第6話 300年前のドライ・アップの記憶

「ここが俺の住処」


 両側の岸壁が血の赤で満たされた、と思った時、いきなりそれがぱあっ、と開けた。ぽっかりと、草原がそこには広がっていた。

 そしてその草原に、小さな小屋が一つ。


「ほら来いよ」


 スペイドは手招きする。丸く広がる空の中に、既に月がぽっかりと浮かんでいた。


「いいのか?」

「肉と酒くらいはある、って言ったろ? あ、女の子はそっちにでも寝かせておけばいいよ」


 そう言ってスペイドは、片隅にあるベンチの様なものを指す。その上に不器用に縫い合わされた毛皮が置いてある。その上で眠っているのだろう、とジャスティスは思った。

 バーディをその上にそっと乗せて、毛皮をふわりと掛ける。まだ目を覚ます気配は無い。

 だが。


「一人で住んでいるんじゃ、ないのか?」

「一人だよ。ずっと」

「椅子が、三つあるじゃないか」

「昔、もう二人居たんだよ」


 もう居ないだけさ、とスペイドは付け足した。ああ、とジャスティスは短くうなづいた。


「親父と、お袋」


 それで三人か、と彼はつぶやいた。


「昔むかし、アリゾナが焼かれた時に、お袋は俺達を守るために飛び出した。親父はそれからしばらくして、歳くいすぎて死んじまった。俺は残されて一人きり」


 ん? と彼は何気なく青年の言った言葉に首をひねった。


「アリゾナが焼かれた時、っていつだ?」

「昔だよ」


 言いながら、スペイドはバーディの休んでいるベンチの下から樽を一つ取り出し、とん、とテーブルの上に乗せる。がた、とテーブルが一瞬揺れた。


「…で、肉、と…」


 棚を開けると、昨日今日獲ってさばいたのだろう、大きな肉片が、吊されて、幾つか並んでいた。ずいぶんと大きな動物が居たものだ、と彼は驚く。

 それを取り出すと、炉に火をつけ、刺してある串ごとその上にかざす。

 あくまで、平然とした、毎日繰り返している様な動作だった。

 だが。

 ジャスティスは「アリゾナが焼かれた」時期について考えていた。少なくとも、自分が生まれてから三十数年のうちに、そんなことが起こった記憶はない。

 いや、「焼かれた」ということ自体、そうそうどの星系でも起こっているはずが無いのだ。「戦争」は統一国家では起こり得ない概念だから内乱…

 何かしら、アリゾナに関連したことを思い出そうとする。

 だがそういう時に限って、思い出せない。すやすやと心地よさげに眠っている女だったら、きっとそのあたりをすぐに口にするだろうが、あいにくジャスティスはそういうタイプではなかった。

 そういう時には。


「…戦争以来、焼かれたことがあるのか?」

「いや、ねぇよ」


 スペイドは軽く言った。言いながらもその手は、ぐるぐると肉を焼く手を止めない。

 戦争は――― 

 今は、共通星間歴830年代だ。

 いくら、彼がシニア・ハイ時代ベースボールばかりやっていて勉強していなかったとしても、戦争が終結して、帝都政府が統一した年くらいは知っている。

 ―――570年だ。


「戦争の、終わり頃かな」


 彼の思いを見透かした様に、スペイドはつぶやいた。


「冗談はよせ」

「冗談じゃ、ないさ」


 ぐるぐるぐる、と肉はあぶられる。脂身が溶けて、じゅ、と音を立てる。


「お袋は、当時の最強の軍隊の脱走兵だったの。流れ流れてアリゾナにたどり着いて、ちょうど牛なんか追ってた俺の親父と何故か恋に落ちちゃったの」

「…」


 何処まで本気で喋っているのか判らない。

 だがそこに突っ込むことはとりあえずジャスティスはしないことにした。


「お袋ってひとも凄いんだよー。あのひとは確か、当時大尉か何かだったらしいね。それでも何か、とうとう嫌気がさして、決死の覚悟で自軍を逃げ出して来たらしいね。そのまま居れば、最強の軍隊なんだから、すげえ役にもつけたはずなんだろうに、かーなーりーの物好きだったんだろうなあ」


