雨のメロディ
鈴蘭
第1話 夏の夜の雨
「えいちゃん、待って。どこに行くの」
焦るように言った架菜の手を強く引いて、祭りでごった返す人の波をかき分けて進む。
「えいちゃん、ねえ待って、待ってってば」
架菜の足取りが重くなるのが分かる。必死に俺の歩みを止めようとしているのだ。それでも迷わずずんずんと早足で歩き続ける。
「えいちゃん、どうしたの、私何もされてないよ?ねえ英一、ちょっと待って、離して。」
架菜は俺の手を必死に振りほどこうとする。その声は半分叫ぶように、そして少し泣いているようにも聞こえた。
「英一、足痛いよ。英一だって甚平乱れてるよ。ねえ、どうしたの。一回止まって。」
架菜が何と言おうと、俺はもう自分の歩みを止めるつもりはなかった。とにかく、この祭りから逃げ出したかった。人工的な提灯の明かりも、たきこめる湯気の臭いにももううんざりだった。自分でも、嫌がる架菜の手を引き続ける強引さにはびっくりしていた。ただ、架菜にずっと伝えたかったことがあったのだ。それをどうしても今夜、伝えなければならない気がした。
俺がこの町に帰ってくるのは、実に4年ぶりのことだった。この小さな町には高校はなく、県立高校を受験して寮に入っていたのだ。その後必死に勉強して入った東京の大学が夏休みを迎え、サークルや学部の友達とどこへ遊びに行こうかなどプランを立てている最中に、おじいが亡くなったという知らせが入った。ここ数年は癌の治療で苦しんでいる姿を見るだけだったが、俺が子供の頃は町長としてばりばり働き、町民からも慕われていた、子供心にも誇らしい祖父だった。告別式にも遠くから沢山の町民が参列し、中には泣きながら別れを惜しんでいる人もおり、その様子に感銘を受けた現町長となった親父が、今回来ることが出来なかった人にも別れの挨拶をしてほしいと村での別れの会をしようと提案したのだ。
その準備要員として何故か俺も駆り出されることになり、お祭りやお盆などの行事もある中でこの夏この村に一時的に帰ることになった。
そこで、架菜と会った。久しぶりだと喜び合い、色々な話をした。そこまではごく普通の、ただの幼馴染の、たわいない戯れだった。
でも何故なのだろうか。気分転換に様子を見に来た祭りで隣町の奴と楽しそうに談笑する架菜を見た瞬間、何かこらえていたものがぷつんと切れ、気づいたら架菜の手を引いて歩いていた。
歩き続けて数分、祭りの密集から抜け出し明かりもぼんやりとしてきた。俺は立ち止まる。架菜は少し困惑した表情を見せたものの、すぐに甚平の裾を掴んで
「えいちゃん、どうしたの。びっくりした。私、疲れちゃったよ。」と少し泣きそうに俺を見つめた。
俺は何も言わなかった。言えなかった。
ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。
「ほら、もう戻らないと。えいちゃん執行委員なんでしょ?片付けとか、早くしないと。」
何も言わない俺に少しあきれたように架菜が俺の腕をぐっと引いて戻ろうとした、その時、俺は架菜の顔を両手で包んで近づけ、その唇に短いキスをした。
これが俺の、精一杯の気持ちの伝え方だった。
架菜は一瞬ぽかんとして、次に驚いた様子で涙目になりながら走っていってしまった。
しとしとと降る雨は、俺の唇に残る架菜の体温を消していった。
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