趣味アウトドア、職業暗殺

 太陽が顔を出す前の僅かな時間。世界はほんの少し紫に色づく。

 満ちていた濃い闇が破られる瞬間を俺は好んでいた。

 まるで今から新しい物語が始まるような、そんな予感をさせてくれるからだ。


「ねぇ、そろそろ休憩しない。ずっと山道で疲れたわ」

「少し上に開けた場所があるからそこで休もう」


 彼女は相棒のフィネたん。

 白銀のツインテールに紅の目をした少女である。


 格好はニット帽にマフラーにポンチョ、それからレギンスにブーツと相変わらずの姿。

 この時期の山は寒いからズボンをはいた方が良いって言っているのだが、ファッションがどうとか言って言うことを聞かない。もう好きにしろって気分だ。


 ちなみに俺は寒さ対策は万全だ。


 ニット帽にマフラーとジャケット、それから裏地に毛皮が付いている厚手のズボン。中もしっかり着込んでいて寒さだけでなく動きやすさも抜群。この温かさは準備をきちんとした者だけに与えられるご褒美のようなものだ。


「なにそのニヤニヤしたムカつく顔」

「足下が寒いんじゃないのか。ほら、ここにズボンがあるぞ。イズルさんごめんなさい、やっぱり山を舐めてましたって言えば譲ってやってもいいけど?」

「どうやら血を見たいようだ」

「すんません。調子に乗りました」


 からかいすぎたようだ。

 フィネたんから黒い殺気が放たれている。


 俺と彼女はベンチのある休息所に到着した。

 二人で腰を下ろし重たい荷物を下ろす。

 お互いの吐く息は白く、気温の低さが目に見える。


「ふぅ、疲れた」

「ちょっと待ってろ。温かい飲み物を出すから」


 リュックから水筒と二つのカップを取り出す。

 カップに注ぐのは保温されていた熱々のコーヒーだ。

 白い湯気がふわふわ昇り独特の心地の良い香りが漂った。


「出発前に淹れたんだ」

「ありがと」


 カップを受け取った彼女は「ふーふー」と息を吹きかけてから一口啜る。

 俺も一口飲むとじんわりと温かい苦みが感じられた。


「そろそろ夜明けね」

「ああ、そうだな」


 東の空はより明るさを増していた。

 もうすぐ太陽が昇る。


 山の陰から眩い太陽が覗いた。黄金の光が空を照らし闇を鋭く引き裂く。

 その瞬間、闇の中で埋もれていたあらゆるものが露わとなる。大地、植物、動物、俺達すらも。

 こんなにも広い世界で生きているのだと実感できるんだ。


「素敵よね。この瞬間だけ、この世に汚れたものなんてなにもないって思わされるわ」

「いや、汚れたものすらも美しく見せるんじゃないのか」

「上手いこと言うわね。ま、いくら綺麗に見えても、一度芯まで染まったものは元通りにはならないけど」

「それもそうだな」


 俺は足下に花があることに気が付く。

 瑠璃色の小さな花、この時期に見ることができるネモフィラだ。

 絨毯のように群生するのだが、まだ根を張ったばかりなのか範囲は小さい。

 春の代表的な花でもある。


「太陽が出たおかげで少しぽかぽかしてきたわね」

「じゃあそろそろ出発するか。急がないと目的地に到着する前に日が暮れるぞ」

「仕事じゃなければもっとゆっくりできるんだけどなぁ」


 飲み終えたカップを俺に返す。

 立ち上がった彼女は荷物を背負い、さりげなく足下のネモフィララを踏まないように避ける。なんだかんだ言いつつちゃんと花を見ていたようだ。


 俺も荷物を背負い再出発する。

 程なくして山頂に到着、だが目的地は山を下った遙か先にあるのでまだまだ歩かなくてはいけない。

 下り道を歩きつつ俺達は山ののんびりとした空気を楽しむ。


「あれって桜の樹じゃない?」

「まだ開花はしてないみたいだな」


 道の脇で立ち止まり樹を見上げる。

 咲くまでにはもう少し時間がかかりそうな印象だ。

 枝に茶色い小鳥が止まる。


 ホー、ケキョ。


 春を知らせる鳥ウグイス。

 残念ながら去年は見られなかったが、今年は幸運にも間近で見ることができた。


 俺がアウトドアを趣味とし、こよなく愛しているのは、一度たりとも同じ光景が存在しないからだ。キャンプとは一期一会。この時期、この瞬間にしか味わえない何かが常にある。大自然を感じる度になんらかの新しい発見があるんだ。

