バレンタインデーの葛藤

シン・ミカ

バレンタインデーの葛藤

 日和蓮也ひよりれんやはクラス委員長である相泉愛花あいいずみあいかに恋をしている。


 高校1年の3学期も中盤を迎えた2月の中旬。

 授業も終わり、教室が帰宅ムードになっている放課後。日和蓮也は窓際の最前列に目を向けた。


 視線の先にはクラス委員長、相泉愛花あいいずみあいかが帰り支度を始めている。

 周りが雑談に花を咲かせている中、彼女は凛とした態度で淡々と成すべきことを進めていく。



(かっこいい……)



 そんな姿勢に自然な感想が溢れた。

 身長は約160センチと平均的。サラッと艶のある黒髪を胸元まで伸ばし、キリッとした切れ長の目には赤の眼鏡を掛けている。手入れの行き届いた白くて綺麗な手。すらっとしたスタイルの細い足には肌の色が透けて見えるストッキングを着用している。

 見れば見るほど厳格で、少し大人っぽい色気のある女子であった。



「おい蓮也、カラオケ行こうぜ――って何見てんだ?」



 そんな姿にほうけていると背後から声が掛かった。

 短髪で芸能事務所に在籍してそうなイケメン。彼は蓮也れんやの友人で、なんだかんだ幼稚園からの仲である。

 蓮也は慌てて視線を戻し、誤魔化すように頭を掻いた。



「いや? なんでもぉ……ないっすよ?」



 友人に対しては使うことのない丁寧語。

 素直な蓮也は誤魔化すことが非常に苦手だった。故に嘘をつくことも下手であり、頼み事は断れないタイプなのだ。



「誤魔化すの下手かっ。委員長のこと見てたのか?」



 いきなり図星を付かれてしまうが、友人は既に蓮也の気持ちを知っている。

 だから動揺することはないだろう。



「そそそそんなことないよ?」



 そんなことはなかったようだ。

 蓮也は言葉を揺らし、瞳孔を泳がせている。



「動揺しすぎだろ! まだ委員長狙ってんの? いい加減やめといた方がいいんじゃないか?」



 意味深げに呟く友人。

 その理由を蓮也はしっかりと察していた。



――相泉愛花あいいずみあいか日和蓮也ひよりれんやを嫌っている。



 人に対して厳しい彼女は責任感のある性格で、いつも規律を守るようにクラス全体へうながす。

 そのため厳しい言葉だったり、時には棘のある言い方をしたりもする。

 決め台詞は「提出期限と約束は守りなさい」――だ。


 しかし言っていることは正しい。

 そんな刺すような言動をすれば反発されそうなものではあるのだが、その律儀さと裏表のない態度に、クラスメイトからの支持も厚くなっていた。


 まるで叱り付ける母親と渋々言うことを聞く子供のやり取りぐらいには馴染んでいる。

 だからこそ、そんな厳格な彼女でもクラスメイトには笑顔を見せたりするのだ。

 そこがまた可愛いくて、人間味があると蓮也は思っているのだが――。



(はぁ……)



