指先には冷たすぎた

1

 そうして僕は、てらてらと煌めく美しい肉片を、痛いほど白い雪の上にまるく並べました。君の体液で濡れた指先は、ぬるい君の体温に温度を奪われてかじかんでいきます。まだほのかにあたたい彼女は、ほんの少しだけまわりの雪をとかして、そしてゆっくりと凍えていきます。ぬらりとしたものが爪の間に入り込んだので、綺麗な君が僕と同化する前に、すべて舐めとってしまいましょう。手のひらいっぱいのそれをすっかり並べ終えて、苺のケーキみたいだ、と思いました。君が今晩食べる予定だったケーキも、きっとこんな感じなのだろう、などと考えているうちに、いちばん最初に置いた君の生肉は、すっかり白く染まっています。粉砂糖で着飾った果実のようなそれを、指でつまんで持ち上げました。目の高さに合わせて、曇った空にかかげます。あんまり君が愛しくて、ちいさくなった君を口に含みました。ひんやりと心地よい君の、すっかり消えてしまった体温を探ります。ぐち、と噛めば君は、悲鳴もあげずに千切れました。僕が君で汚されていく感覚を、誰か、誰か、誰でもいいので否定してください。

 指がもげそうなほどに、冬は僕の骨をしゃぶります。そんな冷気を追い払うようにして、手袋をはめました。刹那、ころり、ちいさなかけらが転げ落ちて、雪にとけて見えなくなってしまいました。嗚呼しまった、あれは君の犬歯です。君の笑顔に不可欠な、僕の大好きな君のかけらです。完成したばかりのケーキを散らして、あわてて彼女を探します。けれど空は、そんな僕のことなど何でもないと言うように、絶え間なく雪を降らせているのです。君の輪郭をかき消してゆくどうしようもない白が、僕のこころを掻き乱します。散らばった肉塊と、どこかにある犬歯を見つめて、何故だか僕は、絶望に似た幸福を感じています。もういっそ、君の断片はここですべて弔ってしまいましょうか。君の真っ直ぐな黒髪と、最後まで僕を映さなかった眼球と、それから砂糖菓子のような薬指の骨を、ここですべてまき散らしてしまいましょうか。そうしましょう、それがいいですね。もうすでに、君の肉片も見失ってしまいましたから。そうしましょう。ここを僕だけの、君の墓場にしてしまいましょう。

 びょうと風は雪を巻き上げておどります。払われた雪が、かさりと僕の肩から逃げて、足元の君をさらに僕から遠ざけます。艶やかだった君の長い髪は、つい先程、僕が細かく刻んでしまいました。透き通るようだった君の瞳は、曇ったビー玉のような無機質さです。今にも壊れてしまいそうな薬指の骨には、小さな環をかきました。君のすべてを否定したくて、僕はあの手この手で君を僕のものにします。それでも君は遠ざかっていくだけです。やはりどうしたって出逢えないままです。

 女になる前に、あたし死ぬの。

 そういった君の、その眼差しと無邪気さは、最後まで少女でした。しかし僕は、彼女の瞳の奥に生きていた僕に、どうしたって出逢えないままです。少女のままで死んでいった君の、しなやかな心臓が、まだとくとくと音を立てて僕の頭骨を叩きます。女というものを拒んだ君の、柔い手のひらが、まだ僕の頸を押さえつけています。こんなことなので僕はどうしようもなく、君の皮ふに潜る感覚を思い出してしまいます。

 あたしが誰かを好きになったら、直ぐに殺して。

 君がそんなことをいうものだから、すこし急ぎすぎてしまいました。けれど美しいまま美しく死ねて、よかったですね。春になって、ここに小さな花が咲いたら、君の名前をつけましょうか。また次の春に、もっと沢山花が咲いたら、ここではないところに眠る君の、陰鬱な石の下のやさしい白色の骨のもとへ、届けてあげましょう。いつまでも美しい少女のままでいてください。僕などに汚せるような君ではなかったと信じています。

 ええ、信じています。それでも、僕を飲み込もうとする感情を、どうすることもできないのです。

 君の視線を奪っていった先輩を殺しても、君に手紙を渡したクラスメイトを脅しても、君のお気に入りの人懐っこい後輩をそそのかしても、どんな手段で君の周りの人たちを遠ざけるだけでは足りません。

 君を殺して、それで僕はようやく安心できるのです。愛よりも恋よりも深いところに君を突き落としたいのです。それは確かに、僕のエゴでした。それ以外の何物でもありません。

 けれど君の、美しかったその瞳が、最後まで一度も僕を捉えないでいるのが、僕は何よりも嬉しかったのです。恋の上澄みだけを啜っている君のことを、誰よりも何よりも愛しいと思えたのです。そんな君に、変わってほしいとも、分かってほしくないとも思うのです。

 愛してるとか、死にたいだとか、決して口にしてはいけないよと、そう言った君の、月みたいに変わりやすい脳みそを綺麗だと思いました。けれどどうしても、その脳みそだけは暴けなくて僕は、白くくすんだ箱を開けないままにしておいた気がします。

 手が震えたのです。怖かったのです。君が、何を思って死んだのか。わかってしまうことがあまりに恐ろしかったのです。

 もう少し、君の夢を見ていたかったのです。

 私を愛しているかと問うた君の、言葉がこぼれ落ちるのが、僕には我慢できなかったのです。その口を縫い止めて、細い首を絞めてしまおうと思いました。そうすれば、もう何者も、君から大切なものを奪えないと思ったのです。

 僕のために死んでくれとは一度も言いませんでした。君のためだとも、一言も言う気はありません。君は僕が勝手に殺したのです。君は未来を奪われたかわいそうな一人の少女であり続けます。それは痛いほど白い世界の片隅で、誰にも知られることなく消えてゆきます。消えなければならないのです。

 だから、ねえ。嘘つきなんて言わないでください。それでも嘘つきと言うのなら、いっそ裏切られたままでいてください。そのほうが幾分か、君はかわいそうな少女のままでいられます。だからどうか、わからないままでいてください。恋だとか愛だとか、そんなものは君が思い描くような、綺麗なものではありませんでした。だからどうか、安らかに眠ってください。偽りのない白に埋もれて、もう二度と目覚めないでください。

 奪ってしまった君の体温が、どうしようもなく温かいから、僕はどうしても、どうしても冷たい人にはなれないのです。

 目の前で君が、何も言わずに片手を差し出します。相変わらず僕のことなど見てはいない瞳も、とても綺麗につくった笑顔も何一つ変わらない君です。しなやかな指が、整った爪が、ただ黙って僕を誘います。

 ですがもう、君の手をとることなど僕にはできません。死んでしまった君の体温は、君を包んで離さない白は、思い返す君の笑顔は、瞼を開けば消えてしまうなんて、あまりにも、僕の指先には冷たすぎたのです。いえ、それよりも、僕の心に触れようとする君がいるから、僕はそれだけが心配です。

 君に最後まで、心から何かをしてあげられなかった僕は、君の指先にはあまりにも冷たすぎるのです。

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