男の娘勇者は少女姿の魔女と共に祖国で戦いました.

勇士カマス

隣国での日々

201出会い~勇者エレーナは隣国を訪れる

 夏も終わりを迎えた九月の始め,黒色の帽子と朽葉色の布外套に身を包んだ勇者エレーナ・ペトロヴナは外輪式蒸気船から降りて隣国ルミニア・ピリカン連合公国の領土に足を踏み入れた.異国の言葉が至る所から聞こえる活気に満ちた港を見て,彼女の表情も一瞬だけ緩んだ.しかし,その数分後には彼女を照らす日光が熱に変わっていくことで,彼女の表情は無機質な物へと戻っていった.


 彼女の母国は広大な大地を持つ聖なる帝国,ヴルガ・マスクヴァ.その中でも故郷は北部の冷寒な地域であり,この国と比べて10℃前後は最高気温が低かった.また,5年間彼女が収容されていた勇者養成学校がある祖国の首都モスコフは故郷よりは暖かいが,それでも冷寒な地域である事には変わりない.そのため,この地域の気候は彼女の肌に合わないのだろう.


 エレーナの好物は林檎だった.三週間の船旅の前に荷車一杯に載る程の量を買い込んだが,それも二週間経った頃には空になっていた.彼女は林檎を買うために,薄い黄色や白色の漆喰の外壁と赤茶色や橙色の屋根を持つ家々に挟まれ,石畳で舗装された道を歩いて広場へと向かった.


 広場には市場が開かれており,雑踏としたその空間で彼女は血のように赤く熟した林檎を探して歩き回る.幾つかの店を訪ねたが,その軒先に置かれた林檎はまだ青いものが多かった.そして目的の物が置いてある店を見つけると,彼女は笑顔で話しかけた.


「こんにちは,その美味しそうな林檎は一つ何コペイカですか?」


 店員は笑顔で話しかけてくる小柄な少女にしか見えない彼女の姿を見て,笑顔で答える.


「6コペイカだな,お嬢ちゃん.それで幾つ買う気だ?」


「……20個でお願いします.支払いは紙幣でも良いですか?」


「そうだな.それでも構わない」


 その言葉を聞いた彼女は鞄の中から紙幣を数枚取り出して支払いを済ませると,嬉しそうな表情をして林檎を鞄一杯になるように詰め始める.10秒くらい経ってからその手を休めずに,顔を店主の方に向けてこう尋ねた.


「そういえば,首都ブラフスクに行きたいのですが,そこへ向かう駅馬車の場所を知りませんか?」


 それに対して店主は右手を顎髭の所に持って行き,少し考えたような仕草をして答える.


「……それなら,アレクサンドル通りにあったはずだ.ここから真っすぐ北の方に向かったところだな.もしかして,お嬢ちゃんも武術大会を見に行く気か?」


 その問いに対して,彼女はその嬉しそうな表情を変えずに,こう返した.


「はい.様々な国の勇者様が集まるので,一目見てみたいと思いまして.出来れば,この国の勇者ヴラド様,トゥドル様といった勇者にサインでも頂きたいのですが,全く情報が得られなかったので,早めに現地に行って確認しようかと思っています」


 彼女の本当の目的は店員に話した物とは異なる.その武術大会は商人ギルド主催であり,彼らは参加条件を貴族,王族の配下といった者に留めず,誰でも参加可能としたため各地の傭兵や強者も参加するという噂だった.彼女はその様な強者を自分の部下として雇う為にこの国を訪ねたのであり,雇うことが不可能な他国の勇者ヴラド,トゥドルは彼女の興味の範疇からは外れていた.しかし,彼女の言葉を聞いた店員は嬉しそうに笑みを浮かべながら話し出す.


「そうか,だが確認しなくても勇者ヴラド様は我が国の英雄だから参加するとは思うがな,ところで他の商品も買わないか? 今なら桜桃も西瓜も安くするが」


 彼女は店主がその言葉を吐き終えた頃には,林檎を鞄に詰め終わっていてその場を立ち去ろうとこう言った.


