第2部 第1章 第1話 山の衆

 小夜が統領になって八年が過ぎた。


 以来、大きな災厄も無く、平穏な日々が当然のように続いていた。

 街道には弁当屋、雑貨屋などの店が並び、市場も賑わっている。

 特に茶屋は、急な雨風をしのげる作りにして、奥には男性と女性を分けた厠を備えたので、旅の女性客が、必ず立ち寄るようになった。


 この茶屋では厠のことを『手洗い所』と称して流し台を設け、使用後必ず手を洗うことを決まりとしたので、『衛生』という概念を植え付けることに成功している。


 市で大きな利益を上げているのは、脱穀機などの大型の農機具だ。遠くから荷車を引いて買いに来る客、評判を聞いて品を確かめに来る者が引きも切らない。

 製造が追いつかず、小夜の提案で、予約という制度を考案した。


 作り方も、各々が家で部品を作り、それを組み合わせるという方法を採用したので製造速度が向上し、家々には賃金が分配されるという構造が定着している。


七ヶ村の他に 新しく集落ができていた。

 山の衆と呼ばれる者のその集落は、初め二十五歳から三十歳前後の屈強な男達、二十人の集団から始まった。

 彼らは奥山の水を棚田に引く工事のために集められた工人で、生活は統領家が支払う賃金で賄われた。


 労働は過酷なものではあったが、それに見合った給金と、絶対に怪我人を出さないという作業環境を整えたこと。村休みと称する、八日に一度一つの村が交代で休む休養日が設けられていること。住居が長屋では無く個別に家屋が貸与されていること。序列が年功によって給金と共に上がることなどから、体力がある若者の人気を呼び、元、組頭だった吉次を頂点とする山の衆は徐々に増え、今は二十を越える世帯の家屋と若者が個別に住む三十一の戸別建屋が出来ていた。


「お小夜様」

 山の衆を統括する吉次が報告に来ていた。


 このところ、工事がはかどらないと言う。

 堰堤えんていに使う石が大きなものばかりになり、一つ一つを砕かなくては運べないというのが理由だったが、それにしても予定した日数からズレる。

「他に、何か原因があるのでしょうか」

 そう言って腕組みをした。


「わかった。今から石工を手配して、明日現場に行く」

小夜は黒毛に跨がると寺に行き、できるだけ多くの石工を集めて欲しいと、手配を依頼した。


 その足で、山の衆の集落に近い川沿いに、与一とくめの夫婦に出させた料理屋の善膳亭ぜんぜんていに黒毛を繋いだ。

満面の笑顔で出迎えたくめに、「息災ですか」と声を掛け、与一を呼ばせた。

「小夜様。この頃は私の入れたお茶も中々のものなんで、どうぞお召し上がりくだせえ」

 湯飲みを運ぶ与一も屈託が無い。

「ほんに。これは美味い。新しい与一流か。葉を合わせたのですね」

「そのとおりでございます」

 与一が「どうだ」といってくめを見る。


「それで、いかがなされました」

 くめは与一の視線を受け流し、黒毛に目をやり、訊ねた。

「急で済まぬが、餡を入れた餅を、五・六十ほど作ってくれぬか。明日、山の現場に様子を見に行こうと思いついた」


「かしこまりました」

 くめが小夜の出した一分銀を受け取り、仕込み中の若衆に材料の買い出しに走らせる。

「それで、山の衆が何か変わった話はしてなかったか。この頃少し元気が無いと吉次が言っているのだけれど」


 山の衆で独り身の若者は、毎日この善膳亭で食事を摂る。朝飯を食って握りを持ち山に入る。夜になれば酒食で腹を満たし、自慢にしろ愚痴にしろ、心情を吐くのはここしかないのだ。

「確かにここのところ、元気はありませんでしたね」

 くめと与一が顔を見合わせて互いに頷く。


「ほら、お前さん。それって千三さんのことがあってからだ」

「だけどおめえ。あれは千三だけのことなんで、山の衆みんなの事じゃねえ」

「でもあの後でみんな、変に静かになっちまったじゃないか」

「それは? 何」

「いえ、千三という山の若い衆がいるんですが、こいつがある女郎に惚れちまったようなんで」

「そのお女郎さんは梅吉さんって言うんですけど、借金返し終わって、茶屋に勤めを変えたんですよ。それで千三さんが所帯を持とうとしたんだけど、山の衆は嫌だといって断られたそうなんです」

「それは何故? 乱暴者だから?」

「そんなことはありません。あいつらは本当に気持ちの良い奴らで、脚絆の色が一つ違えば上下は絶対だし、仲間内の同じ色で喧嘩でもした日にゃあ、その色の奴ら仕事を貰えなくなるんです。それぐらい信頼は命に直結するんだって言ってました」

「じゃあ何が嫌なんだろう」


「私、梅吉さんのことが分かるような気がします」

 くめが言った。


「きっと、他所へ行きたくないんだと思います。山の衆と一緒になっても、いつか幸田の仕事が終わる。そしたらどこに行くのか、それどころか仕事があるのかさえも分からないんだもの……。私は小夜様にお世話になって、こんな料理屋も任せて頂いたから、本当に小夜様の身内になった気がして落ち着いています。でも、そうでなければ、例えどんな相手とでもここを出て行くぐらいなら独り身でこの村にいる方がましなんです」

「ああ。それは俺も同じだ。まさか俺が嫁を貰えるなんざ思っても見なかったからなあ。しかもこんなに気立ての良い働き者の嫁だ。おめえがいねえところで生きてく気がしねえ」