 だがその言葉には、確実に、愛情が籠もっている。冗談めかしているが、それは彼にも判った。

 例えば、自分や双子の弟が、上の兄について話す時。

 自分達は、上の兄について、これでもかとばかりに二人でけなし合うこともある。

 だがそれは尊敬と恐怖と、それに加えて愛情のなせるわざである。その一つでも欠けたら、ただの中傷だ。

 それを聞きつけた兄が、にこにこと笑いながら二人の横っ面を張り倒し、頬をつねる程度では済まないだろう。


「で、それまで着ていた沼色緑の軍服と、レーザーソードとナイフをしまい込んで、シャツとジーンズに着替えたんだって。しばらくして俺が生まれて。十年くらいは、それでシアワセだったんだ、って親父は言ってた」

「十年くらい、か」

「そ。俺がまだ十歳だった頃。可愛かったんだよー」


 自分で言うか、と思ったが、彼は口には出さなかった。

 しかし、確かにこの青年だったら、子供の頃には可愛かったのではないか、とジャスティスも思う。均整の取れた体つきは、きっと毎日毎日生きるために動き回っているからだろうが、顔もそう悪くない。

 何しろ、目が。

 時々にやりと笑う、その目が、辺境のあちこちで見てきた、野生の獣に良く似ているのだ。

 実際、この青年自体、野生の獣ではないか、という気持ちがジャスティスの中にふい、と湧いた。


「あんたちょっと、そこの棚から皿出してくれねえ?」

「皿か?」

「普段は使わねえから、少しほこりかぶってるかもしれねーけどさ」


 棚、ねえ。ジャスティスは観音開きの扉を開けてみる。そこには綺麗にそろった皿が、確かに何枚も置かれていた。

 だがほこりはたまっていない。その様に見える。

 一応、下から二枚を引き抜いて、テーブルの上に置いた。


「いつもは、使わないのか?」

「そんな、面倒なことしねえよ。こうやって」


 焼けた肉の串を、ひょいと指でそのまま掴む。あ、とジャスティスは声を上げた。結構な重みを持っているだろう串は、持つのに力が要る。かなり熱くなっているはずなのに。


「何その顔」

「お前、熱くないのか?」

「何言ってるの、俺こんなことできるのよ」


 そう言って彼の目の前で、ぱち、と小さな炎を見せた。


「俺が熱くて、どうするの」


 確かにそれは、そうだが。


「はい、あんたの分。はい、塩」


 木製のジョッキが二つ置かれ、あっと言う間にワイルドな食卓がそこには出来上がった。


「草原トカゲの肉ってのは、結構いけるぜ」

「塩はつけた方がいいのか?」

「俺はあんまりつけねえけどね。まあ普通はつけた方が美味いんじゃねえ?」


 なるほど、とうなづくと、少し振って、彼はまだ熱い串にはポケットに入れていたハンカチを巻いて握った。食いつくと、それは確かに美味かった。


「ジューシーだな」

「だろ?」


 にやり、とスペイドは笑った。


「サボテン酒も呑めよ。結構強いぜ」

「あまり聞かないが、こっちでは酒になるのか?」

「サボテンは、色んなものに使われるからな、こっちでは。単純に食うこともできれば、水を取ることもできる。このもう少し先に、漬けると味と香りにこくが出る丸サボテンがあるのさ」

