妖縁~あやかしえにし~

内田 健

プロローグ

 まだ残る雪を踏みながら進む。

 振り返って歩いてきた道のりをぼんやりとみて、ずいぶんな距離を歩いてきたなと思う。

 安生恭平はゆっくりと息を吐いた。

 吐き出された白は、足元に限らずあたり一面に広がる雪の色に混ざって消えた。

 もう山奥だ。標高は2000メートル近いだろう。

 標高は高いものの険しくはないので、万一のための雪山登山装備もほとんどいらないのはありがたいことだ。

 まあ、恭平は非科学的な方法を複数用いて対策しているので、一般の登山家から見れば「雪山を舐めている、自殺行為だ」と言われるような薄着であることは間違いないのだが。

「さて、どこにいることやら」

 腰の刀をもう一度確認する。

 もう並成も終わったというのに、実に時代錯誤な物を持ち歩いているものである。

 いや、時代錯誤というのは語弊がある。

 服装は現代の店で売っているものなので、実にちぐはぐな、というのが正解か。

 都心でこの格好をしていたら確実に浮くだろう。

 むしろそのまえに銃刀法違反で警察のお世話になること請け合いだ。

 なのだが、事この地に限っては、ただの人間ならばして当然の武装。

 いや、アサルトライフルくらいは所持していて過剰でもなんでもない。

 何故なら。

「……この先か」

 周囲一帯、ここまでずいぶんと山奥に入ってきた。

 少なくとも見える範囲では、雪原には何者かが歩いた形跡すらなかった。

 それは人間はもちろん、動物も含めてだ。

 だというのに、突如足跡が現れた。

 間違いなく人間のものではない。

 かといって、動物のものでもない。

 この山にはいまだ多くの野生動物が暮らしているが、そのどれでもないのだ。

 恭平は一層警戒を強めながらも、歩みを鈍らせることなく進んでいく。

 ふと、耳に届く鳴き声。

 風の音でもない。

 動物の足跡も無い、といったとおり、この山に入ってある程度進んでからは、生き物の声すら聞いていなかった。

 周囲を注意深く見まわしてみる。

 すると、とらばさみにかかっている動物が。

「猫、か」

 恭平はとらばさみにかかって、助けを求める猫に近づいていく。

 ゆっくりと。

 ゆっくり。

「バカメェェ!!」

 突如、猫が巨大化した。

 そして恭平に襲い掛かった。

 ……のだが。

「ヌウ!?」

 巨大な爪が振り下ろされ、空振りした。

「バカはお前だ」

 恭平はすでに、巨大化した猫から距離を取っていた。

 刀は抜いていないが、柄は握っており臨戦態勢なのが一目でわかる。

「フン、ヨクキヅイタナ」

 巨大な猫が嗤う。

 自分が優れていると考え、相手を下に見ている者特有の笑い方だった。

 そう、この巨大な猫は人間でも分かるように嗤ったのだ。

「分からないと思ったか」

 尻尾は2本。

 そう、妖怪の猫又である。

「ホウ、オマエ、シッテイルゾ」

「俺を知っているのか」

「アア、モチロンダ」

 猫又がわずかに攻撃態勢を取った。

 実に狡猾なやつだと恭平は思った。

 相手を見下しておきながら、その実まったく警戒していない。

 つまり、相手に「この猫又は油断している」と思わせられたらいいと考えているのだろう。

 仮にそんな考えがなく無意識だったとしても、性格が悪いことに変わりはない。

「ヨウカイセンモンノナンデモヤ。ニンゲントヨウカイノキョウゾンヲメザシテイルンダッテナ」

「へえ? 良く調べてるな」

「クカカ……ソンナオマエガ、ヨウカイタイジトハワラワセル。キョウゾントハセイハンタイ、オマエニソンナコトハデキナイ!」

 そこまで言って、猫又は哄笑する。

 恭平に自分は殺せないと。

 が。

「前言撤回。推測は的外れだし、肝心なことまでは調べてない」

「……ナニ?」

 恭平は鯉口を切った。

「お前の討伐依頼を出したのは、ここの管理人だよ」

「ナンダト?」

 すらりと刀を抜いて猫又に切っ先を突き付ける。

 美しい波紋が、雪が反射した太陽光を受けてきらりと輝いた。

