。オレとしたことが冷静さを欠いていた」
「いえいえ、そんな謝らなくても大丈夫です。タロウさんにも譲れない思いがあるのは伝わりましたから」
「この方がミナトさんの話を勝手に盛って、勝手に怒ったタロウさんですかぁ?」
「セリアさん?!」
朝の挨拶をして昨日の件を謝罪するタロウに、セリアはニコニコと聖母のような笑いを浮かべながら毒を吐いた。
せっかく仲直りしようという時にこの人は何を考えているんだろう。
見事なまでの不意打ち、この出会い頭の一撃にタロウは面食らっている。
「た、確かにオレがタロウだが……」
「負けたくせに勝者の助言を頭ごなしに否定するなんて情けないですねぇ~」
「やめてください!セリアさん何言ってるんですか?!」
これではまるで俺がタロウの悪口をセリアに言ったみたいになってしまう。
慌てて止めようとする俺にセリアは、ニコニコ笑顔のまま、ぐりんっとこちらに振り向いた。
「ミナトさんもミナトさんですよぉ?私の男になるのなら敗者に対して媚びへつらわないでください」
「別に媚びへつらってるわけでは……」
「強い者には弱者を率いり、導く義務があるのです。
ミナトさんはいずれ多くの人を率いる戦士になるでしょう。
今のうちから立ち振る舞いには気を付けて欲しいですねぇ。」
「それは…ちょっと……」
ニコニコと笑いながらおっとりとした口調で語られる言葉は途轍もなく重い。
正直そんな責任を俺に押し付けられてもピンとこないし、強いやつが弱いやつに偉そうにするとかパワハラな感じがしてとてもいいとは思えない。
セリアの謎の説教が続き、男二人はただ小さくなるのみ。
だがそこに割って入る救世主が現れた。
「面白そうな話してんじゃねえか、タロウ俺も混ぜてくれよ」
「あ、師匠!」
その人物は話に聞いていたタロウの師匠らしい。
タロウの師匠は野性的な印象を受ける女だった。
背の180㎝ほどだろうか、女性としては身長が高くガタイもいい。
片目を眼帯で隠し、髪は短く刈り上げて坊主に近い。
肌はこの辺りでは珍しい事に浅黒く焼けていて、身にまとった厚い毛皮の服の上からでも胸が大きく膨らんでいる。
「こいつがどうしたって?」
「いたたた!師匠!離してください!
タロウの師匠はタロウに近寄るとその頭を鷲掴みにした。
タロウの頭からミシミシと音が鳴り、タロウは痛みから逃れようと師匠の手を振りほどこうとするがびくともしない。
「俺はミナトっていいます。昨日少しタロウさんと意見の食い違いがありまして……」
「お前がミナトってやつか、話は聞いてるぜ。
こいつの婚約者を奪った男だってな」
「違いますよ!…結果的にそうなっちゃいましたけど……」
「俺はアニルっていうんだ。ちょっと話聞かせてくれよ」
タロウにアイアンクローを決めながら二カッと笑ってくるアニカ。
この世界の女は笑顔の使い方を間違えていないだろうか。
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