第4話  隠れ里

 卯月。

 田起しが始まろうとしていた。


  だが昨年、小夜が指示をして稲刈り前に水を抜かせたままなので、田が乾いてくわが入らない。


 途方に暮れた村長が集まり、小夜に相談を持ちかけた。


文句を言う者は居ない。純粋に小夜なら何とかしてくれると思っての相談だ。


 こうなることはわかっていて、解決策を持った上で田の水を抜けと命じた筈だからだ。

 案の定、小夜が「良く来てくれた」と、笑顔で一同を出迎えた。


「丁度良かった。昨日、上手くいったと報告が届いたところです。一刻の後、村長は主立った村の人員を連れて『ろ組』の田に集まりなさい。やりようの説明をします」


 村長と組頭達は、ろ組の田で、馬にすきを引かせて深く掘り起こす田起しを見て驚き、

「このあとに肥料と水を入れてならせば良いだけのこと」という説明に、唖然として顔を見合わせた。

 これまでの水田を鍬で起こし泥水を被る田起とは、早さも楽さも比べものにならない。と、歓喜の声を上げた。

「この鋤と馬具を市に出せば良い値で売れますぞ」

「いつも言っているとおり、儲けすぎてはいけませんよ。値が張れば農事の改善が遅くなります」


 小夜が造らせた八挺の鉄の鋤が各村に届けられると、村々ではそれを雛形にして、木で簡易的に作った鋤の先端に鍛冶屋が打った金具を被せたものを量産し、村中の馬を集めてこれまでにない田起こしが始まった。


そんな中、刀研ぎ師が刀を一振り持参して、小夜の許を訪れた。

「統領お手配の来国正らいくにまさの偽物にて」

 習遠が、天恐門院の側に戻った証しだった。

 程なく、城の間者から忠兵衛の手許に密書が届いた。


「天恐門院の国元である大里藩から、百人ほどの者が攻めてくるようじゃな。彼らはこの屋敷を襲撃し、統領をしいして村人が作業で居らぬ間に村を乗っ取る算段をしている。と書かれている。村人が作業で村を空にするのを好機と思ったようじゃな」

「忙しいのに、困りましたねえ」

「習遠が歩き回っていることは報告に上がっておったが、こんな事のためだったとはの」

「大方、天恐門院が命じたのでしょうね」

 別の間者からの密書が届いた。

「村の襲撃に成功したら国元から農民を入れて、そやつらに幸田の村民を支配させると、軍師と天恐門院が密議をしたとある」

「笑える。塾生が書いた危険見積のまんまだわ」

「これは天恐門院の指示であろう。藩を動かしておる」

「それで殿はどう動くお積もりでしょう」

「騒動を知らぬが故に動かぬよ。百人といえど軍勢が他所よその城下を通る訳には参らぬから、個々に旅人を装い隠れて侵入し、どこぞで集結して事に及ぶ積もりであろう」

「ならば、集結場所は我が屋敷前でしょうね」

「そのようだな。彼らの決行は明後日夜とある」


 その夜、各村の名主と組頭の他、塾頭、師範など、幸田村の指導的頭脳が集められ、作戦が練られた。

次の日、朝から 幸田の全村は日常を装いながら厳戒態勢に入り、武具、装具の手入れと、集合、分散の演習を繰り返した。


 幸田村の戦は全村全力で戦う。

 防衛戦である以上、逃げ帰る場所がないからだ。

 したがって、降伏のない徹底抗戦の姿勢を相手に見せつけ、村の支配が如何に困難であるかを知らしめる。


 十一歳以下の子供を北村に避難させた後、参戦を命じられなかった四十歳以上の者は、各要衝の守人として、簡易的に組み上げられた柵に入る。

 

 参戦を命じられた青年達は鎖帷子くさりかたびらを着込んで、棒を使い槍術の訓練に汗を流した。

『いつかその時のため』ではなく、やがて相まみえる敵が来る。その事が、立ち上がれなくなるほどの徹底した鍛錬に励む契機になり、自信が闘う恐怖を払拭する。


 当日の早朝。

 村の東西二カ所の出入り口に、普段は置かない木戸番が配置された。 

 木戸番は、街道から村に入った人数を旅装ごとに分類して記録すると、村から出た数と照合した。


 その頃蝶次郎は、組頭の一人に連れられて、初めての杣道そまみちを歩いていた。

「こんな道、ある事さえも知りませんでした」

 雑草や柴木で足元も見えなくなる藪を、組頭について歩く。

「辻辻で人員を確認することを忘れるな。交差した道で曲がる方向は言葉で覚えろ。それから最後の者に足跡を消させることを忘れるな」


 北村を出て一刻半3時間ほど歩いた先に 目の前にいきなり里が現れた。

「俺の役目はお前に此処を教えることだ。此処は幸田の隠し里で、誰も住んでない」

「隠し……里」

「ここを作ったのは藤井様で、知る者は統領、ばば様、鬼王丸様、くめ殿、俺の先輩組頭、そしてお前だ。目的は幸田村が存亡の危機に陥ったとき、子供達をここに逃して命を守り、育て、世の役に立つ人材に育てることだ。決して仇討ちや復讐のために命を繋ぐのでは無いぞ」

 蝶次郎は驚き、責任の重さに心が震えた。

「わかりました。光栄です」

「七人の誰も来ないときが村が全滅したときだ。そのときはお前がみんなの父親になり、田畑を耕して村を作れ。この里の向かう先はいつか鬼王丸様の意識が目覚めて導かれる」

「意識が目覚めてからとは……」

「俺も良くは知らん。ただ、鬼王丸様は成長する歳ごとに、意識や知識の層が新たに積み重なるのだそうだ」

「……わかりました」

 解ったわけでは無い。だが幸田村には、そういうものだと呑み込むしかないことが多くある。


 組頭は館の雨戸を開けて風を通すと鍬を持ち、欅の木の根元を掘った。

 出てきた壺の封を開け、懐から金五十枚を出し壺に入れ、再び土をかける。

「あの木の下、その木の下にも壺がある。今ので合わせて二千二百金になる。それを当座の資金として生き延び、子等を世に出せ。館の戸棚に統領のご指示が書かれた本がある。俺が帰った後それをよく読め」

「分かりました。その後、私は?」

「敵の襲撃は今夜との情報だ。明日朝には決着がついているだろう。お前は早朝、ここの戸締まりをして様子を見に来い。子供達は北村の土蔵に集められ、戦闘糧食を背負い、くめ殿と居るはずだ。そこで村の状況を見て、親元に返すか、此処に連れてくるかをくめ殿と相談しろ。ただしここに来たら時代が変わるまでここで生きることを覚悟せねばならぬ」

 蝶次郎は責任の重圧を跳ね返すように身震いした。

「わかりました」

「好いた娘がおれば名を聞かせろ。ここでのお前の妻として同道させる。遠慮したり相手を気遣うゆとりなど無いぞ。ここに来なければいずれにしても生きてはおれぬのだ。我等が勝てば、俺は何も言わぬので、先のことはお前の好きにすればよいがな」

「では、下村の麦殿に好いた男がいなければ」


 組頭が深く頷いて帰って行った。


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