第3話 ※コロナに物理攻撃は効きません
コロナウィルスは激痛に顔を歪めていた。
「ぐ……うう、このアマ。急に豹変しやがった。」
コロナウィルスは右足を引きずりながら、思わず彼女との距離を取る。
「ただのカワイイ系女子だと思った?
ざーんねん。最近流行りのツヨカワ系女子でした。」
らん子はそう言っておどけて見せる。
しかし、言っている内容とは対照的に、その声はまるで氷の様に無感情で――
その様がより一層不気味な雰囲気を醸し出していたのだ。
コロナウィルスは彼女の変貌ぶりに動揺を隠しきれない。
先ほどまでは壁に背中を張り付かせ、怯えた目で彼を見上げていたはずの女が、今は何故か大きく見える――
コロナウィルスはその様な錯覚に囚われていた。
一方の彼女は左足――先ほどコロナウィルスの太ももを蹴った足を上げたまま、針の様な鋭い視線を真っ直ぐに放っており、その姿は明らかに普通の女の子とは思えないものだった。
「てめえ、何か格闘技をやってるな……?」
口調こそ強気なコロナウィルス。
だが彼は自分の頬に、一筋の汗が垂れ落ちていくのを実感する。
しかしそれでもコロナウィルスは体勢を立て直し、再び彼女に向けて構え直す。
それに合わせ、目の前の彼女も、ゆっくりと――
――上げた左足を、もとに戻した。
コロナウィルスは思わず固唾を飲む。
そんな些細な動き一つを取っても、相当な稽古を積んできたことが感じられるような、そんな美しさとも言えるほどのものが、そこにはあったのだ。
しかし、彼はそれに負けじと、まるで自分を奮い立たせるように――
「あまり調子に乗るなよこのアマめ。
いくら格闘技をやっていようが人間ごときがコロナウィルスに勝てるはずがないのだ!」
そう吐き捨てたのだった。
強がるコロナウィルスだったが、その態度に応じる様に、彼女も構えを取る。
コロナウィルスの目の前に対峙する彼女――らん子は、左足を大きく引いて半身の体勢を取り、両拳をちょうど胸の高さまで掲げた。
半身の体勢だからか、大きく引いたその左足、左拳は――
コロナウィルスから見てやけに遠く感じられたのだった。
「……。」
彼は再度身を屈める。
そして――
軋む右足の痛みに耐えながら……
再度彼女に襲い掛かったのだ。
「行くぞッ!」
彼女目掛けて急速に迫って行く。
しかし当の彼女に怯む様子など露ほどにも見られない。
無表情を保つらん子だったが……
「ライトニングストレートッ!」
突如彼女が声を張り上げた。
「――ッ⁉」
特に動きの見られないらん子の姿。
しかし、遠くに構えた彼女の小さな左拳が……
突如大きく膨らんだ様に見えた途端――
それは彼の視界を遮り
――コロナウィルスは顔面を弾かれていた。
「ブハッ……⁉」
鼻の奥がツーンと痛む。
気づけば数歩後ろへ後退していたコロナウィルスは、痛みを振り飛ばす様に顔を左右へ振り払った。
今何が起こったのか――?
自分は今殴られたのか――?
