45時限目 反撃開始(1)


 イムドレッド離反から三十分前。 

 襲撃を間近に控えたロス・エスコバルの地下室に、ダンテの声が響きわたった。ガタンと誰が倒れる音と、ダンテの大声は戸口の前の見張りにもの耳にも届いた。


「誰か助けてくれ!」


「……なんだ、どうした」


 見張りの男が中に入っていくと、ダンテが絶望したような表情で仰向けに倒れているシオンを抱えていた。


 ダンテはシオンの身体を揺すりながら、必死の形相ぎょうそうで叫んでいた。


「持病の魔力硬化こうか症だ。お前ら、薬を持っていないか。手遅れになったらまずい……!」


「……ちっ、ちょっと待ってろ」


 普通の顔色ではないシオンを見て、男はくるりと背を向けた。その隙をついて、ダンテの手刀が男の首に飛んだ。


「……がっ!」


「一週間世話になったな。今日で帰ることにするよ」


 昏倒した男から魔導錠の鍵を奪いながら、ダンテは言った。隣で倒れていたシオンは顔についたペンのインクを、布団のシーツでぬぐった。


「先生も随分と古典的な手を使うんですね」


「人間の本質は変わらないさ。素人は見張りの交代間際になると、気がゆるむんだ。さぁ、他の奴らが来る前に。早く逃げるぞ」


「はい!」


 地下室を出て辺りの様子を伺いながら、ダンテは階段を上がった。いつもは何人ものメンバーがいるアジトは、がらんと人気がなかった。


「人、いないですね」


「襲撃の決行日だからな。ほとんど出払っている。イムドレッドにエレナを付けておいて良かった」


 監禁されていた一週間、ダンテは小妖精を使って、エスコバル襲撃の情報を集めていた。平手打ちした際に、イムドレッドの袖口にくっついたエレナは、計画の全体像を把握することに成功していた。


「中から情報を探れたのは僥倖ぎょうこうだったな。イムドレッドにお礼を言わなきゃいけない」


 襲撃の場所と時間。見張りが手薄になるタイミング。さらにはイムドレッドが裏切ろうとしていること。ここまではエレナからの情報通りだった。このままアカデミアまで逃げるようにというのが、イムドレッドからの最後の伝言だった。


 ダンテは裏口のドアを開けて、人通り少ない旧市街の通りへと降り立った。


「久々の太陽だ」


 登り始めた太陽を見てダンテは目を細めた。


河岸かがん倉庫はあっちだな。走るぞ、時間がない」


「はい……!」


 もちろん、二人はイムドレッドの言う通りにするつもりはなかった。河岸倉庫まで出向き、そこでイムドレッドを救出する。彼らの作戦はここからが本番だった。


 廃棄物のヘドロで汚れた川を横目に見ながら、廃墟となった建物へとたどり着いた。ずらりと立ち並ぶ倉庫の中のどれにイムドレッドがいるかは分からなかったが、響きわたる怒号と銃声ですぐに判別できた。


 B12倉庫。魔力の衝突が起こっている現場では、黒煙が立ち上っていた。


「イムドレッド、早まったな」


 ダンテの顔に焦りが浮かぶ。裏切りが悟られたのか、あそこで激しい争いが起こっている。シオンは顔を青くして、その現場に視線を送った。その肩を叩いて、ダンテは言った。


「……シオン、ここからが本番だ。イムドレッドのことはお前に任せる。必ず救い出して、アカデミアまで連れていけ」


「……必ず」


「必ずだ」


 シオンは自信無げに自分の手を握っていた。初めて命をかける感覚に、彼の脚はガクガクと震えていた。


 覚悟を決めていたはずなのに。

 死ぬかもしれない恐怖は、シオンの脚をにぶらせるのに十分だった。視界が狭まり、背筋が凍りつくような寒気があった。何もしていないのに涙が出そうになる。手脚が寒くなっていく。


「シオン」


 震える背中をバシンとダンテの手のひらが叩いた。いたっ、と思わず声をあげたシオンはダンテのことを見た。


「先生……」


「おまえしかイムドレッドを救えないんだ。分かるな?」


「……でも」


「どうしてここまで、あいつを追ってきたのかを考えろ。ここで立ちすくんでいたら、おまえは何も救えない。大丈夫だ、イムドレッドのへの道は俺が切り開く。おまえはまっすぐ走れば良い」


 ダンテはそう言って、シオンに深呼吸をするように促した。


「行けるか」


 息を吸って恐怖を吐き出す。

 一歩間違ったら死ぬ光弾の嵐。その中にイムドレッドがいる。迷っている暇はなかった。


「やります」


 シオンが頷く。


「よし」


 二人は倉庫に向かって走り出した。ダンテの予想通り、倉庫内では光弾が飛び交う激しい銃撃戦となっていた。シオンは倉庫の奥に脇腹をおさえて、血を流すイムドレッドを見つけた。


「イム!」


 彼に向かって叫ぶ。


 光弾の流れ弾が飛んでくる。魔光弾マドアスと呼ばれるそれは、魔導弾マドアの上位にある異界物質で、直撃すれば肉体をえぐるほどの殺傷力がある。


守護對天ガーディアン!」


 その光弾をダンテの魔導が弾く。前面に展開する白い膜のシールドは、敵の魔導をはじき返した。


「シオン、走れ!」


 言われずとも、シオンは脚を進めていた。目の前を飛び交う光弾を乗り越えて、彼は走った。今にも倒れそうな友の元へと一歩を踏み出していた。


 恐怖はもう無かった。


 イムドレッドを見た瞬間から、シオンの迷いは完全に立ち消えていた。


 まだ彼に言っていないことがあった。心残りがたくさんあった。シオンの脳裏に走馬灯がちらついた。


 僕の友達。最初の理解者。痛々しいその姿を見て、シオンは身体の一部が引き裂かれるような痛みに襲われた。自分が死ぬことよりも、イムドレッドを失うことがずっと辛かった。

 

(僕は君のおかげでこうして立っている。なのに、まだ何も返せていないんだ……!) 