 もちろん発見なんてなくてもいい。ただ癒やされるだけでもそれは立派なアウトドアだ。


「満開になったら花見でもしたいわね」

「肉でもつつきながら、とかどうだ」

「いいわね! じゃあ高級なお酒も準備してまったりしましょ!」

「お酒ねぇ……フィネたんって本当に値が張るお酒を買ってくるから困るんだよなぁ。食材につぎ込んだ方が満足度だって高いと思うんだが」

「うぐっ、いいじゃん。苦労して儲けた自分へのご褒美じゃない。それと私のことをフィネたんって呼ばないで。私はフィネアってちゃんとした名前があるの」


 くわっ、と目を見開いて怒りを露わにする。

 でも周囲からはフィネたんって呼ばれてるし、フィネアって呼んでも反応しないことが多いんだよなぁ。

 面倒だから現状維持と言う事にしよう。


 俺達は話をしながら山道を下った。



 △△△



 山を下った先には森が広がっており、その先にはなだらかなカーブを描く川がある。

 ここを通る旅人は必ずと言っていいほど川に立ち寄り、場合によっては野営をする、絶好の休息ポイントとなっている。


 川原で荷物を下ろした俺達は背伸びをする。


「ここが目的地ね」

「景色も良いし水もあるしテントを張るなら最高の場所だろ」

「悪くないわね。水も綺麗だし飲み水にできそう」


 俺と彼女は川をのぞき込む。

 水面に黒髪の青年が映り込んだ。


 透明度の高い水の中では川魚が泳いでいて、鮮やかな緑色の水草が流れによって揺られていた。意識を向けなければ気が付かない水音は、聞いているだけで心が穏やかになる。ここにある全てが完璧で調和がとれていた。


「それじゃあ日が暮れる前に準備に取りかかろうか」

「役割は?」

「いつもの通りで」


 いつもの役割分担。

 テントの組み立てを俺が行い、薪集めをフィネたんが行う。


 リュックからとある袋を取り出す。

 俗に言うストレージバッグという物だ。


 見た目とは違い中には大きな空間が存在しており、沢山の荷物を収納することができる。これのおかげで大きく重い荷物も楽々持ち歩けるというわけである。

 ただし、これ自体は決して安くはない。リュック十個分くらいの容量に対し、小さな家が一つ建つ位の値段がする。恐らくキャンプだけに使用しているのはこの国でも俺くらいではないだろうか。


 テントの入った袋を取り出し封を解く。


 さすがに砂利のある川原では寝られないので、近くの土のある場所へシートを敷く。それから軽量化された鉄製の骨組みを組み合わせ、その上から撥水性のある魔物の革を取りつける。

 サイズは小さいがどうせ一人は見張りで起きていないといけないので、これくらいでちょうど良い。揃って寝るにしてもフィネたんは小柄なのでなんとかなる。


 ちなみにこのテントは『モノポール』と呼ばれる初心者に優しいテントだ。

 設置は簡単で中央の柱で全体を支える円錐形のデザインとなっている。一人でも作れるのでソロキャンプ向きの一品だろう。


 周囲にペグを打ち込みテントをぴっちり張れば完成。


「枝をとってきたわよ! どう、これだけあれば今夜は薪に困らないでしょ!」

「キャンプファイヤーでもするつもりなのか……」

「沢山あるのはいいことよ! というかもう一度とりに行くの面倒だし!」


 フィネたんは大量の枯れ枝を川原に置いた。

 余ればここに来た誰かが使うだろう。これはこれで良しとする。


 河原の石を組んで簡易のかまどを作り、火の付きやすそうな小枝をお互いに支え合わせるように置く。空気の通りをよくするためだ。

 その中心に枯れ草を詰め、指を弾いて炎系の魔術で着火。

 後は空気を送り込みながら大きめの枝を加えて火を大きくしてゆく。


 俺はリュックからミスリル製のフライパンを取り出した。


「あれ、今日はサンドイッチにするとか言ってなかった?」

「気が変ったんだ。これだけ良い天気なんだからやっぱり美味しいものを食べたいだろ」

「どうせパンを買い忘れたから慌てて軌道修正したんでしょ」

「ごめんなさい。まったくもってその通りです」


 軽く謝罪をしてジャガイモと卵を取り出す。


「皮むきするから貸して。それとスープは私が作るから鍋を出しといてくれる」

「オーケー」


 フィネたんは折りたたみチェアを出すと腰を下ろし、ナイフでするすると芋の皮を剥いてしまう。

 僅か十秒ほどでトレーの上に細かく切られた芋の山ができていた。

 彼女は山を半分に分け、その一つを水の入った鍋に入れる。


「先に使うから」

「どうぞ」


 鍋を火にかける。


 その間に俺はもう一つ竈を作り火をおこす。

 フライパンに油を垂らし、程よく熱したところで刻んだベーコンを投入。じゅぅうう、小気味の良い音と共に香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 ベーコンから脂が出たところで芋を投入。芋に火が通るまで炒める。

 さらに塩とコショウで味を付け、バターを加えて溶き卵をたっぷりと入れる。

 弱火で全体をかき混ぜつつ半月状へと形を整え皿に盛る。


 ポテトオムレツの完成!


