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宮中ではさっそく、新しい動きがあった。そのために薫も多忙を極め、宇治の宮を訪ねることはほとんど不可能に近かった。宇治へは、日帰りでは行かれないからである。
もはや退位の帝のご譲位は自明のものとなり、その御出家はあまねく宮中に知れわたった。
今回出家入道されてご退位あそばされた帝がこれからは新院と呼ばれ、新たに即位された新帝の御父でこれまでの新院と呼ばれていた法皇は一院と呼ばれる。そうなると、今まで一院だった冷泉院は自動的に本院となる。冷泉院と一院法皇の父君の帝はご在位中に崩御されたので、いつまでたっても先帝だ。
その頃、近衛府の中でひそかにある疑惑がささやかれた。それは、新院はご在位中から確かに元興寺の阿舎利を招いて教えを請うたりはしておられたが、ご自身が元興寺に行幸されたことはないはずなのに、出家の夜は月があったとはいえどうやって元興寺までたどり着かれたのかということであった。
とても新院がお一人で行かれたとは考えられない。先導がいたはずだ。そしてそのことについて、人々の間で具体的な名前までが上がった。それは、東三条右大臣の三男の蔵人弁で、このたび蔵人頭になったので
そうなると、背後ですべての糸を引いて浮いたのは、ほかならぬ東三条右大臣ということになる。
薫は立場上、近衛府の官人がその噂について話し合っているのを目撃するたびに、「悪趣味な噂は流すな」と規制しなければならない。
だが、薫にも思い当たることがあった。東三条右大臣の父の故九条前右大臣は、薫の父の光源氏の親友だった男だ。薫の幼い頃の記憶によると、父はその男のことを「策士」だったと言っていた。今、薫の中で、その「策士」という言葉が蘇える。やはり今の右大臣も、そしてその子息たちも、九条前右大臣の血を引き継いだ「策士」なのだろうか……。
薫はそれもまた悪趣味な妄想として、自分の中で否定したかった。だが、新帝のなってからの初めての除目による人事異動で、否定どころかそれは裏付けられてしまった。
まず、東三条右大臣の娘で、新帝の生母であり、新帝のご即位によって国母となった梅壷女御には皇太后の宣旨が下された。
次に三条太政大臣の関白職は停止され、代わりに新帝がご幼少であるために摂政が置かれることになったが、その地位には太政大臣ではなく東三条右大臣が就いた。太政大臣や左大臣を飛び越えての就任であるが、なんといっても彼は新帝の外祖父である。だから、この措置には誰も異論をはさむ余地はなかった。
とりあえずの変化は、それくらいであった。
ところが翌月には、東三条摂政右大臣の、非参議で三位中将と呼ばれていた長男が権中納言となって名実ともに上達部となった。
そして同じ月に、東三条摂政右大臣は、右大臣を辞した。やはり太政大臣や左大臣を飛び越えて摂政というのはまずいようで、もろもろの書類の決裁などの手続き上もややこしくなる。そこで彼は右大臣の方を捨てたのだろう。右大臣でさえなければ、太政大臣や左大臣に遠慮することはない。これからは、彼の肩書きは摂政のみとなる。
新しい右大臣には、これまで藤大納言と呼ばれていた摂政の九番目の弟が就任した。
さらに、この月に權中納言になったばかりの摂政の長男が、なんとわずか二十日後に驚くべき速さで権大納言に昇格した。しかも同じ月のうちに従三位から正三位、そして従二位へと叙位されたのである。
そして摂政の三男の頭弁の粟田殿は兄の権中納言への昇進を機に近衛中将職を譲られて頭中将になっていたが、兄が権大納言となったのと同時に参議となって上達部に入った。たったひと月で蔵人弁から頭弁、頭中将、宰相中将と目まぐるしく呼び名が変わったことになる。
摂政の次男は母が違うのでこの時点でまだ右近衛中将のままであった。やはり同じ摂政の子でも、母の身分がもの言うことは自明だ。その証拠に、摂政の四男は母が摂政の妻ではなく摂政が手をつけた屋敷に仕える女房の子だったので、これまで全く昇進もせず今では出家していしまっている。
摂政の五男は長男や三男と同じ母だが、二十一歳という若さなのでまだこの時点では五位の蔵人だった。
さらにこの時、摂政の末の弟も権中納言となった。この新権中納言から見れば甥である摂政の長男の三十四歳の新権大納言より四歳も若い叔父である。
また、摂政の亡き次兄の堀川殿の長男も権中納言から正規の中納言に転じているが、いずれにせよこの時一斉に昇進したのはすべて九条流の末であった。
この新体制が落ち着くまでは、何かと宮中は騒がしかった。そんな一斉昇進のあった翌日、冷泉院の上皇の女一宮が薨去した。二十三歳だった。昨年薨去した妹の女二宮のあとを追うような形であった。同じ邸内に住む薫は触穢となり、いちばん忙しい時に宮中に出仕ができなくなって気をもんでいた。その翌日が太極殿での新帝即位の礼だったが、薫は当然それにも参列できなかった。
冷泉院もかなり気を落としておられるようであった。皇女二人をなくし、帝だった第一皇子にも出家されてしまった。その新院となった第一皇子も形だけの出家入道ではなく本気で仏道に専念されるご様子で、播磨国まで高僧に謁するためにお忍びで出かけられたという噂もあった。
