第11話 石との交信――― スペイドの決別

 何か。

 それは直接的な映像であり――― 同時に意志だった。

 慌てて彼は、それを理解しようとする。

 だがすぐにその試みは断念した。彼の直感は告げていた。


 そうか、違うんだ。


 例えば、猫が言葉を持ったとしても、猫の言葉は人間には通じない。猫には猫の思考形態があり、その形態はそのまま人間に伝わるものではないのだ。

 足元まで、いつの間にか、光が満ちている。足元がおぼつかなく、自分が宙に浮いているような感覚さえある。


 それでも。


 彼は唇を噛む。負けるな、と自分に言い聞かせる。

 飛び込む映像と意志。


 流れるものは、放っておけばいい。

 ただその中で、必要なものがあったら、逃すな。


 彼はすうっ、と息を大きく吸って、そして吐いた。

 目を閉じて、閉じていても流れていく景色を、漫然と眺めていた。

 色合いも焦点も、彼の感覚からしたら滅茶苦茶なそれは、おそらく、その「岩」の視点から見た「映像」なのだろう。それをやり過ごすのは、確かにかなり酷だろう、と彼は思う。

 普通の精神の奴だったら、確かにやられてしまうだろう、と。

 ただ彼は、運良く「ランプ」の男だった。

 「ランプ」という惑星が、一体その住民に、何を求めてその能力をもたらしたのかは判らない。他星系に行けば、下手するとお荷物にもなりかねない能力ではある。中途半端なために。

 しかし彼は、それを否定したことはなかった。

 面倒だ、と思ったことはある。「違う」連中とのカルチュアショックも受けた。

 それでも、その能力が自分にあることを、否定したことはなかった。それが自分であり、自分はそれ以外の何者にもなりたくはないのだ。

 そしてまた流れて行く「意志」。まるでそれは、混線したラジオの電波を拾うようなものだ、と彼は思う。    

 そうだよく、「ランプ」に居た頃、兄や弟と、野球放送がどうしても上手く入らないことがあったっけ。彼は思い出す。

 その時どうしただろう、自分は。


 目を閉じて。


 兄はそう言った。


 少しづつ、少しづつ、ダイヤルを合わせるんだ。そうすると、不意にくっきりと、その音が聞こえてくる時がある。その時を、決して逃してはいけないよ。


 目を―――

 彼は目を閉じる。…ああ、あの光は優しい。だってそうだろう、あまり強い光だったら、閉じた目の裏が真っ赤になるはずなのに。

 閉じた目の向こうには。何かが。

 掴まえて、と何かが。

 彼はその手を、取った。

 周波数が、合う。


 ―――解放されないのは、彼自身なのだ。


 言語化した意識が、明瞭に飛び込んでくる。


 ―――我々が縛っている訳ではないのだ。

「スペイド自身が、自分をこの地に縛りつけているというのか?」


 ジャスティスは「それ」に問いかける。肯定の意識が向こう側から返ってくる。


 ―――我々が遠い故郷から逃げ出した後、最初に呼びかけてくれたのが、彼だった。だから我々は、彼をできるだけ守ろうとした。


 あの爆撃の時か、とジャスティスは思う。


 ―――しかしそれが彼自身を縛ってしまったのだな。


 何だろう、とジャスティスはその時、胸に大きく、重い感覚が走るのを感じた。


 ―――確かに我々は、今更「奴等」に見つかる訳にはいかない。

「奴等?」


 彼は向こう側に思わず問いかけていた。


 ―――お前達がそう、…と呼ぶ連中だ。その昔、我々と交わることによって、その地で生きて行くことを選択した者達だ。


 そうなのか、と彼は思った。しかしその一方で、そうなのかもしれない、と思い出していた。そうだったら、彼が今まで辺境で見てきたことは、つじつまが合うのだ。無論それをむげに口に出す程、彼は馬鹿ではなかったが…


「奴は」


 ジャスティスは再び問いかける。


「俺は奴をこの地から出してやりたい。出してやっても構わないだろうか」

 ―――彼は充分、我々の地を守ってくれた。鉱石目当ての者を大半追い払ってくれた。

「けど三百年だ。本当にそうなのか。そうだとしたら、それは一人が一人で生きて行くには、長すぎる。寂しすぎる」


 寂しいんだよ、と半ば茶化して言葉を吐くあの青年に見える男の目が。


 ―――しかし鎖を切るのは、彼自身なのだ。我々がどうこうできるものでは無い。

「あんた等がそこにあるから、奴は出られない、と言った。ここが全て真っ赤になったら、と奴は言った。あんたが(そう思考を放ってから彼は相手を擬人化していた事に気付いた)真っ赤になってしまう日は、近いのか?」

