上卿以下上達部全員に、夕刻に緊急召集がかかった。

 場所はいつもの宜陽殿である。陣定もその他の議事も遅くて前日、普通は前々日に召集知らされるものである。それが当日の夕刻になって今すぐにというのは、明らかに非常事態だ。

 果たして源氏が宮中へ駆けつけると、近衛舎人は隊列を作って走っているし、あちらこちらで人が走って行きかっている。急な召集で参内してきた公卿たちが車を降りた大内裏の門から宮中まで小走りで走っており、確かに慌ただしい雰囲気だった。

 宜陽殿へ行く前に源氏は、権中納言左金吾をつかまえた。

「いったい何があったんだ?」

「謀反だよ。国家への反逆だ」

 それだけ言って権中納言も急ぐので、源氏もそれに続いた。

 宜陽殿の中はすでに事情を知っていそうな者、源氏のように何も知らない者とが半々のようで、あちらこちらで知らない者が事情を知っての驚きの声があがっていた。

 摂政太政大臣が参入した。一同は途端に静まった。

「おのおの方、まろの口から申すのは真に遺憾ながら…」

 そこまで言って摂政太政大臣は、絶句して首をうなだれた。人々はまたざわめきたった。

 源氏は息をのんだ。何が起こったのか、何が起ころうとしているのか――もしかしたら時代の大きな変遷に、今自分は遭遇しているのではないのか――。

「おのおの方」

 代わって左大臣が、しわくちゃの顔の小さな口を開いた。

「ついに東国の、豊田小次郎とよだのこじろうおおやけに対し、謀反を起こした」

 人々のどよめきは、絶頂に達した。

「今日、常陸国より言上があった。下総の住人豊田小次郎なる者、常陸国府を襲ってすけを捕縛、印鑑を盗みて官私の雑物等を損害したという。常陸府中はことごとく焼き払われたというぞ」

 中には真蒼になって、震えている公卿もいた。摂政太政大臣はうつむいたまま、ひとこともない。かつての自分の郎党だった者を信じていただけに、衝撃は大きかったのだろう。

 今までは一族内の兵乱だった。そして武蔵国の時も国府内の対立に仲裁に入り、国府を攻めたというのは逃げ帰った武蔵介の誤解だったということになった。しかし今回は、自らの意志で小次郎は常陸の国府を襲撃したというのだ。

「また誤解じゃないのか」

 そんな声も、人々のざわめきの中に聞こえた。

「いや、府中が焼き払われたというのだからな」

「それにしても、大変なことだ」

 源氏がこの場で話しかけ得る人といえば権中納言のみだったが、あいにく彼とは席が離れていた。源氏は黙って木机の上を見ていた。

 たしかに国衙こくがを襲い印鑑を奮ったとあれば、国家への反逆というのは大袈沙にしても、公的機関への挑戦であることには違いない。しかも常陸介を捕えたという。常陸は親王が国司となる国でその常陸守ひたちのかみの親王(通称は常陸宮ひたちのみやと呼ばれる)は遙任である以上、実質上はすけが国司同然なのだ。

「皆の者、お静まりあれ」

 摂政太政大臣がやっと顔を上げた。

「何といっても小次郎はかつてのわが家人けにん。こたびも教書を出すつもりじゃ。彼は必ずや返書をよこすであろう。それを待ってことを議そうと思う。また東国推問使の出向も急がねばならぬ。その密告もまた待つに価するものとなろう」

「恐れながら」

 大声で叫んで顔を上げたのは、小野宮大納言であった。ところが息子であるその大納言を、太政大臣はきっと睨みつけた。無言の威圧がきいてか、大納言はすごすごと言をひいた。

 こんな時にでも悠長に構えるのが、この国の政府の体質なのだろうか――そう思った源氏は、いやと心の中で首を横にふった。摂政はまだ小次郎という男を信じていたいのだと感じた。

 退出した時は夕陽が真赤になって都の周囲の山々を染め、その山々の木々はすっかり葉を落としていた。何も変わっていない。世の中がひっくり返りそうなことが東国で起こっていようとも、少なくともこの都をとりまく自然は、自分が生まれてこのかた二十六年間と全く変わってはいなかった。


 翌日、また参内して源氏は驚いた。宮中の雰囲気は全く何ごともなかったように、平穏な様子をとり戻していたのだ。

 昨日の騒ぎが嘘のようである。所詮都人にとって遥か彼方の地の果ての東国で戦騒ぎが起こっていようとも、そして理屈の上では危急を感じて大騒ぎしても、感覚上では対岸の火事なのかもしれない。

