大原野祭当日は、よく晴れていた。紅葉も終わりそろそろ都に木枯らしが吹きすさぶ冬本番を迎える頃だった。

 行列の沿道には着飾った公卿たちをひと目見ようと人々が群れ集まり、桂川を渡るあたりが最大の人出だった。

 大原野祭は国家行事ではなく、あくまで関白太政大臣一門の私的行事だ。したがって車をつらねているのもその一門の公卿ばかりだが、唯一例外が見物ではなく行列の中にいる源氏だった。太政大臣の一門は一族というより節囲が広い。

 関白の兄である老齢の枇杷左大臣も、そしてさらにその兄であった故人の本院大臣の一族も、祭儀に別していた。その他にも関白太政大臣の八代前の大織冠たいしょっかんの末がすべて参列しているのだから、国家行事よりもかえって盛大な催しとなっていた。その上卿を一門ではない源氏が務めているのだ。

 大原野社は都の西南にあり、かつて長岡京が営まれたその故地にも近い。

 行列が社に近つき、その背後の小塩山が見えてきた頃は、源氏はまだ自分が上卿をつとめることに違和感を覚えていた。ところがいざ社殿の御神前で祭事を行う頃には、彼の仕草も心もちも、すっかり板についていた。もはやこの一門と自分は切っても切れない関係になっていると実感したのである。それはこの一門の中でも関白太政大臣や九条家とだったらいい意味でとなるが、しかし小野宮家や本院家、そして小一条左衛門佐とでは必ずしもいい意味とはいえなかった。


 大原野祭から数日後、ある官奏があった。

 帝の御即位後、それははじめて直接帝の御目に触れた。今までは官奏はまず小一条邸にもたらされ、摂政がそれを見て判断したものだった。いよいよ帝が直接政務に携ることになったわけだが、それでもその御公務の大部分は関白に移譲されていた。

 実際のところ、帝は直投官奏を御裁可できるお体ではなかった。一日のほとんどを横になって暮らしておられるのである。お若いお年のわりには、すでに寝たきり老人の風がおありになった、それにひきかえ、実際の老人である関白太政大臣は、老いてますます盛んなのだ。


 その頃、またもや都は大騒ぎとなった。

 首領が調伏された後も各地でくすんでいた海賊の残党が、生け捕りとなったまま入京したのである。その中には先々月の備前に上陸した賊もいたし、また日向国で官軍と合戦に及んだ前伊予掾の副将もその捕虜の中にいた。

 彼らは獄につながれ、検非違使けびいしの断に任せられることになった。検非違使別当は権中納言左金吾の兼任だ。つまり捕虜たちの生殺与奪の権利を彼が握っていたのである。

 源氏はできれは、すぐに捕虜を殺してほしくはなかった。しかしその理由は、いかに朋友だとて権中納言には言えない。妻の舅である彼にもう一人の妻である明石の姫のことを持ち出し、捕虜の誰かが手がかりを持っているかもしれないから会わせてくれとは、とても言えることではなかった。

 そのようなある日のこと、二条邸に珍客が来た。まだ西国にいる追捕使の六孫王の嫡男だという。多田王と名乗る源氏とほぼ同年代の無骨な男は、あまり愛想がよくなかった。王と名乗る以上地下じげに置くわけにもいかず南面みなみおもてで対面したが、多田王は無愛想なまま二通の書状を源氏の前においた。

「賊のひとりが源氏の君様にと、ことづかってきたそうでござる。危のうございますよ。賊と何かかかわりがおありならは、お気をつけた方がおよろしいかと」

 そんなことを言い、気味の悪い含み笑いを見せて多田王は退出した。なんだ、あの男は……と、源氏は不快感を隠せずにいたが、とにかく書状が気になった。

 短い方の手紙は、漢字ばかりの漢文でこう書かれてあった。


 ――「我今賊将となりて降伏す。其の前に思ふ所有りて我が母をとぶらふ。母は尼僧にして山中の庵に籠もりをり。驚くべきは那辺に一女有り。我が母云ふらくは一消息を以てし上洛する事有らば、此の書を以前明石におりし公達きんだちに届けよと。今此に達するなり」――


 賊が今生の別れにと尼となっている母の庵を尋ねたらそこに貴人の姫がいて、そして母はこの手紙を都にいる以前明石におられた貴人に届けよと言ったという。

「明石におられた貴人とは、源氏の君様で間違いありませんな?」

 多田王は念を押した。源氏は他に該当者は思いつかないのでうなずいた。

 源氏の腕が、小刻みに震えだした。前の備前守修理大夫の消息、そしてこのふみ。中に書いてある姫とは、間違いなく……。源氏は添えられていたもう一通の書状を開いた。仮名書きの和文だった。

