デブとイケメンの日替わり物語

水源+α

第1話 目を覚ましたら、大観衆の前でマイク握ってました

 ——自身の鼓動が聞こえてくる。

 胸から全身にかけて響いていく心音が早まり、どんどんと大きくなっていく。


「……」


 ステージの上。16年前に生まれてこの方、こうして少人数でステージに立つことはなかった。学校の朝会や集会、だったとしてもだ。しかも、こんなにも観衆の視線が、自分の一挙手一投足を注目されることもなかったのだ。


 目の前の一面に広がるのは、それぞれ様々な七色に発光させている、サイリウムやペンライト。その中には、「翔太くん♡」やら「ZIX最高!」やら、まるでを褒め称えられているようなワードが大きく記されており、可愛らしくデコレーションされたうちわなど、それらのグッズみたいなものを、とても興奮した様子で振ってくる若い女の子達も居る。


 ——スタジアムは多くの人々に埋められていた。

 鼓膜がはち切れんばかりの大歓声。甲高い女声たちもあれば、野太い男声たちも聞こえてくる。

 こんなにも大勢の人達から歓声を浴びせられたら、誰しも心の底から高揚感に満ち溢れ、大勢の前で何かをやり切ったことに対する、大いなる達成感を味わえることだろうが。俺は、一体こな大勢の前で何をやり遂げたんだろうか。


「はぁ……! ッ!——よっしゃあぁ!! 今日もライブは大成功だぜ! 特に今日の翔太の歌声は最高だったな!」


 そんな大歓声を浴びせられている中で、ステージの上では、隣でエレキギターを持った男が、息を切らして、汗を滲ませながらも、達成感に満ちた顔で、そう叫んできた。

 その言葉に呼応するかのように、ステージ上のドラムとキーボードだろうか。その近くに居た、二人の見知らぬ男たちも続いてくる。


「ああ! これは俺たちの演奏と……翔太。お前の歌声がここのスタジアムにいる観客達の心に響いた証拠だよなっ」

「……そうだな。やっとここまで来れた! やっと……ここまで来れたんだっ!! どれもこれも、お前ら二人のお蔭だ。勿論、翔太! お前のお蔭でもある! ありがとう!」


 そう言って、俺を除いた三人はなんとも嬉しそうな声でこちらに振り向いてくる。

 当然、ここで俺も喜ぶべきだろう。


「——」



 しかし。この場で俺は、なぜみんながそこまで喜んでいるのか理解出来なかった。


「……ん? おい、どうした翔太。ボーッとしてるけど、なんだ? 熱でもあるのか?」

「そ、そうだな。おい、大丈夫か翔太。今日は特にハードなライブだったからな」

「いや、多分嬉しすぎてボーッとしてるだけでしょ。な、翔太」


 ギターの男を始め、他の二人も、呆然としてる俺に、それぞれの反応を見せる。










「……っ?」


 なんだ、これは。

 理解が追いつかない。ここは、何処だ。一体全体何が起こっているんだ。


(……スタジアム? 観客? どういうことだ? ライブってのは、あのテレビでよく観るやつか?)


 俺は今、何してるんだ。何故こんなにも観衆に晒されているんだ。どうしてこんなにも、歓声を浴びせられてるんだ。まるで、のライブ中継のように。


「——!? っ……ぁ……はぁ」


 何故こんなにも息切れしてるんだ。何故喉が痛い。


 全身も疲労のせいか何処もかしこも痛い。俺は一体、これまで何をしてたんだっけ。




 いや、そうだ。そうじゃないか。俺は学校から帰宅して、体育のマラソンの疲労からか今まで自宅のリビングのソファーで気持ち良く寝ていたはずだ。親が仕事から帰ってくる夜七時くらいまで、寝ることによって時間を潰そうとしたのだ。目を覚ました時はいつも通り、夕飯が机に置かれていて、そしてお母さんが俺に向けてこう言うはずなのだ。「またソファーなんかで寝て。風邪引くわよ」と。

 そして部活から帰ってきた中学生の妹には「翔太……いつもより臭い。今日もしかして体育だった? さっさと風呂入ってきて」と言われるまでが、帰宅部のデブの俺こと田代たしろ 大雅たいがの日常だったはずなのだ。


 しかし次に目を覚ましてみたらどうだ——




「キャー! 翔太くんがこっちみた!」

「翔太ぁ!! 今日も最高だったぞぉぉあ!」

「ZIXはやっぱり最高のバンドだぁぁぁぁぁあ!!」

「翔太くんのハイトーンボイス! 今日は一番の出来だった! すごく綺麗だったよぉ!」

「翔太くぅぅうぅうん!」



(目を覚ましたら……なんでこんな状況になってやがる!?)


 観客席に目を向ければ、男女問わず多くの賞賛や黄色い観声を、俺に対して上げてくる。


「っ!」


 そこで、突然の妙な脱力感に襲われた。膝が生まれたての小鹿みたい——というのは少々大袈裟だが、足どころか全身が小刻みに震え、腰が抜けそうになる。

 やがて耐えきれずに、思わず、その場で膝を突いてしまった。


「お、おいっ。本当に大丈夫か!」

「いや、でも確かに俺も今立つのがやっとだが、翔太がこの中で一番ヤバイかもしれない。ライブ以外でも、ボーカルである翔太が一番メディアにも引っ張りだこだったしな……」

「ああ。これまでの疲労が、どっと押し寄せてきてるはずだ。何せ、こんな大舞台でライブした後だ。緊張が解れたんだろうな」


 そんな俺を、さっきから何故か親しげにしてくる三人が、全く見覚えもないことを言いながらも、一様に心配してきた。


「「「……!!」」」


 先程まで大歓声を送っていた観客達の一部が、ステージ上で俺が膝を突いたことに驚いたのか、怪訝な声を総じて上げている。


「どうしたの翔太くん!」

「大丈夫!?」

「頑張ったねっ……! 翔太くん!」


 ステージに近い観客席から、そんな女声達が聞こえてくる。心配してくれるのはありがたいが。


(誰だよッ! というかさっきからショウタとかショウタくんとかうるせぇっ! 誰だよ! 俺のこと言ってんのか!? 俺は大雅たいがなんだけど)


「はぁ……はぁ……っ——」


 上手く呼吸が出来ない。酸素が薄いのか。ここは、山の上なんだろうか。

 全身が痛み、頭がクラクラする。だが、一番辛いのは喉と腹である。なんだこの枯れたような喉と、この息のし辛さは。腹もお腹を壊した時とはまた別種の、筋肉痛に近い症状だ。軋むように痛い。

 まるでカラオケに行った時に大声で何時間も歌い続けた後の症状を十倍くらいにしたような感じだ。


 とにかく、今すぐ早急にこの場から立ち去り、どうやら何処かのステージにいるのは把握できたので親に連絡かけて相談しよう。先ずはそこからだ。身体の方もぶっ倒れそうである。

 そうと決まれば話は早い。即刻、こんな数千人から注目されている最悪な状況から抜け出そうと、立ち上がろうとしたが——


「……ぁ」


(ゃばい。ぅ、意識が……)


 視界がぼやけ、余りにも体に無理が効かなすぎて地面に一直線に倒れ込んでしまった。




 ——おい! 翔太!


 



 だから、誰だよショウタって。


 そんな悲痛の叫び声にツッコミを入れた最後に、そこで意識を失った。

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