28時限目 旧市街にて(3)
路地裏から移動して、二人は人気のない公園へと移動した。イムドレッドに制止されたパブロフは、意外にも大人しく仲間を連れて帰っていった。
「まぁ、どこかで盗聴はしていると思うけど。別にそこまで聞かれて困る会話でもないよな」
木のベンチに腰掛けながら、イムドレッドはふぅと一息ついて言った。
「しかし、無茶をする人だな。まさかこっちのアジトに直接乗り込んでくるとは思わなかった」
「こうでもしないと、会えなかった。時間がないんだ。退学の期限が迫ってきている」
「……あいつらは元気か」
イムドレッドは隣に立つダンテを見上げた。「まぁまぁだ」とダンテが答えると彼は嬉しそうに言った。
「そうみたいだな。あんたみたいなタフな教師が来てくれて嬉しいよ。前のやつはちょっとナイーブすぎた」
「苦労はしている。久々に人を蹴り飛ばしてすっきりした」
「はは、冗談に聞こえないね」
「本気だよ。それでイムドレッド、アカデミアに戻る気はないか」
その質問に彼は首を横に振った。ベンチに腰掛けながら、彼は薄いスモッグのかかる空を見上げた。
「無理だ」
「シオンに言われた。お前を学校に連れ戻して欲しいと。だが、アイリッシュ卿からは、状況次第では退学処分でも良いと言われた。イムドレッド、お前の考えが聞きたい」
「……今日はそれを聞きにここまで?」
「そうだ。お前の本当の気持ちを聞きにきた」
「は、本当にイかれてる」
苦笑いを浮かべて手を広げたイムドレッドは、ペンと紙を持っていないかとダンテに言った。ポケットに入っている小さなメモ用紙を渡すと、イムドレッドはさらさらと文字を書き込んで、ダンテに返した。
「これが答え」
「退学届……か。それで良いのか。せっかくアカデミアに入ったのに、辞めるという選択を選ぶんだな」
「あぁ、もともとついでみたいなもんだから。学校は絶対に行かなきゃいけないって訳でもないだろ。俺はブラッド家の人間だ。どこでも生きていける」
「それはそうだが……」
ダンテはイムドレッドに視線を落とした。感情を押し殺すのがうまく、同年代の生徒達よりもずっと大人びている。確かに彼なら、どんな状況でも生きていくことができる。
しかし納得できないことがあった。
「どうしてエスコバルに入った。あいつらと関わって良いことなんて無い。もっと良い場所なら、いくらでもある」
「……それは違うな、先生。確かにエスコバルはロクでも無い奴らだ。でも他のところに行ったところで、俺のやることは同じだ。知らない誰かを殺すこと。俺がブラッドの人間である限り、その運命から逃れられない」
「そこまで自分の未来を狭めることもあるまい」
「あるんだ。それくらいしか、秀でたものがないから。俺たちは誰かの血を流さずには生きていけないし、そういう風にして貴族まで成り上がってきたから。おかげで犯罪も見逃してもらえている」
イムドレッドはふぅと息をつくと、どこか諦めにも似た感情を見せた。
「エスコバルに入ったのは、利益があったからだ。確かな対価をもらえるから、あいつらの依頼を受けた」
「その対価とは?」
「言えない。個人的な話さ」
「……教えてもらえないか」
「無理だね」
ダンテは仕方なさそうに退学届を胸ポケットにしまいながら、「もう一つ質問がある」と言った。
「そもそもなぜ、アカデミアに入ったんだ」
「……さぁね。なんだったか。忘れた」
「後悔はしていないか?」
「後悔?」
ダンテは頷いた。
「学校に入ってみて、楽しかったか?」
その質問にイムドレッドは驚いたような表情でダンテを見上げた。
(……楽しかった?)
予想外の質問に、イムドレッドは自分の心が、少し揺さぶられるのが分かった。閉ざした
……いや、そんなことはない。この思いは決して誰にも理解されず、理解されてはいけないものだ。イムドレッドはそう納得し、ダンテに向けて笑ってみせた。
「悪くはなかった。それなりに楽しかったよ」
「そうか、それだけ聞ければ十分だ」
邪魔して悪かったな、と去り際に言ってダンテは歩き始めた。その背中に忠告するようにイムドレッドが声をかけた。
「あんた、しばらく旧市街に近寄らないほうが良い。たぶんしばらく物騒になると思うから」
「それはブラッドの血が関係しているのか」
「あぁ、たぶんな」
「……肝に
ひらひらと手を振って、ダンテは旧市街の大通りを歩いて行った。その背中が消えるまでぼんやりと見送った後、イムドレッドはベンチから立ち上がった。
タバコ、麻薬、マーケットの煙。
さまざまなものが混じり合い漂う薄いスモッグは、真っ暗な夜空を隠していた。この汚い夜の光景も、イムドレッドはだんだんと見慣れ始めていた。そこにもう星が見えないと分かった時、自分はもう後戻りできないのだと彼は気が付かされた。
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