 それを読み進むにしたかって、源氏は今度は全身に震えを感じていた。一筋の涙が、源氏の頬に伝わった。


 ――「世にもありがたきこと。川のほとりにたをれ伏し給へるやんごとなかめる姫を、わが庵にゐてまゐりしに、覚ゆることをさをさなくして月日経ぬれど、ここにひとつひとつ覚ゆることかへりてきくに、くわいぞくに家も焼かれ、父母もそがためにみまかりてなむと。さらにはそがためにかたちかへてむといふことのつれなき。されど都にはつまありといへば、あまりにもしのびず今まで思ひとどめさせ給ひてすぎぬ。今はただその明石の姫ここにぞあると、伝えなむとばかりに姫にしのびてこのふみぞしたためおきはべりたる。とくとく」――


 源氏はしばらく鳴咽にむせんだあと、文を握って東ノ対へ走った。

 入道も泣いた。泣いたあと、部屋の棟に向かって叫んだ。

「わしは死んではおらぬぞ! ここで生きておるぞ!」

 声とともに涙が散った。入道の妻も泣いていた。

「すぐにふみを書きましょう。そして、都へ呼びましょうぞ」

 源氏は入道に言ったが、入道は前かがみに伏して涙にむせんでいるだけだった。

 そこで源氏は入道に代わって、明石の姫宛に手紙を書いた。両親は健在で今は自分の屋敷に同居していること、早く上洛して再会したいことなどを綿々とつづった。

 姫の居場所は、すでに帰京していた修理大夫に聞いてあらましは分かった。検非違使別当の権中納言に頼めばこの文をもたらした捕虜に聞くこともできたが、やはり意地があってそれはしなかった。

 源氏は気の利いた家司を三人ほど選んで文を持たせ、他にも姫の世話係としての女房もつけてやった。


 年の瀬も押し迫ってから、除目が行われた。いわは欠員補充がその名目であった。三月に橘中納言大宰権帥が薨じて以来、中納言が空席だったのである。

 権中納言は左金吾を含めて三人いたが、そのうちの一人の源民部卿権中納言は、六月にはすでにこの世の人ではなくなっていた。残る二人のうちどちらかが正規の中納言に昇進ということで、九条の権中納言左金吾もかなりの運動をしたようだった。

 だがやはり順列で、五十八歳の源権中納言が正に転じた。年齢だけでなく、彼は冷然院におわします老上皇の第一皇子の賜姓源氏だったのだ。源氏と同じ一世皇親源氏だ。

 権中納言はさぞ悔しがっているだろうと源氏が思っていると、宮中で会った権中納言は案外けろっとしていた。そして物陰で、やはりこの除目で右衛門督えもんのかみになった源氏をつかまえた。

 その時の権中納言の話によると、父の関白太政大臣がひそかに「わしに任せろ」と権中納言に言ったのだという。それも含み笑いとともにということだった。

「だから今回私は、申文を引っ込めたんだ。父に何かお考えがあるような気がしたからね」

 源氏にとって太政大臣の含み笑いが目に見えるような、同じ笑みを権中納言は浮かべて源氏に言った。

「それより君も、右衛門督だってな」

「ああ、昔を思い出すな。君と私が左右の近衛府の中将に並んでいたこともあったよな」

「そうだな。今度は場所が変わって衛門府だけど、でも今度は中将のような次官じゃなくってかみという長官だ。忙しくなるぞ、こりゃ」

「昔はのんびりできたよなあ。あの頃が懐かしい。何もかもが輝いて見えていたよ。何も見えていなかった分だけね」

「おいおい」

 声をあげて権中納言は、新しく右金吾になった源氏に向かって笑った。

「君はまだ三十前じゃないか。それなのに、その老人じみた口のきき方はおかしいぞ。とにかく、二度も左右の同じ役職に並ぶことになったんだ。君との因縁浅からずだな。互いにがんはろうぜ」