彼は頭の中をパニックに支配させながらも、かろうじてらん子の方へと向き直った。
しかし
コロナウィルスは彼女の姿を確認するも……
半身の構え
胸の高さに掲げた両拳
そして、見たものを凍りつかせる様なその瞳
先ほど彼が見たものと全く同じ光景が、そこにはあった。
「て、てめえ!いったい俺に何をした⁉」
彼は目の前のらん子に声を上げる。
彼女は無表情のまま、無感情な声でその問いに答えた。
「何って――ただの左ストレートよ。
何の変哲もない、ただの――ね。」
その答えに、コロナウィルスは押さえていた鼻から手を放した。
「ただの左ストレートだと?」
ふざけるな。と怒鳴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるコロナウィルス。
そんな彼の様子を見て、らん子は呆れた様なため息を吐く。
そして
「ストレート――まあ、厳密に言えば直突きと言うのだけどね。」
相変わらず抑揚の無い口調でコロナウィルスに告げるのだった。
「パンチを繰り出された者は普通、パンチを出す前の予備動作――つまりは自然と起こる僅かな動きで『パンチが来る』という事を認識し、拳の向こうに見える腕の遠近感によって、『あとどれくらいで拳が自分に届くか』という事を把握する。
こうやって説明すると高度な事に聞こえるけど、これは誰しもが本能的に、無意識下で行っている事よ。」
彼女は続ける。
「だけどこの日本拳法特有の直突き、特に私の直突きは予備動作が全く無く、真っ直ぐ拳を伸ばすため、相手は反応も出来ないし遠近感も掴めない。
つまり相手は――」
らん子はそこまで言うと……
「――気づけばパンチを貰っている。という感覚に陥るのよ。」
初めて唇の端を吊り上げた。
妖絶な笑みを浮かべる彼女に、コロナウィルスは得も言えぬ不気味さを感じた。
しかし――
次の瞬間、彼は突如不可解な行動を取り出した。
「ふふふ……ははは!」
突如、なぜか不敵に笑いだしたのだ。
「……?」
らん子は表情こそ変えないものの、目だけで疑問の色を浮かべる。
「やはりお前は馬鹿だな。」
そう言って勝ち誇った表情を浮かべるコロナウィルス。
「自分の手の内を自慢げにバラしてしまうとは……
もうカラクリが分かった以上は同じ手は食わねえ!」
そう言い放つ彼に、らん子はその瞳をさらに凍てつかせた。
「そう……ならばもう一度試してみたら?」
そんな彼女に、コロナウィルスは一瞬唖然とした様子を見せるも、
「……ああ。ならばお望み通り……」
敵意をむき出しに、腰を深く沈めた。
「やってやるぜぇ‼」
再び地を蹴った。
さっきと同じようにらん子に迫るコロナウィルス。
しかし彼はもう彼女の技を見切っている。
そう。
あらかじめ左の拳を出してくる事が分かってしまえば容易に躱せてしまうのだ。
左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける
彼は頭の中で、まるで呪文のように唱え続けた。
そして――
やはり先ほどと同じ構えで待ち構えるらん子。
左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける左が動けばすぐ避ける
「ライトニングストレート!」
――彼女の左拳が目と鼻の先にあった。
「――ふぐぉ⁉」
まるでデジャヴの様に、同じシーンを繰り返す。
気づけば数歩後ろへ後退していたコロナウィルスは、鼻の奥に走る激痛に顔をシワクチャにしかめた。
「な、なぜっ⁉」
頭の中をパニックで支配され、思わず叫ぶコロナウィルス。
そんな彼に、らん子はやはり先ほどと全く変わらない姿で告げる。
「無駄よ。私の直突きは、生物が本能的に反応し、認識するための『ヒント』を全て取り除いて繰り出されるもの。
つまりは、いくらその仕組みが分かった所で相手は避ける事なんて出来ない。」
そして、彼女は一言、力強く言い放った。
「名付けて――ライトニングストレート」
彼女の言葉に、コロナウィルスは戸惑いを隠せない様子だった。
「ライトニングストレート?
……それ、自分で言ってて恥ずかしくないのか?」
戸惑いを隠せない様子のコロナウィルスだが、らん子は構わず続けた。
「私の技を受けたものは皆、『光が放たれた様に見えた』と口を揃えて言う。」
「……いや、さすがに光までは見えなかった。」
間髪入れずに即答するコロナウィルスだが、らん子は構わず続けた。
「その事から、私は現役時代『閃光のRANKO』と名乗っていた。」
「自分で名乗ってたのかよ。頭イタすぎだろ。とんだ黒歴史だな。」
ドン引くコロナウィルスだが、らん子は構わず続けた。
「さあ……そろそろフィナーレよ。」
そして彼女はコロナウィルスに真正面から向き直り、両腕を翼のように大きく広げた。
