17時限目 表と裏(2)


 フジバナは校庭に生徒たちを集めると、横一列に並べて授業を始めた。ラフなシャツに着替えた四人は、体育座りをして彼女の話を聞いた。


「今日は実践を交えながら、魔導を教えたいと思います。皆さん、準備はよろしいですか?」


「はーい」


「良い返事です。それではリリア・フラガラッハ、魔導の適正について説明して頂けますか」


 いきなり名指しされたリリアはピクッと肩を震わせた。


「えぇ……と。才能?」


「だいたい合っていますよ。正しい説明としては、本人の性格と、家系の血筋が大きく影響していると考えられています。こればかりは努力でどうにかなるものではありません」


 フジバナがやってみたほうが早いですねと言って、人差し指を突き出した。そこには一直線に切り傷が入っていて、血がにじんでいた。


「これは私が今朝、料理の際に切った傷です」


「先生、料理するんですね」


「たまにしかやらないと、こうなります」


「なるほど……」


 コホンと咳払いをすると、フジバナは「では」と言って、自分の指に向かって呪文を唱えた。


再活レイズ」 


 指の先がぽうっと光り輝く。そこから早回しでもするように、切り口が塞がっていく。数秒もたたずに、どこが怪我したか分からないくらいに傷が治癒していた。


「ごく簡単な治癒魔導です。治癒力を高める異界物質を召喚しています。魔導弾マドアとはまったく種類が違うことがお分かりですね。神秘としてのあり方が違うのです」


「神秘としてのあり方。それが適正と関係しているってことですね」


「その通りです。防御魔導として知られる守護對天ガーディアンもそうですね。あれは術者を守ってくれる異界物質を一時的に召喚しています。さて、そこで、マキネス・サイレウス」


「……はい……」


「魔導をコントロールには何が必要ですか? 思った通りの魔導を取り出す際に必要なものはなんですか?」


「……異界物質の真名マナ……」


「正解です」


 フジバナは満足そうに笑みを浮かべた。


「レイズ、ガーディアン、あるいはマドア。これらは全て異界物質の本来の名前です。彼らの真名マナと正しいイメージで放つことによって、異界物質は魔導として成るのです。真名の獲得には、数多くの偉人たちの苦労がありましたが、ここでは省きます。何が言いたいかというと、真名を知っている時点で、私たちが魔導を放つ準備はほぼ整っているのです」


「真名さえ知っていれば、誰にでもできる?」


「そこで適性が問題になってきます。本人と異界物質の間で、乱暴に言えば、性格が合わなかったり、あるいは実力が不十分だったりすると、異界物質は何も応えてくれません」


 フジバナは言葉を続けた。


「では早速魔導を試してみましょう。ジオ……シオン・ルブラン」


「は……はい!」


「唱えてください。守護對天ガーディアンと」


 おずおずと立ち上がったシオンは、フジバナに言われた通りに呪文を唱えた。


守護對天ガーディアン


 シオンの目の前にクラゲのような白いモヤモヤが現れる。雲のように浮かんだそれは、ミミが「ニャ」と爪でひっかくとパチンと消えてしまった。


「ありゃあ……」


「最初にしては上出来ですよ。何度もやるうちにより鮮明な形で現れるようになります。要は慣れです。しかし体力は失われるので気をつけてくださいね。魔導の発動と対価に、私たちの体力の一部が消費されているので」


 一通りの説明を終えたところで、フジバナは全員に促した。


「では、皆さんやってみてください」


 一列に各々が呪文を唱える。

 ほとんどはシオンのようなふわふわとしたクラゲのような不安定な形だった。宙に浮かんだものが、すぐに消えていく。


「ミミが一番安定していますね。防御魔導は特にコントロールが大事です。どう展開するかのイメージを明瞭にしてください」


「イメージ……イメージ……」


 それぞれが繰り出す守護對天ガーディアンの魔導は徐々に良くなっていた。大きさなどはまちまちだが、鍛錬を重ねていけば、防御盾として十分機能するだろうとフジバナは見込んだ。


 ダンテが言った通り問題は、彼女一人だった。


「……できない……」


 ぼとり、とマキネスの手からタコの足のようなものが出現する。もぞもぞと床をうごめいたその触手は、次から次へとマキネスの手から出てきていた。


「……守護對天ガーディアン


 ぼとり。


「……守護對天ガーディアン


 ぼとり。


「……守護對天ガーディアン


 ぼとり。


 落下した触手はうねうねと元気に地面でうごめいていた。生き物のようにマキネスの足元で跳ねている。


「これは……」


 フジバナにとっても初めて見る光景だった。


「元気な触手ですね。マキネス、昔からこうなんですか?」


「……はい……ごめんなさい……」


「謝る必要はありません。さっき言った通り、向き不向きはありますから」


「向き……不向き……」


 俯いたマキネスは、ちらりと他の三人を見た。ちょっとずつだが、彼女たちの魔導は形になり始めていた。


「いえ、やります」


 このままだと置いていかれる。マキネスの表情に焦りが出ていた。

 より正確に慎重に、力をこめて魔導を唱えた。彼女の髪が逆立ち、辺りの草がざわめいた。彼女が発露はつろした魔力は他の生徒たちと比べると、規格外のそれだった。


「……守護對天ガーディアン……っ!」


 だが防御魔導は発動しなかった。

 代わりに現れたのは、今までより大きな触手。地面に落ちた巨大なそれは勢い良く、水にあげられた魚のごとく暴れ始めた。


「うひゃああああ!」


 隣にいたリリアの身体を掴んで、宙高くに連れ去っていく。逆さまになったリリアは右へ左へブランコのように揺らされていた。


「ちょっと、マキネスー! おーろーしーてーー!」


「……ごめん……えっと……」


 戻し方が分からない。

 うろたえた様子のマキネスはぺちぺちと触手を叩いた。しかしうんともすんとも言わない。


「失礼」


 フジバナが剣を抜き、触手を根元から一閃する。「わああ」と叫びながら、落ちてきたリリアを両手でキャッチした。リリアの身体は触手の粘液ねんえきでぐっしょりと濡れていた。


「うへぇ……べとべと……」


「怪我はありませんか」


「うん、大丈夫」


 顔についた粘液を払いながら、リリアは頷いた。その様子をマキネスは青ざめた顔で見ていた。


「……ごめん、リリア……」


「良いって。いつものことだし」


「……ごめん」


「マキネス?」


 彼女の様子がいつもと違うことにリリアは気がついた。普段なら「……楽しかった……?」と冗談を言う口が今日はどこか浮かない顔だった。


 リリアを立たせた後で、フジバナがうつむくマキネスに声をかけた。


「さぁ、もう一回、頑張ってみましょう」


「……わたし」


 唇を噛み締めて、マキネスは首を横に振った。


「やっぱりできません……!」


 強い口調で、叫ぶように言った彼女は身をひるがえして、一目散に校庭を駆け始めた。慌ててフジバナが後を追いかけて叫んだ。


「マキネス!」


守護對天ガーディアン!」


「……っ!」


 彼女の行く手を幾つもの触手が塞ぐ。のたうちまわり、衣服の中にまで入り込もうとする触手を、フジバナがようやく切断したとき、マキネスの姿は校庭になかった。


「……マキネス・サイレウス」


 フジバナは残された触手の欠片を見下ろした。去り際のマキネスの表情。追い詰められたような苦痛の顔。彼女の問題の根の深さを、フジバナはその表情に垣間見ていた。

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