戦場に咲く 完結編

優羽

前日譚

第零話「追憶」

001

 祖国を守りたいという強い志と、名も知らぬ者から、兵器のような扱いで、戦いを強要される恐怖の両方を背負いきれなくなってしまった私は、ある時、隙を見て逃げ出した。


 どこに向かっているかも分からぬまま、私は走り続けた。追っ手が見えなくなるまでずっと、いつまでもいつまでも。

 そうしているうちに、私はいつの間にか沈みこむように地に伏していた。


 どうやら私は人としても、兵器としても限界を迎えたようだ――。


 ここで終わりだと半ば諦めかけた時、私は彼に出会ったのだった。


 彼の介抱の手はとても優しかった。

 それがただただ嬉しかったことを記憶している。

 彼の正体が、帝国軍の佐官であったのを知ったのはあとの話になる。

 けれど、この時彼は、壊れかけて機能しなくなる寸前の私を、人同然に接してくれた。

 佐官の彼が、自国の〝決戦兵器〟である私のことを知らぬはずがないのに――。

 不器用な彼なりの優しさだったのだろうか。


 これが彼との、最初の出会いだった――。


002

 私は彼に連れられ、逃げ出したシルム帝国へと再び帰ってきた。

 逃走に関しての一件が、上層部の耳に渡らず、事態が大事にならなかったのは、彼の隠蔽のおかげであったらしい。

 私はすぐ様、人事部へ向かい、国軍全兵士の記載された資料を請求した。

 在籍名簿を端から読み進め、彼について調べあげた。

 彼の名は、遠山蓮――。階級は帝国軍大佐。

 士官学校を首席で卒業し、現在は数ヶ月後に控えた〝国土奪還作戦〟の部隊長として、上級将官と連携し、計画立案と隊員招集を行っているらしい。

 この時調べていて驚いたのは、彼は私の士官学校卒業試験の最終試験の試験監督だったことだろう。

 つくづく私の忘れっぽさに嫌気がさす。

 彼はあの時から覚えていてくれたのだろうか、私のことを。

 決戦兵器の器として選ばれた私を哀れんでいたのだろうか。

 だから、私をあの時救ったのだろうか――。


 私はもう一度、彼に会いに行くことにした。


 真相を確かめるために――。


 帝国軍左官以上の者には、国軍司令部の中に職務用の個人部屋を与えられる。

 私は、彼の部屋を訪ねた。

 驚いたことに彼は、私が扉の前に立っただけで存在に気づき声をかけてきた。


「入りたまえ」


「失礼します」


 そこに居たのは、短髪の黒髪に、整った顔立ち、齢三十とは思えぬ若々しい男性、そう、遠山蓮だった。


「遠山大佐、この度は私を助けて下さり、ありがとうございました」


「あぁ済んだことだ。気にしないでいいよ、高崎少尉。立ったままではなんだから、とりあえず座りたまえ。珈琲は飲めるか?」


 高崎という、私が人であった頃の苗字で呼ばれるのが、これほどまでに懐かしいように感じたのは、〝決戦兵器〟として自らを無意識に認識し始めていたからなのだろうか。

 差し出された珈琲は、ひどく苦く私の舌には到底合わなかった。

 その様子を見た彼が笑ってくれた時、数ヶ月ぶりに自然と私にも笑みが浮かんだ。


 鮮少の世間話の末、私は本題を切り出した。


「〝国土奪還作戦〟の部隊員は集まりそうですか?」


「何だ、君も知っていたのか。いやまるでダメだな。危険を伴う作戦内容に加え、部下からの信頼の薄い俺が部隊長なんだからなぁ」


 自虐めいた彼の発言に、私に怒りの感情が芽生え、上官に対し、つい口調を荒らげて反論してしまう。


「そんなことはありません! それならぜひとも私を隊員に加えてください。必ず遠山大佐の役に立ってみせます」


「ダメだ、君を危険な目に合わせるわけにはいかない」


 私はこの言葉に酷く傷ついた。やはり彼もまた他の兵士や、研究者たちと同様に、私を兵器同然に思っているのだろう――。

 私は、投げやりに確信をついた――。


「そんなに帝国軍の切り札を失うのが怖いですか」


 この言葉を聞いた彼は、机を勢いよく叩き、強い口調で反論してきた。


「ふざけたことを言うんじゃない! 君を大切に思っていると言っているんだ。力に自惚れれば、途端に自らを失うぞ」


 私はその気迫に圧倒される。私は彼を勘違いしていたようだ。

 彼は私を哀れんでなどいなかった。私を大切に思ってくれていたのだ。

 それでも私は、彼の気持ちを裏切ることになると分かっていても、命を救ってくれた彼の力になりたかった。


「……申し訳ありません。ですが、それでも私は助けてくださった大佐の役に立ちたいのです」


「いやこちらこそ声を荒らげて済まない。だが酷い戦いになる、敵も仲間も大勢死ぬ。惨劇を目の当たりにすることになるだろう――」


「勿論――それは覚悟の上です。どうか私を側に置いてはいただけないでしょうか」


 しばらく考え込み、彼は渋々、わかったと小さく頷いた。


