第4話 セミダブルベッド

 長い一日だった。


 昨日の俺に話しても到底信じてもらえないようなことが今日一日だけで何度も起こり、いくら高校生とはいえ俺の体力も限界に近づいていた。


 先生に後ろを向いてもらい何とか風呂から上がると、先生は既に寝巻きに着替えており、長い黒髪をバンスクリップで後ろに纏めていた。


 しかし、先生のその寝巻きがなんというかその……凄かった。


 薄ピンク色でミニスカのワンピース型の寝巻きで、その上部はキャミソールのように肩紐がついていて胸元のカップを支えていた。が、寝巻きのため全体的にゆったりした作りで、さっきのバスタオル越しに見たものと比べてゆるやかな谷間が胸元にできていた。


 それだけでも充分に刺激が強い格好なのだがその上にスケスケのガウンを羽織っているため、エロさが三倍ぐらい増している。


 ただでさえアイドル顔負け、いや現につい数年前までアイドルとしてそれなりの人気を博していた女がそのどエロい格好で目の前にいるのだ。


 正座を横に崩した格好で座った先生は淹れたてのお茶を啜っていたが、俺を見やるとぽんぽんと目の前の床を叩いて自分の前に座るよう促した。


 俺はやや困惑しながらも、先生の前に腰を下ろして体育座りをする。


「今日一日ご苦労様でした。これは先生からのささやかなお礼」


 先生はそう言うと俺の肩を揉み始める。


 その突然の行動に思わず全身に力が入る。


「ほら、もっと力を抜いてリラックスして」


 そう言って先生が親指で首や肩を圧迫すると自然と全身の力が抜けていく。マッサージ自体も気持ちいのだが、それ以上に先生の暖かい手が肩に触れていることで妙な安心感を抱いた。


「そういえば先生ってどうして先生になったんですか?」


 目の前のテーブルに用意された俺の分のお茶を啜りながら俺は何気なくそう尋ねてみた。


「う~ん、もちろんアイドルよりも収入が安定しているってのが一番の理由だけど……私、昔から大勢の人の前に立ってお話をしたり歌を歌ったりするのが好きだったから、それもあるかもしれないね……」


「アイドルやってたのも、それが理由ですか?」


「うん、そうだよ。中学生の頃、広場を歩いていたら、たまたまそこでアイドルがライブをやっていて、それを見ていたら私もやってみたいな……って思うようになったの。その後、街を歩いていたらスカウトされて……」


「スカウトとかって本当にあるんですね」


 街を歩いていてスカウトされるなんてそれこそテレビの向こう側の話だと思っていた。


「私も、初めはびっくりしたよ。だけど、話をしているうちに本当に私もアイドルになれるんだって思って、そしたら、いてもたってもいられなくなっちゃったの」


 俺は先生の話を聞きながら、そのスカウトとやらが悪徳な何かではなくてよかったと安心した。この先生のことだから悪い人に声を掛けられてものこのこと、ついていってしまいそうだ。


「もしかして、いつも部屋で歌っていたのも先生がアイドルのときに歌っていた曲ですか?」


 そう尋ねると先生は「え?」と、少し驚いたような声を上げて手を止める。


「あ、ごめんなさい。俺、JPOPとかあんまり詳しくないんで……」


 が、すぐに再び手を動かし始める。


「ううん、私もまだまだだったんだなって思っただけだよ……」


「そんなことないですよ。クラスの奴らにだって先生のこと知っていたやつ、いっぱいいますよ?」


 先生はクスクスっと笑う。


「ありがとう。でも、今はもうアイドルじゃないし、これからは近本くんや、他の子たちから先生として評価されるように頑張らないとね」


 そう言って先生はポンポンと俺の肩を軽く叩くと、立ち上がり布団を敷き始めた。


 そんな先生を見て俺はふと気がついた。


 六畳間で二人の人間が眠るのは結構窮屈だ。先生はテーブルを部屋の端っこへと押しのけて、部屋から持ってきた布団を何とか敷いていたが、布団の端がテーブルの脚にぶつかって少し捲れてしまっている。これだと寝返りが打ちづらそうだ。


