ピンポンダンシッ!

鶏卵そば

プロローグ

第1話 白い球の悪夢


 また、あの夢を見た。

 小さい白い球が飛んでくる夢。

 唸りをあげて飛んでくる白球に追いつこうとオレは必死で飛びかかる。でも球はその度に軌道を変え、傍らをすり抜けて行った。

 すりむいた膝も痛いが、それ以上に痛いのは周囲の視線だ。憐れみや嘲りの視線が突き刺さる。クスクスと小さな笑い声が渦を巻く。

 もうどうしようもなかった。

 オレに出来るのは、ただ屈辱に耐えて時間が過ぎるのを待つだけ。

 でも大丈夫。

 これは夢だ。いずれ醒める夢。現実じゃない。

 なぜなら、オレはもう……


        *         *         *


 目が覚めると、朝の7時だった。

(寝覚め最悪……)

 白球の夢を見た日は、一日中気分が悪い。

 高校に入学してから頻度が少なくなっていただけに、不意をつかれたみたいでダメージが大きかった。とにかく気分を切り替えようと、頭を振ってみた。

(しっかりしろ、たかが夢じゃないかこんなもん……ん?)

 ふと、一階から何やら香ばしい匂いがしてくるのに気がついた。

 どうやら朝食の準備ができてるようだ。

(アレ? でも、一体誰が?)

 我が家はオレと親父の二人暮しで、親父は全くと言っていいほど料理ができない。

 これが漫画やアニメやラノベなら、隣に住む幼馴染がご飯を作りに来てくれるんだろう。

 だけどこの現実社会ではそうはいかない。

 たとえ幼馴染でも他人の家に勝手に上がり込んで料理を始めたら、不法侵入というれっきとした犯罪になる。

 あわててベッドから飛び起きた。

 すでにさっきまでの香ばしい香りは、コゲくさい臭気に変わっている。部屋を出て階段へ向かうと、一階のキッチンからなにやら妖しげな会話が聞こえてくた。


「エヘッ、まずオーブンを使うときは、余熱ありか無しかを決めるんだぉ。ちなみに余熱ありを選んだらぁ、設定温度を設定してスイッチを押して余熱が終わるまで待って食品を入れちゃってぇ、それからそれからぁ」

「おい、余熱スイッチを入れたら、なんだか煙が出てきたぞ」

「それはぁ、水の注入口に水入れてなかったからじゃないかなぁ。いまからでも遅くないから入れてみたら?」

「おいおい、水入れたら、いきなりあふれてきたじゃないか。ホントに入れていいのか?」

「いいよぉ、もっとぉ、もっとちょうだぁい!」

「よし、いくぞぉ、中に注ぎ込んでやるからな!」


 こんな朝っぱらから、いったい誰と誰が何をやってるんだ?

 オレは階段を駆け下りてキッチンに飛び込んだ。


「すごい、なんか熱くなってきた、こんなの初めてっ! 熱い、熱いよぉ!……あ、蓮児、……おはよう」


 そこにいたのは親父だった。辺りを見回すが、キッチンやリビングにこのしょぼくれた中年男以外の人影はない。

 どうやらさっきからのキモチ悪い会話は全部このおっさんの一人芝居、声色を変えての一人二役だったらしい。

 オレは思わず頭を抱え、いや、モタモタしてる場合じゃない、このままじゃ消防署のお世話になる、と気を取り直して叫んだ。


「親父、おまえ頭おかしいのかよ! 熱いよぉ、じゃなくて明らかに故障だろうが! まず急いで電源落とせよ!」

「あ、あーあそうか、電源な」


 親父はオレにどやされておっとり刀でオーブンレンジの電源スイッチに手を伸ばした。ところがタッチパネルが作動しないらしく、一向に電源が切れる気配が無い。

 業を煮やしたオレがコンセントを引き抜くと、異様な音を発していたオーブンレンジはぴたりと静かになった。

 ホッと一息をつく。とりあえず大事にならなくてすみそうだ。


「おお、これで一安心だ。蓮児、おまえなかなかやるな」

「なかなかやるな、じゃねえよ!」


 どこまでノンキなんだ、このおっさんは!

