8話 鍛錬
悩もうが唸ろうが時間は過ぎていく。
時間が経てば動かなければならないのが人間だ。
腹は減るし、食えばうんこをする。
その飯を食うのにも働かなければ死んでしまう。
昨日は部屋に戻ると、セツは悲しいことなど何もなかったかのように「おかえり。」と言い、寝るときは「おやすみ。」と言った。
「告白は上手く行ったかい?」
「やっぱりセツちゃんが本妻になりそうですねぇ。」
「いや…そんなんじゃないですよ……。」
セリアの発言からして、どうやら二人にはセツが村を出ることは伝わっていないようだ。
姉妹のように仲のいい二人にさえ伝えていないなんて、セツはどんな気持ちなのだろうか。
(泣くほど辛いはずなのに……。)
「順番がつかえてるんだから早く一人前になってほしいな。」
「私も早くしないと行き遅れになっちゃうしミナトさんには期待してますよ?」
「ええと…頑張ります。」
シオは17歳、セリアは18歳、日本人的感覚でいうとまだまだ若いのだが、この世界では15〜20歳までには結婚しているのが普通らしい。
俺は15歳、まだまだ結婚は遠い事だと思っていたが、もう他人事ではないのだ。
そんなやり取りを俺達がしている時にはセツはベッドに入っていた。
ベッドで横になるセツは背中しか見えず、何を思っているのか伺い知る事はできない。
そして夜は更け、朝が来る。
俺は約束がある。
なのでガリアの鍛冶場へと向かう。
鍛冶場の前に着く。
扉をあける。
そして顔面目掛けてハンマーが飛んでくる。
「うお!」
俺はあまりの出来事に、ボケッとしていた頭が一瞬で覚醒した。
頭を反らしてギリギリで回避すると、横目で腕を振り抜いたリタが見えた。
「ちっ!」
「……忘れてた……。」
完全に忘れていた。
俺は昨日リタの誘いを袖にしたんだった。
当然リタは怒っている様子でまるで親の仇でも見るような目で俺を見ている。
「リタさん昨日は……。」
「ふんっ!」
昨日の事を謝ろうと話しかけようとすると、リタはそっぽを向いて奥の部屋へ入って行ってしまった。
あまりの事態に口を開けて愕然としているとガリアが入れ替わりで部屋から出てきた。
「ミナトどうなってんだ、昨日リタと何かあったのか?
あいつに何があったのか聞いても逆切れしてきて手がつけられん。」
「え~と…まあ…少し喧嘩のようなものを……。」
俺の言葉を聞いたガリアの気配が変わる。
目が吊り上がり、筋肉は膨れ、髪が逆立つ。
気配どころではない。明確に見た目からして怒っている。
感情の高ぶりが見た目に変化を与えるのは、その身に多くのマナを宿す証だ。
ガリアは戦士ではないが、毎日、何十年、鉄を叩き続けたこの男の筋肉に宿ったマナは俺をはるかに凌駕するだろう。
もし次の言葉を間違えれば、その右手に持ったハンマーで襲い掛かってきてもおかしくない。
「お前…リタに何かしやがったのか?」
「何もしてません!本当です!訳は言えませんが何もしてないから怒られたんです!」
「はあ?そんな訳の分からない言い訳で何とかなると思ってんのか?!」
まずい事になった。
リタが誘惑してしてきて俺が袖にしたなんて言えるわけがない。
こんなことリタの父親であるガリアに正直に話せば、リタにこれ以上の恥をかかせてしまうことになる。
童貞の俺には全くいい言い訳が思い浮かばない。
できることはパクパクと言葉にならない声を上げることだけだ。
今はマッチョになりつつあるとはいえ、冴えない高校生だった俺にはこの状況はつらい。
こういう時は筋肉は何も助けてくれないのだ。
だが、困っているときには助けがあるものである。
「親父!なにしてんだ!別にあたいは何もされちゃいないよ!」
俺たちに割って入ったのは俺が恥をかかせた本人であるリタだ。
俺たちの叫び声を聞いたのだろう。
奥の部屋から出てきたリタは、その意志の強そうな目をさらに吊り上げ、ガリアを睨みつけている。
「じゃあ何でお前はそんなに機嫌が悪いんだ!こいつとなにかあったんじゃないのか!」
「あたいの求婚が断られただけだよ!これ以上恥かかせんな!」
(あ、言っちゃっていいの?)
