左兵衛尉の声も、源氏の袖をつかむ手も震えていた。その様子に異様さに、源氏の不快感は不審感へと変わっていった。

「どうした。何があったんだ」

「密告です。多田左馬助に密告されました。検非違使に追われているんです」

「密告? 何を密告されたというんだ?」

「実は……」

 左兵衛尉は目を伏せた。そして、そのまま小さな声でぽつんと言った。

「謀反……」

「何?」

 源氏は、眉を動かした。

「今、何と?」

「すべて、発覚しました」

 源氏はしばらく、声が出なかった。

「どういうこと何だッ!」

「四宮様を擁して兵を挙げ、四宮様を皇位につけようというくわだてがすべて発覚しました」

「何と、馬鹿なことを!」

 源氏は思わず怒鳴った。その怒りは、自分自身にも向いていた。何かたくらんでいると感じてはいたが、まさかこんな大それたことを考えているとまでは察し得なかった自分の迂闊さにも腹が立った。やはり、目を離すべきではなかったのだ。

「今まで、そのようなくわだてが成功したためしがあるかッ! 若い者ならいざ知らず、その年なら東国の兵乱、西国の海賊のことも覚えておろうが。彼らがどのような末路をたどったかも」

 今さら言っても、始まらない。

「かくまって、かくまって下さりませぬか」

 左兵衛尉は、ついに泣き出した。源氏はため息をついた。頭をかかえたくなる思いであった。かくまえば累が自分にも及ぶことは必定だが、突き放すのも肉親の情にもとる。

「追われているのは、そなた一人か」

「いえ、中務少輔や前相模介も」

「前相模介といえば、あの俵藤太の子よのう」

 あの東国の兵乱で首謀者の豊田小次郎を討ち取った男が俵藤太で、その子が今追われているという。

 せめて左兵衛尉だけでもかくまってやりたいが、そうはいくまい。

「だから、多田左馬助には気をつけろと、あれほど言ったではないか」

「しかし、もともとすべてを言い出したのが左馬助で……、それが裏切るとは……」

「何ッ!」

 源氏の動きが止まった。その頭の中に……まさか……という思いが浮かんだ。もしかしたら、すべてを仕組んだのは小一条右大臣ではないか……。左馬助は、小一条家の郎党だった……そうなると、すべては自分を陥れるための陰謀と策略……? 

 左馬助にありもしない謀反の話を源氏の縁者の左兵衛尉に持ちかけて左兵衛尉をその気にさせ、左馬助に密告させるという手の込んだ筋書の策略の、その標的は左兵衛尉ごときではなく自分……? 

 もしそうなら、自分に累が及ぶ云々を懸念しているどころの騒ぎではない。源氏が失脚すれば、次に左大臣になるのは小一条右大臣だ。しかもその小一条右大臣は、源氏が若い頃から何かと憎悪と敵対心を燃やしてきた。源氏の本当の敵は小野宮関白太政大臣ではなく、小一条右大臣だったのかもしれない。


 ――白虹日を貫く。太子之を畏づ……。


「申し上げます!」

 家司が簀子で叫ぶ。ただ事ではない様子だ。

「検非違使の役人が、大勢詰めかけております」

「庭に通せ」

大臣おとど!」

 左兵衛尉が泣き面のまますがっているうちに、前庭におびただしい松明たいまつの群れが入ってきた。

「源氏の大臣おとどにお尋ね申し上げます!」

 家司を通して検非違使が源氏に尋ねた内容は、左兵衛尉の所在についてだった。

 源氏はすぐに家司に命じて左兵衛尉を取り押さえさせ、検非違使に引き渡した。亡き騒ぐ左兵衛尉は源氏を口汚くののしりながら、左馬助の悪口をもわめきつつ連行されていった。

 無慈悲だったかもしれない。だが、もし本当にことが小一条右大臣のたくらみだったとしたら、機先を制しておこうと思ったのである。

 左兵衛尉の身柄は、明日にでも勅許をもってどうにでもなろう。ただ気になるのは、今の検非違使別当が一条大納言とかつて蔵人頭争いで敗れ、一条大納言に怨恨を持つ宰相中将右衛門督だということだが、今ここでかくまって自分も同罪とされたらそれこそ相手の思う壺だ。

 それにしても、政治権力争いの渦にこれ以上巻き込まれるのはもうたくさんだ、もうごめんだと源氏は思った。それでいて、策士の域を出ないような行動をしてしまった自分もいた。自分がどうしようもなく狡猾な老人になってしまったものだと、源氏は思った_。

 源氏はそのまま西ノ対に渡った。思った通り、明石の御方も姫も、東ノ対の方での大騒ぎを気にしていた。

「賊が入ったのでね」

 それだけを、源氏は言っておいた。明石の御方にすべてを話す勇気は、今の源氏にはとてもなかった。


 しとねの上に横になり、明かりを消した部屋で眠れぬままに、今こそ時が来たと源氏は思っていた。

 このような騒ぎが起こるということは、出家を誓ってなかなか仏弟子になれないでいたことへの仏罰かもしれない。しかし同時に、この事件は出家の好機ともいえるのではないかとも考えた。右大臣との仲がこれ以上険悪になれば、それを口実に左大臣職を投げ打って出家できる。

