第3話 村の秘密
自分は十三のときに多助たちとその事を知った。
春次は知らない。すると、線引きは十三~十四歳か。
ならば十二歳以下の塾生もいるこの場で棚田の説明をするべきではなかった。
統領の顔を伺った。
小夜は蝶次郎が戸惑う様子を見て、微かに微笑み頷いて先を促した。
この蝶次郎には、やがては村を統率する一員として隠し里の存在を教え、少年少女を引率する責任を負わせる予定だ。
秘密の存在を塾生に聞かせた。これを守らせる統率力を小夜は見てみたいと思った。
蝶次郎は小夜の表情を読み、『話せ』と言われたと解した。
秘密を知ることは覚悟が伴う。そのことも解らせてみよ。眼はそう言った。
「雪さん達は知っておられますか」
田植えの時期には早乙女として働く女性達だ。知っているかもしれないと蝶次郎は思い、最年長の女性に訊いた。
「はい。私達はついこの前、村の成り立ち、歴史を習う途中でそのことを教えていただきました。塾頭は、私達七人が皆三段以上の腕を持ったので教えるのだと言っておられました」
雪の隣に座っていた女子が手を上げた。
「西村の
「英さん。どうぞ。それから此処では自分の出自、親のことは言わなくて結構です。優先されるのは知識がある個人。次に年です。仲間になれば殴り合いも許されます」
「はい。ではその殴り合いに参加できるように頑張ります」
「あっ私も参加したい」
小夜が手を上げた。
「わー」という塾生の期待の声と同時に、三~四人の「駄目です」「小夜様の左手は凶器なんだから」という声により却下された。
「英さん。どうぞ」
「はい。つまり、棚田のことは自然に秘密になっているのだと思います。存在を隠すのではなく見せているから秘密だとは気がつかない。ただその扱いだけが一部の村人の手で行われている。そして時期が来るとある勇気や覚悟を持つことと共にそのことを教えられるのです。秘密とは、自分で気がついた者は、いつかそれを人に話す危うさがありますが、打ち明けられた者は誇りに思い、守る側になります」
「うーん。さすがですね。そこまで分かっているのでしたら、その時期とか勇気についても教えて貰えますか」
早乙女だから知っているのではなかった。棚田は、ある秩序の上に存在する知識なのだ。
「私の考えですが、先程、雪が、三段以上だから塾頭が教えたと言ったのは、先日参加した模擬戦にも関係があると思います。私は赤、雪は白の弓隊として参加し、私は連射で、雪は遠射で人形(ひとがた)の的を射ました。あの後で私達は、『あれが本当の人であっても射ることがができるか』と問われました。つまり勇気というのは戦に参加して人を殺す勇気。覚悟というのは、自分も死ぬかもしれない覚悟のことです。そうやって棚田に代表される私達、幸田村の権利とか、やりかたを、戦になってでも守る覚悟と腕が備わったから教えて頂けたのだと思います」
蝶次郎は瞑目して聞いていたが、聞き終わると「参った」と言い、英に頭を下げた。「俺の考えていたことを全部言われてしまいました」
「聞きたいのですが」多助が手を上げる。質問の内容に気付いた蝶次郎が『俺もだ』と声に出さず促した。
「七人とも『射てる』と答えたということですか」
「結果的にはそうです。でもその時は、雪は『できます』と即答して、私は『できません』、この子達は」と、十六歳の五人を見て「『顔が見えない距離からなら』と答えたんです」
「五人の言う、顔が見えなければ、は解るけど、雪の『できる』という即答は考えが浅いと思う。逆に『出来ない』から『できる』に変わった英さんの理由が聞きたい」
「多助。お前の質問の仕方は駄目だ。最悪。やり直せ」
蝶次郎が多助を遮った。
「あれ? そうなのか」
「当たり前だ。ああだろう。こうだろうという質問の仕方は相手の答えを枠に嵌め込むんだよ。もっと自由に答えられるような訊き方をしろ」
小夜は「ふむ」と小さく頷く。確かに蝶次郎は指導者としての片鱗を見せ始めている。
雪が、
「そうなんだよ。ぼんくら多助。お前になんか私の考えが浅いか深いか判ってたまるか」
「あれ。ふたりは?」
「いとこなんだよ。雪ねえちゃんだ」
「そうだったのか。では改めて俺の方から質問ですが、何故、雪さんは即答できたんですか」
「あのとき、楓太さんが『刀を取ってきて小夜様を守る』って駆け出しました。私も無意識のうちに矢を番えていたんです。もしあの場で習遠軍師が刀を抜き終えていたら私は矢を射たでしょう。でも組頭が肩を叩いて、『大丈夫だ。俺達がやるから見てろ』と言ってくれました。それから、『やるときは儂が頼むから、その時は躊躇するな。後先のことは俺達に任せろ』とも仰有られたので、軍師を射殺したとしても私の責任だけで終わらせて貰えると思ったの」
雪は英を
「私が、人は射てないと思ったのは自分に死ぬ覚悟がなかったのと、やはり人が死ぬのが嫌だったからです。雪に、英は自分が嫌だからという理由で親や小夜様が斬られるのを見てるのか。と言われてビックリしたんです。自分には弓という力があるのに、それを使わなくて守れなかったり、村が滅んだら私、気が狂いますね。きっと。そんなふうに考えたことがなかったから」
