箱庭のやさしいバケモノ

胡桃

箱庭のやさしいバケモノ

 たっくんなんてダイキライだ。  

 一緒に遊ぼうねってやくそくしたのに。

 またね、って言ったのに。


 あの日。そう、入道雲とひまわりがあまりにも眩しかった昼下がり。僕は熱いアスファルトの上を泣きながら走っていた。仲良しのたっくんがいつもの公園に来なくて、そのときなぜかたっくんはもう来ないんだって直感した。そしたらなんだか急に頭がぐらりとして、声じゃない何かが聞こえた気がした。どこか遠くで、たしかにぼくを呼んでいた。



 次に気がついたとき、ぼくは不思議な庭の中にいた。左に桜、右には紅葉。季節が丸ごと庭のなかで揺れている。木に止まる鳥たちのさえずりに振り向けば、風がぼくの背中を押して、枝がこっちだと手を振ってみせる。そのまま木々の間を歩いていくと、道が開けて湖が広がる。身体を包み込むような風に息をのんだ。

 「やぁ、よくきたね」

 後ろから声がしてぼくは驚いて振り返った。誰かが一際大きな木の枝に腰掛けてにこにこと微笑んでいる。

「だ...誰」

 そいつはふわりと枝から飛び降りてぼくの横に立った。薄い生地の羽織りが風に揺れる。

「箱庭の主さ」

「はこにわ、ってなに」

そいつは少し首を捻ってまた笑った。

「僕たちのとびきりの隠れ家、かな?」

 そういうとぼくの瞳を覗き込んだ。

「そうか、そうか。」

そしてもったいぶったように頷く。

「君は、"たっくん"に会ったんだね」

 その名前を聞いたとたん、ぼくはまた喉のあたりが苦しくなった。たっくんに会えなかったこと、もう会えないと思うこと、とってもとっても悲しいこと、ぼくはしゃくりあげながらそれを話した。

 穏やかな顔でそれを聞いたそいつはぼくの髪をくしゃと撫でた。

「そうか、それは悲しかったね。」

「たっくんに、もう会えないのかな。言いたいこと、たくさん、あったのに」

 そいつは微笑んだ。

「大丈夫。もう一度会えるよ」

そういうとゆったりと歩き出す。

「ついておいで」


 どこからか聞こえる川のせせらぎ。葉の擦れる音。とても静かでにぎやかな所だと思った。

「あそこだよ」

ぼくの肩に手を置いてそいつが大きな岩の方を指差した。その上に座る小さな後ろ姿にぼくははっとした。

「たっくんだ!」

「行っておいで。」

 そいつが少し、悲しげに微笑んだ気がした。


 ぼくは走り出した。足音に振り返ったたっくんは驚いたように目を丸くして岩の上から飛び降りた。柔らかな髪がさらりと風を受ける。  

 「たっくん!よかった、もうあえないかとおもった」

たっくんは困ったように俯いた。

「...ごめんね、ほんとは今日、会いに行こうと思ったんだけど、どうしてもサヨナラがうまくいえないきがして」

ぼくは胸のあたりが痛くなった。

「サヨナラなの?なんで。いつもはまたね、って」

ぼくの言葉に、たっくんは泣きそうな顔で頷いた。

「あしたね、元服の儀があるんだ。だから、サヨナラしないといけないの」

「げんぷくのぎってなに?どうして会えなくなるの?」

「大人になるんだ。そしたら、いつも通ってた入り口が見えなくなっちゃうの。もう、ゆうくんのところに行けなくなっちゃうんだって」

 どうしてって、言いたかったけど、言えなかった。たっくんの目は涙でいっぱいだったから。

「ありがとう。ボクのこと怖がらないでいてくれて、いっしょに遊んでくれて、ほんとにたのしかった」

 ぼくは何も答えられなくて、ただいっぱい頷いてみせた。たっくんがきっとぼくとちがう世界に住んでるってことは前から気がついていた。ぼくにはたっくんのように頭に耳はなかったし、尻尾もなかったから。

「たのしかったよ、ぼくも。」

 やっと絞り出した声は裏返って変な声だった。たっくんはぼくのそれに泣きながら笑って、だからぼくも笑ってみせた。

「ね、いつもみたいに指切りしよう」

たっくんはそういうと小指をだした。

「今日はまたねじゃないけど、泣かないってやくそくする」

「うん、ぼくも、なかない」

「じゃぁ、いくよ」

 風が僕らをそっと包み込むように吹いた。草たちが大きく揺れる。

『ゆびきーりげーんまん、うそついたーら、はりせんぼーんのーます、』

たっくんの薄緑色の瞳のなかで僕は変な顔をしていた。

『ゆびきった!』

 たっくんが顔をゆがめて、それでもぎゅっと力を入れて笑った。言いたいことはたくさんあったけど、それは上手く言葉に出来なくて、そしてもう全部伝わってる気がした。


 風がぼくの背中を押して、枝が手招きする。何度も何度も振り返りながら木々を抜けると、箱庭の主が最初と同じ枝に腰掛けていた。ぼくに気がつくとなにも言わずに、ぼくの頭を撫でた。こらえていた喉の熱さが押し寄せて、溢れて、ぼくは声をあげて泣いた。サヨナラはすごくすごく痛くて苦しかった。

 ぼくの背中をさすりながら、木を見上げるとそいつは口を開いた。

「そろそろ時間だね」

目の前の木からは最後の一羽が飛び立とうしている。

「君が君の世界にもどらないと、時空がゆがみ過ぎて取り返しがつかなくなってしまう。大丈夫?少し落ち着いたかな」

 まだまだ喉は苦しかったけどぼくは涙を拭って頷いた。

「ひとつ聞いてもいい?そしたら、ぼく、帰るよ。」

「いいよ。なんだい」

「何者、なの。箱庭の主って」

 柔らかく微笑んだそいつは、少し悲しげででもとても優しい顔をしていた。 

「とびきり優しいバケモノ、かな」

 なんだかその答えがすごくすとんと胸に落ちてきて、ぼくは笑った。

「そっか。ありがと、たっくんに会わせてくれて」

「どういたしまして」

 優しい箱庭の主は、また微笑んだ。そのままゆっくりとその手のひらがぼくの目を覆う。そして、ぼくの視界は光で真っ白に覆われていった。


◇◇


 岩の上で何度も何度も涙を拭う狐の少年の横に、ひとりの優しいバケモノは腰を下ろした。

「素敵な友達に出逢ったね」

狐の少年は涙を拭って頷いた。ぎゅっと胸のあたりを抑えて青空を見上げる。

「大人になるって、悲しいや」

 その言葉に、悲しいバケモノは優しく微笑んだ。

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箱庭のやさしいバケモノ 胡桃 @kurumi_iro

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