 

 だから動け、脚。

 一歩でも速く。

 一歩でも近くに。


 シオンは恐れを押し殺して前へと進み、そして叫んだ。


「イム! こっちだ!」


 光弾の嵐の中を駆けてくるシオンの姿に、イムドレッドが気がついた。


「シオ……ン……?」


「ごめん! 遅くなった! イム、僕に捕まって!」


 彼を背中に抱えて、シオンは近くの窓ガラスを蹴破った。粉々に破壊して出口を作り外へと、勢いそのままに外へと飛び出した。


「どうして、ここに……? 逃げろって言っただろ……」


「君が戦っているのに、逃げるわけにはいかないよ」


「……バカだな」


「君ほどじゃない」


 痛む傷口に顔を歪めながらも、イムドレットは微笑んだ。


「なんか……ちょっと見ないうちに、たくましくなったな」


「そう? 筋肉はついたかも」


「いや、そうじゃなくて……」


 心の話だ。自分を助けに来てくれたシオンの背中を、イムドレッドはかつてないほどたのもしく思った。


「悪いな。勝手なことばかりして」


「謝るのは全部終わってからだよ。さ、これ飲んで。先生からもらった痛み止め」


「……さんきゅ」


 小瓶の液体を飲み干すと、幾分か身体が楽になった。止血の効果もあるらしく、流れる血の勢いは次第に緩やかになっていた。


 逃げようとする二人の姿にパブロフたちが気がつかないはずはなかった。襲撃者たちの猛攻をしのぎながら、エスコバルのメンバーはシオンの背中に照準を合わせていた。


「追え! 絶対に逃がすな!」


 次々と光弾が発射される。逃げる二人に向けて、殺傷能力のある魔光弾が飛翔する。ダンテはその矢面に立って、全ての光弾をはじき返した。


「貴様……」


「よ、久しぶり」


 二人が逃げ出した出口を塞ぐようにダンテが立ちはだかった。


「行かせないよ。あの二人に手は出させない」


「……正気か。どこへ逃げようが意味はない。お前らは俺たちの怒りを買った。必ず殺す。必ずだ」 


「知っている。だから、ここでお前らを完璧に潰す」


「おいおい、武器も持たない人間が何をふざけたことを抜かす」


 丸腰のダンテを見て、パブロフは唾棄だきするように言った。彼の主武器である剣は捕まえた時にとっくに破棄していた。


「そうか。これが見えていないのか」


「あ?」


 ダンテはゆっくりと手を動かした。緩慢な動きで何かをつかむ動作をするその手からは、青い火花が散っていた。火花は大きくなり、やがて閃光となって周囲に放たれた。


「なんだ……それは」


 パブロフが食い入るように見つめる一点。ダンテの手には一振りの刀が握られていた。


「ぶっ潰してやるよ。エスコバルもハイネもアルトゥーロも。二度と俺の生徒に手を出そうなんて思わないようにな」


 黒い刀の切っ先をダンテはパブロフに向けた。


 その刀身を輝かせているものが、光の反射でないことにパブロフは気がついた。ダンテから流れる魔力の奔流が、武器に力を与えている。


 否、もっとおぞましい。刀が魔力を喰っている。それでいて、目の前の男は平然とした顔をしている。パブロフはダンテという男の底知れなさを、改めて感じ取っていた。


「それは……異界物質、妖刀の類か」


「ご名答。異界レベルAプラスの特級モンだ。滅多にお目にかかれないぜ」


 パブロフの後ろからは、襲撃者たちが迫ってきていた。エスコバルのメンバーの一人が光弾に頭を撃ち抜かれて、脳漿のうしょうが飛び散った。


 倒れ伏した仲間の身体を見下ろしながら、パブロフは大きく舌打ちした。


「……つぐつぐ面倒臭い男だ。早めに殺しておくべきだった」


「そりゃお互い様だよ」


「はっ」


 ダンテの言葉にパブロフは吹き出すように笑った。心底おかしそうに笑い声をあげて、高らかに宣言した。


「よし決めた。まずお前から殺す。殺した貴様の生首に犬の糞を突っ込んで、アカデミアに送ってやろう。大層、壮観な光景だろうな」


「……やってみろよ」


 刀を構えて、ダンテはゆっくりと前へと歩を進めた。


「天下五剣の奇怪殺し、魔天童子切クライ・ドウジ


 真名マナの詠唱と同時に異界レベルAの負荷が、ダンテの身体にかかる。膨大な魔力がダンテの身体から刀へと流れ込んでいく。


「行け」


 ダンテは目の前の敵に向けて、その抜き身を振り下ろした。

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