 ショックな事に蓮也には、そんな笑顔を1度だって見せてくれたことがない。

 むしろ他のクラスメイトよりも厳しく接している節がある。

 日頃からなよなよしている蓮也は優柔不断な部分もあり、恐らくそれが真っ直ぐで決断力のある彼女の癇に障っているのだろう。

 侮蔑ぶべつするように睨まれることが多々あるのだ。



「元気出せよ! 他に目を向けてみたらどうだ?」



 さらにはその事実はクラス中でも存知の事実であった。「相泉さんは日和には厳しいよね」と声に出さずも察している。

 もちろんこの友人も。



「無理だよ……」



 だけどどんなに嫌われていようとも、好きなものは好きなのだ。この気持ちだけは譲れないし、変わらない。



「隣のクラスの佐藤はどうだ? 噂では蓮也のこと気になっているって話だぜ」


「初耳なんだけど」



 唐突に聞かずてならない話題が蓮也の心を揺すった。

 蓮也はモテない。なよなよしていて女々しい動作も多く、女子からはあまり好感を持たれていないのだ。

 それなのに、そんな蓮也を気にしている女子がいる。ただそれだけで興味を引くには十分な要素である。



「佐藤はお淑やかだし、いい子だと思うぜ」



 隣のクラスの佐藤さん――お淑やかな印象の少女で、蓮也とはあまり接点がない。廊下越しに何度か挨拶した程度である。

 一体どこに好意を持つ要素があったのかと蓮也は考えるも――すぐにどうでもよくなった。



「でもやっぱり、僕は彼女しか見れないよ」



 1度言葉を止め、机に伏せながら嘆く。

 好意を持たれている可能性があるという事実には素直に嬉しい。しかしそれでも蓮也は委員長がいいのだ。



「恋してんなぁ、まぁ頑張れよ。んで、カラオケ行くの?」


「今日は用事が……」


「あぁ、昨日助けたじーさん? 大丈夫じゃないか?」


「そんな訳にもいかないよ。あのおじいちゃん足を挫いちゃってて。それに今日だけだから」


「そっかそっか。まぁ早めに終わったら連絡くれや」



 事情を察した友人は気さくに笑い、足早で他のクラスメイト達と合流。そのまま教室を出ていった。

 ちなみに「昨日助けたじーさん」というのは、下水路に足がハマってしまったお年寄りを蓮也が助けて、そのままお手伝いすることになったという話である。



 ――いい友達を持ったな。


 そんなことを考えながら友人の後ろ姿を見送った。

 付き合いが悪いとクラスメイトからあまり友好的には見られないし、そのうち誘いも来なくなってくる。

 しかしそうならないのは蓮也のことを気にかけてくれる友人がいるからなのだ。



日和ひより君。選択授業の提出プリント出してくれない?」



 すると新たな声が鼓膜を揺らした。

 琴を奏でたような透き通った声。

 振り向かなくてもわかった。この声の正体は――。



「ご、ごめんなさい。相泉あいいずみさん」



 相泉愛花がそこにいた。

 切れ長の目を細めて、睨んでいる。

 即座に机からプリントを探し出した蓮也は記入を済ませ、両手で捧げるように彼女へプリントを差し出した。



「こ、これ」


「提出期限は守りなさい」



 ここで決め台詞が炸裂。

 プリントを受け取った委員長は冷たく息付き、早々に立ち去っていく。

 思わず見とれてしまいそうになる程、優雅で無駄のない気便な動き。

 その動作には品位もあり、まるで物語の貴族や騎士のような印象を受ける。



(はぁ……)