 ―――お前の身体に移ることが可能ならば。


 彼は思わず、自分の身体がこわばるのを感じた。


 ―――嫌か? お前は我々と「話す」ことができる程に我々との適応力が高い。おそらく、お前が我々を取り込めば、現在の奴等の最も高い世代と変わりない能力を得られるだろう。長い時間を、最高の力を発揮することも、可能だろう。


 それは、人によっては、おそらくひどく甘い誘いなのだろう。もしかしたら、あそこで倒れていたイリエの若い者は、何処かでそれを聞きつけたのかもしれない。

 天使種の中にも階級があることを、辺境回りをして聞いたことがある。現在「皇族」と「血族」と分かれているその違いは、生まれた世代なのだ、と。

 詳しくは知らない。

 ただ、断片的な知識は、何処かで一つつなげるためのものが見つかった時、意味を持つのだ。

 つまりこの目の前のものが言うのは、その「皇族」に匹敵する力を手に入れられる、ということだろうか。そうかもしれない。おそらくそうだろう、と彼は思う。

 しかし。


「俺は、要らない。あんたには悪いが」

 ―――要らないのか? 強い力を。何処でも生きてゆける力を。誰よりも強い力を。

「俺は今の自分が結構気に入っているんだ」


 言い放つ。確かにそうだ。

 「ランプ」ではそう育てられたのだ。そしてそれを彼は誇りに思っていた。

 生まれてきたその身体で、何を何処までできるか。

 人生は短い。だから好きなことを、とことん自分の力でやれ。

 そう彼は、親からも、周囲からも、兄からも教わってきたのだ。

 決してそれが器用な生き方だとは思っていない。

 特に「企業」なんて所に入ってしまったからには。どんな場所でも、それが大きな「集団」である限り、「ランプ」に生まれ育ち、その精神を誇りに思う人間であればある程、不利になって行く可能性はあった。

 実際、そうやって外に飛び出して、疲れ果てて戻って来る者も居る。

 だが彼等は、少しの休養で、また外へ外へと飛び出して行くのだ。もう大丈夫、時間が無い、とばかりに大きな笑顔と共に。

 小さな頃から、そんな人達を双子の弟と一緒に、彼は見てきた。ベースボールも、力の限りやって、四番バッターだった。だけど、それは自分のしたいことか、と考えた時、自分の中に見つけた答えは「NO」だった。

 まだ何か、自分には見てみたいものがあるのかもしれない。

 そして彼は「ランプ」を離れた。

 弟はその逆に、ベースボール・グラウンドに自分の居場所を見つけた。

 今現在、「それ」が自分に果たして見つかっているか、は彼には判らない。もしかしたら、一生見つからないものなのかもしれない。

 だが、彼の故郷の名は、一つの目印だ。

 「ランプ」は、迷った時に目の前に現れる道しるべの灯りなのだ。

 遠い祖先は、長い旅の末にその惑星を見つけた時に、それが自分達を導く灯りに見えたのだと言う。惑星の名は、そこから付けられた。


「要らない」


 ジャスティスは再び言い放った。


「俺は俺であることに、誇りを持っている。それ以上でも、いれ以下でもあろうとは思わん。それが確かに有効な方法であろうが、そうした瞬間、俺は俺ではなくなるだろう。それは俺にとって、俺の『死』を意味することだ」