「お気持ちは嬉しいのですが,直ぐにブラフスクに向かうつもりですので,遠慮させてもらいます」


「わかった.帰りはまた何か買って行ってくれよ」


「考えておきますね」


 彼女は店に背を向けて立ち去り表情を元の無機質な物へと戻す.目元に限っては先よりも更に冷たい目をしていたが145cmしかない小さな彼女が深く帽子を被っているのだから気がつく者はいないだろう.


 林檎を手にしたエレーナは首都ブラフスクへと向かう駅馬車を探して街を歩く.彼女は故郷から2000km以上の道のりの大半を自身の所有する馬車で移動していた.しかし,それは一緒に載せていた護衛のヴァリャーグ人と共に聖なる祖国で捨ててきた.彼らはヴルガ・マスクヴァの言語を全く理解していないため,行く先々で問題を起こした.そのため勇者である彼女の反感を買い,途中で解雇されたのである.


 馬車は違約金代わりに護衛のヴァリャーグ人に渡した彼女だったが,その馬車は漆黒の箱のような外観の立派な馬車であった.優れた最新式の懸架装置と羽毛の詰まった布団のように柔らかい座席を持ち,白い駿馬によって引かれていた.しかし,彼女が見つけた首都ブラフスク行きの駅馬車は,風通しの良さそうなガラスの無い窓と土がこびり付いた赤い車体,木のように固い座席を持つ,明らかに質の悪い駅馬車だった.それでも,彼女はその駅馬車に乗って首都ブラフスクへと向かっていった.


 馬車の旅は懸架装置の技術の向上と道路の整備によって昔よりは快適になったはずである.しかし,彼女が以前使っていた馬車とは性能,質が違いすぎた.直接揺さぶられるかのような振動が着実にその小さく細い身体から体力を奪っていく.そして,周りに座る人々は風呂に入ることを知らなさそうな野性味溢れるひげ面の男達で,馬車が揺れる度に彼女の身体はわずかに浮かび上がり,彼らに当たってしまう.彼女は表情こそ何時も通りだったが,全身に鳥肌が立っていたため内心は穏やかなものではないだろう.


 それでも,話しかけられると笑顔を作って会話をするのだが,それが良くなかった.男達の気も緩んだのか彼女は何回か身体を触られたのである.彼女の警戒心は限界に達し,寝ているときも布が風に吹かれて擦れるような僅かな物音で起きてしまうほどであった.男達が集まる場所でその程度の騒音が出ないはずが無い.つまり彼女は殆ど眠ることが出来なかったのである.


 また,食事は以前の馬車に乗っていた時と変わらない物で,硬く貧相な黒パンを不味い果実酒で流し込むというものではあったが,林檎を口に運ぶ時だけは彼女の表情も少し緩んだものになる.この林檎を食べることだけが彼女の唯一の娯楽となっていた.


 5日後,エレーナを乗せた駅馬車は石造の城壁に囲まれた首都ブラフスクに着いた.彼女が駅馬車から降りた時,既に空は暖炉の炎のように赤く,遠くに見える聖堂の輪郭だけが認識できるほどに暗くなった街では人々の多くが帰路についていた.彼女は事前に用意していた地図を開き,地図に宿と書き込んだ場所まで小走りで向かった.宿に入ると彼女は宿の主人に一ヶ月以上泊まる事を伝え,鞄の中から札束と数枚の銀貨を取り出して主人に渡し,宿泊の許可を取ると部屋の鍵を手にして直ぐに自身の部屋に駆け込んだ.


 部屋に入った彼女が初めに行った事はお風呂に入る事だった.彼女は部屋のガス灯を灯すことすら行わずに浴室の扉を開けると,その奥にあった銅製の猫足浴槽を見て一瞬目を細めたが,すぐに浴槽に湯を注ぎ服を脱ぎ捨ててお湯に浸かる.光源は月明かりだけであったが,彼女は一切の迷いなく石鹸を手に取り身体を洗い始めた.そしてお風呂から上がると今度は自身の服を洗い始める.黒の帽子,布外套,蒸栗色の装飾があるドレス,肘上まである白い手袋,女性物の下着を洗い,暖炉に火を入れて椅子に服を掛けて乾かそうとしていた.その後,彼女は純白のワンピース型の寝間着を身に纏って暖炉の火を暫く見つめた後,食事を行わず,部屋の照明を灯すこともせずに,そのままベッドに横になり寝入ってしまった.