 内心で思わずため息が漏れた。

 厳しめな態度に睨みつける視線。やはり嫌われているのだと再認識したからである。


 でも諦めるわけにはいかないのだ。

 これは蓮也の初恋だから。


 委員長との出会いは受験の試験当日まで遡る。

 席を間違えて座っていた蓮也に対して委員長は「そこは私の席ですよ」と告げて、自身の受験票番号を見せてきたのだ。

 受験ということもあり緊張で、焦って蓮也は頭を真っ白にし、あたふたしてしまった。

 しかし彼女はそんな蓮也に「落ち着きなさい」と注意を促し「890番は向こうですよ」と本来座るはずだった蓮也の席を指し、誘導してくれたのだ。


 そう――きっかけはそれだけだ。


 入学してから同じクラスであることを知り、彼女を自然と目が追っていた。

 成績が優秀な彼女はそれを裏付けるように授業へ真っ直ぐと向かう。委員会や日直、その他の役割をテキパキとこなし、間に合わなければ自分が動く。


 気づけば蓮也は彼女の虜になってしまっていた。

 それから蓮也は相応しい男になろうと、努力することに決めたのだ。

 主に自信をつけるための筋トレぐらいしかやっていないが。



「日直またやってないよ」



 誰もいなくなった教室で、そんな独り言を蓮也は呟く。

 前の授業の内容が書かれた黒板を丁寧に消し、溝に散らばったチョークをケースに戻す。

 最後に花瓶の水を入れ替えて教室を後にした。








「ヴァレン――シュタイン?」


『それは神聖ローマ帝国で功績を残した隊長、もしくはなんかのキャラの名前な? ――違う違う。俺が言いたいのはバレンタインだ』



 その日の夜。電話越しに友人のユーモアある的確な指摘をいれられる。

 思いのほか用事が長引いたせいで、連絡するのが夜になってしまったのだ。



「バレンタインってあの?」


『そう、チョコを貰う方のバレンタインだ』



 バレンタインとは言わずもがな、女性が男性に対してチョコを渡すというイベントである。



「僕にはあんまり関係ないかな……」


『確かにうちの中学ではそういうのあんまり意識しなかったよな。でも蓮也、高校最初のバレンタインだぜ? もしかしたら貰えるかもしれない。それが義理でもだ』


「……確かに」



 地元の中学校は進学校ということもあり、そういったことはカップル同士などが密にやっていた部分があった。

 学校側も、先生も厳しく、表立ってチョコを渡すなどという愚か者はいなかったのだ。その結果そういったイベントにはあまり関心がなくなっていた。



『明日は委員長から貰えるといいなっ』


「明日!?」


『2月14日は明日だぞ?』



 蓮也はスマホをスピーカーにして、カレンダーを確認する。

 本日は2月13日――確かに明日はバレンタイン当日だった。

 それよりも――。



「相泉さんから貰えるわけないよぉ」



 委員長がチョコを渡すというイメージが湧かないだけではなく、嫌われているというレッテルがあるからだ。



『あははっ、まぁ委員長のキャラじゃないよな。でも隣のクラスの佐藤からは貰えるかもしれないぞ?』



 隣のクラスの佐藤さん――話を聞いた時は少しは気にはなった。

 彼女はテニス部だったので、帰り際にコートをチラッと覗いて見たが、優雅にラケットを振るさまと、揺れるスカートにドキッとしてしまった。



「相泉さんのチョコだべだいぃぃ」



 しかし何度も言うようだが、蓮也が大好きなのは委員長なのだ。

 委員長のチョコが食べれるなら、鼻から炭酸水を飲みきってもいいとさえ思っている。



『あははっ、俺はもう1つ貰えるのは確定してるからなぁ』


「えぇ!?なんでさ」


『LUINで連絡来たんだよね。明日チョコ渡しますね、って。友チョコみたいな感じじゃないかな?』


「チョコって予約制なの!?」



 それだったら連絡先が家族と電話越しの友人しかいない蓮也はそういったチャンスにすら巡り会えない。



『まぁ何にしても明日が楽しみだな! じゃあ俺はもう寝るぜ』



 そう言って友人は通話を切る。

 何故か複雑な感覚だけが残った。







 バレンタイン当日。

 クラスメイトの男子達は案の定そわそわした様子であった。

 朝から既にチョコを渡している女子もちらほら。


 そういったイベントが蓮也の周り起きるわけもなく、そのまま昼休みになった。

 しかしそこで予想外の出来事が起こる。



「委員長がチョコくれんの!?」



 クラスの男子が大声でそう叫んだのだ。

 その言葉を耳に入れた蓮也は思わず凝視した。



「みんなに作りました」



 毅然きぜんとした態度でうっすら口元を緩める委員長。

 その言葉に蓮也はほっと胸を撫で下ろした。



(個人にじゃなくて、みんなにか。よかった――――ってみんなに!?)