「英は塾頭の言う『人』が敵ではなく一般的な人という感じだったのよ。だからあのとき、前提条件の質問が多くて塾頭が呆れていた。誰の命令かによります。とか、相手はどんな悪いことをしたのか、とか、死なないように射つのはだめですかとか」
「あのときの私の『覚悟』はとても小さくて、相手に負わせた傷の分は自分も受ける積もりで居た。でも、そんなことではなかったのよね。私にその覚悟が出来たのは、自分の為とか、欲のためではないことが理解できたからです。子供を、皆を、村を、そして統領を私は守ることができる。そう思うと人を射ることの覚悟や力が出てきました」
蝶次郎は、今日初めて棚田にまつわる秘事を聞いたであろう塾生達を見回した。
彼らには、英のいう覚悟も無いまま棚田の事を知らせてしまった。
だが彼らは同時に、英と雪たちの、『守る為の覚悟』についても知ることができたのだ。たとえ、理解の伴はない知識だけの覚悟だとしても。
あとは統領にお任せしよう。と、蝶次郎はそう思った。
「雪さん。英さん有り難うございました」
二人に礼をして
「この塾の女子はすげーわ」
思わず言葉が漏れた。
「いいか。英さんや雪さんの言ったことが今は理解出来なくてもいい。だがこれだけは覚えておけ。他所の村では自分が作った米なのに自由にならないのが普通だ。だが俺達の村では村の自由だ。その自由を使って困った時や困った人の為に貯蔵している。だけどそれは俺達が武器を持って闘って手に入れている自由だ。だから俺達は剣と槍と弓の腕を磨く。解ったか」
「わかったー」
「ということです。統領」
「うん。申し分ない。随分話しやすくなりました。私達が腕を磨くのは、圧倒的強さを見せて、相手に悪い考えを持たせないためでもある。そのためにはどうすればいい?」
塾生が一斉に標語を唱えた。
『血を流さないために、今、汗を流そう』
「そのとおりです。城のお殿様には祭りのときに雪と英がしっかり弓の腕を見せたしね」
「でも祭りでは僅差でした。圧倒的ではありませんでしたよ」
楽しんで貰う。雪も英も、少しその配慮をしていた。
「僅差にするためにはどれ程の腕の差が要るかということを、模擬戦のときに二人の遠射でお気づきになられた。それで
「そうか。わざと勝たせなかったのがよかったのですね。あんな殿方いいですよね」
「うわー。百姓娘がお殿様選んでやがる。
「うるさい多助。口惜しかったらお前も女に選ばれるほどの男になってみろ」と言い返す。
うん。いいな。こういう遣り取りがあれば異性に幻想を抱かなくなる。
小夜は二人が微笑ましくて、つい口許が緩くなる。
「さて、そこで、村は明日、総出で山に登り物見遊山をします。そして我々の祖先が作ったあの棚田の姿をよく見て貰う。お前達も登りなさい。そして考えてくれ。棚田を守るにはどうすればいいか。水の問題をどう解決すればいいか、智慧を貸してほしい。村の田の多くは今荒れている。この前の嵐で荒れたままだからね。そして来年また、この前の嵐のときと同じ頃、今度は大雨が降る。その雨は棚田を全て押し流す規模で降り続けることが判った。だから今、棚田は治して元に戻すのではなく、この際だから作り直そうと思っている。例えばあるお坊様から、登山路を水路に変えればいいと提案された。だが普通に考えれば一年も懸かる工事だ。新しい登山路も作らなければいけない。どうすればいいと思う?」
すかさず手が上がった。
「登山路が水路になるなら、新しい登山路はこれまでの水路を使えばいいと思います。人が歩けば路などすぐ出来ますから」
「良い考えだ。今の発言は誰か」
「十三年の清作であります」
「では清作。その考えが実行できるか。できないとすれば問題はなにか。明日現地で現物を見て調べてきてくれるか。
「わかりました」
「では本日の私の話はこれまでとする」
山に上がった村人は、築かれた堤と貯水池に感嘆の声を上げ、山の衆の苦労を讃えた。
「稲刈りを手伝って貰った恩がある。農閑期には例え石ころ一つでも運んで助力したい」
吉次は百姓衆の申し出にたいして、「有り難いが体力のある者だけに限る」と審査して限定した。
だから、合格して幸田草履、黒脚絆、
工事の方針が決まった。
これまでに築いた
第一堤と第二堤を併せた完成図は、流れの途中に、半分に切った椀を伏せて置き、次に水を貯める椀を差し入れたような形になる。
滝からくる水圧を第一堤の曲面、即ち碗の外側で受けとめて減圧し、滝側に貯水するのが第一堤貯水池。
第一貯水池を越える水は、新たに発見された
一堤の貯水は第二堤の貯水池に水量を加減しながら移して、流量を上中下の放水口で調整したのち、道だった水路を経て棚田の横を流れ、それぞれ田に引き込まれる予定だ。
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