だが、同じ父を種とする皇子の中でも、母の違いによってこれからまさしく日の目を見ようという皇子もおられた。
新院の弟の第二皇子である。
この月に加冠の儀を終えたばかりであったその十二歳の第二皇子が、東宮として立太子した。加冠の儀も立太子の礼も第二皇子の生母の里邸である摂政の東三条邸で行われた。新帝と東宮は従兄弟で、しかも東宮の方が帝よりも年が上という奇妙な状況も生じたのである。
それにひきかえ、冷泉院では立太子した東宮のことなどまるでよその世界の出来事であるかのように、その東宮の妹の喪で静まり返っていた。
新帝と東宮は父親同士が兄弟であるだけでなく母親同士も姉妹という二重の従兄弟で、その姉妹である二人の母親は、すべて摂政の娘である。
薫が少年時代の話だが、この摂政にもかつては亡き次兄におされて不遇の時代もあったという。だが今は、摂政は新帝と東宮の両方の外祖父として全く時の人となっていた。
さらには、新東宮の添伏も、摂政の三女であった。東宮より一つ年上の十二歳ではあるが、東宮にとっては母方の叔母でもある。
二条邸の匂宮にも、身内の変化があった。匂宮のわずか三歳の末の妹が、伊勢斎宮に
そしてその頃、秋の司召、すなわち京官除目が始まった。その新体制となっての初めての除目で、薫は左近衛少将となった。別に薫自身が何ら申文を書いたわけでもなく、世の中が東三条摂政を中心に回りだした途端の任官だった。同じ次官でも兵衛佐より近衛少将の方が格が少し上で、冠位相当も佐は従五位上なのに対して少将は正五位下である。薫はすでに正五位上であったので、少将に任官される資格は十分にあった。
それとほぼ同時に、摂政の五男の五位の蔵人も少納言となった。
薫はさっそくその
「今、亡きわが父から始まりました九条流がこのように栄えておりますのも、御父君の光源氏様の御加護があってのことですからね、せめてもの恩返しと思いまして」
薫の任官について、摂政はそのように説明した。その摂政の長男の権大納言も摂政の脇にいて、薫を見てにこにこ笑っていた。摂政は、
「知らぬ仲ではないのに、なぜかような端近におわす? さあさあ、中へ」
と、薫を身舎へと
「さあ、わが父と御父君のために」
なんと、摂政が自ら酌をしてくれる。これには恐縮のあまり薫の手は震え、全身が固くなった。相手が摂政という本来なら雲の上の人であるからとか、若輩の自分が年長者から酌を受けているからとかいう理由ばかりではない。
薫はどうもこの老人が苦手だったのだ。どうしても「策士」の二文字が、薫の頭の中には浮かんでしまう。そして、摂政が「御父の光源氏様」と言うたびに、薫は罪悪感を覚えてしまう。なぜなら彼は今、本当に光源氏の子なのかどうか自分でも分からなくなっているのだ。その本当の父かどうか分からない光源氏の子として懇意を受けるが、薫にとっては引け目でもあった。
ようやく東三条邸を辞した時には、薫は果てしない解放感から歓声を上げたくなっていた。本当なら、南院の皇太后のところにいる自分の妹のところにも顔を出したいところだった。今は皇太后も国母として宮中に入っていて不在だから、妹と対面するには皇太后への気兼ねがいらずにちょうどいい。だが、いざとなるとそのような心の余裕はなく、薫はやっとの思いで東三条邸を抜け出した。
とにかくここ二、三カ月で、摂政の一門はものすごい天を突く勢いで昇進している。その状況はまさしく異常であった。九条元右大臣の流れはその元右大臣が亡くなった直後は宿敵の小野宮流に押されがちだったが、今や不死鳥のようにその勢力を拡大し、小野宮流の流れはほとんど見る影もない。
だが、見る影もないとはいえいるとことにはいてくすぶっているようである。
薫にとって新しい職場である左近衛府は、陽明門を入ってすぐ右だ。つまり、今までの勤務先である左兵衛府の、道をはさんだ北側にある。また、少将ともなると左近衛府よりも内裏の中の左近の陣に詰めていることも多い。
閉口したのは、直属の上司である左近衛中将の口のうるさいことであった。年は薫よりも二つ上の三十ということだが、その年で故小野宮前関白太政大臣の四男ということであった。だが、実際は孫であって、小野宮前関白の養子になったということだが、とにかく故実にうるさい。自分の養父の小野宮流故実を堅守せんとて、ことごとく九条流故実を批判してかかる。
その愚痴を聞かされる役が薫だったから、たまったものではない。中将は薫が自分の父と敵対していた光源氏の子であることを意識しているのだかしていないのかは分からないが、とにかく薫は自分への風当たりが強いことは感じていた。これならまだ、兵衛府にいた方がましであった。
薫が中将の神経質そうな狐顔から抜け出したく思いついたのは、延び延びになっていた宇治行きであった。このような息が詰まる思いから救われるためには、宇治の自然と宇治の宮との法問答しかないと思ったのである。
これから宮中は、大嘗会に向けてますます慌ただしくなることが予想される。今を逃がしたら当分機会はなさそうだったので、薫は思い切って三日の
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