第25話 修学旅行3

 どうやら廣神グループの人にとって新幹線=グリーン車という認識だったらしい。計算してみると手渡されたお金は丁度グリーン車二人分の料金だった。もちろん、指定席に乗ってお金を浮かせるという手も使えないわけではなかったが、交通費としてもらったお金を別の用途に使うのは少し気が引けたので有難くグリーン車で移動することになった。


 そして、新神戸駅に着いた俺たちは他の先生方と合流した。が、すでに生徒たちは自由行動で方々に散ってしまったあとだった。初め俺は自分のグループと合流して行動をともにするという話だったのだが、すでにグループはお城を見に姫路まで行ってしまっていることや、姫路まで生徒一人で移動させるのはリスクが高かったことから、先生(織平さくら)引率の元、近場を散策するよう言われた。


 結局、俺と先生は神戸に着いてからも二人で行動することになったのだが……。


「神戸って、何があるのかなぁ?」


「牛以外に何も思いつかないですね」


 近場を回れと言われても神戸についての知識がほぼ皆無の俺と先生は途方に暮れる。


 が、いつまでも新神戸で立ち尽くしているわけにもいかず、渡された一日乗車券を手に俺たちは地下鉄に乗り込む。適当な駅で下車して適当に歩いていると南京町と書かれた中華街にたどり着いた。


「わぁ~近本くん、いい匂いだね。肉まんの匂いかなぁ……」


 でかでかと南京町と書かれた大きな門をくぐると、なにやら美味そうな匂いが鼻を刺激する。あたりは観光客で賑わい、熱心に客引きをする露店や、何かを蒸しているのかカゴのような物から湯気が立っているのが見える。


 先生は鼻先をぴくぴくさせながら羨ましそうに露店に売られる饅頭や肉まんを眺めていた。


「お腹、空いたね……」


 先生はそう言って少し恥ずかしそうにぐぅ~となる腹を押さえていた。


 正直なところ、俺は名古屋駅できしめんを食ったのでそこまでお腹は空いていなかったが、よくよく考えてみれば先生はまだお昼を食べていない。時計を見ると時刻は午後四時近くになっていた。先生の腹が鳴るのも無理はない。


 が、俺は知っている。先生の所持金が三百円だということを。


 先生は「わ~ニラ饅頭だって。あっちは豚まんだよ~」などと相変わらず羨ましそうにあたりを眺めているが決して店に近づこうとはしない。


「豚まん……食べたいんですか?」


 そんな先生に俺はそう尋ねると先生は頬を赤らめたまま俺を見やる。


「え? う、うん、だけど匂いを嗅いでるだけでもちょっと食べた気分になるから平気だよ」


 と、何やら謎理論を振りかざして笑みを浮かべる。


 どうやら豚まんに手が伸びないようだ。が、先生の言葉とは裏腹に身体は正直なようだ。さっきからグーグーと先生の腹がなっているようで、仕切りに腹を摩っていた。


 なんだかそんな先生を眺めていると庇護欲が湧いてくる。


「豚まん……食べますか?」


 が、そんな先生にそう尋ねてみると先生は激しく首を横に振る。


「そ、それはダメだよ。先生、さっきもペンダント買ってもらったばかりだよ」


 先生は首に巻いたペンダントを俺に見せる。


 が、お腹を空かせる先生を俺は見ていられない。せっかく中華街に来たのだ。先生には美味しい想い出を作って欲しかった。尻ポケットから財布を取り出すと近くの行列のできた豚まん屋へと歩いていく。


「だ、大丈夫だよ。近本くんのお金なんだから、近本くんが使いたいように使っていいんだよ」


 と、そんな俺の袖を引っ張る先生だが、俺は足を止めない。


「俺の使いたいように使っていいなら、なおのこと先生に豚まんを御馳走しますよ」


 正直なところ、俺にも金銭的な余裕はない。財布のお金には今月の生活費も含まれているし、実家から頼まれているお土産を買わなければならない。だけど、豚まんひとつぐらいなら買えなくもない。


 先生は俺の袖を掴んだまま少し困惑したように俺のあとについてくる。


「ほ、本当にいいの?」


「名古屋での言葉をもう忘れたんですか?」


「そ、それはそうだけど……」


 俺は迷惑だなんて思っていない。先生に豚まんを食べさせてあげたいから買うのだ。結局、先生は俺の言葉に何も返せず、俺とともに行列に並んだ。そして五分ほど経って俺たちは一つ80円の小ぶりの豚まんを購入し近くのベンチに腰を下ろした。


「はい、どうぞ」


 先生に豚まんを手渡してやると、先生は「わ~美味しそうだね……」と子供のように目を輝かせ、それがなんとも愛らしい。


 が、やはり少し気が引けているようで、なかなか口にしようとしない。


 先生はしばらく悩まし気に豚まんを眺めていた。が、しばらくすると何かを思いついたように豚まんを真っ二つに割ると片方を俺に差し出す。


「一緒に食べよう?」


「そ、それは……」


 が、そんな先生に今度は俺の方が気が引けてしまう。


「本当にいいんですか?」


 その豚まんはコンビニなどで売っている肉まんと比べて一回り小さかった。それを半分に割ると一口で食べられるほどの小ささになってしまう。これではいくら女性とはいえ先生の腹は満たせそうにない。