 あとは右大臣が拾うもよし、ほかの誰が拾うもよし……思えば、遠い昔のことではあるが、須磨の時も自分から身を引いたのである。

 そんなことを考えながら、何とか源氏は眠ろうと努力したが、明け方近くにほんの少しまどろんだだけで朝になってしまった。今日は、参内を休む訳にはいかない。今日休めば、関白・右大臣サイドの人々によって、左兵衛尉はいいように裁かれてしまう。


 その時、家司たちの激しい声がした。格子はまだ下ろされたままで、外は明るくはなっているが日はまだ昇っていないようだ。

「申し上げます! 庭に、検非違使の役人たちがッ!」

「屋敷中、取り囲まれております!」

 口々のそんな報告に源氏は跳ね起きた。そして次の瞬間には、多くの人の足音が前庭に満ちた。入ってよいという許しは、まだ与えていないはずだ。不審感と悪い予感が、源氏の中で錯綜した。

「源氏の大臣おとど! 出てまいれ!」

 左大臣の自分に地下からの無礼な言上に対し、源氏はむっとして黙っていた。

「帝の宣命でござる!」

「何?」

 こうなったら地下人でも勅使だから、本来ならすぐに上にあげて上座に据えなければならない。だがむっとした状態が続いていた源氏は、無礼返しに外に向かって大声で叫んだ。

「今はただ小袖のみの姿なれば、いと恐れ多きこと。仕度が整うまでお待ちあれ!」

「待てませぬ!」

 格子の外から、同じような大声が返ってきた。

「そのままで結構! 宣命をお読み申す!」

 源氏は立ったまま格子の裏板を見つめ、身を硬直させていた。女房たちもすでに、着付けの手を止めている。

「正二位左大臣左近衛大将源朝臣、三月二十五日をもって大宰員外帥だざいいんがいのそちとなす。直ちに下向せよ」

 大宰府へ左遷……しかも宣命は昨日の日付だ。

 すべての時間が止まった。完全に思考は白紙になった。

 いったい自分にどういう状況が襲ってきたのかも、一瞬には理解できなかった。目は開いている。ものも見えている。だが実際には、何も見えていなかった。

「本日ただ今より、筑紫にご下向頂く。参内には及びませぬ!」

「指図するかッ! 下郎!」

 また、庭に向かって怒鳴りつける。

「勅旨でござる! それに、貴殿はもはや、左大臣ではござらぬぞ」

 庭の方で、一斉に笑い声が起こった。

 五十六年生きてきて、これほどまでの屈辱を味わうのは初めてだ。

 源氏は唇を噛みしめ、ただ歯をこすり合わせていた。

 そのうちようやく、思考回路が開けてきた。そしてまた、庭に向かって叫んだ。

「あい分かった。着衣の間、しばし待たれよ」

 そのまま小声で女房に、

「着付けはもうよい」

 と命じてから、源氏はきびすを返した。そして足早に、北の対に渡る。

 やはり推測は当たっていた。ここで自分が大宰府に左遷というのは、謀反の張本人にされたからに決まっている。それ以外は考えられない。

 だが、彼の中で意地がわいてきた。小一条右大臣の思惑通りにはさせまい……

 勝算はある。昨夜の決意通り、出家入道することだ。まさか僧を、大宰帥だざいのそちにはできまい。

 左大臣の地位などに未練はないが、天涯の果ての筑紫の大宰府などに送られるのはごめんだ。須磨でさえ遠隔の地という感があったのに、大宰府ともなれば須磨どころの騒ぎではない。それに須磨のときは自ら身を引いてであったが、今は全く突然に自分の意志以外のものによって、しかも無実の罪で追放されようとしている。このようなことは許されてはならない。自分の名誉のためだけではなく、亡き親友や中宮、そして先帝の御名の名誉のためにも……。

 そう思った源氏は裸足のまま庭に下り、馬場まで一気に駆け出した。そして馬上の人になった源氏は、北ノ対の背後の築地の破れから路上に飛び出した。

 屋敷を囲んでいた検非違使の放免たちも、あまりにも突然源氏の馬が飛び出してきたので面食らっていた。しかも彼らはみな徒歩かちだったので、追うこともできない。そんな彼らを蹴散らし、源氏の馬は西大宮大路に出て、そのまま一気に南下した。

 それは源氏のとっさの判断だった。清水へ行こうと思った。

 出家するなら準備を進めている嵯峨の御堂がふさわしいだろうが、なにしろ遠い。今はなんとか検非違使をまいたが、やがて追い付かれるだろう。

 それに源氏が自分の寺である嵯峨の御堂に向かうということは、十分彼らにとって想定内はずだ。

 そこであえて嵯峨は避けた。

 源氏は五条の角を東に曲がり、全速力で馬を飛ばす。

 明石の御方も姫も若君も、そして薫もその顔を見ずに出てきてしまった。しかし、今は急ぐしかない。出家さえしてしまえば、また落ち着いて会えるはずだ。

 昨日までは、外出の時は左大臣として多くの供を引き連れ、車も牛車ではなく輦車が許されていた。さらには左大将として隋身兵仗も賜り、大行列で都大路を往来したものだった。今は馬一騎で供もなく、しかも小袖のみの姿で疾走しているのである。

 早朝なので、大路に人はほとんどいなかった。やがて行く手に川が横たわり、橋も見えてきた。その向こうに連なる山の中腹には、清水寺の伽藍が姿をのぞかせていた。

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