 彼女は部屋に光が差し込む時刻になっても起きなかった.太陽が真上に来ようと彼女が起きることは無い.彼女が起きたのは午後三時,最も暑い時刻だった.実際には一時間前から身体を起こしてはいたが,意識がはっきりとせず,そこから動くことは無かったのである.彼女は目を覚ますと林檎を一つ食べて部屋に備え付けられていたアイロンで服のしわを伸ばす.そして,伸ばしたばかりの服を着て,表情を柔らかな物に変えて街に繰り出した.


 彼女は始めに適当な店に入って食事を済ませた.時刻は正午を過ぎているため客が数人しかおらず,白い内壁も相まって広く見える店内に彼女は座り,店員に店の料理を笑顔でたずねた.そして,ママリガと呼ばれるトウモロコシの粉を煮てバターと牛乳を混ぜた物に付け合わせとしてソーセージ等を付けた物とスープ,静脈血のような色をした葡萄酒を頼んだ.それらが彼女の席に運ばれてくると美味しそうに笑顔で口に運び,更には食事の途中で手を止めて店員を呼び,料理を褒めながらどういったものか聞いていた.暫くして店員も気を緩めて物腰も柔らかな物になってきたところで,彼女はテーブルについたまま大会について聞き始める.


「たしか,あと一ヶ月後に武術大会が始まりますよね.参加者はもう集まり始めているのでしょうか?」


 店員はその言葉に対して迷いなく,直ぐに返事を返す.


「そうですね,最近は武器を背負った物騒な人達を見かけるようになりましたので.集まりつつあると言って良いと思います.この店にはあまり来店されませんが,ヴラド通りの酒場でよく飲んでいるのを見かけるとかって聞きますね」


「ヴラド通りの,何て言う名前の酒場ですか?」


 彼女のその言葉を聞いた店員は少し顔色を険しい物に変えて話し出す.


「ヴラド通りなら,どの酒場でも見かけますから何とも言えませんが,ただ,貴方のようなお嬢さんが行くのはやめておいた方が良いですよ.あの辺は少々治安にも問題があり,その,売春宿といった物もいくつかあるので行くとしても一人で行くのは止めておいた方がよろしいかと.お酒も粗悪品が多いのでこの近辺の治安が良い場所で飲み食いをした方が良いですよ.ここにも武術大会関係だと思われるよそ者は良く来ますので,この辺の店で待ったほうがよろしいのではないかと思いますが」


 彼女は少し残念そうに目を逸らしたが,直ぐに店員の方を向いて返事をした.


「……そうですか,教えて頂きありがとうございます.すみませんが葡萄酒を,もう一杯頂けますか?」


「はい,すぐにお持ちしますね」


 そう言って店員は店の奥へ葡萄酒を取りに行った.彼女はその後,食事を済ませて店を出たがその時の表情は林檎を購入した時と同様に無機質で冷たい目をしていた.しかし,今回は素早く表情を自然な物に戻し,涼しくなりつつある街を歩き始めた.街の外観は前の街と似ているが教会や聖堂といった物が多く立ち並び,道路の中央に走る馬車の数は非常に多く,身なりの良いドレスを着たような人々も見受けられる.そんな中,彼女は仕立屋や鍛冶屋に入り,市場にも足を運んで大量の林檎を含む食材等を持って,蝋燭の火のように美しい色をした空の下,彼女は宿に帰っていった.


 次の日,彼女は早い時間に起きて林檎を口にした後,街を回り昼頃にヴラド通りの酒場に向かった.表通りにある酒場の中は木製の床は一部がひび割れており,隅には埃や砂といった汚れが溜まっていて,木製の机はささくれが飛び出し,幾つかの染みも見受けられる.壁も同様でカビで黒っぽくなって汚い.店内の客の半分は労働者であり丸腰だが,もう半分は武器を持っており,腰か背中に剣を携える者,マスケット銃を壁に立てかけている者もいた.そんな中に小さな彼女は入っていく.店の扉を開けた彼女は真っすぐにカウンター席に向かい酒場の主人に笑顔で声を掛けた.


「10年物の葡萄酒はありますか?」


「あぁ,あるよ……ほら」


 店主は無愛想に答え,彼女の目の前に叩きつけるかのように酒の入ったガラスのコップを置く.彼女はその酒を飲みながら周りの客を見渡していると店主が無気力そうに彼女に声を掛ける.