「初耳だな」

「こっちの最近の奴じゃ、知る訳ないさ。これは昔の知識」

「ふうん」


 確かに言われる通り、口をつけたサボテン酒は、かっと焼けるような舌触りとともに、一杯にふくらむ香りも強かった。


「…驚いたな」

「だろ?」

「結構これは売れるぞ」


 それにはにやにや、とスペイドは黙ったままだった。無論この青年がそんな気など無いだろうことは、見れば判る。試しに言ってみただけだ。


「売るなんて、もったいないな」

「そ」


 満足そうに、スペイドはジョッキを合わせてきた。


「…で、お前のお袋さんと親父さんの話だが」

「ああそうそう。だから俺も可愛かった、十歳くらいの時にさ、俺がそこの谷で、ちょっとしたものを見つけちまったの」

「ちょっとしたもの?」

「この谷は、昔は赤くなかったんだ」

「え?」

「昔は、乳白色をしていた」


 何処かで、そんな色の鉱石の話を聞いた気がする。ジャスティスは懸命に記憶をひっくり返そうとする。


「だけどその鉱石は、だんだん赤くなって行ったんだ。それに気付いたのは俺だけだった」

「何で」

「何でだろうね。とにかく、その頃も谷は、客を選んでいたんだよ。俺は悲しいかな、選ばれちゃった訳」


 とぷとぷとぷ、と青年は自分のジョッキに二杯目を注ぐ。


「選ばれちゃった、のか」

「そう。選ばれちゃったの。おかげで、俺は今もここに居る訳よ。お袋が慌ててまたこの惑星を飛び出して、親父が老衰で死んでも、ずっとずっとずっと」

「…」


 何となく、ジャスティスの中で、嫌な予感が、した。

 何か自分は、とてつもなく、やばいことに足を突っ込んでいるのではないのか、という気がしてきたのだ。

 しかし基本的にやはり彼はバーディと同じで、「毒食えば皿まで」だったから。


「一つ聞いていいか?」

「いいよ。あんたは客だから」

「お前、今何歳だ?」


 スペイドは、少しの間黙った。

 それは言うことをためらったための間ではなかった。計算をしている間だった。


「…確か、そろそろ300歳くらいじゃねえかなあ。細かい事は忘れた」 


 300歳!

 それはしれっとした表情で言われるべきことではない、とジャスティスでも思う。


「…冗談じゃ、ねえよな」


 ぐい、と肉を食いちぎりながら、彼は問いかける。おう、とスペイドは当たり前のことの様に言い返す。


「冗談言っても仕方ねーもん。だけどさー、ほら、何だかんだ言って、この若い

ぴちぴちした身体だろ、俺。気持ちが老けなくて老けなくて」


 それで老け込んでいたら、怖い、とジャスティスは思う。


「ま、とにかく呑みなよ。あんた、いけるクチだろ」

「おう」


 とにかく呑む。その方がさすがに彼の精神衛生にも良さそうだった。

 サボテン酒は結構いける。


「俺さー、何だかんだ言っても、気持ちって身体と比例すると思うぜっ」


 そしてジョッキ数杯目にして、とうとう酔いが回ってきたらしいスペイドは、座ってきた目で、ジャスティスに絡み出す。

 絡まれている方は、何ってことない。彼はアルコールに強かった。


「ん…」


 その時、眠っていたバーディが動く気配があった。


「んー… まだ眠い…」

「おいバーディ、起きたのか」

「起きた…」


 彼女は薄目を開けて、しばらくぼうっ、と辺りを見回す。

 そしてはっ、と飛び起きた。いくら眼鏡の無い状態でも、そこがつい先ほどまで居たレッドリバー・バレーではないことは一目瞭然だ。


「しょ、所長、一体ここはっ」

「あ、おじょーちゃん、目が覚めたの~」


 あははははは、とスペイドは笑いながらジョッキを高く挙げる。


「…こここここんにちは。えええと一体全体団体… あいたっ!」


 そう言って、彼女は腹を押さえた。


「え、ええとここは何処ですか、何で私、お腹痛いんですか? それに、えーと…」

「あー… すまんかったな、ちとばかり、お前動転してたから、眠ってもらった。そんなに痛むか?」

「い、いえ… ちょっとですけど…」


 何やらなごやかでワイルドな食事風景が、彼女の目に飛び込む。


「…あ、あの… 所長、私もその、…」

「あ、おねーちゃんもお腹空いてる? ちょっと待ってーっ」


 けらけら笑いながら、スペイドはまだ熱い串をぽん、とジャスティスの皿に置いた。

 そのまま取ろうとして、あち、と彼女は指をくわえる。気をつけろ、とジャスティスは先ほどまで自分が巻き付けていたハンカチを渡した。


「ありがとうございます… で、でも熱くないんですか? あなた」

「だからー、俺はね」


 そしてまた指先からぽっ、と火を出してみせる。しかし「だから」と言われたところで、彼女は今までの事態をまるで把握していない。目を丸くして、はあ、と言うしかなかった。