その堂々たる姿はまさにこの世を支配する魔王のように……
その姿を直視するコロナウィルス。
彼の目にも、彼女の身体から漂う禍々しくも強大なオーラが、はっきりと見えたようで……
「す、すごい……そこはかとなく漂う中二病感がすごい。
さすが自分で『閃光のらん子』とか名乗るだけあるわ……」
彼の口からは思わず感心したように言葉が漏れていたのだった。
「『閃光のRANKO』よ。」
「すまん。違いが分からん。」
そしてらん子は再び半身になり、先ほどと同じ構えに戻す。
「今後は私の方から行くわよ。」
「おい、今何のために両腕広げたんだ?」
「私の『ライトニングシリーズ』は99個もの技のレパトリーから成り立っている。」
「いちいちネーミングセンスがダサいッ……」
コロナウィルスはポツリとそう溢す。
そして――
「覚悟は良い?」
らん子はコロナウィルスのその反応には全く構わず、眼光をキッと光らせると――
「ライトニングクラブチョキ‼」
「ライトニングクラブチョキ⁉」
コロナウィルスの視界から姿を消した。
いや、消えたわけでは無い。
彼の足元に滑り込んできたのだ。
らん子のその滑らかな動きは決して遅いわけでは無いが、だからと言って大して速い事も無い。
そのスピードはお世辞にも、『光速』とか『閃光』とかで表現される様な、そんなカッコいいものでは無かった。
しかし――
コロナウィルスは何故か反応が出来なかった。
まるでスライディングのように滑り込んでくる彼女を、まるでスローモーションの様な感覚でただ見守ることしか出来ない。
そして――
彼女の足はまるでそれぞれ意思を持つ蛇の様にコロナウィルスの足に絡みつき……
――これは確か……カニバサミって技で……
コロナウィルスがそう考える間もなく、彼はゆっくりと――ゆっくりと――
自分が仰向けに倒れていくのを実感した。
自分の身体が傾いていく――
彼の頭の中はスローモーションだった。
しかしその間にも彼の足元では、木に絡みつく蔓の様に、らん子の足が蠢いて、這いずっていた。
そしてついに……
ストン――
とぱったり、彼の身体が倒れきった時――
――その形は完成していた。
「ライトニング――」
コロナウィルスの右足にはらん子の両足が絡みつき、そして足首は彼女の右腕に抱えられ――
「――足関節固め‼」
彼女はゴロン――とうつ伏せに翻ったのだった。
刹那
「ぎゃああああッ⁉」
思わず、コロナウィルスも反射的に同じ方向に身体を翻す。
激痛
彼の頭の中を、この二文字がでかでかと埋め尽くした。
いや、これは恐らく足首の関節を締め上げられているのだろうが、彼には今自分の足首がどのようになっているのかは見えないし、分からない。
いや、彼にとって別にそんなことはどうでもよかった。
彼が今分かっている事はただ一つ。
それは――
痛い
ただそれだけ。
まるで電撃の様に走る激痛に顔を歪め、狂ったように喚きだす。
「いや!ライトニング!これライトニング関係ねーだろ⁉」
「まるで足首に光が放たれたように痛みが走るでしょ?
だからライトニング足関で良いのよ!」
コロナウィルスの足首は変な方向に曲がっているのだろう。
しかしどのように曲がっているのかなどは分からないし、見ている余裕などなかった。
「相変わらずネーミングダッセえなッ!無理矢理ライトニングって使いたいだけだろ⁉」
「そんな口が利けるとはまだ余裕があるみたいね。」
いや、無い。
しかし彼女は据わった目で何処か一点を見詰め、殺意の込めた表情で――
キリキリと自らの身体をさらに捩じった。
「ああああああッ‼」
らん子がほんの数センチ身体を捩じると――
それは何十倍もの痛みに変換されて、コロナウィルスの身体に流れ出す。
「ねえ……どうする?」
喚き散らすコロナウィルスとは対照的に、彼女は涼しげな声で彼に問いかける。
「このままこの苦痛を味わい続けるか。
それとも……」
そもそもこの言葉は彼に聞こえているのだろうか。
「大人しく私にストーカー行為をしたことに対して慰謝料を払うか。」
コロナウィルスはまるで彼女の言葉を掻き消す様に叫び続け、床をバンバンと手で叩いている。
「もし示談する気も無いのであれば警察に通報するよ。
そうなれば不法侵入の罪にも問われてアンタはもれなく逮捕されて前科持ちになるよ。
アンタは社会的信用を失って今後アンタを付着させてくれる人間なんていなくなるでしょうね。」
彼女はコロナウィルスに対し、無慈悲な選択肢を突き付ける。
しかし――
「ふふふふふ……」
狂ったように喚き続けていたコロナウィルスは――
なぜか気味の悪い笑い声を上げ始めたのだ。
「どうしたの?とうとう痛みで頭がおかしくなった?」
らん子は相変わらずコロナウィルスの足首を締め上げているが、彼の笑い声は徐々に大きくなっていき――
「ハッハッハッハッ!
