チョコレートの思い出

百々面歌留多

チョコレートの思い出

ずっと昔、わたしはチョコレートが好きだった。


ひんやりとしたちょうどいい硬さで、噛んだとき、甘さが口の中いっぱいに広がる。病みつきになる美味しさであった。


ほとんど毎日食べていたと思う。わたしがあまりに食べるものだから、ちゃんと歯を磨きなさいって怒られたっけな。


1回虫歯でひどい目にあって、あの時は本当に死ぬかと思った。かかりつけの歯医者さんに連絡を取ったら、予約を取ってくださいって、死刑宣告かと思った。


人生で1番の痛みだった――四六時中、歯をペンチで潰されている感じがして――ああ、この話はこれくらいにしときましょうか。


そう、全てはチョコレートのせいだった。体重も増えちゃって、お腹もたぷんたぷんで、ずっとお腹に力を込めていた。


生きてるってストレスの連続なのね。勉強に、恋愛に、仕事に、人間関係に、あらゆるものに付きまとってくる。光に付き従う影のように表裏一体だ。


とりわけ学校は檻のような場所だった。楽しかった思い出もあるけれど、話したこともないたくさんの子たちと閉じ込められて、同じ時間を過ごさなくてはいけない。


わたしはそんなに友達多くなかったし、教室では静かに過ごしていた。本を読んだり、妄想したり、それに小説を書いてた。


今と同じように――あの頃は秘密のノートを作って、詩を紡ぐように一文一文しっかりと書いていた。こだわりすぎて、途中で挫折することもあったっけ。


上手にいっているときは爽快なのに、行き詰まると胸がモヤモヤした。普通の子なら体を動かして発散をするんだろうけど、わたしは食べて乗り切ろうとしたの。


チョコレートを薬にしていた。手元に置いておくと気がついたときには全部食べてしまうこともあった。


自制心がないから、失敗ばかりだったのよ、多分――もうちょっと我慢を学んでいたら、もっとましな人間になっていたかもしれない。


今さらだけどね。


そう――チョコレートといえば、バレンタインよね。こんなわたしにも渡したい相手がいたわ。


彼は数多の生徒の中でも特に目立つ男の子だった。背が高くて、男らしいキリッとした顔立ちは女の子たちにとても人気があった。


わたしも有象無象の一人で、少なからず憧れを抱いていた。だからバレンタインの日に手作りチョコレートを渡そうと思い立ったわ。


作り方を調べて、材料をそろえた。お菓子作りは得意な方だったので、調理の工程で苦労したことはなかった。


問題はどうやって渡すか――非常に由々しき問題でしょ。


想像するのが怖かった。せっかく作ったものを渡しても、受け取ってもらえなかったりしたら――いや、それならまだいいの――もっと、こう――意中の相手の別の一面を垣間見てしまったら、取り返しがつかないでしょ。


包装したチョコレートを携えて、登校したあとはひたすら機会を窺った。でも中々めぐってこなかったの。


人気者の周りはいつも人だらけだった。彼の友達たちが集まっていたのよね、みんなチョコレート亡者だったのは幸いだったかしら。


他人が渡せない、渡しにくい状況はある意味で好都合だった。自分だけじゃあない、って内心言い聞かせていた。


直接渡そうと思うから、悩まなくちゃいけなかった。伝えることと引き換えに何かを失ってしまうかもしれない。


あの頃の自分には傷の痛みに耐えることはできなかったでしょうね。

思春期だったし――初恋だったし――。


放課後、わたしはまっすぐ家に帰ったわ。母さんは「渡せたの?」と何気なく聞いてきたから、「うん」って返事をした。


自分の部屋に戻って、しばらくぼうっとしたけれど、虚無を意識しだすと、全て終わってしまったことだって、はっきりと認識した。


バッグの中に入っていたチョコレート。ハートの形に象ったはずのそれは――何の因果か――溶けていた。部屋のエアコン、昨日からつけっぱなしだったのをすっかりと忘れていたのね。


さんざん泣いたあと、もったいないから食べたけど、あんまり美味しくなかった。お高かったのに、徳用の塊みたいな味がした。


でも全部食べてしまったわ、それが最後の思い出。


あれからわたしはチョコレートを封印した。最初の頃は我慢するのが辛くって、何度も何度も誓いを破ってしまいそうだった。


恐ろしい魔力を秘めているのよ、チョコレートの無意識に働きかける能力は底なし沼の深さみたいだった。


克服するのにどれだけかかったか、きちんと数えてはいないけど、時を重ねるたびに体に現れた。たぷんたぷんだったお腹はすっきりしたし、標準的な体型に戻っていった。


それに前よりも熱心に自分の好きなことに取り組むようになったわ。集中力を切らしてしまいそうなときは適宜休息をとるようになれた。


たとえ稚拙だとしても、その方がわたしにとって風通しがよかったの。物語を考えて、文章を練り上げて、構成していくこと。ただの自己満足かもしれないけれど、確かな充実で満たされている。


チョコレートにはもう手を出さないわ。


自暴自棄になってやけ食いをして、死ぬほどの歯痛に苦しめられるなんて二度とごめんだもの。























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