第3部 秋

第1章 若菜 上

 朱雀の院は西宮邸への行幸の頃まではお元気だったが、それ以来これまでにないほどの病状でとこにお就きなっておしまいになった。しかも、しきりに出家入道のお志をお口にされているという話が、源氏の耳に入ってくる。

 西宮邸行幸は春とはいってもまだ肌寒い日が多い頃のことであったから、それでお体にご無理をおかけしてしまったのではないかと、源氏は自責の念にかられたりもしたが、まだお若い院のことであるからそのうちよくおなりになるであろうとも楽観していた。

 だから、お見舞いに参上したいとは思っても、公務を口実に先延ばしにしていた。実際、除目が近くて、公務は多忙を極めていた。

 そこで源氏は、二条院に程近い二条邸に住む長男に、自分の代理としてお見舞いに参上させた。


 ようやく季節は、春めいてきている。源氏にとっては三十代最後の春だ。人間はこうして変わっていくのに、不思議と梅の花は源氏が十代の頃、二十代の頃と全く変わることなく同じ花を咲かせ続けている。源氏がそんな庭の梅を寝殿の簀子すのこから見ていると、家司の一人が長男の来訪を告げた。

「おお、ここに通せ」

 まるで客人を扱うかのように、源氏は息子を南面みなみおもてへ招き入れた。今は息子であって息子ではなく、院の勅使と心得ていたからである。

「どうだった。院の御悩ごのうは」

「は、それが……」

 もうすぐ十代も終わろうとしている息子は、気の毒そうな顔で父を見上げていた。

「お体はさほど重き御病には思えませんでしたが……」

「ということは、お元気なのか?」

「一応、とこにおつきになってはおられました。しかし、全くお言葉を発することがおできになれないようで」

「お言葉をおっしゃることができない?」

 源氏は胸がつぶれる思いであった。言葉を失ったという院は、母こそ違え自分の弟である。

「それで、ただお筆でのみお言葉を」

「それで、院は何と?」

「私の年などをお聞きになったりしておられましたが……」

 源氏は身をのり出した。

「昔のことなどを織り交ぜて、ぜひ源氏の君に、つまり父上にお会いしたいとのこと。何か父上に申し上げられたき儀もございますようで、必ず父上ご自身でおいで下さいなどとおっしゃっておられました」

「そうか。それは参上しない訳にもいかないな」

 源氏は息子を見てうなずいていた。


 その朱雀の院がついに落飾されたということを、源氏は宮中で耳にした。剃髪は延暦寺の座主であったという。

 何しろ失語症を患っておられる院なので、終始皆が無言であったということだ。

 源氏は院の形が変わらぬうちに参上しなければと思っていたが、言語を失っておられるところに伺ってもどうかと思われてためらっているうちに、院は出家入道されてしまった。

 朱雀院と二条院に引き続きお仕えしている女房たちや家司たちも皆泣き騒ぎ、心なきはずの僧侶までもが、院が法服をお召しになってこの世の別れの作法をする折などはもらい泣きしてしまったほどであったという。

 だがそのしるしあってかその翌日には院のお言葉が戻られたということも、源氏は聞いた。

 参上するのは今だと、源氏は思った。それほど立派ではないように見える車に源氏は乗って、たいそう忍んで源氏は二条院を訪れた。


 対面は形式ばったものではなかった。院も起きてこられ、御座所の隣の一室で源氏と会われた。だが、分かっていたこととはいえ、実際に院を拝見して源氏はしばらく言葉を失った。目の前におわします方はもはや上皇というよりも、僧形の法皇だったのである。

 ようやく源氏は、ゆっくりと口を開いた。

「もう遠い昔のことですが、お亡くなりになった私たちの父君が崩御されてから、私も世のはかなさを身にしみて感じておりました。いつかはこの道にと思っておりましたがなかなか決心もつかずにいたところ、思いもがけずに上皇様のこのようなお姿を拝見し、いまだ俗人の形でおりますわが身が恥ずかしく感じます。自分独りの身ならともかく、何かとほだしも多ございまして」

 院はその源氏の言葉に、力弱くお笑いになった。

「兄君の先を越してしまいましたね。私は今日明日をも知れぬ身ですが、兄君はまだ先が長うございますから。私はせめて念仏の真似事でもと思いましての、この姿でございます」

 もう一度院は含み笑いを見せ、それから少しだけ目を伏せられた。

「父君がお亡くなりになる時に、私にご遺言をなされました。私はまだ小そうございましたが、はっきりと覚えております。その中に、何ごとも源氏の君、すなわち兄君の言う通りになさいというのがありましたね」

「よく覚えておいでになられます。まだ、八つか九つくらいでいらっしゃったのに」

「しかし、兄君、お許し下さい。ひとたび帝の位に就けば我が身は我が身であって我が身ではなく、思う通りにいかなかったのですよ」

「そのようなことは、何も今さらおっしゃられずとも」

「兄君は今もそうおっしゃってくださいますし、我が在位中も少しも私を恨みなさるようなことはありませんでしたね。私の兄君への仕打ちは、それを仇に感じられて私を誅せられたとしても致し方ないこと。いにしえにもそのようなためしはございますのに」