 そう思ったのも束の間、蓮也は飛び出す勢いで立ち上がった。

 周りの視線が微かに集まる。

 しかしそれどころではない。



(つまり……僕も貰えるって事じゃないだろうか)



 思わず拳を握る。うちから炎が燃え上がっていくように期待が膨らんでいく。

 こうなったら炭酸水を用意しなくてはならない。主に鼻から飲むために。


 委員長がチョコを配り出すと、クラス中にいた男女が「なになに?」と集まっていく。

 分け隔てなく女子にも渡しているようで「委員長そういうキャラじゃないじゃーん」などキャッキャとはしゃいでいる。

 チョコを貰ったクラスメイト達は「ありがとな」「サンキュー」など各々感謝を述べて散っていった。


 蓮也はどうするべきかを迷っていた。

 頭の中では様々な葛藤が過ぎる。



「行きゃいいじゃん」



 ひょっこり現れた友人が、軽い口調で促す。

 両手には3・4個ほどのチョコを持っていて、口をもぐもぐとさせていた。



「で、でも」


「無くなっちゃうかもしれないぜ?」


「そ、そうだね」



 蓮也は再び立ち上がった。

 大方のクラスメイトが散ったおかげで近ずきやすい。

 1歩、また1歩と足を進めていき、



「こ、こんにちは。相泉さん」



 声を掛けた。ただそれだけでも勇気が必要である。



「こんにちは」


「あ、あの……」



 蓮也がどもっていると委員長の口が先に開く。



「ごめんなさい。日和君の分はないの」



 時が止まった。そんな感覚に苛まれる。

 それを裏付けるようにその場でも沈黙が走った。

 脳が現実を理解するのに1秒の時間を要した。



(僕の分は……ない?)



 それは喪失感。虚無にも似た感覚が心の奥から支配していく。

 チョコがないのではなく、蓮也の分がないのだ。


 蓮也は瞬時に対応を切り替えた。

 愛想笑いを浮かべて右手で後頭部を撫でながら、



「あはは、そうかぁ。残念だなぁ。でもまぁ僕、甘いもの苦手だったから」



 気持ちを隠すための下手な嘘を付く。

 そして委員長の表情を見ることなく振り返り、教室の出口へゆっくりと向かう。

 廊下に出て方向転換した途端に蓮也は勢いよく走り出した。







 その後の授業には身が入らず、あっという間に放課後になった。

 気持ちを察して友人が心配するように蓮也の元へ近づいてくる。



「な、なぁ蓮也、カラオケでも行くか? 今日は俺が奢ってやるからさ」


「そんな気分じゃないんだ……」


「そ、そうか? あんまり気にするなよ」



 気にするな――それは不可能であった。わざわざ名指しで拒否された事実を思い出し、さらに心を抉る。

 もわっとした喪失感が心底しんていから蓮也をむしばんでいく。



「今日は1人で帰るよ。気を使ってくれてありがとね」


「んー……わかった。まぁあんまり考えすぎんなよ。後、家帰ったら連絡しろよ。絶対だからな」



 友人はそう言って帰路に向かった。


 ――ありがとう。

 心の中で感謝を述べて蓮也はその場でしばらくしていた。


 30分ほど経てば教室には誰もいなくなる。

 悲壮感に耐えかねて帰ることにした蓮也は、いつものように日直のやり残した仕事を片付けて教室を出た。


 階段を降りる足取りは重い。

 昇降口に到着すると空はほんのりと赤く染まり、部活動に勤しむ生徒の掛け声が聞こえてくる。そんな声がやけに遠く感じて、ここには自分しかいないことを強く実感した。

 靴を取り出そうと下駄箱を開ける。

 いつも通り蓮也のスニーカーがあった。しかしその上には何かが置かれていたのだ。



「…………ん?」



 よく見なくてもわかった。それは手紙。

 淵をピンクと白のストライプテープで囲い、真ん中には封を止めるための花のシール。

 それはどこからどう見ても、ラブレターを連想させるようなものがそこに置かれていた。


 すぐさま蓮也は首を振り、誰もいないかを確認。

 下駄箱を1度閉じる。日和ひより、と自分の苗字がしっかりと書かれていた。



 (うん、僕の下駄箱だ――)



「でぇぇぇぇ!? ラブレター?!」



 そしておののいた。向かいの下駄箱に背中を追突させてしまう。


 そんなことが有り得るだろうか。

 