 タイミング良くスープもできたらしく、フィネたんが木製の器にオタマで注いでいた。

 俺は急いでもう一人分のオムレツの作成に取りかかる。


「お腹が鳴ってしまいそうなくらい美味しそうね」

「もう一つ完成っと。さっそく食べようか」


 もう一つ折りたたみチェアを出して二人で焚き火の前に座る。

 先にスープを啜ると程よい塩加減が最高に美味しく感じられた。

 芋とベーコンが入っていて食感もいい。


 次にオムレツだ。俺とフィネたんは揃って口に入れる。


「おいひい! なにこれ!」

「うん、今日のキャンプ飯は成功だな」


 大自然を満喫しながら美味しい食事。

 なんだかんだ言いつつ俺がアウトドアにハマったのって結局これなんだよ。


 頭上をワイバーンが通り過ぎて行く。

 風に吹かれた葉っぱがざわざわと音を響かせる。

 普段は見落としてしまうような雲の形すらはっきりと目に焼き付く。


 アウトドアって……最高だよなぁ。


 死ぬまでキャンプしてたい。


「はぁぁああ」


 深い溜め息が漏れる。





 日が暮れ空に星が見え始める頃。

 川原に一人の男性がふらりと姿を見せた。


「おや、今日は先客がいたようだ」

「どうも。そちらは旅ですか」

「ええまぁ。隣町に行く途中でして」

「よかったらご一緒しませんか。今から火をおこすには遅いですし」

「ありがとうございます。では」


 男性は笑顔でお礼を言って近くに荷物を下ろして座る。

 歳は四十代ほどだろうか、深いほうれい線が刻まれた年相応の顔つきである。

 突き出た腹が目立ち贅肉によって顎はほとんどない。ただ、人の良さそうな容姿も相まって大きな安心感を与えていた。


 隣にいるフィネたんがあくびをする。


「ふわぁ、それでおじさんは何してる人?」

「ティアズの街で商いを少々。おっと、自己紹介が遅れてしまいましたな。わたくしはモラン、しがない商売人ですよ」

「俺はイズル。こっちはフィネたん」

「フィネア! 何度言ったら分かるの!?」


 モランはフィネたんのツッコみに笑う。

 俺はコーヒーを淹れて彼に渡した。


「ありがとうございます。しかし、お二人は恋人なのですかな。ずいぶんと仲がよろしいようだが」

「いえ、ただの仕事仲間ですよ」

「そうでしたか。これは失礼、変に勘ぐった質問をしてしまいましたな」

「構いません。よく勘違いされますし」


 眠そうな目をしたフィネたんが席を立つ。


「ちょっとトイレ」

「気をつけろよ」

「うん」


 ふらふらとした足取りで暗闇へと消える。

 うっかり転ばないか少し心配だ。

 この辺りには熊の魔物も出没するし。


「実はわたくし、親のいない子供を保護する活動をしているんです。最近では本業よりも力が入ってしまって。やっぱり子供は可愛いものですよ」

「モランさんはお優しい方なんですね」

「ははは、それだけが取り柄のような男ですからね。いずれは孤児院を設立して、子供達に安心して暮らしてもらえるような場所を作りたいと考えています」

「へー」


 俺は「でも」と話を続ける。


「保護という名目で集めた子供達を奴隷商に売り渡すような副業は、長くは続かないと思うぞ。モラン」

「!?」

「これはたとえばの話なんだが、お前が集めた子供達の中に、たまたま屋敷から抜け出した貴族の子供がいたとする。その子は奴隷商に売られ、酷い環境で酷使されてしまった。事態に気が付いた親は慌てて子供を捜索し買い戻すも、すでに子供は弱り果てており、親の腕の中で息を引き取ってしまう」


 カランッ。モランはコーヒーの入ったカップを落とす。


 カップを持っていたはずの手は硬直し、僅かに震えていた。

 焚き火に照らされる顔には大量の汗が噴き出している。


 ようやく俺の正体に気が付いたようだ。


「ま、まさか、暗殺ギルド……」

「親が復讐の為に依頼を出すのは自然な流れじゃないか」


 ドスッ。

 刃物で肉を突き刺すような音が響く。


「あがっ……!?」

「気が付かなかった? さっきからずっと後ろにいたんだけど」


 モランはフィネたんに背後からナイフを突き立てられていた。

 心臓を一突きにされているので、まず助からない。


 どさり、彼は横たえてしまった。


「これでお仕事完了。あ、コーヒー冷めちゃったから新しいの淹れて」

「お疲れ様、見張りは俺がするから今日はゆっくり寝てくれ」

「ありがと。うん、美味しい」


 二人で温かいコーヒーを飲みながら夜空を見上げた。


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