「お前さん。それだけじゃないでしょう」

「だから器量良しだっていってるじゃねえか。おめえは小夜様の前だと、とたんに剣高くなるからいけねえ」 

 小夜は口に手を当てて笑い声を上げる。


「そう言えばひな菊は、弓がたいそう上手になったとか」

「小夜様。それどころじゃねえんで。この頃はとうとう泣かずに鬼王丸ちゃんの後を付いて走れるようになりまして、塾では男組に紛れて入ってるようです」

「あははは。何て頼もしいこと」


 次の日、小夜は数人の供を従え山に登った。


作業現場に入る者は、山の衆に限らず、服装が細かく決められている。

小頭は赤の脚絆を付け、その補佐は橙の脚絆を付ける。その下は年ごとに紫、黄、緑、青、黒と続き、小夜や作業に直接関係ない者は白の脚絆を付けることが決められていた。


 濡れた岩や、とがった石で滑ったり怪我がないように、鹿革の足袋に馬の革を織り込んだ足袋たびを付けて、手に鹿革の手嚢しゅのうをはめる。

 刺し子の筒袖に袴の裾を膝で括ったそのなりを毎朝山に入る前に補佐が点検し、不備があればそれが直るまでその組は山に向かえない。

 厳格な決まりは重量物を運ぶ共同作業のためで、一人の不備を連帯で責任を取るのは、仲間に関心を持つためだ。


作業の初めに、四股を踏み、天を突く動作を繰り返して、身体を慣らし、互いに息を合わせる動作を繰り返す。

 それを上の指示に合わせて、早く滑らかな動きへと結びつける。だが、あくまでそれは個々が互いをを意識してこそ可能な、言わば阿吽の呼吸ともいうべき技だ。

 気持ちのズレは、齟齬そごが生じる。齟齬は何らかの事故を引き起こす。


 怪我をしたり、戦で負傷して充分な働きができなくなった者は、人の世話になるしか生きる方法が無い。

 それがどれ程悲惨な日々を送ることになり、憐れな末期を迎えるか、子供の頃、他所の村を見て歩いた小夜は良く知っていた。


 小夜は給金の一割を集めて相互扶助の制度を作ったが、それでも一生を養えるわけではない。怪我はしないほうが良いに決まっているのだ。

  

 幾段もの棚田を過ぎて山間やまあいに入り、水の音に導かれて行くと、突然視界が開けて堰堤えんていが姿を現した。それを見越した彼方の森の間に一条の滝が白く見える。

 滝から水を引き、この堰堤で水を貯め、棚田に行く水を加減する。

一言でいえば、それだけの工事だ。だが山上に池を作るという工事は前例が無く、溜めた水を保持する強度をどう確保するか、方法がわからないまま始めた工事だ。

 加えてここにきて岩石の硬さと重さとの闘いの日々になっている。


 小夜の頭上でヒュウと竹笛の音がして、工人がバラバラと仕事を置いた。

 吉次が休憩を命じ、「集まれ」と号令すると、組ごとにが小夜の周りに腰を下ろす。

 餅が配られた。


「吉次。どうしても、今やらなければいけない仕事が何かあるか?」

「どうしても、今というと……餅を食うことですね」

「良かった。それなら後でお前に叱られることはないな」

「小夜様が叱られるところも見てみたいものじゃ」

 小頭の軽口に「なんという恐ろしい事を言う」と吉次が返すが、軽い冗談にも笑い声はまばらでしか無い。


 成る程。これは根が深そうだ。と小夜はあらためて質問を投げかける。

「それから怪我をした者、体調が悪い者は?」

 手を上げる者はいない。

「では吉次、現在までの状況と事後の予定を説明せよ。大まかで良い」

 吉次が赤の脚絆を付けた小頭達と確認を取りながらこれまでの状況を説明する。


 景色が――これまでとは明らかに違ってきている。

 水路の両脇に見え隠れしている岩は、相当の大きさだと想像がつく。足下の石も大きくなっている。それは、ある時期この地に大量の流水があったことを示してい。

 それらも含めて万一のことを考えたこれからの難工事が予想された。


 これまでの進み具合をそのまま先に等分することはできなくなった。それは吉次も理解している。仕事が進まないのは工人達の間に流れる空気のせいだ。それで覇気が無くなっている。

 

 小頭と吉次は、完成まで後三年、場合によっては五年と見積もりを出した。

 但し、最後に堤を切って棚田に水を導入する経路については、妙案がないままだ。


 半年前の予想から一年延びた。

「五年後か」

 小夜の呟きが、丁度五年後に山への資金が無くなることを意味していると、吉次はは知っている。

 予定ではその頃山の工事は終わっているのだ。


「此度はその先の話をするために来ました」

 小夜も石の一つに座る。


「今の話では、あと三年から五年でこの工事も終わるようですね」

 若い衆が項垂うなだれた。

「では四年の後、工事が完成したとします。そのあと所帯を持った者はどうしますか」

 十四人の小頭と六人の補佐が所帯を持っていた。

「儂らの嫁は皆、田を継ぐ男が居らぬ百姓の娘でありました。なので嫁の家の百姓をするつもりでおります。そのときには村入りをお許し頂きたいと思っております」

「皆も同様か」

 二十人が一斉に「左様でございます」と頷く。

  

「わかった。ならば言っておくことがあります。今、所帯を持たぬ若い衆も聴いておくがよい……。結婚して所帯を持ったとき、嫁御が持ってきた嫁入り道具の中に、弓があった筈だが……」



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