 蓮也は手紙を手に取り、猛ダッシュで近くのトイレの個室へ駆け込む。

 震える指で手紙を開くと、仄かな甘い香りが鼻を指す――ような気がした。

 内容を確認。



『教室に戻ってきてください』



 女の子らしい丸っこいかわいい文字でそれだけ書かれていた。


 体が硬直する。

 今どきメッセージアプリとかではなく手紙を出すだとか、1文しかないから余白が多いとか、そんなことはどうでもいい。

 バレンタイン、手紙、呼び出し、ときたら考えられる可能性は一つ。


 ――告白。

 では相手は誰であろうか。

 ここで先日からの友人の言葉が頭を過ぎらせる。



『隣のクラスの佐藤、お前のこと気にしているらしい』



 ――佐藤さん!

 蓮也は昨日の放課後に見たテニスに勤しむ女子の姿を頭に想像させながらそう結論づけた。



 ――いやいやまてまて。

 まだ告白と決まった訳では無い。間違っていたらただの勘違い野郎である。

 首を振りながら蓮也は葛藤を始めた。


 でも万が一、億が一、告白されたらどうするか。

 答えは決まっている。


 ノーだ。

 悪いと思ったが、蓮也には大好きな人がいるのだ。



「よしっ……」



 早る鼓動を抑えて教室へと足を運ばせた。

 どんな事情があれ、教室に戻るしか選択肢はない。


 教室に着くと全体が茜色に染まっていて、なんとも言えない雰囲気が漂っている。

 誰もいない教室で、自分の席に座り背筋を伸ばす。


 しばらくすると、ガラガラっと扉が開く音がした。

 教室に入ってきたのは――――委員長、相泉愛花あいいずみあいかであった。

 ドキッと心臓が跳ねたが、すぐに収まる。

 委員長はノートを2冊持っていて、委員の集会の帰りだとわかったからだ。


 つまりはこれから帰宅というところ。

 それを察した蓮也は眼を逸らす。昼休みの事もあり気まずかったのだ。


 同じ事を感じてか、委員長は蓮也に視線を向けるも、無言で窓際の自分の席へ歩みを進める。

 そのまま荷物をまとめ出した。



(うぅ……気まずい……)



 こんな状態で佐藤が来てしまったら、気まずさはピークになる。

 自分の好きな女子に、他の子と話しているところを見られたくないと蓮也は考えたからだ。


 今だけは早く帰ってほしい。

 そんな願いを抱いてしまう。


 帰り支度をキビキビと済ませ、委員長はリュックを背負う。


 そんな些細な動作ですら綺麗で、やっぱり自分は彼女が好きなんだと蓮也は自覚した。

 その反面、嫌われているという事実が胸に突き刺さり、複雑な感覚に陥る。


 委員長は早々に出口に向かって歩き出した。



(ふぅ……)