「どうしてそのような、恐れ多いことがございましょう」

「ところで」

 院の口調が変わった。

「このたび仏弟子としてみ仏の御もとに馳せ参じました私ですが、やはり私にもしがらみがございましてね」

 源氏は黙って、次のお言葉を待った。院にはすでに在世中の女御はおられないから、源氏の言ったほだしと院のしがらみとは別のものであろうと思ったからである。果たして院は、

「三人の娘でございます」

 と、言われた。

 源氏は院のお気持ちがよく分かった。三人の皇女はいずれも母は王女御であり、しかもその母はもう世にない。さらに父の院まで世を捨てた今、三姉妹は天涯孤独となってしまったのである。

「せめてそれぞれ成長していたら然るべき婿をとって安泰の身にし、それを見届けてから私は出家したかったのですが」

「いかにも、まだお小さそうございますね」

 三内親王の女一宮おんないちのみやは五歳、女三宮おんなさんのみやはまだ三歳である。

「内親王は終生独り身で終わる定めとはいえ、何の後ろ盾もなくなる我が娘たちはそれでは生きていけますまい。昔の例でも内親王に婿をとった例はいくらでもあります。しかし何分、今兄君が言われたようにそれぞれがまだ幼い。婿を決めるのも早すぎましょう。つきましては兄君に、娘たちの将来の婿取りのことなど、よしなにお願いしたいのですが」

「それはもう、しかと承りました」

「お頼み申し上げます、兄君。すべて、お委ね申し上げましたよ」

 院は立ち上がって源氏のそばまで歩み、ご自分の異母兄の手を取った。そして真っ直ぐに、源氏の目を刺すような視線でご覧になった。一瞬源氏はたじろいだが、すぐにその手を強く握り返した。

「お任せ下さい」

 源氏ははっきりと言い切った。


 院にはそう申し上げたもののやはり源氏一人の身に負えることではなく、翌日参内した源氏は公務を終えてから夕刻に清涼殿に参り、帝に拝謁を求めた。そこには右大臣もいた。源氏が同行を求めたのである。

 はじめ源氏は東廂に控えたが、帝によって身舎もやに招き入れられた。だがいくら帝の兄で年爵では準太上天皇の待遇を受けている源氏とて職掌は中納言であるから右大臣の上座に座るというのもまずく、右大臣もともに中に入って帝の御前に並んで座った。

「兄院ももはや、お覚悟をお決めか」

 源氏の報告に、帝も右大臣も長く歎息した。

「思えば母君に慈しまれて育てられた兄院なのに、三人の幼いお子を残して形を変えられるとは」

 確かに院は幼少のみぎり、母の大后に過保護といえるくらい慈しまれすぎて育てられた。その顛末に馳せる思いは、この場にいた三人とも同じであったであろう。

「して、そのお三方の内親王ひめみこ様のことでございますが」

 源氏がそう切り出すと、横から右大臣がその顔を見た。

「まだ院ははかなくおなりになった訳でもないのに、このような話題は不吉ではないか」

「いや、あくまでご本人のご意志だからね、私はやはりご報告しなければならないのだよ」

 源氏が右大臣に言った言葉をお耳にされた帝は、即座に身を乗りだされ、

「女一宮は」

 と、お言葉を述べられた。

内裏うちに住まわせましょう。わたしに考えがありますから」

「お考えとおっしゃいますと?」

「ゆくゆくは東宮妃に、いかがですかな?」

「おお」

 声を上げたのは、源氏も右大臣も同時であった。妃とは臣下の娘である女御や更衣とは違い、死んだ三条入道宮がかつてそうであったように、皇族でないとなれない。内親王という身分にとっては確かにそれ以上の安定した立場はなく、しかも臣下の女御や更衣と違って後宮の権力争いに巻き込まれることもない。

「これは、ご名案。で、女二宮おんなにのみやは」

「恐れながら」

 話に割って入って、右大臣が帝に向かって身をかがめた。

「ゆくゆくは我が子息のいずれかに、御降嫁賜るわけには参りませんでしょうか」

 帝や源氏にとっては突然言い出したことのように聞こえたが、どうも右大臣は前々からそれを考えていたような様子もまた見られた。策士のこの男なら、あり得ることだ。源氏は横目でちらりと、そんな朋友を頼もしげに見た。

「君は内親王が好きだな」

 右大臣は自分の同母姉の内親王を妻にしているのを源氏は皮肉ったつもりであったが、右大臣はただ笑っていた。そして、源氏の耳もとでそっと囁いた。

「正直なところ君にはかなわないんだけど、でもかないたいんだよ」

 源氏は苦笑した。右大臣は今や羽振りよき摂関家の、一の人でこそなくても兄をしのぐ「一苦しき二」である。それでも生まれながらの臣下ということで、皇親源氏である源氏にこの男は引け目を感じていて、だからこそ血縁的に皇族と結びつきたいと考えているらしい。