 俺が困ったように先生の手を眺めていると、先生は不意に笑みを浮かべる。


「先生は迷惑だなんて思っていないよ。先生がそうしたいからそうするんだよ」


 と、さっきの俺の言葉をオウム返しするようにそう言う。


 仕返しをされてしまった。


 そう言われてしまうと俺は何も言い返せない。俺は先生から豚まんを受け取る。


 さすがは行列ができるだけあって、半分に割られたその豚まんからしたたり落ちそうなほどに肉汁が染み出ていた。


「先生はお腹を満たすよりも、近本くんと美味しい想い出を共有したいな」


 確かにそれもそうだ。俺は先生のお言葉に甘えて「いただきます」とおもむろに小さな豚まんにかぶりついた。


 美味い!! さすがは行列ができる店だ。コンビニで時々売られている豚まんとはレベルが違う。俺に続いて先生も豚まんにかぶりついてとろけそうな目で俺を見つめた。


「美味しいね。先生こんなにおいしい豚まん食べるの初めてだよ~」


 幸せを共有するように嬉しそうに笑みを浮かべる。


 俺はそんな先生の笑顔と、口いっぱいに広がる肉の風味にふと考える。


 幸せだ。今、俺は八十円の半分、四十円分の豚まんでこんなにも幸せだ。人はこんな簡単なことで幸せを感じることができるのだ。俺は幸せを胸いっぱいに感じながら、でも、その中にわずかに悲しみも感じた。


 この幸せな時間はいつか終わる。


 家に帰ると当たり前のように先生がいることも、扇風機の前で食べるパピポアイスも、もううんざりだと思いながら二人で食べるそうめんの味もいつかはなくなってしまう。


 楽しい時間はいつまでも続くわけではないのだ。


 先生が新しい部屋が見つかりそうだと言ったあの日から俺はそんなことばかり考えていた。今まで当たり前だと思っていたことは先生が家を出ていくという明確な終着点が見えた瞬間に光り輝き始める。当たり前は当たり前ではなくなる。


 日常とは終わりがあるからこそ光り輝くのだ。


 俺はそんなことを今更噛み締めていた。


 幸せそうに豚まんを食べる先生を眺めていると先生はふと驚いたように俺を見やった。


「近本くん?」


「なんですか?」


「近本くん、どうして?」


「え?」


 先生に指摘されるまで俺は全く気がつかなかった。いつの間にか俺の頬には涙が伝っていた。いつの間にか俺は泣いていた。


 先生は俺の顔をしばらく眺めていた。が、慌てて残りの豚まんを口に放り込むと俺に身体を寄せてぎゅっと俺を抱きしめた。


「先生?」


 突然抱きしめられて俺は少し困惑して先生を呼んだ。が、先生は何も答えずにぎゅっと俺を抱きしめ続ける。


「近本くんが泣くなら先生も泣くよ」


 先生はぽつりと呟く。


「先生はね、近本くんと感情を共有したいよ。近本くんが嬉しいときは先生も嬉しくなりたいし、近本くんが悲しいときは先生も悲しくなりたい。なんだか不思議だよね」


 先生はゆっくりと俺から身体を離す。そこで気がついた。先生の瞳にも涙が浮かんでいる。


「近本くんがどうして泣いているかはわからないけど、近本くんの涙を半分わけてもらうね。きっと近本くんのその涙は大切な涙だと思うから」


 先生は涙を流しているのに、にっこりとほほ笑んでいた。


 先生のその言葉は他のどんな言葉よりも俺の心を温かくする。


 今までに感じたことがないぐらいに先生を愛おしく思った。だけど、俺にはその感情が何を意味するのかがわからない。だけど決して無視してはならない大切な感情だということはわかった。


 俺にとって先生はどういう存在なのだろか?


 それを明確に言葉にすることはできないけど、きっと今まで出会ったどんな人よりも、もっと特別な存在。決して担任と生徒、家主と居候、友人、親友、そんな明確な言葉に落とし込んでしまうと指の間からすり抜けてしまうような存在だ。


 鈍感な俺は今までそんなことに気がつくことができなかった。


 ただ言えることは。


「先生のことが好きです……」


 いや、その好きという言葉さえ何か大切なものを振り落としてしまうような、言葉にしてしまうと陳腐になってしまうような感情だ。


 俺の言葉に先生は「え?」と目を見開いていた。


 俺はそんな先生を呆然と眺めていた。


 そして、しばらくして俺は自分が今、とんでもないことを口にしたことに気がついた。


 あれ? 今俺、先生に告白しなかったか?


 そのことに気がついた瞬間、俺の頬が真っ赤に染まるのが分かった。そんな俺の表情の変化に先生もまた耳まで顔を真っ赤に染め上げた。


「い、いや、これはなんというか、その……」


「わ、わかっているよっ!! 大丈夫だから。先生は大丈夫だからっ!!」


 それから俺と先生は、しばらく二人してパニックに陥っていた。

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