「だがしかし、分かっているだろうが、君の部隊配属の決定権は俺にはない。だが上層部から認められた暁には、君を部隊副隊長に任命し、私の右腕として動いてもらおう」


 いつ以来だろうか。自らの口角が上がり、鼓動が跳ね上がっていくのが、目に見えて分かった。


「ありがとうございます! 隊長!」


 気が早いな、と彼は言い、私たちは二人で再び笑いあった――。


 作戦部隊への配属許可報告は、意外にも早く私の元に届いた。

 私は〝国土奪還作戦〟の部隊員となり、それと同時に、部隊副隊長になった――。

 そして、彼自身も〝決戦兵器〟の担当上官となった。

 そのおかげで彼といる時間も長くなり、二人の仲は直ぐに縮まり、互いに打ち解けていくのに、そう時間はかからなかった。

 二人の時間はとても温かく、幸せに感じられた。

 

 けれど、それを遮るかのように、私は科学者により更に深い改造を施された。

 

 作戦の成功率を高めるために――。


 私は人からどんどん離れていく。いつか彼にも、私は兵器と同じ扱いをされてしまうのではないか。

 そんな想いが、時折私に襲いかかり、不安に泣き明かした日もあった。


 そんな時でも彼は、私を邪険に扱おうとはしなかった。それどころか私をいつまでも気遣ってくれた。


 私はこの幸せを、いつまでも噛み締めようと誓った――。


 あの日、酷く苦く思えた珈琲もいつしか、何も感じられなくなった頃に、〝国土奪還作戦〟の計画は全て立案し終わり、部隊員も規定人数が集まった。


 七月某日、作戦はついに開始された。

 作戦は概ね計画通りに進行していた。だが、セルス王国に近づくに連れて、部隊員の疲労が溜まり始め、想定外の王国軍の猛烈な反撃により、戦況は一気に入れ替わり、両国の睨み合いが続いた。


 暗い夜の日、疲弊した兵士達の愚痴が聞こえていたあの日。


 いつものように他愛もない話をしたあの日。


 それから後の記憶が、私には無かった――。


 気づけば私は、研究室に寝かされていたのだ。


「ここは一体……。隊長は……どこですか――作戦はどうなったんでしょうか?」


 研究員は突然意識を取り戻した私に驚きながらも、私の問に答えた。


「ここは研究室だよ。結果的に言えば作戦は成功した。だが生き残った兵士は、ほんの数人と君だけだ。そして――」


 その先の答えは、私を深い絶望へと突き落とした。


「遠山作戦部隊長は今作戦にて殉職された。彼の機転による奇襲攻撃により戦況は代わり、勝利を収めたと報告を受けている」


「えっ……隊長が、殉職……。どうして……」


 両腕が眩い光を放ち、身体に熱が奔る。私の決戦兵器としての力が、暴走していく――。


「取り押さえろ、暴走するぞ!」


「……ッ、こいつ……。おい、増援を呼ぶんだ、ボサッとするな早くしろ!」


 私は取り押さえられ、緊急停止操作により、再び深い眠りにつかされた――。


 遠のく意識の中で、私は隊長の言葉を思い出す。


『俺が君に頼るまで、君には人でいて欲しい』


 どうして――私を頼ってくださらなかったのですか……。


 隊長――――。


003

 絶望が、私のすべてを支配する感覚に陥ったのは、私が〝決戦兵器〟の器に選ばれた時以来だろ

う。

 だがしかし、これは最早、あの時の非では無かった。

 それはまるで、毒のようにじわじわと身体を、そして精神を痛めつけ、蝕んでいくようだった。


 私に笑顔を取り戻してくれた隊長は、もういないのだ。

 私が何かをしようとも、この世界のあらゆる場所を探し回ろうとも、もう何処にもいないのだ――。


 決戦兵器の力を全て停止させ、完全拘束された後に収監された私の前に、将官が現れた。

 彼は、志賀中将で、上級将官の中で私を唯一気にかけて下さっていた方だった。

「高崎少尉……君の悲しみはよく分かる。だが君も分からない訳ではあるまい。遠山大佐が何故君を眠らせ単身敵陣に乗り込んでいったのか」

「……分かりません。今の私には……理解出来ません……」

「いつか、君にもわかる時がくる。必ずな」

 そう言うと中将は、牢の鍵を解錠した。

「一体、何を……」

「これまで国に尽くしてくれた兵士を、これ以上こんな薄暗い場所に捕らえておく理由が、一体何処にあるんだね」


 中将の意向により、軍事会議によって、私は自宅にて軟禁されることが決定したようだ。

 落ち込む私を励ますように、中将は時間を作っては、私の家に訪問してくださった。


 連合国軍側から私の処分について、書状が届いたと知るのは、また暫く後の話になるのであった。


 私を変えてくれる人に、もう一度出会う事など、この時の私は、到底思ってもいなかった――。

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