初雪と転校生

東雲まいか

第1話 出会い

 俊は、制服のブレザーに身を包み、家から駅までの道を自転車でひた走る。


 この辺りでは十一月に入ると風は一気に冷たくなり、自転車を飛ばすと肌に痛いほどだ。視界を遮るものがほとんどない田園風景の中を、高校二年生の俊はするすると通り過ぎ、木造の小さな駅舎の前に出た。


「今日はいやに冷えるなあ……」


 ひとり呟き、自転車を駅前の駐輪場に停めた。無人改札を抜け、高校のある駅までの三十分間、車内で自分だけの時間を楽しむ。その日はあまりに寒かったので、列車が来るまで駅の待合室で風を避けることにした。


 時計をちらっと見てホームへ急ぐと、滑り込んできた列車の二両目に乗り込んだ。二両目といっても、二両しかないのだが。


 列車が動き始め、俊は外へ視線を写した。十一月に入り、山々の木々は鮮やかな赤やくすんだ黄色や橙色など、色とりどりの秋の装いに変わった。そうして、毎日少しずつ色を変えながら、ある日突然空からパラパラと白い雪が舞い降りてくるのだ。この辺りでは、雪は本当に予期せぬ時に突然空から降りてくる。


 俊は、車両の端の席で、本を読んだり、ぼんやりと毎日見慣れている田園風景を眺めて過ごすことが多い。時には、うとうとと眠り込んでしまうこともあるのだが。その日は、手を制服のポケットに突っ込み、外を眺めていた。


 次の駅に着くと、同じ高校に通う生徒たちやが乗り込んできた。


 その時、今年初めて見る雪が風と共にはらりと車内に舞い込んだ。

 俊は、ポケットから出し、リュックを持ち直した。ふと視線を上げ、はっとした。斜め前の席に見知らぬ高校生の女の子が座った。この辺では見たことのない制服を着ていたから、という理由だけではなかった。見知らぬ世界に迷い込んだ小動物のような、不安げな表情をしていた。


 俊は、内心の動揺を見透かされないように、彼女の顔をちらちらと見た。彼女は、窓の外に流れてゆく雪を珍しそうに見ていた。しかし、俊の視線に気が付き、不思議そうな表情をした。その表情が、さらに俊の心を揺り動かした。車窓から見える粉雪を背景に、彼女の顔は白く輝き、頬はバラ色をしていた。瞳と髪の毛の色は黒く、そのコントラストが美しかった。


 少女は怪訝そうな顔をし、視線を真正面に向けた。俊は気まずい思いをして、背中を丸め、寒さの中で動物がよくそうするように縮こまり、少女と同じように視線を真正面に向けた。それから高校のある駅に着くまで、固まったようにじっと席を温めていた。


 高校前を告げるアナウンスがあり、座席でおしゃべりをしていた数人のグループや、思い思いに本を読んだりスマホをいじっていた生徒たち、じっと寝ていた生徒たちが一斉に電車を降り改札に向かって歩き出した。


 その少女も彼らの後に続いて歩きだした。俊は彼女の姿を見失わないようにしながら、少し距離を開けて後ろを歩いた。少女は俊と同じ高校の方向へ向かっていた。もしや転校生では、と期待が高まっていった。


 教室では、俊は一番後ろの窓際の席に座る。くじ引きで決められた席だったが、この場所が気に入っていた。教室にいる生徒やグラウンドで体育の授業をしている生徒の動きを眺めることができるからだ。


 朝のホームルームの時間が来て、前を見た時、俊はドキドキして上を向くことが出来なくなった。あの時の少女が、目の前に現れたからだ。身長百八十センチもある担任の体育教師柏崎の横で、俯き加減にして立っていた。少女は担任教師に促されて自己紹介した。


「東京から来ました、上原ゆづきです。よろしくお願いします」


 それだけ言うと、小さくお辞儀をした。


「上原さんは、この街には何度か来たことがあるそうだ。おじいさんとおばあさんが住んでいらっしゃるので、遊びに来ていたそうだ。よろしくな! 委員長の松田。昼休みに校内を案内してあげるように」


