勇者3600秒

虎昇鷹舞

1日目(前篇)

(ここはどこだ?)


足元を見ている。板張りのフローリングの床の上だ。その上に裸足でいる。いくら雨が降った後の夜でもこんなに涼しくはない。いや、涼しさを通り越して寒いくらいだ。さらに目線を上に上げる。部屋着にしている中学の時のジャージを着ている。


(着ている物は変わってないな)


ついさっき、薄暗い階段を上がって、階段の先にある自分の部屋のドアを開けたところだ。ドアを開けた瞬間、ムッとした部屋に篭った嫌な熱気が顔に、部屋の独特の臭いが鼻に入ってきた。


部屋の壁のスイッチを押して部屋の電気を付けようとした。スイッチを押して蛍光灯が付いて明るくなったと思ったら自分の部屋ではないどこかにいる。そして妙な臭さが漂っている。さっきまでの部屋の臭いではない。硫黄のような生理的に受け付けない臭さだ。


(何の臭いだ?)


顔を上げて前を向く。目の前に2メートルはあろう大きな巨人の背中が見えた。


黄土色に近い肌。ボロ布のようなものを腰に巻き、右手には血に塗れた太い棍棒を握っている。


(オイオイ…いきなり何だよ)


どうした? 中学の時の休みの日に友達の家で遊んだTRPG、『ロードス島戦記』の世界の夢でも見てるのか?


ふと声が聞こえる。子供の声だ。それも複数。巨人の目の前にいる子供らの声だ。


「#%&‘*?!!」


何を言っているか分からない。少なくとも日本語では無いだろう。それに、泣き叫んでいるので日本語であっても聞き取れる自信は無い。


その子供らの背後には俯いて座っている金髪の女性がいた。見た目からしてハタチくらいのオネーサンだ。


ふわっとした髪は腰くらいまで伸びているであろうか。まるでロードスのディードリットみたいだ。さすがにエルフ耳ではないみたいだが。


白い布を肩の辺りで留めていてギリシャ神話に出てくる神様みたいな服装をしていた。長い脚を思わず追ってしまう・・・。


「#%&‘*?!!!!」


再び子供らの悲鳴で現実に戻される。見境なく大声で泣き叫ぶ子、足が震えつつも巨人の前に立ちふさがる子、腰が抜けたのかその場で声も出ずに失禁している子もいる。そりゃそうだ。俺もあんな巨人に睨まれたら、失禁しそうだ。


「ホブゥゥ??」


巨人が俺に気付いたのか不意に振り向いた。黄土色の肌。前方から禿げ上がった頭。口の端からはみ出る牙のような犬歯。ボディビルダーのような太い筋肉の塊のような腕。競輪選手のようなしまった太い脚。まさに人間離れしたモンスターだ。


(まるでホブゴブリンじゃないか・・・)


不意に口に出たホブゴブリンって言葉。先日、友人の家で見た「ロードス島戦記」に出てきて覚えたものだ。巨大で凶悪で狡猾な巨人のようなゴブリン。ファンタジー界のお約束的尖兵だ。


周囲を見てもディードでもパーンもいない。目の前にいるのはアレに出てくるホブゴブリンだけだ・・・何だこの圧倒的絶望感。恐怖のクライマックスじゃないか!!

(何でこんなところに俺、いんだよ・・・)


すっげぇ怖い。何でこんなところにいるんだ、俺。


それにしても臭ェ。夢なのにこんな臭い匂いがこんなリアルに伝わってくるか? ベタだけど自分の頬をつねってみた。痛てぇ! 夢じゃないのかよ! 思いっきりほほを伸ばしたのでヒリヒリした。


俺はさっきまで自分の家の部屋にいたはずだ。風呂入ってオカンの切ってくれたスイカ食べてから歯を磨き、22時から始まるOh!デカを聴こうとして、家の二階の自分の部屋に入って、CDラジカセの電源を入れて周波数を合わせようと思っていたところだったのに・・・何でこんなところにいるんだ?


「ホブゥゥゥゥゥゥ!!!」


独特の唸り声をあげてホブゴブリンが棍棒を振り上げる。完全に俺をロックオンしてる。うん、完全にヤベェ。街中でカッター持って振り回してるヤンキーと遭遇した時と同じくらい心臓がバクバク鳴ってる。呼吸困難になりそうだ。


早く逃げないと・・・って、足がガシガシ震えてるし、手も金縛りみたいになって動けない! どうなってんだよ! 動け! 動け! 俺の足! 俺の腕!!! もうチビりそうだ!!