「ああ。因縁は感じているよ」

 源氏の返事には力がなかった。

「では、御免」

 権中納言は風のような笑みを残して、渡廊を向こうの方へと行ってしまった。

 源氏が今回の除目で得た右衛門督という役職は、これまでは修理大夫の兼職であった。修理大夫が民部卿を兼任することになったので、この地位が空いたわけである。

 そして源氏のこれまでの兼職だった大蔵卿は、伴宰相が兼ねることになった。

 なお、参議のうち本院大臣の息子の左兵衛督が、一気に五人の順列を飛び越えて権中納言となり従四位下からいきなり従三位となった。依然正四位下の源氏は、その飛び越えられたうちの一人であった。やはり本院大臣の族……そこにはやはり、目に見えない息吹が感じられて仕方がない源氏であった。


 年が明ける前に、かつて源氏が明石に遣わしていた家司が戻ってきた。すぐに源氏は彼らを南面の、しかも身舎の中へと招き入れた。

「会えたか」

 源氏は刺すような視線で、家司を見た。そして、その返事を待った。家司が顔を上げるのがじれったくもあった。

「は、確かに」

「明石の姫に、間違いはなかったのか」

「はい……だと、思います」

「思います?」

 源氏の目がつり上がった。

「どういうことだ」

「実は、会えなかったのです。あ、で、でも、尼君には会いました。尼君の話によりますと、姫本人は自分は明石の姫ではないと言っているということだそうですが、しかし尼君自身が言うには姫は明石の姫に間違いないと」

「どういうことだ。よく分からん。ゆっくりと、落ち着いて話してくれ」

 しかし、いちばん落ち着いていないのは源氏の方だった。片膝を立てて、身を乗り出している。

 家司の話はこうだった……。

――あの明石の屋敷が賊に襲われた数日後、姫は乗り捨てたと思われる船のそばの川のほとりに倒れていたところ、尼君に発見されてその寺に保護されたのがそもそもの始まりだったという。供の者と思われる女房三人もともに倒れていたが一人はすでにこと切れており、あとの二人も衰弱が激しくこの後すぐに亡くなった。

 発見された時の姫は二、三日も何も食べていない状況に加え身重の体であり、寺に着くや否や高熱を発してそのさ中に出産となった。だが、母体の衰弱ゆえに死産であった。その後、しばらく口を閉ざしていた姫に尼はあえて何も聞かず、その寺にて養っていた。

 ところがある日突然、姫が髪を下ろしたいと言いだし、何を聞いてもただその出家の意ばかりを繰り返す姫であったが、次第に尼に心を開いて口を割るようになった。

 姫が言うには、自分は海賊に父も母も家屋敷もすべて奪われた天涯孤独の身で、都のさる高貴な方の子を宿していたがそれも死産となって、都の方とも縁が切れた。だから今や現世に執着はなく、尼となって父母の菩提を弔いたいと……。

「ばかだな」

 そこまで聞いて、源氏は思わす目頭を押さえた。子が死んだくらいで、なぜ縁が切れよう。正式に三日通って結んだ夫婦めおとの契りではないか……。

「尼君は姫の出家をなんとか思いとどまらせて、時間を稼いでいたそうです」

 さらに家司の話は続く……。

――姫はその都の高貴な方の名をどうしても言わない。そうこうしているうちに、寺に尼君の息子が訪ねてきた。それは尼君にとっては、とうの昔に勘当していた息子であった。つまり、海賊の一味となっていたのである。だがその息子は、いよいよ決死の覚悟で都に攻め上るので、今生の別れに一目母を見ようと思ってやって来たということであった。本来なら顔も見たくない勘当息子ではあったが、都に行くというので尼君はその息子に文を託した。宛名も分からないが、唯一の手がかりは数年前に明石にいた貴人ということだけであった……。

「それで私の所に文が来たのか」

 尼の息子の海賊が捕らえられたのは播磨の国で、播磨守は当時在京していたが播磨介がふみの宛先の貴人が源氏だとすぐに察し、賊の入京と同時に文は追捕使の六孫王の子息の多田王によって二条邸に届けられた……そういったいきさつもすべて源氏は理解した。

 源氏はすぐさま、東ノ対に行った。入道は話を聞きながらしきりに涙を流した。

「何と、不思議なこと……」

「とにかく、姫は無事です。形もまだ変えていないようです。それに先日の私からの文で、入道殿も姫の母上もご無事で都におられるということを、すでに姫は知ったはずです」

「よし、迎えに行こう」

 入道は立ち上がった。

「しかし叔父上。行き違いになってもいけません」

「そうか、そうよな」

 力なく入道は、元の位置に座った。

「とにかくもう一度、上洛を促すふみを書きましょう」

 源氏はそう言って寝殿に戻り、一語一語を選んで文を書いた。だが、年末の慌しさに、その文を備前に向けて遣わしたのは年も明けてからになってしまった。

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