第4話 修然

 喉が干上がる。アスファルトの熱気は数時間前の水気をとうに吸いつくしている。

「波子さん、お味はいかが?」

 芝居じみて、小首を傾げた深有紀さんは愛らしく映る。だが。

「不味い」

 私は意地悪く笑って言ってやった。目の前の彼女の表情がみるみる萎れてゆく。私は容赦しない。不味いものは不味い、美味いものは美味い。そしてこのオムライスと言ってよいのかわからない斑な米と卵が入り混じった代物は明らかに不味かった。

「波子さんが不味いというのなら、本当に不味いんだ」

 諦めたように深有紀さんは、うんと大きく伸びをした。真新しいエプロンがばさりと床に投げ捨てられた。

「私は食べる方が好きなのにな」

 からりと笑ってそれからぎゅっと目を瞑る。

「私も食べる方が好き。作るのは時間がかかるのに、食べるのなんて一瞬だからさ」

「波子さんのそういうところ、意地が悪いわ」

「はは、バレた?」

 冗談めかして言ってみせた私は、深有紀さんが思っている以上に意地が悪い。愛している人の望むことが私より苦手で、困りきっていて、私のことが羨ましいと言う彼女は、可愛らしくって憎らしい。本当は少し泣いてしまいそうなほどに落ち込んでいることがわかっているけれど、慰めなんて言わない。お世辞だって言ってやらない。それを意地が悪いと言われたってかまわない。私は彼女が望む言葉はそれらでないと知っている。


「野菜、切ろうか」

 ティッシュボックスを彼女の方へ押しやって問う。瞬時に伸びた白い手が、柔らかな白を引っこ抜く。美しい、女の人の手だと思った。

 時折漏れる、不規則な呼吸が耳を塞ぐ。目の前を何度も行き来する薄っぺらく細い骨の張った指ばかりを見ていた。

 彼女の指をもっとよく見ておきたいと思った。同時に少女のように伏せる横顔を引っ叩いてやりたいとも思う。苛立たしい、可愛らしい。煩わしい、微笑ましい。逃げ出したい、抱きしめたい。消えてほしい、愛おしい。


「困ったわ。野菜がもうないの」

 すっきりとした声が私を引き止める。

「それは……困ったね」

「うん、とても」

 言うや否や、日焼け止めを念入りに塗る目元は真っ赤に腫れている。

「私も塗らなくちゃ」

 独り言へ応えるように、目の前に日焼け止めクリームが滑り込む。私達は何かのおまじないのように丹念にクリームを塗りたくる。

 彼女の目元へ手を伸ばす。そろりと触れた瞼は、少し熱かった。けれども乾いた瞳、青白い色は平常通りだ。この熱は外の熱に紛れてしまうだろう。それでいい。

 完全防備の素肌を追いかけて、腕をとる。一瞬驚いて、それから困ったように笑う彼女は、ぱっと私の手を拾い上げた。私は仕方がないという表情を浮かべて手のひらに力を込める。すると深有紀さんはやっぱりたのしそうに声をあげて笑ったので、私は大分愉快になった。


 不味いオムライスも、塩分を吸ったティッシュも、華奢な白も全部どうだっていいような気がした。本当にどこかへ置いてきたみたいにどうでもいいことだと思った。軋む扉を押し開ける。

 繋いだ手を揺らして私達はゆっくりと夏を歩く。

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