 オレは、感心したようにオーブンレンジを撫で回している父親を問いただした。


「親父が料理できないのはわかってる。レンジとオーブンの違いがわからなくて機械を壊してもぜんぜん不思議だとは思わない。でもなあ、さっきのキモチ悪い会話はなんだったんだ? 事と次第によっちゃあ四十歳から入れる痴呆症の施設を手配するぞ」

「失礼なことを言うな。父さんは決してボケていたわけじゃない。今朝はおまえために朝ごはんを作ろうと思ったんだが、調理器具のようすがおかしくてな。オーブンレンジの説明書を読んでただけだ」

「説明書を読んでただけって、それでどうしてあんな気味の悪い状況になるんだ」


 オレの質問に、親父はどういうわけか妙に得意気な口調で答えた。


「フフン、よくぞ聞いてくれた。これは、いつかおまえに伝えねばならんと思っていた我が三階堂家に伝わる秘伝なのだ」

「秘伝?」

「ああ、よく聞けよ。これからのおまえの人生に、オーブンレンジの説明書しかり学校の教科書しかり、その他にも、表紙イラストに騙されて買ったラノベとか、付き合いで読まされる小説家になりたいサイトの投稿作とか、大して面白くもない文章を読まなければいけない機会は雨あられのように訪れるだろう」

「うん、なんか今ちょうどそんな感じ。無性にブラウザバックしたい気分だぞ」

「早まるな! ちょっと待て、もう少しだけ父さんの話を聞いてくれ! そういうつまらない文章をつまらないと思いながら読んでしまったら、本当につまらないままで終わってしまう。ところが三階堂家の秘伝を使うことによって、つまらない文章でも心ウキウキと楽しく読むことができるのだ!」

「へぇ、そりゃ確かに役に立つかもな。一体どんな秘伝なんだ?」

「フッフッフッ、聞いて驚け。三階堂家の秘伝とはすなわち、つまらない文章を前にしたとき、その作者を自らの最も好みのタイプだと妄想する事だ。ちなみに父さんはこのオーブンレンジの説明書の作者をピチピチのJKと思い込んでいたぞ。もしおまえがロリコンなら、作者をツルペタJSだと妄想すればOKだ」

「なにドサクサにまぎれてテメエの女子高生好きをカミングアウトしてんだ! それに、息子がロリコンだったら全然OKじゃないだろ!」 

「まあ、黙って聞け。いまは父さんの性的嗜好の話じゃなく、三階堂家の秘伝の話だ。そうやって作者を好みのタイプと思い込む。するとどうなる? 好きな女子が書いた文章なら、どんなに中身がつまらなくてもページをめくるごとに彼女の秘密を暴くような極上のスリルを味わえるだろう。これぞ、三階堂家に一子相伝で伝わる秘伝というわけだ」

「……そんなこったろうと思ったけど、想像以上にくだらねえなあ」

「さあ、思い込むがいい! この作品の作者はピチピチの女子高生、しかも黒髪処女がちょっと背伸びしながら執筆しているぞ! どうだ、これから先の展開がどんなにグダグダでダメダメでも、それが初々しい乙女の脳髄からこぼれたモノだと思えばむしろおいしいご馳走だろう! さあ、好きなだけブックマークをしたり、星で評価したり、レビューを書いたりするがいい! JK作者が泣いて喜ぶぞ!」

「……いや、何を言ってるのか全然わかんねえし」

「つまりだな、父さんがおまえに言いたいことはだな――」


 そこまで言うと、親父は咳払いを一つして真面目な顔になった。


「蓮児、おまえ、部活に入れ」


 はぁ?

 ポカンとするオレに、親父はもう一度繰り返す。


「高校に入学してもう一ヶ月以上経つだろ。そろそろ部活決めて入れ」


 何がどうつながってそうなるのかサッパリわからない。しかもオレは、高校では部活に入らないつもりだった。


「いや、高校では部活はさ」


 口ごもるオレに、親父はなぜだか半ギレになる。


「口答えするな! 入れといったら入れ! もう今日中に入れ! コレは、家長命令だ!」


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