 自然と安堵に嘆息を漏らす。

 しかし、出口の扉に差し掛かった委員長が足を止めた。



「日和君は、甘いもの嫌いなの?」



 そしてあろう事か、目線は教室の外へ向けたまま唐突に質問をしてきたのだ。



「えっ、あ、う、うう?」



 まさか声を掛けてくるとは思わず、蓮也はテンパってしまう。

 非常に間抜けな文言に羞恥な感情が出るも、落ち着きを取り戻す。



「そ、そうでもないけど」


「そう」



 短い沈黙。

 何故か委員長は出口で立ち止まっている。



「ふーっ……」



 息づくように深い呼吸をする委員長。さらに突然方向を変え、蓮也の席へと迫ってきた。


 座りながらも蓮也の身体が自然と後ずさる。

 委員長は背負っているリュックを手元に戻し、中からあるものを取り出した。



「これ」


「えっ……」



 さらにはそのあるものを、蓮也の前に差し出したのだ。

 それは白くて四角い箱だった。周りを黒枠の線で囲っているスタイリッシュな箱に、委員長の眼鏡と同じ赤色のリボンが十字に結ばれている。



「これは……?」



 言いにくそうに視線を逸らす委員長。



「チョコ……」


「――――っ!」



 短く告げた。頬は夕日のせいかほんのりと赤い。

 蓮也は驚きすぎて目を大きく見開く。


 この瞬間、鼻から炭酸水を飲むことは確定している。


 しかし委員長の進撃は止まなかった。 



「手紙……読んだんでしょ?」


「えっ!?」



 手紙――蓮也に思い当たる節が一つしかなかない。

 下駄箱に添えられていた手紙は佐藤が出したものではなく、委員長が出したものだったのだ。



「相泉さんが書いたの? どうして?」


「察せない?」


(うぉぉぉぉぉぉぉ)