「お前、隣町から人間をさらって喰っただろう」

「……ホウ、ヨクシッテルナオマエ」

「その事実を知った管理人からの伝言だ。『共存施策の邪魔をするお方は不要でございます』だとよ」

「ソウカ。バレチマッタモンハシカタガナイ」

 猫又はくっくっと笑う。

「シカシ、ソノカンリニンモタイシタコトナイナ。オレヲケスタメニヨコシタノガオマエミタイナニンゲンダトハナ!」

 いうや否や猫又が突進する。

 速い。

 まるで自動車並みの速度で恭平に迫る。

 この体の大きさでは、重量もそれに比例したものになるだろう。

「やっぱり何も分かってないな」

 ド迫力の猫又の突進。

 しかし恭平はまったく動じることなく、ひらりと身体を翻してすれ違いざま刀を一閃。

 猫又の左前足が吹き飛んだ。

「!? ッガアアアアア!!」

 突如腕を切り飛ばされた激痛に、猫又は激しくのたうち回る。

 さすがに痛みは我慢できなかった様子だ。痛みを与えることはあっても、与えられたことはなかったのだろう。

「何の勝算もなくこんなところまで来るはずがない。そうは考えなかったのか?」

「グ、グウゥ……」

 意地の悪い問いである。

 考えなかったから、警戒もせずに突っ込んできたのだ。

 見た目何の変哲もない刀。

 それが、人間の胴よりも太い腕を切り飛ばした。

「レイキモナイオマエニ、ナゼコンナ……」

「さあ、答えてやる義理はないな」

 恭平はずんずんと近づきながらも刀を振り上げる。

 その目は冷たく。

 もう終わり、と言わんばかりに。

 終わらせる、と言わんばかりに。

「マ、マテ……ニンゲンダッテニンゲンヲコロスダロウ! ソイツラハツミニトワレテモシナナイコトモアルジャナイカ!」

 それは、腕を失った痛みに苛まれながらも、どうにか絞りだした理屈なのだろう。

「そうだな。けれど、人間は人間が作った法が裁く。妖怪であるお前は、妖怪によって裁かれる。ただそれだけだ」

「クッ……クソガッ!」

 説得や懐柔も不可能と判断したらしい猫又が、破れかぶれで恭平に向けてとびかかる。

 四本足で突進していた時と比べて、ほぼ後ろ脚のみとなった猫又の動きは、恭平にはずいぶんと鈍く見えた。

 残った右前足の攻撃をさっとやり過ごし。

 猫又の首元に刀を設置すると、そのまま斜め上に一気に振りぬいた。

「人間にどうしようもないヤツがいるのはその通りだけど、それとお前の罪は別の話だ」

 地面に転がった頭が、憎々しげに恭平を見る。

 さすが妖怪。首を飛ばされても生きているとは、人間よりもはるかにタフだ。

 けれども、やはり首を刎ねられてしまえばあっけないもの。

 捨て台詞を吐こうとして音にならずに失敗し。

 猫又の目からは光が消える。

 腕同様、しなやかな筋肉によって人間のそれとは比べ物にならないほどに太い首だったが、恭平の手にはさほどの手ごたえもなかった。

 多少血のついた刀身を上から下まで眺める。

「……よし」

 刃こぼれなどのダメージは残っていない。

 傷などつかないとわかってはいたが、念のためだ。

 この刀のおかげで、今日も無事生き残れた。

 感謝を込めて血をふき取り、鞘に納める。

 仕事は完了だ。

 今日はもう帰って寝たい。

 仕事とはいえ、こうして斬り捨てることを望んでいるわけではない。

 斬らずに済むならその方がいい。

 だが、そんなことを言ってはいられないのも現実だ。

「……ぐっ」

 身体から力が抜ける。

 刀を使った反動だ。

 短時間だったのでこの程度で済んでいるが、戦いが長引けば命に係わる。

 それでも。

 この刀は必要なものだ。

 手放せない。手放すなどとんでもない。命の危険があろうとも。

「ふう……」

 気をしっかり持つのだ。

 この程度ならばしばらくすればじきに回復するのだから。

 恭平はもう用は無いとばかりに踵を返し、仕留めた猫又を一顧だにせずに下山を開始した。

 いつもと変わらない、特別でも何でもない一日である。

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