「先生……ベッドで寝ますか? 俺は別に床で寝ても構わないので……」


 そう尋ねると先生は「え?」と少し驚いた様子で俺を見やった。


「私は居候なんだから、近本くんが一番寝やすい場所で寝るのは当然だよ?」


 確かに先生の言っていることはもっともと言えばもっともだ。


 が、俺も高校生とはいえど男としてのプライドがないわけではない。女の子を床に寝かせて自分だけベッドで快適に眠るのは、なんとなく罪悪感があった。


「俺は別に床でも寝れるタイプの人間なんで、全然迷惑じゃないですよ。ほら、俺はそっちで寝るんでこっちで寝てくださいよ」


 が、先生は先生で、居候という自分の立場上、ならベッドで寝ますとも言えず、お互いベッドを譲り合うやり取りが何度か続いた。


 が、不意に先生が。


「それってセミダブルベッドだよね……」


 と、俺のベッドを指さした。


 先生の言う通り、俺のベッドはセミダブルだ。引っ越しの時にあまりお金を掛けたくなかったため、実家から持ってきたものだ。そのせいで、ただでさえ狭い六畳間がさらに窮屈なのだ。


 俺は何でそんなことを尋ねたのかよくわからず、「そ、そうですけど……」と首を傾げながら答える。


 が、すぐに理解をして自分の頬が紅潮していくのがわかった。


 それを見た先生も、いかに自分が大胆な発言をしたのか理解して頬を赤らめた。


「そ、そうだよね。さすがに近本くんだって先生と同じベッドで寝るのなんて嫌だもんねっ」


「というよりも、先生が窮屈なんじゃないかなと思って……」


「わ、私は体小さいし、窮屈でもなんでもないよ……」


 何とも言えない空気が二人の間を流れる。


「た、試しに二人で眠ってみようか……」


「そ、そうっすね……」


 成り行きとは恐ろしいものだ。


 俺と先生は結局、同じベッドで枕を並べるという想像を絶する結論にいたり、二人してベッドに入った。


 俺は布団に入ると、先生が眠るスペースを開けるために壁ぎりぎりのところまで移動すると、先生は部屋の明かりを落とすと、少し緊張したように布団を捲って俺の隣に入ってきた。


 先生の言う通り、先生は小柄で二人で布団に入っても特に窮屈とは感じなかった。


 直接、身体が触れ合っているわけではないのに、布団越しに先生の身体の温もりが伝わってくる。


 先生は布団に入ると身体をこちらへと向けて俺を見やった。


「ねえ、窮屈じゃない?」


「ええ、大丈夫です」


 俺と先生の顔の距離は三十センチほど。お互いの息遣いもわかるぐらいの距離だ。


 先生の髪からは甘い香りが漂ってくる。


 なんというか……生きた心地がしなかった。


 スペース的には全く窮屈でも何でもないはずなのに、先生との距離は実際の距離以上に近くに感じられて、頭がおかしくなりそうだ。


「恋人になったみたいで、少しドキドキするね」


「そ、そうっすね……」


 何を言っているんだこの人は……。


 先生のことだから、その言葉に特別な意味があるわけではないのはわかっている。だけど、先生の言葉はなんというか挑発的で、高校生の俺にはいろいろと刺激が強すぎる。


「先生、怖くないんですか?」


「怖い? どうして?」


「いや、だって俺はこう見えても男なんですよ? その気になれば先生のこと……」


 心配する俺を見て先生はクスクスと笑う。


「近本くんは私に似ているから、きっとそんなことしないよ」


「どうしてそんなに簡単に信用できるんですか……」


「私、バカだから、すぐに人のこと信用しちゃうの。確かに近本くんの言う通りかもね」


「だったら――」


「でもやっぱり近本くんなら大丈夫だよ」


 と、先生は何の根拠もなくそう言うと俺に微笑みかけ「おやすみ」と一言、俺の方を向いたまま瞳を閉じて、すやすやと眠りに落ちた。

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