 すごむように蓮也を睨む委員長。

 正直な話、これだけで察せるわけがない。

 しかしそんな視線にも心臓がバクバクする。



「チョコを……渡したかったから?」


「……そうよ」



 再び眼を逸らし、唇を少し尖らせて呟く。

 普段の強気な態度とは裏腹に、緊張しているようにも感じる。

 なんとも可愛らしい表情で、そんな姿を目の当たりにした蓮也の中で、何かのスイッチが入った。



「相泉さん――」



 そして立ち上がった。

 もしかしたら勘違いかもしれない。

 むしろ99パーセントそうだろうとも思っている。

 しかし目の前に映る委員長が可愛すぎて、綺麗すぎて、好きすぎて――この沸き立つ衝動が、駆け上ってくる気持ちが抑えられない。


 何のために筋トレを頑張ったのか。

 自身をつけるためだ。


 何のために今があるんだ。

 彼女に――告白するためだ。



 ――さぁ言え。言うんだ。

 気持ちが声がとなり、脳内で暴れている。



 ――口が開け。声を出せ。

 息を吸うことすらままならない。心臓の鼓動が呼吸の邪魔をする。



 ――振られたくない。

 でもこの気持ちを抑えられるのであれば思春期の男子など存在しない。

 だからこそ荒ぶる呼吸に気持ちを乗せるつもりで、蓮也は口を開いた。



「ぼ、ぼきゅは――」



 噛んでしまった。

 でもそれでいい。言い直すな。進めろ。言い切るんだ。



「あ、あなたのことが、すきです!」



 声の強弱がバラバラだった。

 でもそれでいいのだ。どんなに惨めになろうとも、最後まで気持ちを伝えるべきだ。



「僕と、付き合ってください!」



 最後は目を瞑り、頭を下げて言い切った。渾身の気持ち投げ入れた。


 達成感と、その後の彼女の反応に対する期待とが、板挟みとなり心音を早める。

 不思議と恥ずかしい気持ちはなくなっていた。


 顔を伏せたまま、彼女の返答を待つ。

 10分にも感じる一瞬の黙考。



「私は――」



 聞き取りやすい声色が耳朶じだを震わす。



「誰かのために頑張ってる日和君が好き……よ」


「えっ――」



 予想外すぎる返答に、蓮也は思わず顔を上げる。

 唇に手を添えて、リンゴのようにかーっと耳まで赤く染めた委員長――相泉愛花が目線を逸らしていた。

 真っ黒で綺麗な瞳には透明な膜が張っていて、うるうると揺れていた。



「私でよければ――お願いします」



 ――何が起きたのだろうか。

 無意識に自分の頬を抓るもピリっとした痛みが伝わってくる。


 ――今、目の前の彼女はなんと言ったのだろうか。

 お願いしますと、そう聞こえた。

 エコーされた彼女の声が脳内に響き渡る。


 それはつまり――了承という意味に他ならない。


 いったいどこに、蓮也の告白を受け入れてくれる要素があったのか。

 だけど、そんなことは後から考えればいいのだ。


 それよりも、愛花あいかが告白を受け入れてくれたという現実が待っているのだから。

 そう実感した途端、蓮也の中で喜びの感情が爆発するように燃え上がった。



「や、やったぁぁぁぁぁぁ!」



 あまりの嬉しさに大きく両手でガッツポーズをした。



「日和君、落ちつい――」


「やったよ。やったよ! 嬉しい! 僕は幸せだぁぁぁ!」


「――落ち着きなさい!」



 はしゃいでいると、ビシッと鋭い叱咤を受ける。

 しかしいつもの鋭さはなく、心なしか恥ずかしそうにしている様子であった。



「ごめんなさい……幸せすぎて」



 しゅんと少し顔を俯ける蓮也。

 またも頬を染めていく愛花。今ならわかる。それは夕日のせいではないことに。



「大切にしなさいっ」



 朱色に染まった顔のまま、ぷいっとそっぽを向く愛花。

 この日から、日和蓮也と相泉愛花は付き合うことになった。







 高校二年生の夏休み、大学受験に向けて夏期講習のために相泉さんとは同じ塾でのこと。



「こんな僕のどこが好きになったの? 自分で言うのもあれだけど、なよなよしてるし、カッコよくないし……」


「そうね」



 了承する相泉。

 概ね正しい回答ではあるが、蓮也のガラスのハートを啄いてくる。



「入学式のとき――」



 蓮也の答えを待たずして、愛花は続けた。



「廊下に置かれていた装飾の花瓶が倒れていたわ。誰もが目にも止めず、談笑しながら過ぎ去っていくの。蓮也くん、あなたならどうする?」


「ん~……僕なら元に戻すかな?」



 唐突な質問に、蓮也はしばし考えてから結論を告げた。



「そう。そんな中、蓮也れんや君。あなただけは花瓶を元に戻したのよ」


「えっ?」



 まるで見てきたような口ぶりに蓮也は考えてみたが一向に思い出せない。



「その様子だと覚えていないみたいね。でもそういうところが好きなのだけれど」



 手を添えて、ふふっと小さく笑う。

 なんとも奇麗な仕草だ。


 しかし蓮也は、それだけで? と思ってしまった。

 そんな蓮也を見つめながら再び愛花の口が開く。



「蓮也君はさ、ジュースを飲み終えたゴミはどうする?」


「えっ、ゴミ箱に捨てるけど」


「じゃあ廊下にゴミが落ちてたら?」


「拾ってゴミ箱に捨てるよ」


「じゃあ箒が出しっぱなしで放置されてたら?」


「掃除用具入れに戻すよ」


「次の授業が始まる前に、黒板に前の内容が書かれたままだったら?」


「消すよ」


「私はね、そんな当たり前なことが、当たり前に出来る蓮也君が好きなのよ」


「えっ」


「使った道具は元に戻す。黒板を消す。ゴミはゴミ箱に。そんな当たり前なこと、誰もができるわけじゃないわ。これでいいか。誰かがやってくれるだろう。って普通の人なら思ってしまう。むしろそれにすら気づけない人が多い中、蓮也くんはそれに気づいて、当たり前のように元にもどす。当たり前のように行動する」



 語りながら愛花は一度目線を外し、



「私は他人に厳しかったから、許せなかった。でもね、そんな蓮也君の行動に凄く――凄く救われたような気がしたわ」



 再び目線を戻した愛花は可憐で花が咲き誇ったような微笑みを向けた。



「――嬉しい」



 素直な気持ちが口から漏れる。

 自分の些細な行動を見てくれる人、評価してくれた人がいるということに。

 それが他でもない、大好きな愛花だということに。



「僕は愛花さんには嫌われているのかと思ってたよ」


「それは……ごめんなさい。私、好意がある人の前だと素直になれなくて……ついつい厳しくしちゃうみたいなの」



 ――今ではそれ、ご褒美です。

 なんてことは蓮也の口からは出せない。

 好きな人の前だと緊張して強気になってしまう。なんとも可愛げのある心理だ。



「僕はずっと、愛花さんと一緒にいるよ」


「約束は守りなさいよ」



 愛花は唇をすぼめてかわいらしく、決め台詞を言った。

 日和蓮也はこれからもずっと、相泉愛花のことを大切にするだろう。

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