「お前酒は、呑めるか?」

「普通ですけど…」

「あ、じゃあも一つジョッキジョッキ」


 スペイドは妙に嬉しそうに、もう一つ、ジョッキを取り出した。


「あー、何かすごい久しぶりだなあ。これ三つ使えるって」


 そう言えば。ジャスティスは先ほどの会話を思い出す。かつては三人で、この小屋で住んでいたのだろう。…それが300年、というのは…まだ半分以上、信じられないのだが…

 いや、信じろという方が、おかしいのだが…


「おいバーディ、ちょっと聞きたいんだが、アリゾナが焼かれた、ってのは、何年のことか知ってるか?」

「アリゾナが、ですか? えーと、確か、565年、じゃなかったですか」

「あ、おねーちゃん、良く知ってるねー」


 ごほうびにもう一本、とスペイドはまた肉をどん、と置いた。


「えーと… 確か、発端は、アリゾナに潜伏している逃走犯を投じの軍が追っていた、とかいうことですが、その時に、確か、居住可能大陸の半分を焼き払ってしまったんです」

「半分!」

「その時に使われたのが、確か、少し厄介な爆弾で… 何って言ったのかなあ…」

「ドライ・アップ」


 スペイドは即座にそう答えた。


「ああそうそう、ドライ・アップ弾、通称DU弾、という奴です。…あなたもよくご存じですね」

「うん、まあ当時俺、それ見たし。あれってさー、緑色の雲が立つんだよね」

「…え」


 バーディは言葉を無くす。そして彼女の所長と視線をちら、と合わせる。黙ってろ、とジャスティスは合図を送った。

 DU弾の雲―――つまりは、その爆発を見たことがある者など、現在、居る訳が無いのだ。

「あの、所長… 確かDU弾って、普通の土壌を乾燥化・砂漠化させてしまう兵器だ、と私、記憶してますけど…」

「俺に聞くな」

「うん、そーだよ」


 スペイドはとろん、とした目で答える。


「確かあれはねー。俺のおふくろが、出てって、しばらくしてからかなー。何か知らないけれど、ある日いきなり、警報が鳴ってさー。俺は親父と、あの谷に逃げたんだよね。前々から、連中にそこなら安全だ、と言われていたから。俺は助けてやる、と言われてたから。だから親父連れて、谷に逃げ込んだから、俺や、俺のこのお家は助かったんだよー」

「…このひと…」

「黙ってろ、って言っただろ」

「でもすごかったね、ドライ・アップ。あれからホントに、ずーっと、それまで草原だった場所が、荒野になっちゃったもんねー。好きだったんだけどなー。牛も飼えたし」


 そうだ。確かこの男は、牛飼いの親父が、脱走兵の母親と恋愛して、と言ったのだ。

 牛飼い、がこの惑星に現在居る訳が無い。そんな草原は、何処にも無いのだ。

 だから、この惑星は、鉱山開発に乗り出すしかないのだ。


「あ~でもやっぱりたまに人に話すと、いいね」


 へへへ、とスペイドは笑った。そしてもう一杯、とサボテン酒を注いで、半分呑んだあたりで―――潰れた。

 ジャスティスは、それまでバーディに掛けていた毛皮を、彼の上に掛けてやる。そして自分の分をぐい、とまたあおった。


「…どういう、ことなんですか? 所長…」

「あー… 何って言うか、なあ…」


 彼は葉巻を取り出して、火をつけた。どうこの女に説明すればいいんだ?

 何処までが嘘で、何処までが本当なのか、どうにもこうにも、ジャスティスにはよく判らなかった。

 吸わなくちゃ、やってられねえ。彼は思った。

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