第5話 本当の敵

先ほどコロナウィルスの放った爆発により、カカルは吹き飛ばされ、包帯のように巻いていたトイレットペーパーは跡形も無くはじけ飛んだ。


「どうしてだ……」


カカルの目は驚愕に見開き、唇を震わせながらただ問いかける事しか出来なかった。


「どうしてトイレットペーパー拳が通用しないんだ……」


屈した様に跪くカカルを、コロナウィルスが侮蔑の笑みで見下ろしている。


「ふっ、惨めなものだな、人間の男よ。」


そんな侮辱の言葉を投げかけられても、カカルにはまるで聞こえていないかのように、彼は只々呆然とするのみであった。


「こんなデマに踊らされるとはな。」


コロナウィルスは弾け飛んだトイレットペーパー片を手に取ると、フッと嘲る様に鼻を鳴らした。


「デマ?」


疑問に顔を歪めたのは、隣にいるらん子も同じだった。


コロナウィルスは手に取っていたトイレットペーパー片をギュッと握りつぶすと、そんな彼らに向けて言い放ったのだ。


「馬鹿めが、トイレットペーパーがマスクと同じ素材で出来ているだなんて思ったか!」


「なに⁉」


二人の反応は同じだった。


「テメエ……」


騙された事に対し――


カカルは獣の様な目つきでコロナウィルスを睨み付ける。


「卑怯な事をしやがって!」


「そうよ!ありもしない噂を流して人間を混乱させて……

アンタたちは最低よ!」


カカルが非難を浴びせかけると、らん子もそれに続く。


しかし、コロナウィルスはそんな彼らを受け流す様に鼻で笑う。


そして、彼はわざわざ二人に背を向けて……


「……卑怯?……最低?」


斜め上に顔を傾ける事で、彼らの方を振り返った。


「あ、シャフ度だ。」


呟いたカカルを無視し、コロナウィルスはもう一度彼らに向き直った。


「カカル君。彼、何で一回後ろ向いたの?」


「しっ、あれシャフ度だから。」


そして、コロナウィルスはやれやれと言った仕草を見せると、まさに芝居がかったような言い方で、おどけた様に訴えかけた。


「それは心外だなぁ!俺は別にお前たち人間を騙したことなんて一度も無いぜ⁉

さっきのデマも俺が流したわけじゃねえ!」


「じ、じゃあいったい……!」


――じゃあいったい誰が流したのか?


そう言いかけたらん子を遮ったコロナウィルスの声は――


「まぎれも無く、お前たち人間じゃねえか――」


底冷えするほどに、冷ややかだった……


しばしの沈黙が、そこに訪れる。


言葉を失い、唖然とする二人。


「なあ、お前ら自覚してんのか?」


そんな二人に追い打ちをかけるかのように、コロナウィルスは言葉を続けた。


「俺達は確かに人間に害を為すウィルスだ。そりゃあ俺達はお前らから見れば悪者だ。

――敵だ。――コロナウィルスだッ。

しかしな――」


唖然としたままの二人。


「――俺達をここまで繁殖させたのは一体どこのどいつだ?」


――ハッ


と、夢から覚めた様に瞳が動いた。


嘲る様に吐き捨てたコロナウィルスは、どうやらまだ飽き足らぬようで、尚も問いかける。


「お前ら、覚えてるか?

俺達コロナウィルスの話題が出始めた時の事を。」


「いや……」


何とも曖昧な言葉で、曖昧に首を捻るカカル。


「あの時、お前たちの中で、ウィルス予防の事を強く訴えた奴は何人かいただろ?

そいつらは一体周りからどんな扱いを受けた?」


その問いに、返す言葉が見つからないのか、それとも当時の事を覚えていないのか、

二人は只々お互いの顔を見合わせるだけだった。


「例えばパンデミック後の日本を想像した奴はどんな目で見られた?

マスクを付けることに執着していた奴はどんな目で見られた?」


カカルは相も変わらず曖昧な態度で、何とか言葉を絞り出す。


「いや……それは、とても感心な事だと……」


「ウソを吐け……」


ありきたりな返答をするカカルに対し、コロナウィルスはありったけの嫌味の音色を込めて吐き付けた。


「確かに、口ではそうやってそいつらの事を褒めてあげただろうな――

『確かにそうですねー』

『怖いですねー』

『気を付けなきゃねー』


……で?果たしてお前らは、その後気を付けたのか?」


「そ、それは……」


「どうせ心の中では笑ってたんだろ?