 松田は、運動部の部員らしく威勢の良い声で返事をした。


「はーいっ! わっかりましたー」


 全く、調子のいい奴だよなー。と俊は心の中でつぶやく。


 そうでなくても男子の多いこの学校では、女子生徒に向けられる視線は熱いものがある。俊は、友達のよしみで一緒に案内しようと心に決めた。


「席は、一番後ろの西脇の隣だ。教室のロッカーは四十一番を使ってくれ」


 俊は、さらにあせった。なななんと自分の隣だったのだ。

 ゆづきは、真正面を向いて通路を歩いてくると、俊の顔を見た。そして、こう挨拶した。


「よろしく。この学校のこと教えてね」


『もちろん!』と心の中でガッツポーズをした。


「俺、西脇俊。わからないことがあったら何でも訊いて」

 

 それだけ答えて俯いた。俺ってなんて初心なんだろうと思う。授業が始まってからは、時折隣の席にちょこんと座って顔を上げて話を聞いたり、俯き加減でノートを取る姿を見つめていた。


 そんな俊の様子を見てゆづきは尋ねた。


「私の顔に何かついてる?」

「そんなことない、誤解しないで。ごめんごめん」


 俊は、さらにドキドキしてしまう。自然に自然にと自分に言い聞かせさりげなく窓の外を眺める。早く昼休みが来ることをひたすら願い、時計を何度も見ていた。休み時間に、委員長の松田に一緒に校内を案内する約束を取り付けたのだ。


 俊は、昼休みまでの時間が気になり、何度も時計を見た。松田は食事が終わると、二人の席に近づいてきた。


「おーい! 校舎内を案内するから、行こうぜ。といってもそんなに広くないからすぐ回れるけどな。グラウンドが広いのだけは自慢だ。俺と二人だけじゃ心配だろ。西脇も一緒に行くから」


 ゆづきは一瞬あれっ、という顔をしたが俊は何食わぬ顔をして歩き出した。回りにいた数人の女子は、それを見てクスクス笑っている。


 普通教室の並ぶ廊下をまっすぐ行くと突き当りには、各階に理科室、調理室、音楽室がある。四階の音楽室だけが、午後の授業もあるせいか鍵が開いていた。三人は、そうっとドアを開けると上履きを脱ぎ、カーペットの敷かれた部屋へ入った。


「わあ、グランドピアノ」


 そういうと、ゆづきはピアノのそばへ近寄り、鍵盤を指でたたいた。


「ピアノ弾けるの?」


 松田が、驚いたようにゆづきの方を向いた。


「うん、すこし」


 照れたように、答える。


「へえ、ちょっと弾いてみて……」


 少し考えたような仕草をしたが、椅子に座り、弾き始めると、指は滑らかに鍵盤の上を動き出した。その滑らかな指の動きに合わせて、粒がそろった軽やかな音が温かい音色を作り出した。二人はしばらく言葉もなく聞き入っていた。


「わあ。すごい! なんていう曲?」


 俊は、感動して思わずゆづきに聞いた。


「エリーゼのために。エリーゼは、ベートーベンがかつて愛した女性なのよ」

「へえ、それで。情感がこもっていて、なんかすごく気持ちが伝わってくる」


 俊は、こんな言葉でしか感想を表すことができない自分の語彙のなさを嘆いた。だって知らない曲だしなあ。


「部屋の温度が二度ぐらい上がったみたいだ」


 その言葉につられて、松田もうなずく。大切な時間が共有できた。授業が終わり下校する時、俊は思い切ってゆづきに声をかけた。


「同じ方向だから一緒に帰ろう。」


 言ってから、返事を聞くまでの時間の長かったこと。


「ありがとう。心強い。」


 ゆづきにとって、俊はこの学校で初の友達だった。行きの電車で自分を見る視線が若干気になったが。外へ出ると、グラウンドの木々の葉は赤く染まり秋の様相を呈していたが、その上に再びはらはらと粉雪が舞い降りていた。


「うわー広いグラウンド! 山の景色もすごい!」


 ゆづきは複雑に変化する木々の葉の色に感動していた。普段、あまり意識したことのない俊もうれしくなった。帰りの電車は、来た時とは別世界の乗り物のようだった。ゆづきが電車を降りてから、俊は初めてこの学校に通ったことの幸運を感じた。早く明日が来ればいいのにと楽しみになった。


 明日も雪が降るといいな、と俊は思った。彼女、雪の精なんじゃないかな。初雪がくれた贈り物みたいだ。


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