「誰を待っているんだ?」


 彼女はそれに対して店主の方を向いて顔を見て答える.


「誰も待ってませんよ.人間観察をしているだけです」


「そうか,早く出ていってくれないか?」


 彼女は一瞬間を置いて不思議そうな顔をして店主に聞いた.


「別に構いませんが,私が何か失礼な事をしましたか?」


「どうせ娼婦か何かだろ,客を取るのにここを使うな.お前らのせいで店は滅茶苦茶になったんだ.お前の存在そのものが不快なんだよ,消えてくれ」


 店主のその物言いに対して彼女は数秒間固まった後,店主の目を見ていつも通りの口調で話し出す.


「…………私は娼婦ではありませんよ.勝手に勘違いしないで下さい」


 そして最後の一言を彼女は俯きながら小声で呟く.


「……不愉快です」


 その後,彼女は店を後にした.他の酒場にも入ったが侮辱されたのは始めの一店だけであった.しかし,彼女のお眼鏡にかなう人間が居ないのか,初めの店と同様に店主以外の人間に自分から声を掛けることは無かった.たまに酔っ払いに声を掛けられたり,触られたりした事は合っても,それらに対して彼女は笑顔のまま受け流した.宿に戻った頃には日も落ち,初日と同じように月明かりの中でお風呂に入り,二時間以上掛けて身体と服を洗った.お風呂上りには普段毎日飲んでいる錠剤を飲み,アルコール度数70度のブランデーの瓶を2本開け,刻々と形が変化し続ける暖炉の火を見つめながら眠りに落ちた.


 次の日は二日目の昼食をとった店のあるゲオルギー通りを歩く人々を眺めていた.彼女はヴラド通りに見切りをつけて情報収集をしつつ,彼女が求める強者を探すことにしたのである.彼女は純白の日傘を差し,時々場所を移して,ただ待ち続ける.そして彼女は気に入った人が居ればその傍に行き声を掛ける.


「私と共に魔王軍ウル・タルタルスと戦ってくれませんか?」


 その言葉に耳を傾ける人は少ない,たまに詳細な内容を聞く人もいたが,彼女が指揮をすると聞けば殆どの人が断わる.一部の人間は実力を見ようとして扱う獲物を訪ねる.彼女の返答はこういった感じの物だった.


「杖です! 本当は仕込み杖のはずなのですが,私だと抜くことが出来ないので,ただの杖です!」


 彼女は全体に檸檬色の塗装が施され,上部に蝋燭の火のような優しい色をした日長石が取り付けられた金属製の魔法杖を取り出して,普段の彼女とは異なる少し慌てたような口調で返した.彼女が気に入る条件としては,強く,優しそうな雰囲気を纏い,服装がしっかりとしていること,更に彼女の基準でカッコいいことだった.それは彼女の理想とする姿をとった人物であるため,気分が高揚していたのかもしれない.しかし,そんな彼女とは対照的に彼女のその言葉を聞いた相手は断わるか,冷めた目で魔法を使うことが出来るかどうかを訪ねる.それに対し彼女はこんな風に返事をした.


「ごめんなさい.私は魔法を使うことが出来ないみたいです.魔法の訓練は受けたことはありますが,それでも全く使うことが出来なくて……それでも,賃金は相場の二倍払いますから,どうか雇わせてください.お願いします」


 彼女はそう言って頼み込むも誰一人雇うことは出来なかった.彼女がよく言われた言葉は


「止めておいたほうがいい.お嬢ちゃんには向いてない」


であった.それから二週間経っても何の収穫も無かった.


 それでも彼女は諦めない.彼女は勇者であったため逃げれば故郷に帰れなくなる.それも理由として在ったのは間違いない.だが,彼女にとって勇者とは幼き頃から読んでいた英雄譚の三人の勇者であり,外敵から聖なる祖国を守る彼らの姿は彼女の憧れでもあった.だから彼女は勇者であろうとする.例え,勇者養成学校の5年間の記憶の大半を失っていたとしても.


 そして,彼女がある日買い物をしていると果物屋の店主からあることを聞いた.彼女に手を貸してくれそうな人達の居る酒場がある……と

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