 そう考えると源氏はおかしくも、くすぐったくもあった。内親王を妻としたとて、娘を入内させることと比べたらほとんど実利はないからだ。

「いいでしょう。だが、どのお子に?」

 割とあっさりと帝は承諾されてご下問になったが、それに対する答えは右大臣は持っていないようであった。少なくともすでに加冠を終えた息子たちには無理であろう。彼らにはすでに妻がいる。内親王降嫁ともなれば、源氏の姉が九条邸の寝殿住まいをしているように、自邸の寝殿に同殿する待遇をしなければならない。それに、加冠を済んだ子と女二宮では年が離れすぎる。女二宮が妙齢になったころには、右大臣の子息たちとていい中年になっていよう。

 しかし、右大臣は子沢山である。今はまだ童形の子の加冠の折の添伏にというのが、妥当と思われる。いずれにせよ、ずっと先の話ではあった。

「二宮もそれまでは、内裏うちに住まわせましょう。さて、三宮ですが」

 帝は源氏をご覧になった。今度は源氏が右大臣と同じことを言うのではないかと、期待されているようまなざしのようにも見受けられた。これも将来の話ではあるが、源氏の次郎君は女三宮と年齢的にもつりあう。だが源氏は皇親であって、右大臣のようにあくせくと皇族と血縁を結ぶ必要はない。

 するとまたもや、右大臣が身をかがめた。

「三宮様につきましては、我が養女に賜りたく」

 これには思わず、帝さえ苦笑しておられた。皇族との結縁に対する右大臣の執念のすさまじさに、源氏もまた舌を巻いていた。

「分かりました」

 まるで子供をあやすように、帝はこのご自分のわがままな舅の申し出にうなずかれた。


 こうして朱雀院の女一宮と女二宮は二条院から宮中に移り、三歳の女三宮は右大臣の五の君ということになって九条邸に引き取られていった。

 それらが一段落ついてから、源氏は再び二条院の院のもとへ参上した。

「よかった、よかった」

 院は何度もうなずかれて、そのお目に涙さえためておられた。

「これで我が余生は、心置きなく仏弟子としての行いに励むことができましょう。すべて兄君のお蔭です」

 そう言われてから上皇は、懐紙を源氏にさし出された。そこには御製が記されていた。


  遠近をちこちの 風とぞ今は なりなまし

    かひなきものは 我が身なりけり


 それを拝見した源氏は、まぶたが熱くなるのを禁じ得なかった。院の悲痛な心の叫びである。まだ三十になったばかりの弟が、もはや老人のような悟りきった心境でおられる。懐紙を持つ源氏の手は、いつしか震えていた。


 その後、院は二条院を去り、西山の御寺みてらへと移られた。山寺ではなく、上皇の曽祖父の先帝の御願寺で、祖父の一院法皇の御時に完成し、その一院法皇もご出家後にここに住まわれたという。

 かなり広大な境内を持ち、山門は大内裏の朱雀門ほどもある和様の二層門であって、金堂や講堂はじめ五重塔もその威容を誇っていた。

 ましてその頃は境内の桜が満開であった。桜とはいっても人の背丈よりも樹高が低いのがこの寺の桜の特色である。院が寺に入られたのは夜で、満開の御室おむろの桜越しの五重塔が満月に照らされ、若くして仏門入りした若き主を迎えた。そして、その生母の大后も二条院から同行し、同じ寺へと入った。


 ところがその直後、院は寺でご病気が再発し、ほとんど寝たきりの状態となられた。そのことを院の乳母であった加賀命婦が宮中の報告に参上した時は激しい雷鳴が空に轟き、南殿なでんの前庭では雷鳴かんなりの陣をとるための近衛舎人の足音が響いていた。

 院のご病気はそのまま進展も快復もせず、小康状態のまま季節は春から夏、そして秋へと移ろいでいった。

 その間、慶事もあった。藤壺女御が右大臣の別邸の桃園邸にて、無事に男皇子を出産した。帝の第四皇子で、女御にとっては三人目の子となり、東宮に次ぐ二人目の男御子であった。

 秋になっても院のご病気ということで相撲すまい節会せちえは中止となり、そして中秋の名月を迎えたその日に、朱雀院の法皇は西山の御寺で崩御された。それは故関白太政大臣の三年目の命日の翌日だった。春秋三十歳――あまりにも若い旅立ちであった。

 三人の皇女の身の振り方も決した後だったことが、せめてもの心のお慰みであった。四十九日の法要は、亡くなった院の父院の勅願寺で行われ、当然源氏も参列した。この五重塔は昨年すでに完成していたが、院の女御の薨去によって落慶供養は延期となり、そのまま院のお病気のためにさらに延び延びとなっていたが、今回の上皇の崩御でさらに延期は余儀なくされる。

 慈しみすぎた最愛のお子に先立たれた生母の大后は従来の病が一気に高じて、またもや寝たきりの状態となった。大后はいつまでも西山の御寺に留まる必要もなく、かといって二条院に戻る気もしなかった老婆は、上皇だけでなく今上帝の生母でもあるために宮中に戻ることとなった。ところが方角の関係でいきなり内裏には入らず、大内裏の東北の隅の主殿寮にまずは落ち着いた。それはちょうど院のご遺体が荼毘に付される日であった。

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