 その時源氏は病の見舞いと称して、小一条邸の摂政太政大臣を訪れた。一参議が摂政の私邸を訪ねることが許されるのも、彼が皇親元気であるのに加え摂政の孫娘の婿であることゆえにほかならなかった。

「豊田小次郎とは、どのような男だったのですか?」

 源氏はいきなりきり出した。太政大臣はかなり弱った身体を少しゆすり、目を細めた。

「田舎育ちであるゆえいささか不作法な点もござったが、目の輝きの美しい涼しい顔の若者だった。坂東者らしく武骨そうではあったが決して泥臭くはなく、柏原の帝の五世孫の貴種の面影も残してござったよ」

 やはり源氏の思った通りのようだった。柏原の帝の曾孫が賜姓源氏ならぬ賜姓平氏で、その流れだという。皇族が臣下に降る場合、一部の例外をのぞき原則として一世から皇孫の二世までは「源」の姓を賜るが、三世以下だと「平」の姓を賜る。

 だから小次郎という男の豊田というのは姓ではなく通称であり、姓は「平」なのだということだ。


 その後、年の瀬も押した半月あまり、都は全く平穏だった。その間に太政官による太政大臣六十賀の諷誦読経が、都の内の六十ヶ寺で修せられた。ところがまたもや、地方からの言上が宮中をゆるがせた。

 今度は西の伊予の国だ。

 伊予はもともと海賊の巣窟となっているような所で、その鎮圧のために派遣した伊予掾が任果てても帰洛せず今や身を転じて自らが海賊の首領になろうとしていることは、早くから誰もが知るところであった。伊予国では朝廷に、前伊予掾を召喚してほしいと言ってきている。

 坂東が地の果てでそこの兵乱が対岸の火事であるのと違い、伊予は遥かに都に近い。公卿たちは前以上の上を下への大騒ぎとなり、今回はその伊予海賊のための陣定も開かれた。

 もはや摂政太政大臣もここでは、私情を挟む余地もない。ところがその陣定では伊予の国へ前掾召還の官符を送ることが決せられたのみで、他は何ら具体的な話は決まらなかった。底冷えの真ただ中の都の盆地は、相変わらず静かだった。

 東国の兵乱、西国の海賊の騒ぎをよそに、宮中はこの年の摂政太政大臣六十賀の最大行事である帝の御諷誦ならびに六十賀宴への関心でにぎわっていた。

 源氏は今しかないと思っていた。かねてからの心願の住吉詣である。さらに年の瀬も押し迫れば慌ただしくもなろう。ましてや東西の乱がますます激しくなったら、住吉詣の騒ぎどころではなくなるかもしれない。

 そのことを宮中で立ち話に権中納言に打ち明けた。

「ま、いいと思うがね」

「私事ばかりじゃない。一参議として東西の兵乱鎮めの祈願も行うつもりだ」

「そういう名分も立つな、今なら」

 少し権中納言は笑った。

「しかし、わが父の六十賀宴のあとにしてくれ」

 権中納言の言い分ももっともだったし、二条邸の政所の陰陽師に卜させても、吉日は六十賀宴の翌日と出た。これで決めた。この日は童殿上に出している若君も同行させることにした。


 住吉詣の前日はまず帝の御主催による太政大臣六十賀の諷誦読経が延暦寺、興福寺、東寺、西寺、法性寺、極楽寺の六ヶ寺で行われたあと、権中納言左金吾による法性寺においての修法、それにひき続いてほど近い権中納言の九条邸での六十賀宴となった。そのことごとくに源氏は参加したので、忙しい一日だった。

 宴の間は少なくとも、天下奉平の気分が九条邸にみなぎっていた。このままこの都の名のとおり、平安が千年も二千年も続きそうであった。そう感じたのは源氏だけではないようで、参列者誰しもが雅の風に酔っていた。

 都を遥か南に下ったひなと接する地とてここもまだ都のうちと管弦が響き、池には竜頭の舟が浮かべられ、南庭の舞台では舞いが披露された。

 やがて夕闇迫り、庭には篝火が焚かれた。

 源氏もまたひと時の夢に酔いしれていたが、翌日の住吉詣を思って遅くならないうちに、早々に退散した。

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