『何言ってんだコイツ』ってな。」


「…………。」


二人は沈黙した。


「正直、俺達の侵略を防ぐタイミングはいくらでもあったんだ……

いくらでもヒントはあった。

注意を呼び掛けている専門家もたくさんいた。

しかし、お前たちは自分でそういった奴らを無視したんだよ。」


コロナウィルスは呆れた様に尚も話し続ける。


「誰かに注意喚起している奴を見れば『騒ぎすぎだ』

パンデミックの心配をしている奴を見れば『映画の見すぎだ』

社内感染を恐れる奴を見れば『サボりたいだけだろ』

常識人ぶって、一部の人間を変人扱いして……

……その結果今はどうなっている?」


コロナウィルスの一言一言には絶対的な、人間に対する軽蔑の念が込められていた。


「その結果今は大変な事になりました。

かつて『騒ぎすぎだ』と言っていた奴は今『マスクが無い』と大騒ぎしている。

かつて『映画の見すぎだ』と言ってた奴はまさに映画みたいになっている今の状況を見て何を思ってんだろうな?

かつて『サボりたいだけだろ』って言ってた奴は……

まあ……今になってもそう言って部下に出勤を強制している奴も居るみたいだがな。」


二人はだんだん視線を落とし、気づけば俯いて、ただ彼の言葉を受け止める事しか出来なくなっていた。


「最初は呑気だったなぁ~。いつもと変わらない平和な日常。

テレビで流れる俺達の噂は世間話を楽しむためのネタでしかない。

それが……くくっ……それが今じゃ……ッ」


よほど可笑しいのだろうか、こみ上げる笑いに耐えきれず、言葉がなかなか出てこないようだ。


「ハッハッ!それが今じゃ皆目を血走らせて良い子ちゃんになってやんの!

ダッセ!恥ずかし!ただのアホじゃん!バカじゃん!

もうお前らみたいな種族滅んだ方が良いんじゃねえか?」


カカルの歯がギリリと軋む。


「なあ……分かったか?

今でこそ皆アホ面こいてコロナ撲滅ーとか言ってるけどよぅ――」


しかしそんなカカルを指さし、コロナは吐き捨てた。


「お前らに戦う資格なんてねえんだよ。」


――ハッ


と、カカルの顔から表情が消える。


ふと思い出した、あの男の言葉。


――戦おうとしない者に、誰かを助ける資格などない


コロナ滅茶苦茶コロスマンに言われた、その言葉。


途端に――


また、彼の歯はギリギリと軋んだ。


しかし、それは先程のような、侮辱に対しての怒りなどでは無く――


その怒りは、まぎれも無く自分に向けてのモノだった。


彼はあの時、らん子を助ける為にコロナと戦う事を誓った。


しかし実際は――?


「そりゃそうだろ。

何度も何度も忠告されて、それを聞かないどころか、逆にそいつらを馬鹿にしてたような連中がよ。

今更カッコつけて『コロナ撲滅だー』って……虫が良すぎるぜ?

自分で言ってて恥ずかしくないの?それ。」


実際は――


助かる資格がどうこうの話では無かった。


自分たちには、戦う資格すらなかったという事なのか……


悔しさのあまり、カカルの目に涙が滲む……


怒りのあまり、カカルは唇を噛みしめる……


コロナウィルスを憎む気持ち。コロナウィルスを恨む気持ち。


コロナウィルスに怒る気持ち。コロナウィルスに嘆く気持ち。


コロナウィルスのせいで――。コロナウィルスのせいで――。


コロナウィルスのせいで――。コロナウィルスのせいで――。




…………本当にそうか?


誰を憎めばいいんだ?

誰を恨めばいいんだ?

誰に怒ればいいんだ?

誰に嘆けばいいんだ?


俺達が今こんなことになっているのは――


一体誰のせいなんだ?


「…………」


カカルの身体から力が抜けていく。


彼の目にはもう、何も映していない。

彼の口はもう、だらしなく締まりが無かった。


戦う気力などあるはずもなく、むしろ――


自分なんてこのまま感染してしまった方がいいんじゃないか?


――なんて事を考えていた……



その時だった――



「……資格が、資格が何だっていうの⁉」


彼の隣から悲痛な声が発せられたのは。


「ああ?」


突然言葉を放ったらん子に、コロナウィルスは興味無さげな視線を送る。


「確かにアンタの言う通りだよ。

……私もコロナの事なんてどこか他人事に思っていて、それどころかこうして事態がひっ迫した今でも、『自分は大丈夫』なんて事を考えている。いや――考えていた。」


「そらそうだろうよ。お前ウンコ言った後に手も洗わないもんな。」


まるで相手にされていない風に言われるも、彼女は素直に頷いた。


「ええ。確かにそうよ。今日行ったバーベキューでも、トイレ行った後に洗ってない手でイケメンの先輩にベタベタ触って言い寄っていた。

もちろん……先輩がオッケーさえ出せばその後ホテルにだって行くつもりだったよ。

こういう無責任な行動が、感染を広めるというのに……」


カカルがチラ、と横目で彼女を見た。


「だから、そんな人間が今更コロナ対策だなんて言い出すのは勝手すぎる。

都合がいいのにも程がある。そんなことは分かってる!