お前は本当に馬鹿だな!」
嘲るように吐き捨てた。
「お前、俺とこんなに身体を密着させてて良いのか?」
「アンタ……まさか、この状況で私と密着出来て喜んでいるっていうの⁉
変態‼ドМ‼」
「違う。そうじゃない。」
真顔で否定するコロナウィルス。
しかし彼は再びその口元を歪めた。
「さては……俺がウィルスだってことを忘れているな?」
「……まさか⁉」
らん子はハッと息を呑むと、みるみると顔を青ざめさせていき――
「いったいどういう事⁉」
――コロナウィルスにそう問いただした。
「ふふふ……教えてやろう。
お前がこうやって俺と身体を密着させているということは……
……てかお前『まさか⁉』って言ってから『いったいどういう事⁉』っておかしいだろ……
分かったのか分からないのかどっちなんだよ。」
彼は急に真顔になるも、すぐに気を取り直す。
「まあ良い。だからこうやって身体を密着させているという事は、容易にお前の身体の中に侵入できるという事だ‼」
「なんですって⁉」
その言葉を聞いて――
彼女はたまらずコロナウィルスに掛けていた技を解く。
「ハッハッハッ……そもそもウィルスに打撃はおろか、寝技を仕掛けること自体イカレているのだ。
生身で俺に触れれば遅かれ早かれお前は感染する。
お前が俺を倒すことなど最初から不可能だったのだよ。」
コロナウィルスはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
そしていまだ座り込んだ状態のらん子を、余裕の表情で見下ろしている――
――右足を庇いながら。
「いったい……どうすれば。」
先ほどとは打って変わり、彼女は余裕のない表情で唇を噛む。
「散々手こずらせてくれたようだが、お遊びはもう終わりだ。」
コロナウィルスはそう言い放つと、一歩彼女に向かって踏み出した。
「止めて!来ないで!」
尻餅を付いたまま後ずさりをするらん子。
しかしそのような行動は何の意味もなさず――
すぐに彼女の背中は壁に突き当たった。
形勢逆転。
絶体絶命。
いくら武道を身に着けていても、ウィルス相手には効果が無い。
彼女はその事が悔しく、地面を抉らんばかりに拳を握りしめた。
しかし――
いくららん子が悔しさに身を震わせようとも、目の前の敵が歩みを止める事は無い。
じわり じわり
と、奴は彼女を嘲笑いながら近づいてくる。
――助けて。カカル君。
ふと、彼女の頭の中で、自らの恋人の姿が浮かんだ。
しかし、彼がそんな都合よく助けに来てくれることなど無いだろう。
なぜなら彼女のマンションにはオートロックがあるからだ。
らん子がとうとう諦観した様に、目の前の現実に――
フッ――と目を伏せたとき……
「待てぇーい!」
どこからともなく聞こえた声。
彼女の瞳に光が宿る。
「な、何者だ⁉」
目の前のコロナウィルスが辺りを見回す。
彼の疑問はらん子も同様だったらしく、彼女も少々戸惑った様子で、今起きている状況に身を任せるしかなかった。
いや――
そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも、この声には聞き覚えがある。
それは、とても懐かしい声。とても愛おしい声。
らん子の心は、言いようも無い安心感に満たされたのだった。
そして、とうとう――
その声の主は、正体を現す。
玄関の方からけたたましい衝撃音が聞こえた。
玄関のドアを蹴り飛ばした音だろうか。
そして玄関口の方から、男の声が聞こえる。
「らん子‼助けに来たぞ‼
おいテメエ、コロナウィルス!
俺が相手だ‼かかってきやがれ‼」
彼の勇敢なその声は、らん子にとって非常に頼もしく思えた。
「カカル君……」
彼女の表情はパアッと明るくなり、心なしか――
その顔はうっすらと淡く赤らんでいた。
しかし――
「らん子!お前の事は命に代えても守って見せる!」
彼女は思った。
自らの彼氏――
いや、恐らく彼氏であろう人が言い放つ言葉。
思わず胸がときめく様な、そんなカッコいい言葉。
その言葉は玄関口から聞こえている。
しかし、彼女は思った。
自分、及び目の前のコロナウィルスは、今リビングに居る。
つまり、ここからの角度では玄関口――つまりは彼の姿が一切見えないのだ。
彼女は思った。
姿が見えず、只々玄関口から声だけ聞こえてくるこの状況。
そんな今の状況が――
――とてもシュールだな。
と、彼女はふと思ってしまったのだった。
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