「うあぁぁぁぁぁぁぁ」


ホブゴブリンの棍棒が俺に向かって無情にも振り下ろされる。情けない悲鳴が漏れる。うあぁ、こんな所で死んじゃうのかよ。死ぬ前にメロディの望月まゆちゃんみたいな可愛い子とすけべぇなこといっぱいしたかったのに!!!!


突如、振り下ろされる棍棒がスローに見える。同時に目の前に広がるのは女の子の顔だった。


(あぁ・・・麻子ちゃんだ)


小学校の時に告白されたのに転校してしまって音信不通になっちゃった麻子ちゃんの顔。笑顔の彼女の顔は暗い闇の中にすぐに消える。


(これって走馬灯ってやつか・・・最後に思い出したことがこれだけって・・・寂しい人生だったな)


走馬灯は人生の様々な情景が脳裏に現れては過ぎ去っていくと聞いたことがある。そう考えるとやはり寂しい。


(リセットボタンがあればなー)


俺は目を閉じた。できるなら痛みを感じる前に一瞬で命が消えればいいなぁ・・・。




ポコン



間の抜けた音が響く。へっ? ポコン? 痛くないぞ? 死んだのか俺? 本当に痛みなく死んだのか??


「ホブゥゥ??」


恐る恐る目を開けた。目の前にはホブゴブリンが目を大きく開いて驚いて手にした棍棒を不思議そうに見つめている。


ホブゴブリンの棍棒の一撃はまるで海遊びの時に使うエア玩具のような衝撃だった。はっきり言って全然痛くねぇ。どういうことだ? ホブゴブリンも手ごたえを感じていたようで驚いているみたいだ。


よくわかんねぇけど、チャンスか? 何か吹っ切れた。震えも金縛りも無くなってるのがはっきりと分かった。拾った命、もう何も怖くねぇ!


(こうなりゃ当たって砕けろだ!)


俺は一瞬小さくジャンプしてから左肩を前にしてホブゴブリンの胴体目掛けて体当たりを敢行すべくダッシュした。


ダッシュする前に小さくジャンプするのは俺の走る時の癖だった。今は続けてないが、以前は陸上部だった。その時からスパートを掛ける時は軽く弾んで後ろにタメを作るようにして走るのだった。


「だぁぁぁぁっぁぁぁあぁ!」


気合を入れる言葉にならない叫び声を上げながらホブゴブリンに向かって体当たりをした。


「ホブゥゥゥ~!!」


ホブゴブリンがもんどりうって背中から勢いよくゴロゴロゴロと転がっていく。それもボーリングの球みたいにだ。ドシンと激しい音を立ててホブゴブリンは壁にブチ当たって停止した。ピクピクと小刻みに痙攣しているように見える。


あれ? そんなに力あったか俺? 


俺も勢い余って左肩から床に激しく体を打ち付けた。目の前にさっきのホブゴブリンが持っていた棍棒が転がっていた。


メチャクチャ重そうだけど持てるのか? 試しに持ち上がるか持ってみよう。





あっ、持てた。


見た目からして凄い重そうなのに、これ随分と軽いけど・・・だからさっき殴られても痛く無かったのか? ふと棍棒を片手で振ってみる。軽い。バットのようにして振ると逆に軽すぎてバランスを崩してしまいそうだ。


そうだ、これをバットのようにしてフルスイングしたらどうなるか?


俺は棍棒を持ったまま、俺のタックルを喰らってまだ地面にうずくまっているホブゴブリンに駆け寄った。


「チャララ~チャララララ~チャララ~♪」


最近ケーブルテレビの再放送で見ている必殺シリーズの仕事時の開幕BGMを口ずさみながら野球の左打席に入るような感じで二、三度スイングしてから棍棒を構え、低めのボールを打つように左足の膝をつきながらホブゴブリンの腹に向かって棍棒でフルスイングした。


「ホブゥゥゥゥゥゥゥゥ?」


ホブゴブリンは木造の部屋の壁をブチ抜き、凄い勢いで弾丸ライナーで吹き飛んで行った。後に壁に残ったのは直径2メートルくらいの大きな丸い穴だった。


「#%&‘*?!!!」


その光景を見た子供らが再び何かを言ってるがサッパリ分からない。


ひたすら泣いている子や怯えて金髪の女性に頭から服に埋もれるように震えている子もいれば、俺の方を見て目を声を失うほど驚いている子もいる。皆が一様に目の前で起きたことに唖然としていた。まぁ、俺も何だけどさ・・・。

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