それでも――ッ」


らん子は震え声で――


「……今からでも戦うのよ。

資格が無くても構わない。虫が良くても構わない。恥知らずでも構わない。

でもだからと言って……」


それでも――


決意の込めた目で前を向いた。


「このまま黙っている訳にはいかないのよ。」


「フン。手にウンコを付けた女が何を言うか。」


しかしそんな彼女の言葉にも、コロナウィルスは全く相手をする様子が無い。


彼女の言葉は、当ても無く、虚しく空間を彷徨っては消えた、かと思えた……



――が、しかし



「らん子――」


そんな彼女の言葉に――


「カカル君?」


――隣で跪いていた男が、立ち上がったのだ。


彼は明らかに、先ほどとは打って変わって雰囲気が違う。


堂々とそびえ立つその姿。


目に闘志を宿し、彼は一歩前に進み出る。


そしてらん子へ背を預ける格好となった状態で、彼女に短くこう告げた。


「イケメンの先輩の件。後でじっくりと話し合おう。」


「いや、そこかよ。

……いや、そこか。」


一度はツッコむも、再度考え直すコロナウィルス。


そんな彼に対し、カカルはポツポツと語りだした。


「ある人がな、俺に言ったんだ……

『自分に出来る精一杯の事をしていくか――

誰かが何とかしてくれるのを待つだけか。』ってな。」


しかしコロナウィルスは面倒臭そうに鼻息を鳴らす。


「こんな状況になってしまったのは確かに自分たちが悪い。

はっきり言って――自業自得だ。アンタが言っている事も分かるよ。

勝手に自分で自分の首を絞めて……ホント、愚かな種族だよ。」


自嘲しだしたカカル。


意外ながらも自分にとって満足のいく言葉を言われて、コロナウィルスは思わずニヤリと笑った。


「だからさ――」


――が、彼の口調は一転する。


彼は顔を上げると……


きっぱりと――


一直線に前だけを見つめた。


「今からでも最善を尽くすんだ。

今までの考え方がどうだったかなんてどうでもいい。

俺が、その人が、誰かが、らん子が今までウンコしても手を洗わなかった事なんてどうでもいいんだ!」


彼のその姿は……

決して後ろを振り返らない――

これからの事だけを考える――


まるで、そんな決意の表れの様にも見て取れた。


「今から意識を変えればいいだろ!

手にウンコが付いているなら今から手を洗えばいいんだ!

今までは気付かなくても、その時に気付けば、その時から変えていけばいいんだ!

資格なんてものはその時に出来るッ――

自分に出来る……精一杯の事をしていくしかないんだッ!」


吐き出す様に叫んだ言葉。


しかし、コロナウィルスにとっては不愉快以外の何物でもないらしく……


「フン。スッポンポンの男が何を言うか。」


コロナウィルスは視線を下ろし、カカルの下腹部辺りを目掛けてそう言った。


そう。


先ほどコロナウィルスが放った爆発により、全身に巻いていたトイレットペーパーが全損した結果――


今、カカルは絹一つ纏わない生まれたままの姿になっていたのだ。


「ま、そろそろ遊びは終わりにするか。

さっさとお前たちの体内に入り込んでやるよ。」


退屈そうに肩を鳴らしたコロナウィルスが、二人の前へ歩み出ようとする。


「クッ……」


カカルは奥の壁に掛けている時計を確認した。


やはり、さっきの様な事を言っても、今の状況がピンチである事には変わりはないのだ。


実際、カカルは現在素っ裸の状態であり、トイレットペーパーも無効だと分かった以上、コロナウィルスに対抗する手段は何もない。


「カカル――!」


そんな時


「これを使って!」


いつのまにかその場を離れていたらん子が、ある物を投げた。


「これは……」


カカルはその白い塊を受け止める。


その両手にポスっと収まったものは――


未使用のトイレットペーパーだった。


「私の家、トイレットペーパー買い溜めしてたの!

余ってたしそれを巻いて!」


「お前も買い溜めしてたのかよ⁉

てかトイレットペーパーでは身体を守れないってさっき分かっただろ!」


「違う!腰に巻くのよ!

