いじめられていた美少女を助けたら幼馴染と修羅場になった

荒三水

第1話

「やっぱ女子トイレは穴場だわなぁ」


 しみじみそう思う。

 旧校舎二階奥の女子トイレの個室で、俺は便器に腰かけながらもくもくと煙を吐き出す。

 

「うーんたまらん。この匂い」

 

 親父の部屋の荷物にあった赤いパッケージの外国産の謎タバコで、これがまたうまくもなんともない。 

 でもやめられないんだよなぁ。だってこうやってタバコ吸いに来ないと、授業受けないといけないわけだし。

 

 怪しい煙を肺に取り込み気分の乗ってきた俺は、個室を飛び出しガラっと半窓を開けて外を見下ろす。

 今日も暖かい平和な昼下がり。ぽかぽか陽気と頬を撫でる風が気持ちいい。

 俺は学校の外周をチンタラ走っている体操服の群れに向かって、


「コラ、もっときばらんかいっ」

 

 と活を飛ばす。近頃の若いもんは本当、根性がない。肝が座ってない。

 望むらくはこの俺のように悠然と、巌のようにどっしり構えているべきだ。

 俺なんかはもう、下の女子に見つかって指をさされても、ハリウッドスターのように余裕の笑みで手を振り返しちゃうわけだけども……。


 ――ガタッ。

 

 すぐそばで物音がした。

 猫のようにさっと身をひるがえし音のした方に視線をやると、俺はその時初めて、トイレの三番目の個室の扉が閉まっていることに気づいた。

 ……うそやだ。もしかしてこれって、霊的なアレ? そういうのダメ、ほんとダメ。


 へっぴり腰になりながらもおそるおそる扉に近づき、コンコン、とノックをしてみる。

 何も反応がない。


「は、入ってますかー?」

 

 尋ねても返事がない。

 そのくせ、扉の向こうには人の気配のようなものを感じる。これはいよいよ怪しい。

 ついに俺も、花子さんと邂逅してしまう時が来たか。

 

「あのぅ、お便所飯中だったらすみません」


 そうであれば本当に申し訳ない。

 しかしよくよく見ればカギはしまっていなかった。

 こいつは単純にドアの立て付けが悪いだとか、そういうオチに違いない。きっとそうだ。

 

 俺は目をつぶってえいやっと一思いに扉を押し開けた。

 キィィ、と音がして戸が開いて、やっぱり中には誰も……。


「ひっ……」


 いた。

 制服姿の女子。

 うつむきがちに便座に座っている。

 

「え、ええと、花子さん……?」


 相手は答えなかった。

 代わりに長い髪をギュっと手で握って絞り始めた。ぴちゃぴちゃと水滴が床に落ちる。

 

 彼女はどういうわけか髪から上履きまで、全身ぐっしょりと水で濡れていた。

 花子さんといえばよくあるおかっぱ頭ではなく、水を吸ったセミロングの黒髪が無造作に波打つ。

 表情はこれ以上なく硬いが、鼻筋の通った凹凸のある顔のラインはもれなく美少女感ある。


 花子さんも現代アレンジを受けて萌え化しているのかもしれない。

 ベリービューテホーだ。まさに掃き溜めならぬ肥溜めに鶴。

 今うまいこと言った。今日の俺冴えてるぜ。

 

「とっくに授業始まってるよ?」


 優しくそう言うと、花子さんは顔を上げて睨みつけてきた。

 大きな二重が凛々しく、思いのほかキリっとしている。これはイケメン。

 彼女は無言のまますっと腕を持ち上げて、俺の手元を指さした。


「タバコ……」

「はい?」

「やめなさい」


 タバ子……? バタ子さんの亜種か?

 意味がわからず面食らっていると、


「何してるの? 授業中に……しかも女子トイレで」


 何を言い出すのかと思えばいきなりのブーメラン発言。 

 びっくりだ。突っ込んだら負けなのかと思ったが言わずにはいられない。


「授業をサボってこんなとこで行水している人には言われたくないのですが」

「これは自分でやったんじゃないから」

「ふぅん? それでここで何をしてるの?」

「あなたがいなくなるの待ってたの」


 そう言うと、彼女はポタポタと水を滴らせながら立ち上がり、ずいっと正面から俺の前に立ちふさがった。そんなに近くで見つめられると恥ずかしい。

 視線を下にそらすと、水気を含んだブラウスがべっとり肌に張り付いているのが目に入った。


「何?」

「ブラが透けてるからラッキーって」


 また睨まれた。

 今度は眼力五割増しである。


「おっぱい大きいね。何カップ?」

 

 パシン、と小気味いい音が響いた。

 やや遅れてジンジンと右頬に痛みが走る。

 幻の左。俺ともあろうものが全く見えなかった。


「素質あるね。全国いけるね」


 親父にもぶたれたことないのに。

 ましてや女の子にだなんて、初めての経験。ちょっとドキドキ。


 彼女はうんともすんとも言わずに、腕を伸ばして俺の指からタバコを抜き取ると、便器の水で「じゅっ」と火を消した。

 そして吸い殻をご丁寧に何重にもトイレットペーパーでくるむと、黒いゴミ袋の箱の中に入れた。


 くるりと振り返った彼女は目で「どいて」とやってくるので、迫力に押されて一歩二歩と後ずさる。

 その拍子にかかとに何か当たった。トイレの床には、不自然にバケツとじょうろが転がっていた。よく見ればホースも出しっぱなしだ。

 それらの情報から俺は名推理を披露する。


「もしかして、いじめられてる?」

「違う」


 即答できっぱり否定された。

 本人がそう言うのであればいじめではないのだろう。

 本人がいじめだと思わなければ、たとえぶっ殺されようがいじめではないのだ。


「よかった。いじめだったらどうしよかと思って」

「いじめだったらどうするの?」

「んー難しいですな。それは」


 何しろ大人のお偉い人たちが難しい議論をしても解決しない社会問題なのだ。

 俺ごときがいくら頭を捻っても答えは出ないだろう。


「いじめられてます助けて、と言われたら助けるけども、そうじゃなければ余計なおせっかいかと思って」

「そう。なんにせよ、タバコはやめなさい」


 花子さんはそう言い残すと、濡れたままの格好でさっそうとトイレを出ていった。

 

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