俺が気を使っていたのは余計なお世話だったんだろうか。
いや、やはり俺から言うべきことではないだろう。
ただリタが自分を振った男に、怒りながらも気を使える素晴らしい女性だっただけだ。
「ミナト!うちの娘の何が不満なんだ!」
「ええと…はい……申し訳ありません。」
「謝んな!余計惨めになんだろうが!」
鍛冶場がギャーギャーと愉快な声が響き渡る。
程なくして他ならぬリタの説得もあり、ガリアの怒りを納めることができた。
「…ありがとうリタさん。」
「……ふん…。」
リタの言葉でガリアから放たれるプレッシャーは萎み、怒り現れていた体も元に戻る。
もし先にセツとあっていなければリタに惚れていたかもしれない。
「まあそういうことなら…仕事始めるぞ。」
俺が命じられた初仕事は、掃除、水くみ、そして炉に空気を送り込む作業だ。
炉にはハンドルを回すことで風を送る自分の身長程の大きさの、カタツムリの殻のような丸い形をした送風機が取り付けられている。
中心部からハンドルが伸びており、これを回すと炉に空気が送り込まれる。
中の様子はわからないが、聞こえて来る風切り音からして、明らかに自分が回すハンドルより多く回っている。
もしかしたら歯車でも付いているのかもしれない。
それにこれだけの回転するということはベアリングもあるのかもしれない。
「もっと回せ!熱下がってんぞ!」
「はい!」
鍛冶場は、雪が降り積もる季節にも関わらず灼熱地獄になっていた。
炉の中の温度を上げるため、俺は送風機を回し続けると、部屋の温度も上がって汗が吹き出してくる。
当然、炉の温度など素人の僕にはわからない。
ガリアが炉へと繋がる送風口を、仕切りで狭めることで送り込む空気を調整して温度を調整している。
木炭が真っ赤に燃え上がっている。
火を見るガリアの目は真剣だ。俺に対して怒った時くらい真剣だ。
時折炭を書き出したり、中に戻したりしている。
ようやくガリアは炉の温度に満足したらしく、棒に乗せた穴が沢山空いた石を炉の中に突っ込んだ。
石は熱され赤くなると炉の中から取り出し、並べられたハンマーでは小さい方で叩き始めた。
石はガリアの手により形を変えて薄くなっていく。
ただ赤くなった石を叩いているだけ、だがそこには確かな経験と技術に裏打ちされた物があるのだろう。
魔法のように形を変える石に俺は目が離せなくなった。
後ろではリタも食い入るようにガリアの手元を見ており、どんな技術も見逃さまいという気迫に溢れている。
この親子はやはり職人なのだろう、先程までの騒動は忘れ、今はただ目の前の仕事にのみ意識を割いている。
決して仕事に対して妥協しない。
そういう意思を感じる。
(この人が俺の剣を打つのか……)
ジークが何故俺に手伝いをさせようとしたのかわかる気がする。
きっと俺の命を預ける相棒をどんな人が、どういうふうに作っているのかを見せたかったのだと思う。
その後、様々な工程を経て一本の鉈が作られた。
「まあこんなもんだろ。」
その鉈は太く、分厚く、無骨だ。
だが美しい。
きっとこの鉈は折れず、曲がらず、どんな時も主を裏切らない。
「ガリアさん凄かったですね。
よくわからないけど動きの一つ一つに意味があるって感じられて見惚れました。」
「そうだろ?あたいも色々作ってきたが親父には全く敵わねえよ。」
仕事が終わり、リタと二人で帰路につく。
すっかりリタは機嫌を直してくれたようで、父親の凄さを嬉々として語ってくれる。
その様子からガリアの事を、父親としても職人としても尊敬しているのが伝わってくる。
一緒に暮らしていない上のない、何人もいる女の内の一人の娘のだ。
こういうと日本の価値観でいうとガリアはクズ男だ。
だがガリアはこうやって尊敬も愛されてもいる。
日本の価値観を持っている俺も、将来何人もの嫁を貰ったとき、皆を愛せるのだろうか。
この世界は本当に不安な事ばかりだ。
「じゃあここで。」
「あ…あのよ……。」
リタの家と俺の宿の分かれ道。
俺が別れの挨拶をしようとすると、リタが恥ずかしそうに口を開いた。
「家で飯でもどうだ?は…腹減った…だろ?」
リタは目をそらし、両手を前で握ってもにゆもにゅと動かしている。
なる程、これがギャップ萌えというやつか。
だがここでOKしてしまえば俺が晩飯になってしまう事は確実だ。
「ごめんなさい。待っている人がいるので今日は帰ります。」
「そっそっか。わりいな…呼び止めちまって……。」
俺の断りにリタは、さも何でもないですよという声を装おうとして失敗したような声を出す。
暗くてよく見えないが少し涙目になってる気がする。
喜怒哀楽が激しい人だ。
本当に可愛らしい。
「ではリタさん、また明日。」
「おう……」
リタは肩を落としてトボトボと歩き始める。
なんだろう本当に心が痛い。
これから毎日この痛みを味わわないといけないと思うと辛い。
断った俺も肩を落としてトボトボと歩く。
するとタロウと決闘した練兵場から風斬り音が聞こえる。
俺は興味を惹かれ練兵場を囲む柵まで近づくと、誰かはわからないが剣を振っている姿が見えた。
剣を振るたびに体は流れ、足取りも覚束ない酷いものだ。
「フラフラじゃないか……。」
恐らく疲労困憊なのだろう。
肩をゆらした人影からここまで息の荒さが聞こえてくる。
俺はどんな人何だろうと興味を持ち練兵場に入ろうとすると、誰かが道を歩く足音が聞こえる。
「あ!ミナトさん!」
「カオリちゃん?」
元気よく幼い声で俺を呼ぶのはタロウの妹のカオリだった。
こんな時間にどうしたんだろうか。
男性が少なく、皆顔見知りのような村において夜に女が出歩くのは珍しくはないのだが、こんな10歳くらいの子供が出歩くのは少し心配だ。
「カオリちゃんこんな時間にどうしたの?」
「お兄ちゃん迎えに来たの。」
「タロウさんを?ああそういうことか。」
練兵場で剣を振るのはタロウなのだろう。
そう言われてみれば背格好や、たまに聞こえるうめき声がタロウの物だ。
「偉いね。何時もこうやって迎えに来てるの?」
「うん!お兄ちゃん呼びに来ないとずっとずっと!こうやってるんだもん。」
「そうなんだ。お兄さんは頑張り屋さんだね。お兄さんはいつからこうやってるの?」
「えっと朝から師匠のとこに行って、狩りとかお稽古終わったらそのあとずっと一人でああやってるの。」
「毎日?」
「うん毎日。」
タロウのあの剣を指先のような繊細さで扱う技量は、この並外れた努力からきているのだろう。
己を叩いて叩いて何度も叩いて鍛え上げる。
そうして鍛え上げた肉体は自分を、女を守る剣となる。
だけどタロウ、叩きすぎると折れてしまうよ。
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