アソコを守る事でコンプラは守る事が出来るかもしれない!」


「あ、なるほど……」


カカルが何か聞きたげにコロナウィルスの方を見る。


「うん。まあ俺もそんな汚いモノ見たくないしな。

――巻け。」


「よし待ってろよ!すぐに巻いて再戦だ!」


コロナウィルスの許可が出た所で、カカルはすぐに股間部にトイレットペーパーを巻き始めたのだった。


そして、一時間後


「トイレットペーパーミイラマン、参上ッ!」


「誰が全身に巻けっつったんだ!」


コロナウィルスが怒りをぶちまける様に怒鳴りつけた。


「さあ!今から勝負だ!」


トイレットペーパーでグルグル巻きになった、もはやどこの誰なのかも識別不能な男が、何やら変なポーズでクネクネとうねっている。


「いや、お前……俺はその汚いチンポコだけ隠せっつったんだ!

てかお前それ巻くのに一時間掛かるの⁉」


コロナウィルスは長時間待たされた事によるイライラが収まらず、やはりまだ怒鳴り続けている。


しかし先ほどは彼自身カカルに対して『巻け』と言った手前、途中で中断させづらかったのだ。


「まあいい――」


コロナウィルスは落ち着きを取り戻したのか、ボリボリと頭を掻くと、再度挑発するような笑みを浮かべた。


「トイレットペーパーを全身に巻いたところで何の意味がある?

トイレットペーパーは俺への感染予防にはならんとさっき言っただろ。」


コロナウィルスは余裕の表情だった。


しかしカカルは、そんな彼の様子に、先ほどまで取っていた謎ポーズをあっさり解くと――


なにやら急に、ごく真面目な態度へと打って変わった。


「意味?」


その雰囲気に、コロナウィルスは何とも言えぬ不気味さを感じる。


「意味ならあったさ。」


「なに?」


意味深な言葉に、思わずコロナウィルスは眉を上げた。


「まんまと時間稼ぎさせてもらったって事さッ!」


しかし、彼のその言葉の意味は、コロナウィルスには理解できなかったようだ。


コロナウィルスは「ハッ」と鼻で一蹴すると――


「ここに至ってハッタリとは……見苦しいぞッ!」


吐き捨てながら――


彼に襲い掛かった……


「コロナウィルスさんよ――」


しかし、全く動じる様子の無いカカル。


そんな彼が――


「これが自分に出来る精一杯の事をした結果だ。」


そう、ニヤリと笑った――



その刹那



突如、ベランダのガラスが大爆発した。


カカルのみが一瞬だけその目に捉えたジェット機――


それはコロナウィルスを、まるで目の前から消失させたように、横殴りに吹き飛ばした。


同時に流れ込んだ津波の如き突風――


部屋中の物モノは部屋中に吹き飛び、部屋中を所狭しと駆け巡った。


激しい嵐に身を庇うカカルとらん子。


そしてその出来事は一瞬の間の事で、終わると後には静けさと――


パラパラと石片の落ちる音だけがやけに目立った。


あまりに突然の出来事に、らん子は頭を覆うようにして庇っていたが……


やがて物音が鳴り止んだ事を確認すると――


――恐る恐る目の前の光景に目を向けた……


「これ……私の部屋?」


そこは――


まるで部屋の中を爆弾で爆破されたかのようだった。


壁一面はバキバキに割れたコンクリートがむき出しになっており、まるで今まで自分が――いや、人が住んでいた部屋とは思えない有様に変わり果てていた。


そして――


  ガラリ


と、そこの瓦礫の山が崩れる。


するとそこからは――


何者かが姿を現そうとしていたのだ。


「だれ⁉」


らん子は警戒しながら、その者に問いかける。


すると――


  ぬうっ


と、中から現れたのは――


コロナウィルスでは無く、


……ある一人の人物。


カカルはこの時初めて、さっき一瞬視えたジェット機が、見間違いだったことに気が付いた。


なぜなら……


彼がジェット機と見間違えた、それこそ――


まぎれも無くこの男だったのだ。


全身雨ガッパ――


防菌ゴーグル――


N95マスク、二枚重ね――


カカルはこの人物の名を知っている。


男は二人の方へと向き直ると――


渋く落ち着いた声で言った。


「コロナ対策究極奥義、カッパdeバラグライダーダイナミック入室」


らん子は目をまん丸くさせたまま、ポカンと開けたその口から、まるで空気が漏れ出す様に呟く……


「あ……あなたは……?」


彼女のその問いかけに――


「もう!来るのが遅いですよコロナ絶対コロ……」「違う」


「コロナ滅茶苦茶コロスマン、だ。」


雨ガッパを翻して応えたのだった。

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それゆけ!コロナ滅茶苦茶コロスマン! そーた @sugahara3590

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