 ―――そうか。


 そう答えた、ような気が、彼にはした。


 ―――昔、お前の様に答えた者が居た。


 ふっ、と一つの映像が、鮮明に、彼の中を通り過ぎて行く。そこではそうしなくては生きていけなかったというのに、かたくななまでに、自分であることを通した「馬鹿者」達。

 たぶん、自分もその状況にあったら、そうしてしまうだろう。

 何故なら、その映像の中の人物の笑みは、「ランプ」に生まれた人間のそれによく似ていた。


 ―――判った。ただしこの地の鉱石を「開発」に使用するのは止してくれ。


 だろうな、と彼は思う。


「判ってる。これはあんた等の墓標だ。墓を荒らす趣味は俺にはない」


 むざむざ荒らすために、スペイドは三百年もここを守っていた訳ではないのだ。


「何とでも、なるさ」

 ―――感謝する。

「ただ、あんた等が居ることが判ると、軍がまた手を出すかもしれない。それをどうする?」

 ―――なるほど。


 なるほど、とそう向こう側が答えた様な、気がした。

 何を納得したのだろう。

 そう思う間も無く、彼は、その場から放り出される様な感覚を―――味わった。

 ぴし、と何かが弾ける様な音が、突き刺さった。



「大丈夫!?」


 え、と自分を見下ろしている黒い目に、ジャスティスは気付く。


「ねえ大丈夫? アタマどっかおかしくしてねえ?」


 何てえ言いぐさだ、と思ったが、テレパシイの交信があれだけ続いたから、頭がふらつくのも確かだ。


「…ちょっと待て、おい、揺れてるぞ」

「あ」


 スペイドは周囲を見渡す。


「あんた何を連中に言ったの? ここがこんな反応を起こすなんて、今まで無かったんだよ」

「…俺はどのくらい、あいつと交信してたんだ?」

「ほんの数秒、だよ」


 数秒? 彼は目をむく。信じられない。そんな一瞬だったのだろうか。

 瞬間のことにしては、その映像は、思考は、大きすぎた。確かに、「開いて」いない普通の人間が受け止めることは、よほどのことがないとできないだろう。


「ねえ」

「お前、俺にくっついてると、何を考えてるか勝手に分かるんだろう?」

「あ? ああ」

「じゃあ行くぞ。話している時間が惜しい。…おそらく、奴等、何か、しようとしてるんだ」

「え」


 相手の返事を待つまでもなく、ひょい、とジャスティスはスペイドを担ぎ上げた。


「俺はお前を、アリゾナから連れ出すからな」

「って…」

「そう、連中と、約束したぜ」


 だからしっかり掴まっていろ、とジャスティスは走り出した。

 足元が揺れる。周囲が揺れる。

 地震だろうか何だろうか。それは判らない。

 ただもう、足元が揺れ、周囲の岩壁が時々びし、と音を立てる。

 崩壊の予告だ、と彼は思う。


 それがあんた等の選択なのか?


 今はもう自分の「声」など聞かないだろう相手に向かって、ジャスティスは内心つぶやく。

 ただもう、今できることは、一つしかないのだ。


「次はどっちだ?」


 曲がり角が来ると、そのたびに彼はスペイドに問いかける。そのたびに右、とか左、とかスペイドは答える。

 あ、違った、と時々かましてくれる辺りには、ボケ、と声を張り上げる。そしてそのたびに、周囲に反響して、とんでもないことになる。


「あ」


 そう言えば、と彼は一瞬足を止める。イリエの若い者、がまだそこには倒れたままになっている。


「俺、降りるよ」

「黙ってろ」


 そう言うと、彼はそのまま、イリエの若い者を左の腕で横炊きにすると、再び走り出した。


「…うわすげえ。あんた、何って力だよ」

「うるせえな」

「でも、格好いいよ」

「…うるさいって言ってるだろう!」


 実際、額も首筋も汗がだらだらと流れ落ちてるのが判る。背中もそうだ。気持ちわるい。外に出たら絶対にあの川で水浴びだ、と彼は叫んでいた。


「うんそれもいいね」


 そしてそれを読んで、答えてくる奴がまた質が悪い。

 背後に崩壊の音が、近づいて来ているのだ。

 体験から良く知っている。崩壊するものの内部はもちろん、ある程度の近くに居ても、被害を被る可能性は高いのだ。


「…そっか、そういうこと、あんたには、言ったんだ」


 ぼそ、とスペイドがつぶやく。あああの時のことを、やっと見つけたなこいつ、とジャスティスは気付く。


「俺は――― 行ってもいいんだろうか」


 うなづく気配。


「…行っても、いいんだね」


 そうだお前は行ってもいいんだ。

 お前の力があれば、この広い広い全星系を飛び回ることができるだろう。


 ジャスティスは言葉には出さないが、思う。


「そうだね。それも楽しいかもしれない」


 スペイドは遠のいていく、見慣れた光景を目の当たりにしながら、つぶやく。


「俺を、親父をあの時、守ってくれて、ありがとう」


 やがて、外の光が、彼等の視界に入ってきた。

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